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22.事件の裏側

 中に入ると一階の応接室らしき部屋に通されたが、先に入ったはずの双子の姿がない。気配を探るまでもなく階上から足音が聞こえ、どうやら二階にいるらしいと天井を仰ぐ。

 ヒズミは座れと促して奥にある椅子に座り、黙ってこちらを眺めてくる。仕方なく手近にある椅子を引いて浅く腰掛けると、まず尋ねても構いませんかと先に口を開いた。


「隊長は、どこまで何をご存知なんですか。どうして俺たちをここに? あれは……、さっきの彼女は、本当にシズナなんですか」


 噛みつかんばかりの勢いで身を乗り出させると、ヒズミは制するように片手を出した。昔の癖でつい抵抗できずに身体を戻すと、ヒズミはゆっくりと息を吐いて膝の上で両手を組んだ。


「私にしても、全てを知っているとは言えない。ただ推測を繋ぎ合せ、現状を鑑み、三年前のあれが誰によるものか……、仮説を立てているだけだ」

「っ、犯人が誰かを、」


 知っているんですかと思わず震えた声に、ヒズミは静かに目を伏せた。


「あの件について、明らかになっていることは少ない。ただあの遺体について、はっきりしていることが一つある。あれは、橘シズナではなかった」

「そ、」


 思わず口を開きかけたところをじろりと一瞥され、続けたかった言葉を呑む。ヒズミは真っ直ぐにイギサを見たまま、言葉を探すようにして続ける。


「あの日、無残な死体で見つかったのは憂駆ゆうくで行方不明になっていた女性だった。判明したのは早かったが、お前に知らせるのを止めたのは私だ」

「どうして、」

「入れ替わりを目論んだのが、本人ではないかと疑ったからだ」


 イギサの問いを遮って投げるように与えられた答えに、イギサは開きかけていた口を閉じられずに呆然とヒズミを眺めた。脳に届いた言葉はしばらく理解にも及ばず、戸惑いを示して視線が揺れる。

 ヒズミはどこか哀れむように目を細め、計画はその二年前からあったとイギサを置き去りにしたまま話を続ける。


「子供が三才になる前にと、決めていたはずだった。けれどあれは、その時になって意見を翻した。もう後二年、そのくらいは延ばしても平気ではないかと欲をかいた」


 それだけお前との生活が幸せだったんだろうと、溜め息交じりの言葉が耳を打つ。


 欲をかいた。誰が? 計画とは何だ。


「あの時、即座に実行していればあんな悲劇は起こらなかった。あれはお前たちの前から姿を消し、口伝は絶える。そういう計画だった」

「シズナが……、自分の意思で、俺の前から消える、と、?」


 嘘だったのか、全部。イギサに罪を着せたと泣き崩れたことも、鐘の下で永遠を誓ったことも、子供を授かってあれだけ嬉しそうだったのも。平和を望み、平穏を尊び、そのせいで自分が殺されてもこの子たちのためならと笑ったその全部、何もかも?


 ぐらりと身体が傾ぎ、肘掛けを捕まえて何とか支える。否定したいのに言葉が出ない、ただ頭の中にシズナの姿だけがぐるぐると回る。


 イギサの側にいるのが苦痛になったのか、殺されるのが怖くなったのか。守ると誓った言葉も信じられず、愛しいと思った子供も捨てられるほど。イギサから、草匙そうしから、この国から。逃げたかったのだろうか。遠く永遠に見つけられないような場所まで、遠く。


 声にならない呼びかけを噛み締めて拳を作り、足に押しつけるようにして所構わず殴りかねない衝動を堪える。

 ヒズミはイギサが再び話を聞けるまで落ち着くのを待って、あれにお前を裏切る気はなかったと慰めるように言う。


「子供ができなければ、お前に殺されるまで連綿と日々を繋ぐのもよかったろう。だがあれは、子を産む選択をしてしまった。産んだ以上、次を選ばなくてはならない。現在の幸せな暮らしか、子供の将来か。そして、選んだ」

「っ、子供たちのためにシズナは死んだと!?」

「そうだ。口伝を継げるほど長じてからでは遅い、まだ記憶も覚束無い三才が限界だ」


 今までも、シズナの死を受け入れるべく足掻いて何度かは考えた。一時凌ぎかもしれないが、子供が幼い内に彼女が死ねば口伝は絶えたと思われるはずだ。シズナが継いでいたかどうかもはっきりしていない以上、子供たちは彼女よりずっと楽に生きられる──。


 生きている間は、とてもではないが考えられなかった。イギサにとって子供たちもシズナも変わらず守るべき存在だ、どちらかを選ぶなんて有り得ない。けれど、シズナは。

 彼女は自分の立場をよく分かっていた、子供たちを巻き込みたくないと願うのは当然だろう。イギサと二人を秤にかけたとは思わない、シズナにとってもどちらも守るべきだったはずだ。ただ自分がいなくなることで家族が今よりずっとましな未来を得られる信じたからこその、身勝手な決意。


 しかし思いついたところで、実行はできなかったはずだ。何しろシズナには、イギサ以外に頼るべき身寄りがない。離れるにしても一人では限度があり、イギサには逃げた彼女を見つけ出す自信があった。徒に家族を脅えさせるだけだと分かっていれば、シズナもそんな選択はしないはずだ。

 そこに、誰かの手助けがない限り。


「五年前、お前たちの前から姿を消すことにあれも一度は承諾した」


 あの時に実行に移していればと悔やむヒズミに、イギサは思わず掴みかかって行った。


「どうしてあんたが、そんな勝手なことをシズナに勧める!? そもそも子供たちのために離れるなら、どうして俺に知らせない!」

「お前が知っては話にならん。あれをなくして平然としていては、全てが無駄になる」

「っ、どうして俺がシズナを失わないといけないんだ!」


 この手で殺すとも誓ったのにと悲鳴めいたイギサの批難に、ヒズミはだからだろうと静かに諭す。


「お前はあれに溺れすぎた。あれを失いたくなければ子を生さねばよかった、連れ添わなければよかった。分かっていて、それを是としたのはお前たちだろう」

「っけど……、だけど!」


 ヒズミの指摘はいちいち尤もだ、全ては二人で決めて選んだ愚かだ。けれどこんな結末を望んでいたのではない、せめて悪夢を共に遣り過ごせるように寄り添っていたかっただけだ。人並みの幸せを欲し、手に入れることができたものを失いたくなかっただけだ。

 それさえ許されないのかと胸倉を掴んだまま嘆くように項垂れると、お前たちはどこまでも似ているなと呟いたヒズミがイギサの手をそっと外させた。


「あれも、今のお前と同じように泣いた。せめて後二年だけ、二年経てば必ず消えるとできない約束をして」


 それに絆された私が悪いと、ヒズミはイギサに向けて頭を垂れた。


「私はあれを返す気でいた、顔と戸籍を変えてお前たちの元に。けれど、その計画を告げてはいなかった。掴めるとは限らん儚い光なら、黙っておくほうがいいと判じたからだ」


 そのせいで追い詰められたのだろうと悔いるように目を伏せたヒズミは、私はあれに関しては間違ってばかりだと拳を作った。


 どうしてこの人はそこまでシズナを気にかけるのだろうと、そこで初めて眉を顰めた。


 口伝を知る唯一に対するにしては、あまりに協力的だ。シズナを唆して殺す計画だったなら、夏穣かじょうの軍人としての行動とまだ分かる。しかし顔や戸籍を変えるのは犯罪だ、下手をすれば自分の首が飛ぶ。それを、本気でする気だったのか。


 口だけなら何とでも言える、けれどこの打ちひしがれるような姿は演技には見えない。シズナを失ってひたすら自分を責めていた、あの頃のイギサと同じ……。


「どう、して」


 知らず問いかけが口をついたが、その答えならイギサはとっくに知っている気がした。


 シズナが言葉を濁し、詳細は教えてくれなかった存在。だが軍にいると、一度だけ聞いた。母を亡くし伯父を亡くし、本当にこの世でたった一人、血の繋がった相手。


「隊長は確か、竹流たけるに養子に入って軍人になられた、と」

「ああ。元名はつぐみヒズミ。あれは──シズナは私の妹だ」


 戦争にお前たちを巻き込んだ張本人だと、顔を上げてたった一つの焦げ茶を重ねてきたヒズミは自嘲気味に笑った。


「三年前。やはり隊長は、連絡が行く前から草匙においでだったんですね」


 あの時から覚えていた疑問をぶつけると、ヒズミはそうだと簡単に頷いた。


「子供たちはもう五才になっていただろう、離れると決めた事情からすれば限界だ。自分で行動できないなら連れ去ると決めて、赴いた」

「っ、ではやはりシズナは生きて、」


 縋るように身を乗り出させたイギサに、ヒズミは顔を曇らせた。僅かに言い淀み、明らかになっている事実から話そうと逸るイギサを制して重たげな口を開いた。


「あの日、私は確かに草匙にいた。だが、会わないままあの事件が起きた。知った当初は、あれが逃げたがっていると知ったお前が手を下したのではないか、と思った」


 お前ならやりかねんだろうと、責めるではない言葉は単なる事実の指摘だ。否定する気もない、シズナの決意を知らされていたならそうしたかもしれないと自分でも思う。


 けれどあの死体は別人だったとヒズミは続け、顔を歪める。


「そう報告を受けて次に疑ったのは、あれが死体を用意して自ら逃げた線だ。誰かを犠牲にするかとは迷ったが、そこまで追い詰められていたのか、と」

「っ、本気でシズナが誰かを犠牲にすると思われたんですか」


 知らず怒りを滲ませて聞き返したイギサに、ヒズミは顔を歪めるように、羨むように苦く笑った。


「そうだな。私がお前ほど信じてやれていれば、こんなに時間はかからなかった」


 だがあの時は可能性を捨て切れなかったのだと、ヒズミは視線を落として組んだ自分の両手を見下ろした。


「あの事件があれの意思だったなら、唆したのは私だ。死体を始末し、行方を隠す。それこそが私にできる、唯一の罪滅ぼしだと思った。あれが私の手を借りず逃げ続けるなら、それもまたあれの意思かと見過ごした」


 見過ごしてしまったと、後悔したような声は震えこそしないが組んだ両手は指先が白くなるほど力が込められている。イギサが問いかける言葉に迷っていると、ヒズミはゆっくりと息を整えて自分で気持ちを立て直した。


「最初に不審を指摘してきたのは、チバだった。あの件に関して私は極力考えないようにして、多くの処理を任せきりにしていた。けれどチバの言葉を受けて落ち着いて調べ直せば、不自然な点が多く見つかった」


 一つ目は、シズナとして処理された死体。彼女が憂駆から姿を消したのは事件の三日前、その時はまだ生きていた。シズナが顔も分からなくなるほど惨い状態で殺す術を、持ち合わせていただろうか。


「無理です。シズナは口伝を継いでいる、あの術式は自身には施せません」

「そうだ。魔法もなく、自力で殺すことはあれには難しい。都合のいい死体を見つけてしまったからこその愚行と思っていたが、その時点で私の仮説が崩れた。──他人に術式を与えて頼むことはできるが、あれはそうしないだろう」


 死神を生んだことに脅え、誰より罪の意識に苛まれていた妹をヒズミもまた知っている。イギサは固く拳を作り、それなら誰がと眉を顰めたところで階段を駆け下りる賑やかが届いた。

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