17.油断
その日は、出会ってから七回目のシズナの誕生日だった。双子が生まれてからは五回目で、子供たちが自主的に贈り物をしようと思い立って色々と準備していた。手伝っていたイギサが何か凄いのが贈られるよと面白がって耳打ちすると、どんな物になっても嬉しいから邪魔をしないんですよと笑って窘められた。
シズナが自分の誕生日を、あんなに楽しみにしているのは初めてだ。言うと笑われそうだから黙っているが、イギサが初めて祝った時より嬉しそうなのがどこか悔しい。ただ嫌味を言う前に口許を緩めるのは、幸せそうなシズナを眺めるのは悪くなかったからだ。
「俺と結婚してよかった?」
何の気なく尋ねると、シズナは勿論ですと間を置かず笑顔で頷いた。それがどれだけイギサを喜ばせたか、きっと彼女は知らないのだろう。
家にいても聞こえる荘厳な鐘の音、あの下で誓いを交わした時は罪の重さに今にも押し潰されそうだったのに。側にいて気兼ねなく笑ってくれるのは、イギサにとってどれだけ幸せか。他愛ない話をして笑っているシズナと子供たちを見ているだけで、過去の様々が報われた気分だった。
そうして迎えた、誕生日当日。用意した贈り物の仕上げに花束を作るのだと張り切る子供たちに手を引かれ、イギサは朝早くに家を出た。自分の誕生日なのにご馳走を作るため家に残るシズナに何か違わないかと首を傾げたが、いいのと押し切られたからだ。
早く戻ってねと柔らかく手を揺らしたシズナに、フウカが右手を振り、リクトが左手を振った。嬉しそうに微笑んだシズナに見惚れた、それが最後の姿になるなんて想像もしてなかった。やっぱりシズナは綺麗だなぁとしみじみと噛み締めて、そんなの当たり前でしょーと双子に突っ込まれて笑ったのはその日の朝のことなのに、記憶がひどく遠い。
町を取り囲む林で双子の気が済むまで花を摘んでいると、あっという間に時間が過ぎた。昼過ぎになってお腹が減ったーと嘆く子供たちを連れて戻る途中、蒼白な顔色をした町の人たちに取り囲まれて初めて、イギサは取り返しがつかない過ちを犯したと知った。
「イギサさん、早く。領主様が!」
ひどい怪我で、シズナの姿が、怪しい人影なんて、でもどこを捜しても。
ぐるぐるした言葉の切れ端が、走るイギサの耳に辛うじて引っかかる。けれど碌に聞こえていない証拠に、途中で取り囲む人々を置き去りにひたすら家に向かった。
ああ。ああ。どうしてシズナの側から離れたりしたのか。
この町は確かに平和で暢気で穏やかで、心配事なんて何一つないような空気だけれど。外壁の一つもなく守る手段は自分の剣だけ、いつ誰に襲われるとも知れない状況だと分かっていたのに、あれだけ恐れていたのに。
シズナと結婚して七年余り、あんまり幸せに浸りすぎて警戒が薄れていた。このまま何事もなく恙無く生きていけるなんて、どうして信じたのだろう、信じられたのだろう。
「シズナ!」
とにかく姿が見たい、怪我をしていても生きていてくれればいい。勿論犯人は見つけ出してこの手で必ず始末するけれど、その前に。
「シズナ!」
「……イギ、サ……」
細すぎる声に呼ばれ、はっとして足を止める。下から聞こえた声に視線を落として捜せば、すぐに夥しい血溜まりと、そこに転がる姿を見つけて駆け寄った。
「カギト!」
「悪、い……、ゆだ、ん……し、た……」
起き上がらせようと手を貸しかけ、一瞬動きが止まったのはカギトの左腕がなかったから。肩口から斬り落とされたような傷口に歯を噛み締めた後、カギトに視線を重ねる。
「何人だ」
「見、たのは、ひとり……だ。シズナは……、」
「っ、シズナはどこに!?」
「怒鳴る、な……傷にひび、く」
痛いとあからさまに顔を顰めたカギトにはっとして口を噤み、矢継ぎ早に問い詰めたくなるのをぐっと堪える。カギトは息をするのも苦しいのか、何度か浅く呼吸をしてから再び口を開いた。
「斬られ、た。目の前で。……わ、るい……届かなか、っ」
「シ、ズナ、が……?」
まさかと唇は震えるが、碌な声になっていない。目の前が暗くなって、支えたカギトを取り落としそうになる。
どうしてカギトがついていながらと喉までせり上がった台詞は、今もまだ血の止まらない傷口の前では敢え無く消える。カギトは現役の軍人だ、得手とする鎖は常に軍服に帯びている。戦場から離れて久しいとはいえ、イギサと渡り合える実力者がたった一人を相手にこんな怪我を負わされるなんて想像もしていなかった。仮にシズナの側にいたのが自分だとしても、同じ結果にならなかったとは言えない。
この町の住人は、碌に医療の知識がない。動転していたのも確かだろうが応急処置もされていない傷口の様子を見て、血止めに縛り上げながら後ろから斬られたのかと問うとカギトは痛みに顔を歪めながら頷いた。
「変な気配に、振り返る直前……ばっさりいかれた。一撃、だ」
ご丁寧に膝も砕いていきやがったと毒づくカギトの言葉に視線を動かし、右膝が砕かれているのに気づく。これでは碌に動けない。
「シズナは家にいなかったのか」
「買い物だろう、でかい荷物で……。お前が迎えに来ると思って、途中まで送って別れた直後、だ」
「っ、」
今までは、それで問題はなかった。町にいる限りイギサが常に気を配っていたし、町への出入りはカギトが管理していた。イギサたちが来る前から通っている商隊さえ警戒していたのに、何故今になって。二人も揃った死遣の目を盗んで入り込み、確かに襲えたのか。
「シズナ……っ」
後悔に揺れた声で呟いた名前で、はっとする。カギトからのんびりと情報を得ている場合ではない、シズナを。助けなくては、見つけなくては。
慌てて立ち上がりかけたイギサを、体勢を崩しながらカギトが残った右手で捕まえて引き止めた。やめとけと、悲痛な声で止められる意味が分からない。
「離せ、俺はシズナを、」
「無理、だ。目の前で見てた俺でも、あれがシズナだと判別するのは、」
難しいと口にされるより早く、お母さん! と叫びながら駆け寄ってくる双子の声で弾かれたように振り返った。事情を知った住人たちが止めてくれていたはずだが、常になくざわついた空気に嫌な予感を覚えて抜け出してきたのだろう。見せるな! とカギトが悲鳴みたいに止めたのとほぼ同時に動き、家に向かおうとする双子を無理やり抱き止めた。
「お父さん、はなして、お母さんにかえったって言わないと」
「お花、あげるんだよ。ぜったい、よろこんでくれるよね?」
おいわいするの、かえったらおめでとうって言わなくちゃ、だいすきってぎゅってしてくれるよと、不安を誤魔化すように口々に続けた二人は、顔も上げられずに抱き締めるイギサから逃げたげに身を捩った。
「お母さん、フウカ帰ったよ!」
「お母さん、僕も帰ったよっ!」
お母さんと声を振り絞るようにして叫ぶ双子に、止めに入ろうとした周りのほうが耐え切れないとばかりに嗚咽を漏らす。どれだけ呼んでも答えないシズナに、何かを察したらしい双子もお母さんと泣き喚くように繰り返す。




