新たな師匠
シドからソラに代わった後は、特に問題なく包帯を巻く作業は終わった。
「はい、これで終わりました。大丈夫かどうか確認してみて下さい」
「ああ……わかった」
俺は自分の胸を見下ろし、上半身を軽く動かしながら包帯がズレてこないことを確認する。
「うん、大丈夫。ありがとう、ソラ」
「いえいえ、これも恋人の役目ですから」
「ハ、ハハ……」
可愛らしくウインクをして見せるソラに、俺は乾いた笑い声で応える。
……っていうかその設定、行商人の前だけじゃないの?
明らかにからかわれていると思うのだが、それを指摘するのも大人げないような気もするし、もし本気だったらソラを無下に傷付けることになってしまう。
う~ん、ソラぐらいの年頃の女の子と、どういう距離間で付き合っていったらいいのか全くわからない。
勝手な妄想かもしれないが、中高生ぐらいの女の子との距離間を間違えると「キモイ」とか「ウザい」とか言われて、俺だけが一方的に傷付くような気がしてならないのだ。
例えばここで、俺が調子に乗ってソラに触ろうと手を伸ばした途端、冷たく払いのけられながら「調子に乗らないでくれる?」とか言われたら、俺は泣きながらこの集落を後にする自信がある。
ともかく、俺としては三姉妹との今の関係を維持したいので、これからもソラとの距離間は気を付けていこう。
「……さて、それじゃあ後は明日のために体を休めますか」
そんなことを言って俺は体を動かす振りをしながら、ソラとの距離をそそくさと取る。
特訓の後に体のケアをするのはいつものことなので、俺は運動した体をクールダウンさせるためのストレッチを行う。
手足の筋肉をしっかりと伸ばし、翌日へ疲労を残さないように軽くマッサージを行いながら、俺は行商人からもらった革製の鞘に収まったナイフへと手を伸ばす。
革のケースはベルトで固定できるようなホルダーと、事故等で中身が飛び出さないようにボタンでしっかりと固定されている。
「…………」
手に持ってみると、ずっしりと重い手応えが返ってくる。
ナイフを手にしてみて気付いたのだが、こうして鞘に収まった状態だと俺のトラウマは発動せず、動悸が早くなったり汗が吹き出したりするようなこともない。
しかし、ナイフを鞘から一度抜くとまともに立っていられないほどの眩暈と、胃の中身を盛大にぶちまけるほどの吐き気に襲われてしまう。
トラウマを克服するためにも、せめて普通にナイフを持つぐらいにはなりたい。
そう思った俺は鞘のボタンを外し、グッ、と力を込めてナイフを抜こうとするが、
「待った」
そんな俺の手を、シドが手を伸ばして遮る。
しっかりと握られ、まるで万力にしっかりと挟まれたかのようにビクともしない状況に驚きながらも、俺はシドの方を見る。
すると、シドは女性とは思えない怪力を発揮しているとは裏腹の、慈母のような優し気な笑みを浮かべていた。
「コーイチ、無理をする必要はないぞ」
「えっ?」
「別に無理をしてナイフを使う必要はないって言っているのさ」
「シド……」
その労わるような優し気な言葉に、俺の手から力が抜ける。
するりと落ちたナイフを受け止めたシドは俺の背後に回ると、ナイフをベルトに横向きに固定する。
「とりあえずこれは、ここにお守り代わりにでも付けておけばいい」
「お守り?」
「そうだ。武器は使わなくても、装備しておくだけで相手にとっては十分威嚇になる。だからこれは、こうしておくだけで無理して使う必要はない」
「じゃ、じゃあ、あの人の訓練は?」
「とりあえず徒手空拳で戦えばいいだろう。それなら怪我しても死にはしない。まあ、あの行商人相手だったら、どうやってもコーイチが怪我を負わせることはできないさ」
「それは……そうだけど」
確かにそれなら体が不調に陥ることはなさそうだけど、
「前にも言ったけど、俺……碌に戦えないんだけど?」
行商人はパンチやキックの繰り出し方は教えてくれていないので、俺の攻撃は素人に毛すら生えていない状況だ。
そんな俺に、シドはニヤリと笑いながら自分の胸をトントンと指差す。
「それについては心配するな。人の殴り方ならあたしが教えてやるよ」
そう言いながら、シドは「シュッ、シュッ……」と息を吐きながら見事なパンチやキックを披露してみせる。
「コーイチが相手を思いやって殴れないというのなら、あたしが殴れるようになるまで面倒見てやるよ」
「ええっ!? そ、それってどうやって……」
「決まっているだろ。コーイチがあたしとまともに戦えるようになるまで、徹底的に組手を繰り返すまでだ」
「えっ、ちょ、ちょっと待って……」
「い~や、待たない。明日は死体漁りの仕事はないから、徹底的にあたしと遊んでもらうぞ」
そう一方的に言い放ったシドは「明日の朝からやるからな」と言って布で仕切られた自分の寝床へと向かってしまった。
その後、布越しにシドに向かって何度か声をかけてみたが、早々に寝てしまったのか、彼女の声が返ってくることはなかった。




