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7.恩人

 死遣しけんが解散して真寧しんねい砦守とりでもりを務めるようになって一年近く、半年に一度の新兵訓練状況確認のため、朝も早くから補佐役のカギトを連れて真寧の北端にある訓練施設へと足を向けた。眠い、面倒臭いと文句を垂れながらついてきたカギトは、幾つかの報告を受けて人気がなくなった頃合を見計らったように口を開いた。


「恩人殿の行方が分かったぞ」


 まるで何でもないことのようにさらりと報告され、聞いたイギサは何度か目を瞬かせた後にカギトに振り返った。


 長く続いていた戦争は、一時の劣勢を巻き返した夏穣かじょうの圧倒的勝利で終結を迎えた。唯一の勝利国となった夏穣が主体となって最終調停を済ませ、五ヶ国全ての調印が終わり、ようやくイギサたちの役目も終わった頃。彼らに力を与えた魔法使い──こう呼ぶとあまりに陳腐なので、誰からともなく恩人殿と呼ばれていた存在が姿を消した。


 夏穣以外の国が強硬に主張し、各国の戦争放棄と引き換えに受け入れられた和平の絶対的な条件は、死遣隊の解散及び魔法の放棄。死遣に関しては否応なく術式を無効化する刺青を入れて配属を変えればよかったが、引渡しを要求されたところで自ら姿を消した恩人を捕まえるのは至難の業だった。

 何しろ相手は、イギサたちが使えなくなった力を未だ自在に扱える。いくら夏穣軍が総力を挙げて捜し回ろうと成果のあがろうはずもなく、このまま見つかるはずはないと思っていたのに。


「見つかったのか」


 誰がどうやってと問いかけ、捜索隊の指揮を取っていたのがヒズミだと思い出した。刺青によって力を封じられたのは同じとはいえ、彼ならばできて不思議はない気がした。最初に恩人を連れてきたのも、確かヒズミだったはずだ。


「今はどこに」

「隊長が回収したそうだ、じきここに届くだろう」


 この施設への訪問は、本来もう少し後の予定だった。いきなり今日になったのは施設長の引継ぎ云々と説明されていたが、どうやらこれに合わせてのことだったらしい。


 それにしても人に対しては使わない届くという不穏な言い回しに眉を寄せると、カギトはちらりと自分の左腕を見下ろした。大半が袖に隠れているが手の甲にまで届く刺青を眺める、察しろとばかりの仕種にイギサも自分の左腕を押さえて固く拳を作った。


「誰が」

「さあな。事故か自殺か、判別はつかねぇそうだ」


 陛下にはそう奏上されると興味なげな答えに、イギサは奥歯を噛み締めた。


 会ったのは、たった一度。直接言葉も交わしていない、顔も知らない、けれどおぞましいほど絶対的な力を授けてくれた恩人は自ら戦場に立ちこそしなかったが、夏穣のために働いたのに。戦争が終わるなり、用済みとばかりに始末されるのか。

 一歩間違えば、彼らだってそうされていた可能性は高い。


「しかし、これで魔法を使える奴は誰もいなくなったってことか」


 かつては夏穣を含むどの国も、魔法を使える者は少なからず存在したという。穏やかで争いも少なく、人々が互いを思いやって暮らしていた遠い昔の話だ。やがて国が富み、文明が栄え、他人を蹂躙しても領土を広げるべく戦争が起きるにつれ魔法は衰退していった。


 それは、今と同じことが行われてきたのが理由ではないのか。戦争に手を貸した魔法使いは国によって人知れず処分される、だからこそ滅亡したのではないか。

 殺されると分かっていて手を貸すなんて、馬鹿の所業だ。なら敢えてそうしてくれた恩人を殺すこの国は、イギサたちは、何と呼ばれるべきなのか。


「イギサ」


 窘めるように名を呼ばれ、はっと顔を上げるとカギトが軽く顎をしゃくって窓の外を示した。慌しく行き交う中に知った顔を見つけて窓を開けると、気づいて足を止めたのはチバだった。届いたかと無造作なカギトの問いかけに何度か頷き、あんたらもおいでと手招きされる。


「隊長がお戻りだよ。あたしたちも一応、確認しろってさ」

「はぁ? 隊長がいりゃ済む話だろが」

「済まないから呼ばれてんのよ」


 いいから早くしなと急かされるので窓から出ると、チバについて兵舎へと向かう。どの部屋かと捜すまでもないのは、既に揃っていた死遣の面々が気づいて呼んでくれたからだ。大分奥まった部屋へと案内され、入れと促すヒズミの声で足を踏み入れる。


 十人も入れば途端に息苦しく感じるほどのさして広くもないその部屋の中央、腰ほどの高さの机に布をかけ、無造作に寝かされているのは少し草臥れた印象の中年男性。

 細くやつれた姿が年老いて見せるが、イギサからすれば父親くらいの年齢だろうか。細い栗色の髪、生え際が少し後退していて額が広い。深遠な命題に向き合ってきたかのような額の皺も、眉間の皺も取れそうになく、笑顔など作ったこともなさそうに引き結ばれた薄い唇は、頑固で神経質そうな性格を窺わせる。


 この男性が、恩人なのか。彼を運び入れたのは傍らにいるヒズミで、その隊長が否定しないのだからそうに違いないのにイギサはどうしても違和感を拭えなかった。


 力を授かった時、恩人は外套で覆われていた、体格も分からなければ顔も見えなかったのは確かだ。けれど目の前にしたこの遺体は、本当にあの時の恩人だろうか?


 疑問に思っても態度に出さないだけの分別は備えていたが、思わず視線で隣に並ぶカギトたちを窺った。こちらも動揺を表に出すほど愚かではないだろうが、戦場で仲間を看取る時と同様の痛ましさしか感じ取れずにますます戸惑った。


(やっぱりこの人が恩人、か)


 自分に言い聞かせるように恩人の枕元に立つヒズミに視線を変えれば、無感動に遺体を見下ろしている。元よりあまり表情の動かない人だが、それにしても何の感慨もなさそうに見えた。少なくともイギサに引き合わせたのは、他ならぬヒズミだというのに。


 再び遺体を見下ろし、あんたは誰だと心中に尋ねるも当然ながら返る応えはない。ただ自分たちの腕に刻まれていたような文様の入った指輪が、左の中指に嵌っているのが目についた。ふっと遠い記憶が刺激され、見たことがあると思い出す。


「魔法使いが見つかったと?」


 イギサの疑問を押しやるように部屋の扉が開き、ヒズミよりも上官に当たる男が姿を見せた。叩き上げの武闘派として知られたその男は、得体の知れない力を使って戦っていたイギサたちを毛嫌いしていた。戦争が終結して封じられることになった時、真っ先に喜んだのもこの男だったと記憶している。

 相変わらず気味悪そうに一瞥してきた男はヒズミへと視線を変え、横柄に口を開く。


「で、それはどこにいる」

「こちらに」


 感情の乗らない声でヒズミが遺体を指し示すと、男は狭苦しい部屋の中央に据えられた彼を見てあからさまに眉を顰めた。


「この死体が本当に、お前たちに魔法を授けた相手なのか」


 疑るように語尾を上げられ、イギサたちは左様ですと声を揃えた。男は胡散臭そうな顔をしたが、追求される前にヒズミが下がれと指示したせいでイギサたちは退室を余儀なくされた。

 最後に出て扉を閉めたイギサは立ち去る気になれず、部屋を睨むように顔を顰めた。


 あそこに横たわっていたのは、救国の英雄ではないのか。実際に戦ったのは自分たちだが、そのための力を授けてくれた恩人だ。それが真寧とはいえ北端にある新兵のための兵舎、そのまだ片隅、誰からも忘れられたような狭苦しい場所で死んでまで検分を受けなくてはいけないのか。


「俺たちには恩人殿でも、他国にとっては仇敵だろう」

「そう呼ばれるべきは、俺たちのほうだ」


 イギサの足が進まない理由を察して振り返ってきたカギトの言葉に噛みつくように返すと、年の近い親友は苦く笑って肩を竦めた。


「俺たちは力を借り受けただけ、返上すれば他の軍人と変わらん。が、恩人殿は違う。彼は生粋の魔法使いだ。かつてはこの世界に数多いた魔法使いの血と技を受け継ぎ、他人に渡すことのできる者。……彼が他国にあったらと思うと、ぞっとせんだろう」

「だが、あの人は平和を望んで俺たちに力を貸してくれたはずだ」

「その平和が自分をどう扱うことになるか、承知の上でな」


 思慮浅い子供ではあるまいし、分かった上で手を貸してくれたに決まっているだろうと突き放すようなカギトに返せる言葉はない。


 そう、彼は何もかも承知していた。だからこそ、イギサたちにも顔を見られぬように努めていた。望む平穏が訪れた時、次なる脅威は他でもない自分自身。すぐにも排除すべきと定められる──。


「これで使える者は絶えた、俺たちも含めてな。この先の平穏に火種はいらんだろう」


 どこまで続くかは知らんがなと皮肉な声は聞こえないほど小さく留め、イギサを置いて歩き出すカギトの背中を見送る。そこまで達観することこそ軍人としての務めだと言われたところで、従えそうにない。表立って反発するほど無謀ではないが、それでも掌に刺さる爪が痛いほど強く拳を作る。


「何のために……」


 戦ったのか。戦わせたのか。少なくともこんな風に始末され、まるで戦争の元凶が如く扱われるためではなかっただろうに。


 知らず刺青の刻まれた腕に触れ、力を授かった時のことを思い出す。


 皺の少ない手が触れた場所からじわりと熱く、何かが染み込んでいく感覚。ここは違うと戻りそうになるのを宥めるように撫でた恩人の手に合わせて入り込んできた力は、歯向かいもせずイギサを仮の主と認めて落ち着いたけれど。

 封じの刺青が刻まれた下、主の元に戻れず行き場を失った力はそこで無理やりの眠りに就いているのか……。


「イギサ」


 何をしていると随分遠く離れたカギトの呼びかけを辿るようにそちらに顔を向け、今行くと答えて足を踏み出した。


 恩人の遺体とは、以後二度と対面を許されなかった。

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