敵を弑する
泰三の全体重を乗せた槍での刺突は、ようやくリフレクトシールドによる硬直が解けたと思われるゴブリンの胸部を穿ち、その奥にある心臓を貫くかと思われた。
だが、そこで予想もしなかったことが起きる。
「…………グガッ!?」
未だにウォークライの影響が残っているのか、それとも泰三のことなど最初から視界に入っていなかったのか、硬直が解けたゴブリンが最初にしたのは、取り落とした斧を拾うという行為だった。
結果として、泰三が繰り出した槍は、丁度頭を下げたゴブリンが装備している鉄の兜へと当たり、大きく弾かれてしまう。
「んなっ!?」
予想とは違う手応えに泰三は目を見開いて驚き、槍を弾かれた姿勢のままその場で固まってしまう。
グラディエーター・レジェンズでは、繰り出した攻撃が相手の装備品に当たって弾かれてしまうと、強制的にスタンが発生して数秒間動くことができなくなってしまう。
泰三が固まってしまったのも、ゲーム内では成す術ない場面なので、彼にとってはいつもの癖だったのかもしれない。
だが、俺たちがいるのはゲームの中ではないのだ。
「泰三、ボーッとするな! これはゲームじゃないぞ!」
「えっ? あっ……」
俺の言葉で泰三はこれが現実であることを思い出し、慌てて槍を構えようとするが、、
「グガアアアアアァァッ!!」
既に泰三へと狙いを変えたゴブリンの斧が迫ってきていた。
「ヒ、ヒイィィィ!」
うねりを上げながら迫りくる斧を、泰三は槍を放り出して避けようとするが、完全には回避することはできず宙に鮮血が舞う。
「ああ、痛い……痛いよおおおおおおおぉぉ!」
左の頬を斧によって深く斬られた泰三は、流れ出てくる血を押さえながら泣き叫び、痛みに耐えきれないといった様子で地面をのたうち回る。
そんな泰三を、ゴブリンは格好の獲物を見つけたと謂わんばかりに下卑た笑みを浮かべると、斧をズルズルを引き摺りながら歩み寄る。
「い、嫌だ! 死にたくない! お願い、殺さないで……殺さないでえええぇぇ!」
迫って来るゴブリンに、泰三は滂沱の涙を流しながら命乞いをする。
だが、そんなことをしても言葉が通じていない様子のゴブリンには全くの無駄だった。
「ゲッ、ゲッ、ゲッ……」
無様に命乞いをする姿が逆にゴブリンの嗜虐趣味に火を点けたのか、斧を地面に打ち鳴らす度に過剰な反応を見せる泰三を嘲笑いながら何度も斧を打ち鳴らす。
その度に泰三は「やめて」「助けて」と悲鳴を上げながら、必死に生き延びようと顔を上げる。
そして、俺と目が合うと、泰三は涙でぐちゃぐちゃになっている顔のまま俺へと手を伸ばして、必死の命乞いをする。
「助けて……浩一君!」
「――っ!?」
泰三からの言葉を聞いた俺は、反射的に飛び出していた。
この時の俺を突き動かしていたのは、今度こそ泰三からのSOSに対して逃げないという強い決意だった。
会社では課長によるパワハラに対して報復されることが怖くて……人事査定に響くことが怖くて動けなかったことを今では死ぬほど後悔している。
だからこそ、そういったしがらみから解き放たれた今、俺は泰三や雄二だけでなく、困っている人を見つけたら可能な限り助けていきたいと思っていた。
俺は駆けながら腰のナイフを一本引き抜き、再び泰三の背中を蹴り始めたゴブリンの背後を維持したまま距離を詰める。
するとゴブリンの背中、革の鎧の上に黒いシミが突如として現れたかと思うと、じわじわと広がって拳大程の大きさになる。
あの黒いシミは何だ? 何もないところにいきなり現れたシミに俺は一瞬だけ固まるが、すぐにある可能性に気付きシミの一点を睨みつける。
間違いがなければあれは……、
俺は声を出してゴブリンに自分の存在を知らせるような愚かな真似はせず、走って来た勢いそのままに手にしたナイフをゴブリンの背中の黒いシミへと突き立てる。
すると、ずぶりという生々しい手応えと共に、驚くほど簡単にナイフの柄がすっぽりとゴブリンの背中に埋まる。
「――っ、おらああああああぁぁ!!」
何とも言えない嫌な手応えに顔をしかめながら、俺は突き刺したナイフを引き抜かずに真上へと突き上げる。
体の中身を強引に上へと押し上げられたゴブリンは大量の血を吐きながら「グベッ」と今までの人生で聞いたこともないような不気味な音を立てて体から力が抜け落ちるのを手にしたナイフから感じる。
ナイフの柄を握っていた右手の力を抜くと、ゴブリンは重力に従ってどう、とその場に崩れ落ちた。




