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3.魔法使い

 草匙そうしに来てもう二月経つとはいえ、町を取り囲む外壁が見当たらない光景はイギサにとって馴染みがなさ過ぎた。町を取り囲む樹木なら窺えるが、真寧しんねいの堅牢さを知るイギサからすれば頼りない限りだ。


 夏穣かじょうは真寧のみならず、ほとんどの町が分厚く高い外壁に囲まれている。夏穣を擁するこの大陸は昔から領土を巡って争いの絶えることがなく、例え休戦したとしても自己防衛として外壁が撤去されることはない。新たに町を作る時も、まず外壁を設置するのが常になっているからだ。

 ただ隣接する二国との国境からも遠く、少し南に行けば海に出る草匙は夏穣の最も奥まった場所に位置している。繰り返されてきた戦乱の中でも他国の手が伸びたことはなく、だからこそ昔から続く穏やかを保っていられるのだろうか。


(昔とか、知らないけどな)


 昔々、その昔。大陸にある国が、まだ一つだった頃。そこに住む全員が真面目に一生懸命働いて、日々の糧を得るだけで満足し、足りない物は補い合い助け合い、奪うことなど誰も念頭になく、平和に幸せに暮らしていたというけれど。物心がついた頃には戦争状態にあり、入隊してからのほとんどを前線で過ごしたイギサには想像もつかない夢物語だ。


 しかし草匙では多分ずっと続いていて、今もこれからもきっと変わらない。ぴりぴりと張り詰めていた戦場の空気を覚えているイギサにとっては生温く、時折息が詰まる──。


「イギサさん」


 かけられた声でふと我に返ると、隣でどこか心配げな顔をしているシズナを見つける。こんな心境をまさか気づかれたくなくて無理に笑い、何? と聞き返すとしばらく言葉に迷ったような間が空く。


「さっきはヨシセが、無茶を言って申し訳ありませんでした」


 視線を落としながら謝罪するシズナに、君が謝ることじゃないよと空を仰ぐ。


「何かを守りたい、って気持ちは分かる。俺も軍人になった動機は、結局のところそれだしね」


 言いながら、知らず左腕を押さえている。守りたいと強く望む時、刺青の下にあった術式は痛いほど熱くなって叶えてくれた。今はもう何の力も持たないけれど、触れると術式を与えられた時の気持ちが僅かながら蘇るような気がするのか。

 ぼんやりとそんなことを考えていると、シズナが俯いたのに気づいて視線を戻す。


「せっかく戦争が終わったのに戦いたいなんて……、軍人さんには、ひどい言葉だったのでは」


 消え入りそうなほど小さな声で問われ、どう答えていいのかと苦く笑いながら首の後ろをかいて言葉を探す。


「……まぁ、少し、複雑なのは確かかな。けど戦争を知らないからこその発言だろうし、そうできるように頑張ったんだと思えば、……まぁ、ね」

「ごめんなさい」

「言ったろ、シズナが謝ることじゃない。それにこの平和な場所で、守りたいと思えるヨシセは凄いと思うよ。人は自分に危険が迫らないと、なかなか動けないから」


 彼が軍に入ろうと思ったのも両親共に軍人で、戦死したからこそだ。国を守るというよりも敵討ちといった要素が大きかった、覚悟ができたのはその後だ。シズナが気にする必要はないと努めて明るい声で言うのに、彼女の憂いが晴れる様子はない。きつく両手を組み合わせて唇を噛み締めているのは、まるで泣くまいとしているようにも見える。

 声をかけようとして躊躇い、話題を変えるべく見つけた単語を少しだけ逡巡して口にする。


「魔法使い」


 ぽつりと呟くように洩らすと、シズナの視線がゆっくりとこちらに向けられる。


「魔法使いが、守ってくれるって? ここの子供たちにとって、魔法は怖いものではないんだな」


 真寧に限らず他の町でも、魔法と聞くと馬鹿にしたように笑われるか、御伽噺として流されるかのどちらかだろう。あれは新鮮な反応だったと独り言めいて続けると、魔法使いが通った、とシズナが呟いた。思わず無言のまま何度か目を瞬かせると、どこか無理をした様子でもようやく笑ってくれたシズナが説明する。


「ここではいいことが起きるとそう言うんです、昔から。戦時もここは外壁がなくて不安だったのか、避難してくる人もなくて……。ここ以外の扱いを知らないんですよ」


 だからでしょうと続けたシズナにふぅんと何度か頷き、何気なく尋ねる。


「ひょっとして、この町には本当に魔法使いがいるとか?」


 いるなら会ってみたいなと続けると、シズナが目を伏せて僅かに唇の端を持ち上げた。


「まさか」


 どちらともつかない答えに戸惑っていると、目を開けて視線を重ねたシズナが綺麗に笑った。


「もう、どこにも魔法使いはいません」


 どこにも、と繰り返して遠く視線を巡らせたシズナの言葉が意図したところは分からない。問い質したげに口を開きかけたが実際に何か言葉を発するより早く、先生ー! と子供たちの声が遠く割り込んできた。大方教室まで辿り着いたもののいないシズナに気づいて、慌てて戻ってきたのだろう。

 軽く手を上げて答えたシズナは、それではここでと向き直ってきた。


「教室まで行くけど」

「いえ、領主様も待っておられるでしょうし、戻ってください」


 やんわりと断わられ、仕方なく息を吐くと子供たちの群れの中から駆け出してきたカヤクとネリがイギサの足に突進してきた。転ばないように受け止め、こらと諌めるシズナの声も聞かずに何故かきらきらした目で見上げてくる二人を見下ろす。


「イギサ、明日一緒に林まで行くー?」

「あのね、薬草積みに行くんだよ。みんなで」

「二人とも、イギサさんにも予定があるんだから。無理を言わないの」


 戻ってと頭を撫でて促すシズナに、二人ともえーっと膨れっ面になって足にしがみついてくる。


「イギサもちゃんと朝に起きたほうがいいよー」

「明日はね、朝からお弁当持って行くんだよ」


 おいでよと服を引っ張って誘う二人からシズナへと視線を変えて、行ってもいいのかなと尋ねると驚いた顔をされる。


「でもイギサさん、予定は朝ですよ?」

「……いや、うん、シズナさん、俺のこと朝に起きられない駄目人間と思ってるね?」


 今のところ否定できる要素はないが失礼なとさすがに眉を寄せると、できるんだー? と二人が疑るように語尾を上げる。できるに決まってるやってやろうじゃないかと受けて立つと、シズナも何だか楽しそうに笑う。カヤクとネリは、イギサも来るってー! と駆け出して子供たちの群れに戻り、はしゃぐ子供たちを見守っているシズナに恐る恐る声をかける。


「えーと、すごい成り行きだったけど。本当に、俺も行っていいのかな」

「構いませんが、遅刻されたら置いて行きますよ」


 九時には教室にいてくださいねと笑うように忠告され、起きられるだろうかと内心冷や汗をかきながら勿論と頷く。今日は寝ないほうがよさそうだ。

 あまり信じた様子はないながら、それではまた明日と手を振って子供たちと教室に戻っていくシズナを見送り、イギサは一つ息を吐くと踵を返して来た道を戻り始めた。


「魔法使いはいない……、」


 子供たちが何でもないことのように口にした、魔法使い。その陳腐な響きは、ここでは気安く大事そうに紡がれる。もう世界から消えたと言われる彼らが、ここでは気のいい隣人のまま存在していると信じそうになるほど。


 けれど。


「もう、いない」


 悲しげで、静かで、淡々とした声は嘘をついているようには聞こえなかった。シズナがいないと言うのなら、いないのだろう。知らず考え込みそうになったが頭を振って遮り、カギトが待っている家へと少し足を速めた。

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