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5.覚悟

「虐殺する覚悟はあるか」


 真寧しんねいから少し離れた、玲牙れいがと呼ばれる小さな町。軍の施設もなく何の縁もない場所だったが、竹流たけるヒズミに呼ばれたのはそこのまだ片隅、古びた一軒家の一室だった。薄暗く狭い部屋で勧められるまま椅子に座るなり、何の前置きもなくそう尋ねられたのはイギサがまだ十九の頃だ。


 顔の半分を覆うほどの、特徴的な闇色の眼帯。目の前にいる隻眼の男は位階こそまだ低かったものの、新兵を指導する存在としては優秀だった。口数が少なく最低限のことしか話さなかったが、だからこそ彼が時折与える言葉には重みがあった。


 こうしてヒズミに直接覚悟を問われるのは、これで三度目だ。一度目は四年前、故郷の嶺玖れいくで軍に入隊を希望した時。面接官の中にヒズミの姿もあり、その時は人を殺す覚悟はあるか、と問われたのだったか。


 同じく入隊を希望していた全員が、躊躇なくありますと答えた。勿論イギサもそう答えたが、あれは凡そ反射であって深く考えてのことではなかった。頼もしいなと笑って歓迎した面接官の中でヒズミだけが険しい顔をしていた理由も、その時には分からなかった。


 無事に入隊を認められて訓練に入り、後方部隊ながら実際に戦うことになって教わったまま人を殺したのは、あの面接からさほど遠い日のことではなかった。そしてその時になって初めて、自分は覚悟の意味さえ分かっていなかったのだと痛感した。


 怖くて。恐くて。同じく入ったばかりの新兵たちが異様なほど高揚しているのに比べ、イギサはずっと涙と震えが止まらなかった。辺り構わず吐き、叫び、誰からも嘲笑されるほどただ怯えた。神など最初から信じていたつもりはなかったのに、ああ、もうこれで許されることはなくなったのだと思うと死にたくなるほどの後悔に襲われた。


 当然ながら使い物にならないと判じられ、すぐに部隊から外された。軍からも除隊させられて不思議ない状態だったのに何故か兵舎の奥に篭るまま放置され、何日かしたところでその頃は別の部隊を率いていたヒズミがふらりと姿を見せた。


 大見得を切ったくせにとの嘲りに備えて身を固くしたが、部屋に入ってきた彼はじっと俯いていたイギサの側に座ったまま何も語らず。夕暮れが近づき、部屋に差し込む光が橙を帯び始めた頃に、ぽつりと言った。


 怖かったろう、と。


 自嘲にも似た響きで紡がれた声は、何故かすとんと身体に染みた。泣きながら頷き、何度も何度もただ頷く間、ヒズミはやっぱり黙ってイギサを見ていた。やがて乱暴に涙を拭ってヒズミの目を真っ直ぐに見つめ返すと、覚悟はできたか、と静かに問われた。


 守りたい者のために、殺す覚悟。この恐ろしさを他の誰かに負わせるのではなく、自分が行う覚悟。何より、自分自身を殺す覚悟──。


 一つきりの焦げ茶の瞳が射竦めてくるのを逸らさず受け止めたイギサは、今度こそ自分の意思で顎を引くようにして頷いた。そこで初めて、イギサは守る側に立った。


 以来、初陣の無様などまるでなかったかのようにイギサは目覚しい活躍を見せた。ヒズミが率いる部隊に配属されて同じく覚悟を問われたカギトたちと共に名を馳せ始め、前線を切り開く死遣隊しけんたいとして知られるまでになった。


 それから四年の月日が経ち、見知らぬ町でまるで誰かから隠れるように問われた覚悟はひどくざらりとして苦く、最初の質問よりも息苦しかった。眉を顰めそうになるのを何とか堪え、隻眼を見据えてゆっくり口を開くと言葉をなぞった。


「覚悟」

「虐殺する覚悟、だ」


 ヒズミが同じ場で、言葉を繰り返すのは珍しい。ひょっとして彼も緊張しているのだろうかと詮無いことを考えながら、答えを探した。


「やってみないと分かりません」


 迂闊に答えられることでもないと慎重に言葉を選ぶと、ヒズミが珍しく褒めるように目を細めた。


「やれるか」

「──それで戦争を終わらせられるなら」

「……よし」


 重く頷いたヒズミが振り返り、その視線を追って初めてこの部屋には彼らの他にもう一人いたのだと気がついた。


 部屋の片隅、暗い色の外套で頭まで覆った人物はヒズミに促されて立ち上がった。それと同時に、薄暗い部屋を辛うじて照らしていた火がふっと消えた。衣擦れの音で近寄ってくるのは分かったが、多分手の届く距離にいる相手の姿形も分からない。しばらくして目が慣れれば色々と探れそうだが、知ってはいけないのだと悟って目を逸らした。

 ヒズミは間に立つと腕を出すように促しながら、淡々とした声で告げた。


「今からお前に、魔法を授ける」


 ヒズミが言ったのでなければ、呆れるか笑うしかない言葉。それが齎す陳腐さと軽妙さがさっきの重苦しい質問とはまるで結びつかず、知らず眉根が寄っていた。


 けれど外套を纏った相手はイギサの困惑など気にも留めず、無遠慮にイギサの左腕を掴んできた。思わず腕に視線を戻すと小さな指輪が目につき、石に刻まれた不思議な文様が気になったが見てはならないのだと思い出して無理やり視線を逸らした。

 その間にもゆっくりと自分の中に何かが浸透していくのは分かったけれど、それが何を意味するのかはまだ理解できずにいた。


 全てが詳らかになったのは、一月後。前線に出て、一瞬で敵軍を殲滅した時だった──。

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