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4.空っぽ

 イギサを待つべく家に入ったカギトは、相変わらず殺風景で生活感が希薄な部屋を見回して軽く眉を寄せた。


 昔から、イギサの部屋はいつもこうだ。極端に物が少なく、不要な物はおろか必要な物でさえできる限り排除している。イギサにとって家はただ寝るための場所でしかなく、帰るべきところではないのだと来るたびにいつも思う。


(まぁ、ここに居つく気がねぇってことならいいんだがな)


 草匙そうしに来たのは触れ込み通りの療養などではなく、軍令を果たすために他ならない。終われば真寧しんねいに戻る、その決意表明だとすれば問題はない。

 とりあえず申し訳程度に置いてある椅子を引いて腰掛けたはいいが、時間を持て余して見回す部屋の寒々しさにどうしても溜め息を禁じ得ない。


「だから、こいつのとこに来るのは嫌なんだ……」


 軍から支給された兵舎の部屋も、ここと同じような感じだった。簡素な寝台と食事をする時に必要な机、それ以外は本の一冊もない。必要最低限の物は小さな鞄に纏めて突っ込まれており、部屋の隅に置かれたまま広げたところは見たことがない。


 本当は先の戦争で死にたかったのではないかと、時々本気で考える。彼ら死遣しけんの内でも特別力が強かったからこそ生き延びてしまっただけで、平和の礎となって死んだほうがイギサ自身のためだったかもしれない。すべきを与えられないと生きていけない、人形のような男なのだから。


 隊長が戦えと命じたから戦っていた、戦って死ねと言われていたなら今頃はもうこの世にいなかったのではないか。それほど、橘イギサの中身は空っぽだ。カギトたちにはないその空虚な部分があったからこそ、あの力はより浸透して強大な力になった──。


「まぁ、俺たちには無理な話だったってことだ」

「あはん、その俺たちの中にひょっとしてあたしも混ざってんのかしらー?」


 いきなり湧いた素っ頓狂な声に、カギトはちらりと視線だけを向けた。音もなく開けた扉からひっそりと入ってきた割に、人目を忍ぶという言葉から程遠い派手な格好をした乃木チバを見つけてこの上なく顔を顰めた。


「相変わらず気色悪い格好だな」

「ちょっ、聞き捨てならないわ、あたしのどこが気色悪いのよ!」


 化粧も髪型もばっちりでしょ! と長い黒髪を振り乱して吠えるように噛みついてくるチバに、言いようのない不快が募って吐き捨てる。


「喧しい。三十も半ばを過ぎたおっさんのする格好か、それが」

「ごてごてした鎖をぶら下げた軍服なんか着てる、カギトにだけは言われたくないわーっ」

「俺のは必要に駆られてだ、てめぇの悪趣味と一緒にすんな!」


 つい大人気なく声が大きくなったのは、イギサが常に帯刀しているようにカギトにとっては鎖こそが得手とする武器だからだ。先に刃物をつけて切りつけたり重りをつけて叩き割ったり、武具としても防具としても使える自由度の高さは重宝している。

 持ち歩くには不便なせいで少々見た目を犠牲にしているが、よりにもよって特別に誂えた女物の軍服を好んで着ている自分より年上の野郎に云々言われたくはない。


「女物が着たいならとりあえず肩幅を削れ、筋肉を落とせ」

「軍人相手に無茶言わないでよっ。あたしだって筋肉落としたいけど、そしたら槍使えなくなっちゃうじゃなーい!!」


 顔を覆ってぶんぶんと頭を振り、声高く嘆くチバは槍を使わせれば死遣でも並ぶ者がないほどの使い手だ。これに命を断たれた者も相当数いるはずだが、浮かばれないと本気で同情したくなる。


 少なくとも戦場に出ている間は口数が多い程度の認識しかなかったのに、死遣が解散してから二年ほどして会った時にはもうこの状態だった。頭がおかしいとしか思えない色使いの軍服と派手な化粧を見た時は、豪胆と知られた死遣の面々でさえ全員で一斉に引いた。


(確かあの時、まったく動じてなかったのは隊長ぐらいだからな……)


 元より尊敬に値する人物だったが、鉄壁の揺るぎなさを見て改めて全員で敬意を払った。対してチバの評価といえば、当然ながら現在進行形で下落の一途を辿っている。


「こんなところまで、何しに来た」

「何って、隊長の命令で報告急かしに来たに決まってんでしょー」


 あんたたちがちらっとも報告してこないから! と真っ赤に染めた爪を突きつけてくるチバに、ふんと鼻を鳴らす。


「できる報告がそうそうあると思ってんのか」

「え、何、あんたたち二ヶ月もいて対象の篭絡もできてないの?」


 何その役立たずーとわざとらしく伸ばされる語尾に苛っとするが、手近に投げられる物が何もない。もう少し荷物は増やせ! と心中でイギサを罵りながら、皮肉に目を眇めた。


「あいつの恋愛ごっこは、上手く行ってる。じきに結果も出るだろ」

「それ、ほんとにちゃんとできてんの?」


 無理でしょうと肩を竦め、断りなく向かいに座ってきたチバに知るかと吐き捨てる。


「とりあえず、今もシズナを送りに行ってる」

「へぇ。あのイギサがねぇ」


 疑るように語尾を上げるのは、イギサほど他人に興味のない人間も他にないと知っているからだろう。見目のよさと軍での高評価により近づいてくる女性は多いようだが、自分から誰かに近づいたことは知っている限り一度もない。


(それで何が一目惚れだ)


 草匙に来た理由は、鶫シズナの身辺調査が主だ。本来であれば新人がこなすような任務だが、対象との関連と秘匿性の高さから彼らに回ってきた。しかしその時点で断わるべきだったと今でも強く思うほど、この仕事は特にイギサに向いていない。誰かに取り入って上手く話を聞き出すなんて、到底できるとは思えない。


 不安を抱きつつここまで来たはいいが、シズナを一目見た瞬間イギサは突然恋に落ちた──らしい。どうする今思考が吹っ飛んだ色々どうでもよくなったと真顔で言われた時は、ついにこの世も終わりが来たかと思った。あのイギサが誰かに心を寄せるなんて、軍令に背くより有り得ない事態としか思えなかったからだ。

 けれど落ち着いて考えれば対象者に惚れたとなれば、何より付き纏う理由になる。これ以上ない言い訳だろう。昔から任務一筋で生きてきたイギサだからこそ、本能的に最善を選び取って自分までも騙しているとしか思えない。


 どこまで不器用なのか。


「上手くいくならいいけど、あの灰髪はいがみでしょ。一任しちゃって大丈夫なの?」

「その名で呼ぶなと言ったはずだ」


 いらない耳なら削ぎ落とすかと、静かな怒気を孕んだ声でチバに短刀を突きつけるのはイギサ。話に気を取られていたのは確かだが、カギトたちを相手にこうまで密かに背後が取れるのはイギサくらいだろう。今回は特に心から疎んでいる二つ名を口にされたことで、本気の殺意を孕んでいる。


「い、いつ戻ったの、イギサっ」


 引き攣った声で尋ねるチバは、けれど夜にも似た群青の目が自分を見下ろす強さに堪えられなくなったようで、悪かったわよと吐き捨てるように謝罪する。それを聞いてチバの首筋に赤い線を残した短刀は、また音もなく片付けられた。


 夏穣かじょうではカギトやチバのような黒かシズナのような茶系の髪色がほとんどで、灰色の髪は珍しい。敵国にとってはイギサを見分けるいい目印になったらしく、名が知れ渡った後でも長く灰髪と呼ばれていた。やがて死神へと転じたがどちらにしろイギサにとっては不名誉としか思えないらしく、機嫌が悪ければ今のように実力で黙らせるほど厭っている。


「早かったな」

「カギトはともかく、どうしてこいつがここに?」

「あんたたちがしっかり報告してこないからでしょー!」


 あたしだって好きで来てんじゃないわよと大袈裟に首を押さえながら悲鳴じみて答えるチバを放って、魔法使いはどうだったと水を向けるとイギサが大きく息を吐いてチバの退いた椅子に腰掛けた。


「真寧あたりじゃとっくに廃れた昔話が、ここだとまだ生きてる。魔法使いってのは特定の誰かを指す言葉じゃなくて、善いことがあったらそれのおかげ、悪いことからは守ってくれるって、そんな類の話だ」

「は。目出度い話だな」


 いいねぇそれで世界が回ったらと知らず皮肉に口を歪め、机に肘を突き直しながら目を眇めた。


「で?」

「それだけだ」


 子供たちが引き返してきたからなと続けるイギサの言葉に、嘘はなさそうだ。追求しそうに口を開きかけたチバを手で制して立ち上がると、ふいと視線が外れる。何か隠しているような気はするが、任務と分かっているイギサなら見逃しても構わない範囲だろう。


「ちょっとカギト、」

「イギサに一任するは、隊長の言葉だ。そうだろ」

「そうだけど……」


 納得しかねた顔をするチバを突き飛ばすようにして扉に向かわせたカギトは、イギサの隣を通り過ぎる時に強く肩を捕まえた。


「まぁ、お前にもやり方はあるだろうが、ここに来た理由は忘れんなよ」


 声を低めて釘を差し、場の重さを誤魔化すようにへらりと笑った。感情の乗らない群青が見上げてくるのはいつもの話で、もう何度か叩くとぐずぐずしているチバを追い出すようにして自分も部屋を出る。


「もう! イギサに任せて失敗したって知らないからね!?」

「あいつが失敗したことなんてあったかよ」

「今回は特殊でしょっ。絶対あんたのほうが向いてる……、隊長も何を考えておられるんだか」


 不服げに息を吐いたチバは、少し遠い人の気配に反応してすっと姿を消した。


「所詮あんたたちの任務なんだから、好きにすればいいけど。報告はこまめに寄越しなさいよ!」


 姿はないまま尖った声で警告したチバは誰かに見咎められない内にさっさと離れたらしく、気配もなくなった。面倒臭く首筋をかいたカギトは、領主様と遠く姿を見つけて手を振ってきた誰かの声に答えて手を上げ、相手が見えなくなったところで大きく息を吐き出した。


 自分たちがいるべきは、こんな長閑な田舎などではない。またいつ起きるとも知れない戦争に備えて張り詰めた緊張の中にいてこそ、実力を発揮できる。ここは、決して長居すべき場所ではない。


「生温すぎて、腐りそうだ……」


 帰らなくては。どこかは分からずとも、せめても喧騒と騒乱を繰り返す場所。ここではないところに。

 自分も本当はイギサと同じで、空っぽなんだと気づかずにすむ場所に──。

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