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23.イキテイル事実、イキテイナイ真実

「いーやー、はーなーせー!」

「お母さんを見間違わない!」

「だから、ちょっと待てって言ってんでしょーが!」


 応接室の扉を開けて顔を覗かせれば、叫びながら階段を駆け下りてくる双子を捕まえ直したチバと目が合い、あんたちょっとどういう教育してんのよ! と噛みつかれる。


「この子たち、ちーっとも言うことなんか聞かないったら!」

「不審者に従えと教える親がどこにいる」

「あたしは不審者かー!」


 失礼なと双子を両脇に抱えて怒鳴りつけてくるチバを、後ろから顔を見せたヒズミが一瞥しただけで黙らせている。イギサはまだ逃げたげに身を捩じらせている双子に歩み寄り、フウカ、リクトと呼びかける。


「悪いがまだ俺の用事はすんでない、二階でしばらく待っててくれ」

「でも、お母さんがいなくなったらどうするの!?」

「さっきのお母さんだよね、絶対にそうだよね!?」


 必死の面持ちで縋られるがイギサも返すべき答えは持ち合わせず、言葉に詰まったところでヒズミが口を開いた。


「チバ、代われ」

「っ、隊長、子供の相手なんて大丈夫ですか!?」


 大慌てで聞き返すチバの手からヒズミを見て同時に青褪めた双子を取り返したイギサは、しゃがんで目線を合わせながら言い含める。


「隊長は以前すごくお世話になった、父さんの恩人だ。話が終わるまで、お前たちがお相手を務めてくれないか」

「「でも……」」


 三年前に一度会っただけだが、あの時の印象が鮮烈に残っているのだろう。いやだ、怖い、と言葉はなくとも如実に語る二人の頭を撫でて重ねる。


「母さんの話を、聞かせてあげてくれ」

「お母さんの?」

「聞きたいの?」


 どうして? と不思議そうに首を傾げた双子は、ヒズミが頼むと頭を下げるのを見てちらりと顔を見合わせ、イギサを見てからもう一度互いを窺って恐る恐るヒズミを見上げた。


「いいよ、お母さんの話ならしてあげる」

「父さんの用事が、終わるまでだけどね」


 それでいいんだよねと確認する双子を褒めるように撫でると、ヒズミは双子を連れて二階に向かう。小さな手を取り合ったフウカとリクトはまだ少し警戒しながらも、先ほどは駆け下りてきた階段を大人しく上がっていく。


「隊長、大丈夫かしら!? 子供の相手なんて、できると思う?」


 やっぱりあたしも行くべきと追いかけかねないチバの襟首を捕まえ、話を進めろと睨みつける。


「隊長に、何を指摘した?」

「ああ、まだそこまでしか聞いてないのね」


 詰問するように声を尖らせるとチバは降参とばかりに両手を上げ、開いたままになっている応接室の扉を潜って中に入った。隊長が座っていたのとは別の椅子に腰掛けたチバは少しだけ痛ましげな顔をして諦めたように息を吐き、視線で座るように促しながら肩の前に落ちる長い髪を鬱陶しそうに払った。


「あの時、あたしが隊長に受けた指示は一つだけ。あの事件に幕を引け、よ。死体が誰かとか、犯人はどうしたとか、そういった一切は不要。お偉方への根回しは隊長がされて、あたしは処理の実行部隊ね。隊長の命なら逆らう気はないし、何も考えないでやってたんだけど。あの場でカギトの腕が見つからなかったのが、どうしても不思議だったの」

「カギトの腕?」

「そう。あたしは写真で見ただけだけど、見事に肩から落とされてたじゃない? 死体の側に血塗れで倒れてたのに、落とされたはずの腕だけがなかった。餓えた獣の類が持って行ったんだとしたら、死体はもっとひどい有様になってたはずよ。けど死体は荒らされてなかった、なら腕だけがどこに行ったの?」


 それがどうしても気になって草匙そうしに赴いてまで探し回った結果、大分離れた場所でようやく見つけたらしい。


「あの死体よりずっと遠く、まるで誰かが投げ飛ばしたみたいに離れた場所。……戦場でよく、あんたやカギトが敵の身体を吹っ飛ばしてたじゃない? あんな感じ」


 術式を与えられる以前、イギサたちも武器を手に戦場に出ていた。イギサは長剣、カギトは鎖の先に刃物をつけた得物だった。もう少し綺麗に戦えないのとよくチバが責めてきたのは、イギサの場合は下から跳ね上げるように斬りつければ落ちた腕が弧を描いて遠く飛んだし、カギトは相手の身体を削ぎ落としては遠く吹き飛ばしていたからだ。


「そう考えたら、後ろから落とされた腕があんな離れた場所から見つかった理由にも合点がいく。あの死体もさ、あたしたち死遣しけんなら簡単よね。平和になったこのご時勢、警戒もしてない女を惨殺するのは容易いわ」


 言いながらチバは酷薄に目を細め、筋肉質ながらほっそりと見える指をイギサに突きつけてきた。


「あんたなんじゃないの? あの事件の犯人」


 本当はカギトを殺したかったんでしょうと語尾を上げられ、イギサはわけが分からず顔を顰めた。


「どうして俺が、カギトを殺す必要がある」


 ふざけた話をと怒りを滲ませて吐き捨てると、チバが大仰に息を吐き出した。


「やっぱりあんた、何にも分かってないのね……」

「だから、さっきから何の話だ!」

「あたしがあんたを犯人じゃないかって疑ったのは、あんたにはカギトを殺すだけの動機があったからよ。正確に言うと、カギトがあんたに殺される理由、って言うべきかしら」

「あいつにどんな理由があったって?」


 心当たりなどあるはずもなく苛々と聞き返すと、チバは哀れむような目をして唇を曲げた。組んだ膝に肘を突き、斜めがちにイギサを見上げながら溜め息混じりに言う。


「カギトは、シズナに惚れてたの」

「っ、……は?」


 何を言い出しているのか分からないまま聞き返すと、この野暮天と吐き捨てたチバは不貞腐れたように顔を背けた。


「けどあいつはそんな素振り、欠片も、」

「あんたが完全に逆上せ上がってたからでしょ? そもそもは殺すべき標的で、親友の惚れた女。ましてや結婚して子供までいるって知ってるのに、誰がわざわざ横恋慕してますって顔に出すのよ。あんたじゃあるまいし良識がある人間はしないのよ、そんなこと」


 それでも傍から見ていていれば気がついたはずだと、チバの声が咎めるように高くなる。


「どうしてカギトはあんたに代わって、シズナを殺さなかったの。そうするためにあそこにいたのに、あんたたちは二人揃ってシズナに魔法は使えない、害はないと主張し続けた。あんたに恨まれても、例え殺されることになっても、あんたが使い物にならないならカギトが殺すべきだったのよ。どうしてそうされないか、ほんとに一度も考えなかったの?」


 そうだ。本来、イギサが一番警戒しなければならないのはカギトだった。イギサが一任されていたとはいえ、不要と判じて殺すことをカギトは許されていた。しないでくれと頭を下げたところで、大人しく従う理由などない。

 立場が逆だったなら、イギサも躊躇わずカギトごと切り捨てる判断をしただろう──シズナを巻き込む事態でない限り。


「あんたたちって時々、嫌になるほど似てるわ。カギトが惚れた相手でも、あんたは命令されれば殺せるでしょう? でも、自分が惚れた相手だけは殺せなかった。カギトも一緒よ、結局のところ他の誰かのためじゃなく、自分のためにシズナを殺せなかったのよ」


 イギサのために上層部に歯向かうほど愚かではない、シズナの無害を信じて絆されるほど甘くはない。知っていたはずだと指摘されればぐうの音も出ないほど、兄弟にも等しく側にいた。


「あたしでさえ分かったんだから、近くにいたあんたはもっと早く気づいておくべきだった。嫉妬でも独占欲でもいい、シズナを目につかない場所に隠すか、カギトから距離を取らなきゃいけなかった」

「けどあいつは、……俺の見張りも兼ねてたのにそんなこと、」

「だからあいつはあんたたちから離れられないで、惚れた女と親友が幸せそうに暮らしてるのを散々見せつけられても黙ってきたんでしょう! あんたが隊長に、カギトを外せと言い出すべきだったのよ!」


 イギサの言い訳めいた言葉に痺れを切らした様子で怒鳴りつけたチバは、すぐにはっとしたように口を噤んで今のは言い過ぎたと謝る。


「けど、本当にそれができるのはあんただけだったの。もっと早く、カギトの変化に気づいて離れてたら、」

「待て。どうしてさっきからカギトの話しかしない、俺が知りたいのは三年前の、」


 言いかけ、チバの眼差しに気づいて声を止める。


 分かっている、ここまで並べられて察せないほどイギサも鈍くはない。ただどうしても信じ難く、信じたくなくて足掻いているだけだ。


 チバは深呼吸をし、その可能性を隊長に話したわとイギサから目を逸らした。


「多分、憂駆ゆうくの女性は草匙で保護されて、送り届ける手筈も整ってたのね。シズナを眠らせて憂駆まで運ばせ、シズナの代わりに女性を殺す。その際に怪我でもして草匙を出る理由があれば、簡単に手に入る状況が整ってた……誰にとっても不幸なことに」


 草匙のような田舎では、悪意なく人の出入りが監視されているような状態だ。誰が何のために出かけるか、馬車が何台出入りしたか、凡そ町中が知っている。常であれば誰かを浚って連れ出すことなど、不可能に近い。


 イギサたちが暮らす家は小高い丘の中腹にあり、家に続く坂を上り始めたら滅多に誰とも擦れ違わない。隣家と呼べる距離に家はあるが互いの畑や庭を挟んで距離があり、彼らは反対側から上るほうが近いからだ。おかげで東側はほとんど家族しか行き来しないが、シズナが一人でそこを歩くこともほとんどなかった。


 けれどあの日、イギサは子供たちと一緒に家を離れた。シズナは一人で他に人目もなく、身代わりに使える女性がいて、連れ出すための馬車も揃っていた。どれか一つでも欠けていれば思い留まったかもしれないのに、悪風に吹かれるための条件が整いすぎていた。


「違う! それならシズナが帰ってこない理由がない、カギトも確かすぐに運ばれて、」


 反論しながら、思い出した町の名前で言葉が止まる。


 カギトはあの後、即座に憂駆に運ばれた。草匙で多少なりと治療を施せたのは薬草に長けたシズナくらいで他に医療施設はなく、最も近く有するのはそこだからだ。あれだけひどい怪我をすれば必ずそうなる、領主の務めも果たせずとして解任されれば草匙に戻らない理由にもなる。


 チバは黙り込んだイギサに視線を戻し、カギトなら十日も経たずに出て行ったわよと淡々と告げる。


「あの怪我でどこに行くのかって止められながら、憂駆を出て色んな町を転々としてた。あたしたちがまさかと思った時には既に足取りは絶えてて、捜し出すのに苦労したわ」


 捜し方を間違えてたからと苦く答えたチバに緩慢な仕種で目を向けると、少しだけ躊躇ったチバはすぐに意を決したように言う。


「新しく引っ越してきた夫婦や兄妹に絞って捜してたの、カギトとシズナの二人だと思ってたからよ。でも違った。カギトは三番目に訪れた里輿りよの町で、双子を浚ってた。家族連れを対象にすべきだったのに」


 それがここまで時間のかかった理由と肩を竦めたチバにイギサは一度口を開き、尋ねるべきの多さに惑ってまた閉じた。どうにか纏める時間を置いてから、ようやく振り絞るようにして尋ねる。


「シズナは、どうして戻ってこなかったんだ。目の前で子供を浚ったことさえ、是としたのか?」


 そんなはずがないと悲鳴みたいに否定すると、チバはふらりと視線を落とした。今更まだ何か言い淀むことがあるのかと顔を顰めるイギサが焦れるほどの長い間を置いて、気づいてないのよとぽつりとした答えが返る。


「気づいて、ない?」

「草匙にいたことも、あんたたちが待ってることも、カギトはあんたじゃないことも、子供が別人なのも。シズナの中には何にも残ってない、カギトがそれを許さないから」


 俯いたまま吐き捨てるようにして続けられた言葉で、イギサの脳裏に軍で見かけた実験が蘇った。


 感情を失わせれば死を恐れず特攻する部隊が作れる、と。戦争が激化する中、非人道的な発想を元にした実験が行われていた。目を背けたくなるような拷問や理論が展開する内で、最も時間と費用がかからないとして注目されたのは薬による記憶操作だった。

 死に対する概念を取り払い、敵軍に対する怒りと恨みを増幅する。実用化直前まで開発された薬はけれど後に大きな副作用を伴うと発覚していきなり立ち消え、ヒズミが提案した魔法部隊へと上層部の興味は移行していった。


「まさか、……あの薬を、持ってるのか?」

「カギトにはあんたを抑えるため、幾つかの特権が与えられてた。ほとんどは行使されなかったけど、一つだけ。死遣に術式が与えられた前後の資料は、熱心に閲覧してた。破棄されたはずの実験や薬の行方も、そこから辿れたのね」

「けど確か、あの薬の副作用は、」


 記憶を自由になんて、操れるはずがない。開発された薬は、対象者の記憶を奪うのが精々だ。忘れる記憶もその時によって違う、下手をすれば一から様々を教え込まねばならない手間がかかった。挙句、その薬は記憶巣だけでなく他の細胞も破壊すると判明した。あまりに多く服用すれば、確実に死期が早まったはずだ。


「じゃあシズナは……、っ」

「酷なようだけど、あんたがさっき見た彼女はもうあんたの知るシズナじゃない。カギトが勝手にでっち上げた、シズナに似た誰かよ」

「だがそれでもシズナだ、俺は無理でも子供たちを見たらきっと、」

「その子供はもう、彼女の側にいるのよっ。あの子たちも何にも覚えてない、彼女を母親だって信じてる。あんたが縋る記憶の縁は、カギトが全部与えてるの。埋めてるの。少しでも思い出しそうになったら何度だって薬を使う、思い出したシズナに用はないからよ。あんたたちが会って、万が一にも思い出したらどうするの! 今までどれだけ薬が使われたかも分からない、彼女を殺したいの!?」


 そうでなかったらあたしたちがとっくに何とかしてると叱られ、返せる言葉もないまま項垂れるようにして自分の握り締めた拳を見下ろした。


 シズナが生きていたのにシズナではなく、イギサたちがない場所で望んだ平穏を手に入れている。手が届く場所にいると判明したのに、触れた途端に殺しかねない。


 好きでなくしたわけではない記憶をどうしてないのかと責めたくなる、生きてそこにいてくれることは喜べる、認識されないと思うと嘆くしかできない、それでも確かに微笑むシズナを見られるのがどれだけに幸いか──。


(嗚呼……、俺がこうして何もせずにただ死んでいたら、君は幸せに生きていけるのか?)


 守り切れなかった、喪ったと突きつけられた三年前、イギサも同じく死んだも同然だ。それなら確かに息をしている彼女を知らないことにして、知らなかったことにして、子供たちと三人静かに生きていけば、


「っ、できるはずない……!」


 手近にあった机を殴りつけ、頭を抱えるように蹲る。


 やり直すことなら怖くない。また一からでもいい、もう一度を許されるなら知らないところから始めても構わない。けれど。


 イギサたちがいるべき場所に、別の形が嵌められている。今のままでは、イギサたちが入る余地はない。だからといって再び全てを忘れさせるには、彼女自身の命がかかる。そうまでして取り戻すことが、果たしてシズナにとっての幸せなのだろうか。

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