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14.報告

 町のほとんどが寝静まっただろう真夜中、人目を避けて執務室を訪れてくるのは大体がイギサかチバのどちらかしかない。確率で言えば断然イギサが多く、今日もそうだと思ったのだが。


 執務机の前でどこか所在投げに立つ、親友と同じ姿形をした他人を凝視してカギトは激しく嫌そうに顔を顰めた。何かしら戯言が聞こえた気はするが、脳が理解を拒絶している。このまま知らない顔をしていたら、この偽者と一緒に消えてなくならないだろうか。

 儚い望みをかけて苦虫を噛み潰したまま黙っているが、居心地悪そうに身動ぎしたイギサによく似た見知らぬ男は、聞いてるかと声をかけてくる。


「冗談にしても性質悪い戯言なんざ聞こえるか」

「冗談なんかじゃない」

「尚更悪いだろ! お前は自分がここに何しに来たか、分かってんのか!」


 思わず声を荒らげて机を殴るが、相手はかつて死神とも呼ばれた男だ。そんな程度で怯えるような可愛げを持ち合わせるはずもなく、分かってるとさらりと答える。


「シズナが力を使えないことの保証と、仮に使った場合の責任は俺が取る。最初から言ってるはずだ」

「それがどうして結婚なんて馬鹿げた事態になってんだ!」


 たった今聞いた愚かを怒鳴るように聞き返すと、今まで見たこともないほど嬉しそうに、幸せそうに口許を緩められる。数日前まではあんなに顔色が悪く思い詰めた様子だったのに、今はどこかすっきりと毒気が抜けたように穏やかだ。

 机を挟んで対峙しているこれは、一体誰なのか。少なくとも、自分の知っている橘イギサではない。断じてない。


 身辺調査なんて、単なる建前だ。魔法が使われたならシズナを魔女と断じるのに何の支障もない、けれど使わないのか使えないのかは本人以外に分かるはずがないなんて、命じた人間も重々承知している。近づいて証拠が押さえられたならよし、尻尾を見せないようなら疑わしきは黒と断じて処分しろ、というのが実際のところだ。

 イギサだってその程度、理解しているはずなのに。


「お前が恩人殿の死に少なからず納得がいってねぇのは分かってる、だがその償いにせめて肉親だけは助けたいなんて甘っちょろいことを言い出す気じゃねぇだろうな? どうあってもシズナを殺せねぇなら今すぐ下りろ、俺が代わりに、」


 最後まで言い終えるまで待つ気もなく、カギトの首筋には見慣れた長剣が突きつけられていた。取り上げる暇もなかった鎖が、服の上でじゃりと鳴る。


 恩人から力を授かる対象として死遣隊しけんたいが選ばれたのは、名の通り彼らが死の遣いとして恐れられていたからだ。中でもイギサは長剣の扱いに長けていた、力を封じられた後もその剣だけで真寧しんねい砦守とりでもりに封じられるほど。


 俺のやり方に口出しはしないんだろう? と、ひやりとした声でイギサが確認してくる。


「嫌になるほど繰り返し答えたはずだ、シズナを殺す役目は俺が負う、と。邪魔をするようなら、口出しできない状態にするのも厭わんが?」


 いつ斬りつけてきても不思議ない長剣より、見下ろしてくる夜のように冷たい群青がカギトの背筋を凍らせた。


 戦場で何度か見かけた、死神の目。無慈悲に淡々と任務をこなしていた頃と同じ眼差しに知らず息を呑み、突きつけられた長剣を軽く手で押し戻した。


「どれだけ本気で参ってんだ」


 どうにか口にした皮肉に、イギサはふと口許を緩めて剣を収めた。


「報告はしないとまずいか、って程度の意識で来ただけだ。止められようと諌められようと聞かない、もう決めた」

「シズナは知ってんのか」


 低く突き刺す気分で尋ねたカギトにイギサは軽く目を瞠った後、何故か子供めいて嬉しそうに笑って頷いた。死神に戻ったりただの男になったり、忙しい。


「ああ、知ってる」

「っ、お前が殺しに来たと、」

「だから。知ってる」


 言っただろうと肩を竦めるイギサは、最初から知られていたと何でもなさそうな顔で言う。


「シズナの一族は、親から子に口伝が引き継がれるらしい。あの力は術式によって付与される、それを施す者は自分で力を使うことはできないそうだ。だからこそ恩人殿も俺たちに力を授けただけで、自ら戦うことはできなかったんだろう」

「それを信じろと?」


 目を眇めて聞き返すが、多分事実だとイギサは自分の左腕をちらりと見た。


「あの力を使えた間、お前にも他の死遣がどこにいるか把握できたはずだ。けど恩人殿の居場所や、シズナの存在には気づかなかった」

「より大きな力で隠れてただけかもしれんだろう」

「可能性の話をするなら、ないではないな。でもあの力が制限もなく使える物だったとしたら、今頃とっくに世界は滅んでるはずだ。俺たちが与えられた術式も一つだけ、一人に一つと定まってなければ数を揃えることなく一人で事足りたと思わないか」

「自分は使えねぇとしても、口伝を継いだなら他人に与えられることに変わりねぇだろ」

「それもどうかな。父親は生まれる前に、母親は五才の頃に病気で死んだそうだ。口伝の話自体は覚えていられても、あんな複雑な文様の全てを継げると思うか?」


 肩を竦めるようにして話すイギサに、嘘をついた様子はない。添い遂げようと思うほど深く付き合ったからこそ知れた情報だとしても、あまりに都合よすぎる話の運びに顔を顰めた。


「どれもこれも、推測の域を出てねぇ」

「否定はしない。シズナがあの力を使えない、与えられないと納得されたら殺す理由が一つ減る。俺には都合がいいからな」


 激昂するではなく落ち着き払った様子で頷いたイギサは、だがだから何だと冷めた目で逆に聞き返してきた。


「本当はどうであっても、使われない力なら絶えたに等しい。俺たちにしても刺青のせいで使えなくなったが、それを正しく知るのは同じ状態にある俺たちだけ。お前も以前言ったように、他国の人間から見れば疑わしい話だ」


 それでも俺たちはまだ生かされている、と皮肉を含ませたイギサは語尾を上げた。


「俺たちがこの刺青で生かされてるのなら、俺がシズナのそれになろう。けどこの話を受けた時と同じ、万が一の場合も俺が動く」


 シズナを殺す権利は俺だけに。


 まるでそれが愛の証でもあるかのように大事そうに請け負ったイギサは、やっぱり見たこともない優しい顔をする。その顔を見ているとどうしても苛立って、拳を固く握り締めながら抉るような言葉を選って突き刺す。


「結局、シズナに同情してるだけなんじゃねぇのか。自分を重ねて」

「──痛いところを突くな」


 渾身の一撃に苦く笑ったイギサは、けれど穏やかにそうかもしれないと頷く。


「だとしても、きっとお互い様だ。傷を舐め合うようにしか側にいられなくても、俺はシズナがいるからこそ今生きてる自分に意味を見出せる。彼女の存在が、必要なんだ」


 それだけだと静かに答えたのは、少なくともカギトが知るイギサではない。


 きっとつぐみシズナは、本当の魔女なのだろう。自分の命を永らえさせるため、差し向けられた死神をも害のないただの男へと変えられるほどの。傍から見ていれば恐ろしい変化だが、当の本人は気づいた様子もなく幸せそうに笑っている……。


 ぞっとしないその考えを振り払うように頭を振り、不思議そうに目を瞬かせたイギサを一瞥するとどうしても映る不快を隠したげに目を伏せた。


「シズナは、受け入れたのか」


 殺すことをか、生涯を共にすることをか。敢えてどちらとも言わず尋ねたカギトに、イギサが心底嬉しそうにしたのは見なくても分かった。


「ああ! ああ、頷いてくれた。もう鶫シズナではなく橘シズナなんだ!」


 砂を吐くような気分とは、こんな時に使うのだろう。初恋が叶ったと喜ぶ少年めいたイギサなど見ていられず、見たいとも思わず、カギトは目を伏せたまま犬でも追い払うように手を揺らした。


「もういい、分かった」

「分かったって、」

「お前の惚気に割く時間はねぇ、話がそれだけならさっさと出て行け」


 本来であれば殴ってでも考えを改めさせるべきだと分かっているが、イギサを説得するのがどれだけ骨の折れる作業かも知っている。特に今は何を言っても無駄だと分かるなら、殺し合いに発展する前に追い出したいというのが本音だ。

 反応しあぐねて突っ立っているイギサは、お前のやり方に口は出さんと溜め息混じりに宣言するとようやくほっとしたように息を吐いた。


「助かる」

「知るか。俺はお前の控えとしてここにいるだけだ、精々手間をかけさせんな」


 吐き捨てると、心がけると笑ったイギサは軽く手を上げると早々に部屋を出て行った。寄り添って生きると決めたシズナの元に、足取りも軽く戻っていく姿を想像しただけで渋面になる。


「っの、馬鹿が……っ」


 ようやく目を開け、苦々しく歪めた口許は両肘を突いて顔の前で組み合わせた手で隠す。どれだけ取り繕ったところで、吐ける言葉などそれしかない。こんな事態が起きる前に、さっさと終わらせて立ち去るべきだった。

 イギサをこの任務にと決定したのはヒズミだが、いつもは的確な隊長も今回ばかりは間違ったと舌打ちしたい気分で考える。恩人に対するイギサの態度を見ていれば、この結果はある程度見通せたのではないか、


「……まさか」


 思いついた可能性に、思わずカギトは声を上げていた。


 ひょっとしてヒズミは、こうなることを見越していたのだろうか。カギトやチバに指示したのであれば、今頃シズナはもうこの世にいない。多分イギサだからこその選択は、シズナが生き延びられる唯一の方法でもある。

 イギサなら彼女を楽にしてやれるだろうと、確かにヒズミは言った。その言葉の意味を、もっと深く考えておくべきだったのか。そうすれば、回避することもできたのか……。


 いつが始まりだったかを知らないカギトは組んだ両手を机に叩きつけ、間に合わない後悔に肺から搾り出すような深い溜め息をついた。

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