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18.別離

 カギトから再三の警告を受けたにも拘らず、イギサは夜になって泣き疲れた双子が眠ると領主の館に赴いて回収された遺体と対面した。


 人払いされて怖いほど静かな館の一室、灯りもなく闇に沈んだその部屋は、辛うじて入ってくる廊下の灯りがちらちらと揺れるだけ。それでも誰もそこに灯りを燈す気にならないのは、台の上に寝かされた遺体の状態が直視に耐え難いからだろう。 

 どれだけの恨みが込められていたのか、何度も切り刻まれているせいで顔はおろか体型さえ碌に判別できない。ただ赤く染まって見る影もない服らしき端切れに、見覚えがあるような気がするだけだ。


 手を伸ばしかけ、躊躇う。戦場でもあまり見ないひどい状態に竦むのではない、触れて認めるのが怖かった。


「シズナ……」


 これは本当に、シズナだろうか。別人であっても見分けがつかない、この状態は本人ではない何よりの証拠ではないのか。期待するように考えるが、腕をなくしたカギトの姿がそれを否定する。


 イギサが目を離したばかりに無惨に殺されたシズナから目を背けたところで、現実は変わらない。町中を捜索しても、犯人もシズナも見つからなかった。

 カギトはあの後すぐ、医療施設を備える別の町へと搬送された。彼らが発見された場所はあまりに大量の血を吸って色が変わったまま、上からどれだけ土をかけても死臭は残っている気がする。


 双子は一先ず私塾に程近いネリの家に保護されていて、家には誰もいない。誕生日の準備がされたまま、祝うべき相手がいなくなったことさえ知らない顔で家人の帰りを待ち惚けている。


 誰も、いない。


「っ、──!」


 声にならない悲鳴を上げて、イギサは膝を突くようにして崩れ落ちた。


 謝罪も言い訳も、惨たらしい遺体の前では役に立たない。守る、と誓ったのに。守れると思っていた、きっと生涯守り抜けるはずだと過信していた。自分がこの手で殺すことになる、その日まで。決して誰にも傷つけさせないはずだったのに。


「シズナ……、シズナシズナシズナシズナ──!」


 遺体の置かれた台の縁に手をかけ、直視できずに項垂れたまま。繰り返す名前は薄暗い部屋の壁に跳ね返って、イギサに突き刺さるだけ。受け止めて笑ってくれる存在を喪ってしまったという事実が、重く圧し掛かってくる。


「どうして……っ」


 どうして一人にしてしまったのか。どうして一人で逝かせてしまったのか。どうして自分は、たった一人で嘆いているのか。


 ああ、そうだ。どうしてこんな風に取り残され、それを是としているのだろう。


 誰が何の目的で彼女を殺めたかは知らない、関係ない。シズナがいないという事実の前では、どうでもいいような瑣末事だ。それより死が二人を別つなら、同じところに行けばいい。シズナなら、きっと待ってくれているはずだ。

 どうしてもっと早く、思い至らなかったのか。すぎる迂闊を自嘲するように口の端を引き攣らせ、項垂れたままこんな時でも提げていた剣の柄に手をかける。シズナを守る役には立たなかった物でも、彼女の元に導いてくれる程度にはまだ使える。


 何だ、どうして最初からそうしなかったのか──、


「イギサ」


 暗く二人きりであった部屋の空気を揺らし、叱咤するように呼びかけてくる声に聞き覚えはあった。けれど今のイギサにとっては邪魔者としか感じられず、疎ましく視線を向けた先に立っているのは隻眼の男。髪と同じ漆黒の眼帯は目ばかりでなく顔の半分ほどを覆い、表情が判別し難い。


 いつだったか見慣れていたそれをぼんやりと眺めていると、お父さん! と二つの悲鳴が聞こえてはっと我に返った。


「フウカ、リクト! 入ってくるな!」

「いやっ!」

「お、父さんまで、いなくならないでっ」


 入り口に立つ男の脇を通って泣きじゃくりながら入ってくる双子に駆け寄り、安置されている遺体から隠すように抱き締める。暖かい体温がぎゅうぎゅうと押しつけられ、嗅ぎ慣れた優しい匂いが二人の髪から感じられる。お父さんと悲痛な声に打ち据えられ、知らず涙が落ちた。


 シズナがもうここにいないなんて、どうして思ったのだろう。完全に同じ形ではなくとも、彼女がイギサのためにと残してくれた大事な命はここにある。シズナに続いて自分までもいなくなってしまったら、誰がこの二人を守ってくれるのか。


「シズナ、ごめん……っ」


 まだしばらく、いけそうにない。シズナから託された命を、彼女に代わって守り通さなければいけないと思い出してしまった。また彼女を一人きり、待たせてしまうことになるけれど。


「お父さん、お母さんは?」

「どうして、いなくなっちゃったの。僕がいい子じゃなかったから?」


 いい子にしてたらかえってくる? と泣きながら問いかけてくる双子に、本当にそうだったならどれだけ幸せだろうと奥歯を噛み締める。けれどそれが儚い望みと知っているから、答えられないまま抱き締めるしかできない。

 二人とも薄々察しているのだろう、答えないイギサを責めない代わりに声を上げて泣き始める。その声に気づいて恐る恐る様子を見に来てくれた人たちに、この部屋からは出たほうがいいと促されて双子を抱き上げると、重い足を引き摺るようにして歩く。扉を潜った場所で二人を降ろし、振り返った室内には謐とした闇が湛えられていて無残な姿をぼんやりと覆い隠している。


 口を開きかけ、結局言葉にはならずに噤む。別れも、謝罪も、今は何も相応しい気がしない。言ったところで返るのは沈黙だけだと分かっているなら尚更、逃げるように目を伏せてそっと扉を閉める。


「少しは落ち着いたか」


 唐突な声は、さっき自分を呼んだのと同じ。この部屋に双子を連れてくるなんて無神経なことをした相手は、閉めた扉の向かいに凭れ掛かってこちらを見ている。さっきも見た隻眼の男が見知った姿と重なり、知らず踵を鳴らして敬礼していた。


「隊長。失礼致しました」

「こんな時によせ。……衝動は遣り過ごせたか」


 相変わらず主語のない問いかけに、荒療治ですねと皮肉を込めて返す。だが子供にあの遺体を見せたくないと恐れる他の面々では、イギサを引き止めることは叶わなかっただろう。絶てない命を思い出させてくれたことには感謝しつつも、二人があの部屋で何を見たかと思うとじわりと怒りが滲む。


 草匙そうしに来て初めて訪れてきたヒズミは、感情が戻ったなら幸いだと自分に向けられるそれには無関心な様子で頷き、珍しく躊躇ってから口を開いた。


「今からひどい質問をする。子供たちは外させるか」


 イギサの足元から離れようとしない双子を見下ろして問うヒズミに、二人のほうが先に離れない意思を見せて足にしがみついてきた。連れて行ったほうがいいのかとこちらを窺っている何人かに軽く手を上げて頭を振り、彼らが聞こえないほど遠ざかったのを見てから顔を戻す。


 ヒズミは検分するように一つきりの目でイギサを見据えた後、口を開いた。


「これで口伝は絶えたか」

「っ、」


 ひどい質問だと予め言われていたが、瞬時に血が沸くほどの威力に拳を作る。イギサの様子を見た双子は怖い顔をしてヒズミを睨み、あっちに行って! と声を揃える。どうにかそれを制止してヒズミを見据え、屈辱的な気分で答える。


「絶えました。元より、シズナに伝える気はなかったので」

「確かか」

「俺の言葉が信用できないのであれば、最初から尋ねられないほうが手間も省けると思いますが」


 どうしても尖る声で返すと、ヒズミはそうだなと無表情に頷いた。


「用件はそれのみですか」

「遺体の検分はこちらでする。恩人殿と同じ扱いだ、葬儀の手配は好きにしろ」

「そん、」

「軍令だ。……早く戻せるように尽力する」


 いつもは聞かないような気遣う言葉に、イギサも言葉を呑むしかなくなる。ヒズミは恨まれ役を買って出たか、若しくはイギサが逆らえないと踏んだ上層部の判断で派遣されただけだろう。

 いつ頃に戻されるかと、尋ねるのも馬鹿馬鹿しい。何も知らない連中がそれでもあれはシズナだと判じる期間がどのくらいかかるかなんて、ヒズミにも見当はつかないはずだ。


 爪が食い込むほど拳を作って耐えていると、双子が心配そうにそうと手を当ててくる。カギトやチバに対して憤っている時、シズナもよくこうして手を当ててくれたと思い出して胸がぎゅうと締めつけられる。

 どうにか手を開いて双子の頭を撫で、ヒズミの顔は見られないままも尋ねるべきを思い出す。


「カギトは、どうなりましたか」

憂駈ゆうくで治療中だ。血を流しすぎて危険な状態だったが、一命は取り留めた。ただ足は戻っても腕を無くした以上、軍は除隊。近々新しい領主が派遣されるだろう」

「りょうしゅさまも、いなくなっちゃうの?」

「どうしてお母さんもカギトもいなくなっちゃうの!」


 突きつけられる理不尽に怒りを露にした双子に、ヒズミはもう一度視線を向けた。初めて見る隻眼の軍人は子供たちにとって恐怖の対象だったのだろう、さっきまでの威勢をなくしてイギサの後ろに隠れるのを見て、ヒズミはすまないと呟くように謝罪した。


「何もかも後手に回った……。これは、食い止められるはずの事態だった」


 間に合わずにすまないと子供を相手に深々と頭を下げるヒズミに、やめてくださいとイギサが慌てて止める。


「隊長が謝られることなんて、何も、」


 ないと言い切れないのは、自分も同じだ。ならば重ねて罪を負うべきはイギサで、ヒズミではない。今日の失態と引き換えにした喪失感はこの先何をしても埋められそうにないが、まだ残る守るべきに支えられて生き繋ぐくらいはできそうだ。


 ヒズミはイギサをしばらく眺めた後、どう反応していいか戸惑っている双子を見てゆっくりと口を開いた。


真寧しんねいに戻るなら、口を利くぐらいはするが」

「俺は既に軍を辞した身です、今更真寧に戻って何ができるとも思えません」


 許されるならずっとここにと双子を眺めながら答えると、ヒズミが何度となく頷いた。


「野暮を言った」


 忘れろと言いつけてさっさと歩き出すヒズミの背中を見るともなしに眺めていると、子供たちがぎゅうと強く足にしがみついてきたのに気づいて視線を落とす。


「どうかしたか」

「……あの人、きらい」

「悪い魔法使いみたい」


 怖いと声を揃える双子を宥めるように撫でたイギサは、離れた場所で幾つか指示を出している背中を改めて眺める。


 そういえばヒズミは、いつ草匙に着いたのだろうとふと思いついた疑問に眉を寄せた。ヒズミは真寧で守護の一端を担っているはずだ、首都からここまではどれだけ急いでも三日はかかる。カギトの要請を受けて駆けつけたとすれば、あまりに早過ぎないだろうか。


 不審が疑惑に変わる前に問い質そうとしたが、先にヒズミがどこか気遣わしげに振り返ってきた。


「イギサ、子供を連れて帰っていろ。運び出す」


 見せたくないだろうと言下の忠告に、思わず身体が震えた。


 シズナが、連れて行かれる。イギサの手が届かない場所に。咄嗟に引き止めたげに口を開きかけたが、お父さんと不安げな双子の声で俯きがちに拳を作り、目を閉じてどうにか呼吸を整えた。


 シズナがいないと思い出せば、身体ごと時間も思考も止まりそうになる。何も考えずただ剣を振るっていればよかった戦場の、なんと楽だったことか。

 けれど、それを終わらせたのは自分だ。そう望んだシズナとあの力のおかげで、子供たちを戦場に送り出す不安はなくなった。眠った双子を優しく撫でながら喜んだシズナを覚えているなら、戻りたいとは思えない。


「……帰ろう、家に」


 シズナはもう二度と、出迎えてはくれないけれど。短かったけれど彼女が子供たちと笑顔で過ごしたあの家だけが、イギサにとっても帰る場所、だ。

 イギサを見上げてくる双子は何だか泣き出しそうに顔を歪めたが、片手ずつ痛いほど握り締めて繋ぐと小さく頷いた。


「かえる」

「おうちにかえる」


 いつものはしゃいだ声とは違い、暗く打ち沈んだ声で。それでも双子はイギサから手を離さないまま、泣くのを堪えたように足を踏み出した。


 ヒズミに引き取られていった遺体との対面は、やはりそれ以後一度も叶わなかった。

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