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6.問えない距離

 イギサさん、と心配そうな声に呼ばれて意識が浮かび上がった。何度か目を瞬かせ、自分が今どこにいるかの確認をする。

 少なくとも、自室ではない。差し込む木漏れ日がちらちらと顔の上で揺れ、眩しくて目を庇う。背の下に感じる柔らかな草の匂いに、どうやら外で横になっていると気づく。しかし今、誰かに呼ばれなかっただろうか。


「イギサさん」


 不安そうな呼びかけにはっと声を辿ると、傍らで覗き込んでいるシズナを見つける。


「シズナ……」


 どうして彼女がいるのかと咄嗟に辺りを探り、昨日約束したまま林に来たことを思い出す。どうにか遅刻しなかったのはいいが、昼食を取った後で急な眠気に襲われた。碌に眠らないまま子供たちを相手に走り回ったとなれば、睡魔に勝てないのも道理だろう。

 とはいえこの町に来てから油断しすぎだと反省していると、大丈夫ですかとそろりと確認される。心配そうに見つめてくる眼差しがやけにくすぐったくて、表情を隠すように顔を擦った。


「夢身が少し悪かっただけだ。大丈夫だよ」

「……夢見が」


 呟くように小さく繰り返され、頷きながら改めて辺りを窺う。

 林の中で無防備に寝転がっているのはイギサだけでなく、子供たちも全員すやすやと寝息を立てている。起きているのはシズナ一人、子供を見守るようにイギサの様子も見ていてくれたのだと思うと羞恥で赤くなる。


「悪い、手伝いに来たはずなのに」

「いいえ、休める時に休んでください」


 今日は早かったでしょうしと揶揄するように語尾を上げられ、苦笑するしかない。言い訳しようにも実際に眠っていた事実の前では、何を言っても無駄だろう。

 まだ少し残る睡魔を払うように小さく頭を揺らし、起きそうにない子供たちの様子を眺める。前線にいた頃からは考えられない暢気さと穏やかさに、皮肉と呼ぶには幾らか柔らかい笑みが知らず浮かぶ。


「……どんな」


 ぽつりとシズナの声が届き、視線を戻すと子供たちを窺いながら何気ない様子で続けられる。


「どんな、夢でしたか」


 落ちた沈黙を紛らわせるための、何でもない質問。突き刺さるように聞こえたのは、この平和に慣れ切っていないイギサが勝手に抱く後ろめたさからだろう。逃げるように視線を揺らし、うにゃうにゃと寝返りを打つ子供たちの動きを目で追いかける。

 逃げるように視線を揺らし、寝返りを打つ子供たちの動きを目で追いかける。


「どんな、だったかな」


 忘れたみたいだと下手くそに笑うと、僅かの間を置いてそうですかと静かな声が返る。


 子供たちの寝息と、さやと吹く風が葉を揺らす音、時折鳥の鳴く声が届く。それらを聞くように沈黙している空間が耐え難くなったのは、イギサのほうが先だった。


「ごめん、嘘だ」


 ゆっくりと振り返り、小さく首を傾げるシズナを見てイギサはぎこちなく笑う。


「忘れられるような、ことじゃない」

「っ、ごめんなさい。無理に話されなくても、」


 少し気になっただけなのでと慌てて止めようとするシズナの目を見て、首を振った。


「聞かれたくないんじゃない、聞かせたくないんだ。でもそんなことを言い出せば、俺の話は全部そうだ……」


 彼女がこの草匙そうしで過ごしてきた穏やかなど、彼にはずっと縁がなかった。軍人になると決める以前、両親と共に過ごした嶺玖れいくも前線に近い要塞都市だったし、ようやく夏穣かじょうが謳歌できるようになった平和はイギサたちが苦労して勝ち得た結果だが、その過程で彼の手はどれだけ汚れたか。

 せっかく何も知らずにいるシズナに、わざわざ教えたいとは思えない。軍人として長く戦争と添って過ごしてきたイギサにとって、誰かに話して笑ってもらえるような経験など何一つしてこなかった。


「聞きたくないだろう、軍人の話なんて」

「……話すことがイギサさんを傷つけるなら」


 話して楽になられるなら聞きたいですと微笑んだシズナに思わず口を開きかけ、閉じた。握り締めた拳を膝から離さないように努力していると、しばらく待っていたシズナがそうと顔の向きを変えた。


「シズナはずっと、この町に?」

「ここを出て暮らしたことはありません」

「そう、か。ずっとここにいたなら、軍人なんて遠い存在だな」


 どこか羨ましく呟くと、シズナは躊躇ったような間の後にぽつりと答える。


「兄は、この国の軍に勤めています」

「え? ──ああ、ご家族がいらしたのか……」


 聞いた話と違う。彼女の肉親は、もはやどこにも存在しないはずだ。だからこそ、イギサたちがこうして派遣されてきた。

 明かされた衝撃に戸惑いはしたが、まさかと否定するわけにもいかず。イギサは言葉に迷いながらも、探るように口を開いた。


「君の兄なら、俺と年も近そうだ。真寧しんねいあたりで、会ってるかもしれないな」


 名前はと尋ねる前に、彼女はどうでしょうねとどこかぼんやりした様子で首を傾げる。


「もう、会うこともないでしょうから……」

「──、そう、か」


 他人事のように突き放した言い方はシズナにしては珍しく、口篭るように引き下がるしかない。


 彼はまだ、この町に来て日が浅い。話したがらない事情にずけずけと入り込めるほど、まだ距離を詰められていない。話しすぎた、聞きすぎたと互いに口を噤み、間に見えない線が太く引かれるのが分かる程度に。

 謝るべきかと逡巡していると、シズナは空気を変えるように大きく首を振って振り返ってきた。


「イギサさんにとってもこの町は、暮らし難いところですか」

「いや」


 咄嗟に否定し、問いかけが染み込むほどの間を置いていいやと答え直して目を細める。


「俺がこの町にそぐわないんじゃないかと思うことはあるが、……とてもいい町だ」


 来られてよかったと心からそう答えるとシズナは何故か泣き出しそうに微笑んで、そうですかと顔を伏せた。


「それなら、よかった」


 少しは報われると聞こえたような気はするが、小さすぎて確かにそう言ったかどうか分からない。聞き直そうとしたイギサを遮るように、ふわあと大きな欠伸をしながら子供たちがのそのそと身体を起こし始めた。眠そうに目を擦り、辺りを見回し、見つけたシズナにへにゃあと笑っている。


「先生、おはよー……」

「おはよう。お昼寝がすんだら薬草を摘んで、今日はもう帰ろうね」


 欠伸交じりの子供たちの挨拶に口許を緩めながら促したシズナに、寝惚け眼の子供たちがはーいと頼りない返事を揃える。問いそびれた言葉をどうにか呑んだイギサは、優しい仕種で近くの子供を撫でている彼女をただ眺めていた。

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