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8.命令

 恩人の遺体が回収された当初は、カギトたちも何度か聴取を受けた。けれど最初から姿を見せる気のなかった恩人について知っていることなどほとんどなく、二三度呼ばれたきり声はかからなくなった。


 反対に、恩人を回収してきたヒズミは長く拘留されていた。死遣しけんとの接触は許されず、通常任務からも外されてあれこれと聞かれていたようだが、こちらも大した収穫があったとは思えない。カギトたちのように知らない時は当然ながら、話さないと決めたヒズミの口を割らせるのはそれこそ魔法でもない限り無理だろうから。

 そもそも魔法を戦争に持ち込んだ立役者に手荒い仕打ちなどできるはずもなく、負けた他の国々が夏穣かじょうのやり方にさほど口は挟めない。一年ほど拘留して何も情報がなかったなら引き下がらずを得ず、実際一年後には無事に解放された。


 尤も、大きな理由は他にもある。夏穣も含めた全ての国が、あれは確かに魔法使いだったと認めざるを得ない事態が起きたからだ。


 恩人の遺体は最初に運び込まれた兵営の一室から動かされず、適切な処置をされたわけでもないのに長く状態を保っていたそうだ。しかもそれを見て魔法使いだろうと判じられるや否や一瞬で塵に還ったらしく、誰も反論を差し挟めなかったと聞いた。


「恩人殿は、最後まで人騒がせだったってことだな」

「そういう言い方をするな」


 相変わらず恩に着ているらしいイギサに軽口を諌められ、カギトは肩を竦めながら呼び出された部屋を見回した。物が少なく機能的だが、どこか寛げない堅苦しい雰囲気は主の性格が反映されているからだろう。部屋を見る限り変わっていないようだと心中に一人ごち、呼び出したくせにまだ来ないヒズミをぼんやりと待つ。


 拘留を解かれた後、軍の上層部へと名を連ねたヒズミとはすっかり疎遠になっていた。最後に会ったのはそれこそ恩人の確認をした時で、五年も経ってからいきなり呼び出されるとは思ってもみなかった。しかし隊長の命令とあれば逆らう気はなく、同じく呼ばれたイギサと共に真寧しんねいの軍本部にあるヒズミの執務室を訪れた。


 戦後処理もとっくに終えて訓練以外に戦いのない日々を堪能するには、少々時間が経ちすぎている。正直なところ、暇を持て余していると言ってもいい。仰々しい要塞都市たる真寧は砦守とりでもりたるイギサの監督も行き届き、毎日が退屈なくらい平和だ。いっそ治安の悪い地域に飛ばされないものかと不謹慎な願望を持ち始めていたカギトにとっては、単調な日々を覆す呼び出しは歓迎するところだった。


「しかし今になって隊長が、何の用事だ?」

「さあな。けどこの際、新兵の教育でも何でもいい。やるべきを与えられるなら何よりだ」


 どうやらカギトと同じく平穏を持て余しているらしいイギサが答えたところで


「頼もしい台詞だな」


 待たせたと声をかけながらヒズミが戻り、カギトたちは慌てて立ち上がって敬礼する。必要ないと面倒そうに手を揺らして挨拶を省いたヒズミは、かけろと促して部屋に備え付けられた机の向こうに回って腰掛けた。


「ご無沙汰しています、隊長」

「死遣も解散して久しい、もう私をそう呼ぶ必要はない」

「そうはいかねぇ。あんたは俺たちに力を与えてくれた恩人だ」


 感謝していると言う割に砕けた口調のカギトに文句をつけるでもなく目を眇めたヒズミは、早速だが本題に入ってもいいかと切り出した。声の調子が僅かに変わったのに気づいて、カギトたちも知らず威儀を正す。

 ヒズミは二人を順に見据えると、息を吐くようにして簡潔に告げた。


「恩人殿の肉親が見つかった」

「っ、」


 さらりと投げ込まれたそれに咄嗟の言葉は出てこなかったが、衝撃を呑むだけの間を置いて辛うじてイギサが口を開いた。


「今になって、ですか」

「姪が一人いるのは知っていたが、捜し出せずにいた。恩人殿との接点は、ほぼなかったからな」

「それがどうして、今になって」


 眉を顰めるカギトには答えず、ヒズミは持っていた書類を机に投げた。近く寄って眺めれば一番上に写真があり、長い栗色の髪の女性が映っている。面立ちに似たところは見つけられなかったが、彼女が嵌めている指輪。そこに刻まれた文様には、覚えがあった。

 知らず左腕を摩り、イギサが口を歪める。


「彼女も、使えるんですか」

「不明だ。少なくとも今まで、使われた形跡はない」


 さして興味もなさそうに答えたヒズミは両手を組んで肘を突き、頼まれてくれるかと主語を明確にしないまま続ける。熱心に写真を眺めていたイギサははっと顔を上げ、ヒズミの隻眼に射竦められて拳を作った。


「静かを賜れ、との命ですか」

「──夏穣に魔法があってはならない」


 組んだ両手の影に隠れて、ヒズミの口許は見えない。イギサはかつての上官から目を背けないまま、ゆっくりと息を吐いた。


「力が使えないか、使う意思がない場合は」

「誰が証明する」

「っ、俺が」


 反射のように答えたイギサに、ヒズミは静かな目を向けた。


「他国に与する兆しがあればどうする」

「それも、俺が」

「イギサ」


 発言の意味が分かっているのかと、カギトも思わず後ろから諌めた。


 これは、何もイギサが負わずともいい荷だ。知らない顔をしていれば別の誰かが──例えばヒズミが片をつけるだろう。わざわざ呼び出して聞かされたのは、その選択を彼らにさせてくれるためでしかない。だがそれと知ってイギサが素直に譲るとも思えず、カギトは聞こえないように舌打ちをした。

 ヒズミは覚悟を問うた時と同じ目で、真っ直ぐにイギサを見据えている。


「任せていいのか」


 最後通牒のような確認に、イギサははっきりと頷いた。ヒズミはしばらく黙って灰色の髪を眺めた後、大きく息を吐いた。


「この件は、イギサに任せる」

「はっ」


 かつんと踵を打ち鳴らして敬礼したイギサは、机に投げ出されていた資料を取り上げるなり部屋を出て行った。苦虫を噛み潰したような顔でその背を見送ったカギトは、普段と変わらない顔をしているヒズミに視軸を戻して問い詰める。


「本気でイギサに一任するおつもりで?」


 正気を疑るように語尾を上げたカギトに、ヒズミはゆっくりと息を吐いた。


「イギサなら、彼女を楽にしてやれるだろう」

「俺には無理だと?」


 どこか挑戦的に眉を跳ね上げたカギトに、ヒズミはそうではないと首を振った。それから少しだけ逡巡するような間を置いて、比較の問題だと続ける。


「イギサのほうが、より相応しいと判断した」


 不服かと聞き返してきたヒズミに、カギトは大仰に肩を竦めてみせた。


「さてね。ただ俺には、あいつが恩人殿に肩入れしすぎているように見えてしょうがねぇ。それが馬鹿な方向に突っ走らねぇか……、杞憂と言われればそれまでですけどね」


 あくまでも皮肉に答えるカギトにヒズミはほんの僅か、驚いたように眉を上げた。それが何を意味するのか判じかねてカギトが不審な顔をすると、そうかと聞こえないほどの声で呟かれた。


「あれは、最初の一度きり。お前の中にはないか……」

「何が俺にはない、と?」


 幾らかむっとして聞き返すとヒズミは誤魔化すように頭を振り、複雑そうに目を伏せた。


「なくてもいいもの、だ」


 カギトに答えたというより独語に近く、羨むようにも哀れむようにも聞こえた。

 気にはなったがそれ以上は聞ける空気でもなく、出て行ったイギサを追うように視線を扉に向けた。今ならまだ連れ戻せる、引き摺ってきてでも撤回させるべきかと逡巡していると少し言い淀んだヒズミが重く口を開き、


「イギサを真寧から出せ、との仰せだ」


 目を伏せるようにして紡がれた事実に、カギトも思わず振り返って動かないヒズミを見下ろした。


「何すか、そりゃ。人の身体にこんな物まで刻んどいて、まだ足りねぇってのか!」


 死遣に等しく刻まれた罪の証にも似たそれを服の上から引き裂きたげに握り締め、あんたは納得できんのかと詰め寄るカギトを手で制し、ヒズミは疲れたような溜め息を重ねる。


「仕方あるまい。大戦の記憶は遠くなり始めた、お偉方はできればこのままなかったことにしたいのだろう。だが我ら死遣の内でもあいつは、あまりにあの頃の記憶を刺激する」

「はっ、勝手なもんだな! 誰があの大戦を終わらせたと、」

「陛下と、そのお偉方だ」


 怒鳴りつける声を遮って断言したヒズミに、カギトもぐっと言葉に詰まる。ヒズミはカギトを見ないまま何かを睨むようにただ前方を見据え、硬い声で続ける。


「我らにできたは、ただ虐殺のみ。敵を殲滅させることは可能でも、戦争を終わらせることはできなかった」


 分かっていたはずだと諭すような言葉に、カギトはぎりっと歯を噛み締めた。


 ヒズミの言う通り、死遣が山と積み上げたのは敵の死体だけ。それは戦争を続けるようならば殲滅も辞さないという、夏穣の強い意思を見せつけるための手段に他ならなかった。各国が敢えてと決断していたなら、彼らは何の躊躇もなく虐殺を続けただろうが。その絶対的な力を見せつけることにより終戦に導いたのは、夏穣王を始めとした上の判断であり外交手腕によるものだ。

 最初から彼らは終戦のための道具として選ばれ、役目を果たし終えた今は持て余されている。覆しようのない事実だ。


「我らがこうして生き永らえているのは、再び大戦が起こらぬようにとの抑止力だ。だが、強すぎる力は望まれていない」

「っ、」


 労せずとも思いつく反論は、ヒズミにぶつけたところで仕方がない。言えない言葉を握り潰すように、ただ拳を作る。

 夏穣のため、平穏のため。確かに果たされたはずなのに──。


「カギト」


 宥めるように呼ばれた名前で、カギトは引き攣らせるようにして唇の端を持ち上げた。


「ええ、ええ、これでも一応軍人なんでね。どれだけ理不尽だろうとも、命令にゃ従う」


 そうすりゃいいんでしょうと暗い目でうっそりと笑ったカギトは、ヒズミの言葉を待たずに踵を返した。背に感じる視線に答えるようにひらりと片手を揺らし、直接下されることのなかった命令を復唱する。


「イギサが仕損じたなら、俺が。安心してくれ、真寧に留まり続けるなんざこっちから願い下げだ」


 適当なところでくたばるさと自嘲気味に笑ったカギトは先ほどイギサが出て行った扉を開けて、荒っぽく閉めながら出て行った。

 一人部屋に残されたヒズミが殺しきれずにつくだろう溜め息など、聞きたくもなかった。

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