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27.草匙の魔女

 ヒズミとチバの手を借りてどうにか草匙そうしに戻ったが、それ以降シズナは一日のほとんど眠って過ごすことが多くなった。


 子供たちが不安そうに何度も覗きに行くが、邪魔になると止めるまでもなく起きる様子がない。調子がいい時はどうにか自力で食事を取れるが、どんどんと起きていられる時間は短くなっていった。三人とも滅多とシズナの部屋を離れなくなり、起きた時に寂しくないようにと彼女の周りには花や絵が増えていった。


「お母さん、そろそろ目を覚ますかな」

「そろそろ起きるよ。そんな気がする」


 籠から溢れるほど摘んできた花でせっせと冠を作りながら、双子がひそひそと話しているのが聞こえる。起きるたびに苦しげに胸を押さえるシズナを見てきたから、無理に起こしたくないと声を潜めるのだろう。イギサは静かを努めてシズナを慰める様々に耽る子供たちを眺め、寝台で眠る彼女へと視線を変えた。


 このまま覚めないのも覚悟したほうがいいと、草匙に戻った時点でとっくに宣告されている。それから二月も経った今、いつ何が起こっても不思議ではない。大半が眠ったままとはいえここまでもっているのは、ひとえにシズナが子供たちの側にいたいと願い、頑張っているからに他ならない。


「シズナ、今日はいい天気だよ」


 風が気持ちいいと窓の外に目を向けて呟くと、そう、と小さな声が聞こえて慌てて顔を戻す。双子も飛びつくように寝台の縁に手をかけて身を乗り出させ、お母さんと声を揃える。ゆっくりとそちらに目を向けたシズナは、悲しいくらい細くなった手で二人の髪をそうと撫でる。その手にあまりに力がなく、ぐっと奥歯を噛むと双子は今まで作っていた冠を自慢げに取り上げてみせた。


「お母さんにあげる!」

「お嫁さんの冠だよ!」


 白と黄色で作った花冠を差し出す双子に、シズナは目を細めるようにして微笑む。


「綺麗ね」

「もっとね、フウカもっと上手になるから!」

「冬になってもずっと作るよ、何色がいい?」


 絶対に見つけてくるからと必死になって主張する双子も、きっとこれが最後だと本能的に察して恐怖するのだろう。引き止めるように、少しでも時間を延ばすように、次々と声をかける。

 シズナはできるだけ双子のほうを見て応えていたが、イギサが二人を手で制するとごめんねと呟いて体勢を戻し、浅い呼吸を繰り返す。もう僅かに首を傾けることさえ、シズナの身体には負担なのだろう。


 イギサは怯えた顔をした双子を抱き上げ、今までは乗るなと禁じていた寝台の上に座らせる。急いで上から覗き込んだ双子が、これなら苦しくない? と尋ね、シズナは嬉しそうに微笑んだ。イギサはその場を双子に任せると窓辺に寄り、僅かの風も身体に障りそうだからと締め切っていた窓を少しだけ開けた。


 まだ辛うじて暖かいと呼べる風がひゅると部屋に入り込み、シズナがほっとしたように息をついたのが分かる。


「ソウシの匂いがする……」


 この町の名にもなった、香りのいい薬草。この季節にはまだ生えていないはずだが、シズナは満足そうにゆっくりと深く呼吸を繰り返す。けれど少しして悲しそうに眉を寄せたのを見て、双子がどうかしたと同時に尋ねる。


「鐘が……聞こえないね……」


 シズナが幼い頃から十二時を教えて鳴り響いていた、時計塔の鐘。イギサにとっても特別なあの音は、一年前に塔が古くなったからと改修を始めていて今では正午になっても聞こえてこない。


 双子は顔を見合わせると同時に寝台から飛び降り、ちょっと待ってて! と言い置いて部屋を飛び出していった。咄嗟に追いかけて引き戻そうとしたのは、今離れれば死に目に会えない可能性があるからだ。けれど同じ理由で自分もそこを離れられず、イギサは結局シズナの側に戻った。


「……イギサさんも……、行っていいのに……」

「まさか。君はすぐに俺を突き放すけど、俺は君の側を離れたくないんだよ」


 ずっと側にと誓ったはずだと、その頃とは比べられないほど細くなった手を取ってそっと指先に口接ける。シズナは何だか仕方なさそうに笑って、目を閉じた。辛そうな呼吸の合間に、震えるような声が微かに届く。


「ごめんなさい……」


 ぽつりと呟くような謝罪に、何を謝るんだと無理をして笑う。シズナは少し躊躇った後、後悔したように目を伏せたまま続ける。


「イギサさんを……、巻き込んでしまって」

「そんなこと? 俺はシズナの側で生きたいと願ったんだ、なのに巻き込まれなかったら目も当てられない。君がくれるなら、口伝さえ俺には幸いだ」


 指先に唇をつけたまま、声にしないで告げた本音にシズナがはっと目を開く。ふらりと揺らいで重なる目を見つめ、イギサはふと口許を緩める。


 気づいたのは、ヒズミの眼帯にあった術式を見た時だった。イギサにはあれが自分の腕にあったのと同じく、完全を成す物だと分かった。腕にあった時にはただの文様としてしか認識していなかった一つ一つ、鮮やかに理解できたのは何故か。

 きっとイギサの意識がない内に、シズナがそっと置いていったからだと見当がついた。


 多分完全を残すための口伝は、それ自体が一つの術式なのだろう。相手の意識がなくとも内に入り込み、記憶として定着する。それぐらい無茶を設定しなければ、あれだけ細かい式を違わず覚えて次に繋ぐなど至難の業だ。


 シズナはイギサを見つめたままごめんなさいと繰り返して顔を歪め、取られていないほうの手で覆い隠した。


「伝えれば、私の中からは消えるんです……。あれを持ったまま離れて、……誰かに知られたら。嘘を貫き通す自信は、なくて」


 押しつけてしまいましたと嘆くような告白に、責めてるのはそこじゃないとイギサが苦笑する。


「咎めたいのは、勝手に離れようとしたことだけ。フウカでなく俺に残してくれたのは嬉しいよ」


 何よりこれでシズナが口伝の重責から逃れられたのだと思うと、それを引き受けられた自分が誇らしくさえある。後は自分が子供たちや他の誰にも伝えず抱いたまま死ねば夏穣かじょうから魔法は絶え、つぐみは永遠に解放される。


「ごめん、なさい」


 再び届いた謝罪に、謝ってばかりだと揶揄するように語尾を上げかけたが、


「せっかく、帰ってきたのに」


 また置いていきそうですと、耳を打った小さすぎる理由に言葉が喉の奥で詰まる。

 力を込めればすぐにも折れそうだと、そっと取っていただけの手をぎゅうと握り締める。ようやく開いた口から出るのは、震えた声。


「そんな、こと」


 ない、と言うのはあまりにも軽薄な嘘にしかならない。言わないでくれと止めるには、最後の言葉を聞き逃しそうで怖い。結局続けるべきを思いつけずに強く手を握ると、シズナはゆっくりと顔を覆っていた手を退けた。イギサは覗き込むように身体を乗り出させ、何か、と言葉を探しながら続ける。


「何か、してほしいことは」


 俺にできることは、と縋るように尋ねる。ずっと一緒にと、あの時誓ったまま望んでくれるなら、いっそ喜んで叶えるのに。


「……フウカと、リクトを」


 お願いしますと、決してイギサの願いは叶えてくれないまま紡がれる希望に、違うと痛いだろうほど手を握り締めて目を見据えたまま首を振る。


「そうじゃない、そんなこと分かってる。フウカもリクトも、鶫も口伝も何もかも置いていけばいい、任せたらいい。一緒にと望んでくれないなら俺が請け負う、君が残す何もかも全部引き受ける。でもそうじゃない、君が。シズナが今一番してほしいことは!」


 じわじわと尽きるのが怖いなら、一思いに殺してしまおう。さっきの希望に反しても、一人が怖いのなら必ずイギサが添おう。心残りがあるのなら何もかも果たす、叶える、だからそれを全部。

 言っていいんだと強く迫ると、ずっと微笑を湛えていたシズナの唇が震えた。雫を秘めた睫が揺れ、涙が落ち、声にならない声がひゅうと呼気に転じる。


「シズナ」

「……い、で……」


 小さく掠れて聞き取り難い声で呟いたシズナは、どこにそんな力が残っていたのかと思うほど強くイギサの手を握り返して繰り返す。


「わ、すれ、……忘れない、で、お願い、忘れないで……!」


 一生じゃなくていい、僅かでいい、ほんの少しだけ忘れないでいてと、泣きながら縋るシズナを堪らず抱き締める。


「忘れるはずない……、忘れられるはずがない! 例え刺青で消しても俺の中に死神の力は残る、何度だって夜が来るたびに魘されては刻まれた、あれを君が忘れられないのと同じように。俺の中からも消えていかない、どれだけ幸せな時間が傷を小さくしてくれても消えない。傷も、それを癒す幸いも、どっちもシズナなくして有り得ないのに。どうやったら忘れられる……っ」

「っち、がうの、忘れていいの。私、も、忘れたんだから、忘れないと駄目なの。でも、ちょっとだけ。──忘れ、ないで……っ」


 矛盾しながらも切実な最後の本音に、イギサは抱き締める手を緩められないまま分かってると繰り返す。


「シズナは忘れてていいよ、俺はずっと覚えてるから。先にいってカギトに恨み言でも聞かせながら、俺たちのことなんて忘れて待っててよ。そうしたら俺がちょっとくらい待たせたって、寂しくないだろ? 大丈夫、俺は必ずまたシズナを見つけるから。忘れたり、しないから……っ」


 どれだけ強く抱き締めても、シズナの残る時間は止めようがなく流れ落ちていく。繰り返す悲鳴みたいな誓いがどれだけシズナを安んじさせるかも分からない、ただそうしないと自分が壊れそうだから。

 シズナと最後の縁みたいに呼んだ名前で、ああ、と吐息みたいな声が洩れ聞こえた。


「鐘……、」


 ぽつりと届いたそれで窓辺に意識が向くと、りんどぉん、と遠く懐かしい鐘の音が確かに聞こえる。双子が飛び出していった先をようやく知りながら、シズナに目を戻すとひどく嬉しそうに穏やかに微笑んで。そうと息を止めた姿に、嗚咽が洩れる。


「シズナ……っ」


 もう二度と応えのない名前を噛み締めるように祈り、どうやっても濡れ続ける頬を何度も何度も拭って。眠る子供たちによく彼女がそうしていたように、額にそっと唇を落とす。


「おやすみ。もう、怖い夢は見なくていいよ」


 彼女を送るために、守るために、双子が鳴らす時間外の鐘の音はずっと草匙に響いている。

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