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10.暴かれる秘密

 腹立たしい気分のまま領主の館を出たイギサは、真寧しんねいで見るよりもずっと近く星が瞬く気がする夜空を見上げて殺しきれなかった溜め息をついた。


 すぐに面倒臭いと口にしてだらけた様子を見せるが、カギトは話の分かる人間だ。必要だと思う理由に納得すればすぐにも動く、戦場でもそれ以外でも頼りになる相棒に違いない。イギサほど切実に外壁の必要性を理解すれば、来年にはきっと立派な外壁が立っていただろうに。

 とはいえ今まで一度も戦禍が及んだことのない草匙そうしに外壁なんて望むのは、イギサくらいだと分かってはいる。住人の誰一人、きっと望んでいない。


 日付も変わりそうなこんな時刻になれば出歩く人間なんてほとんどない、静かな田舎町。窃盗事件さえ滅多と起こらない長閑の内に、無防備なまま眠りに就いている。襲撃されることなんて誰も想定もしていない、平穏な暮らし。

 羨ましく思う間もなく、イギサにはそれが怖い。


(こんなところで、どうやってシズナを守ればいい?)


 カギトにはいつまで茶番を続ける気だと呆れた目を向けられるが、イギサにとってシズナは愛すべき守る者の筆頭に名を連ねている。彼にできるのは戦うことだけ、何れ殺すだろう張本人が何をと笑われるのは承知の上で、それでも必ず守りたいと強く思う。

 常に最悪を想定しながら戦ってきたイギサにとって、この町は守るに易くない。万が一イギサ以外の誰かが狙ってきたなら、彼女を泣かせずに守る方法が思いつけない……。


 碌に外灯もない暗い道を、重い気分で下を向きながら歩く。


「やっぱりせめて外壁くらい、」

「外壁がないと、そんなに不安ですか」


 ぼやいた声に思わぬ応えがあり、慌てて声がしたほうに顔を向ける。領主の館から程近い、町の象徴たる時計塔が立つ広場。そこに何故かシズナが、一人でぽつんと立っている。


「っ、こんな時間に何を?」

「こんな時間にしかできない、お月見を」


 慌てるイギサを他所ににこりと笑って彼女が指す空に顔を向ければ、星の合間に申し訳なさそうに細い月がそっと顔を出しているのを見つける。

 おつきみって、とくたくたとへたり込み、恨めしく見上げたシズナは楽しそうに笑っている。


「イギサさんこそ、こんな時間にお散歩ですか」

「俺は君と違って、そんな高尚な趣味は持ち合わせなくてね。カギトに用事があって、その帰りだ」

「ひょっとして、外壁の交渉に?」


 眉を上げるようにして聞き返されるそれが無駄の指摘に思えて、知らず苦笑する。誰のためにはこっちの勝手だ、彼女は知らなくていい。


「真寧に……、戻りたい、ですか」


 揶揄するではないどこか深刻な問いかけより、静かな眼差しが真っ直ぐ射抜いてくる強さに何となく言葉を呑んだ。シズナは答えないことを答えとして受け止めたのか、ふと柔らかく口許を緩めた。


「それなら早く、私を殺せばいいのに」


 特に抵抗する気はありませんよと微笑んだまま紡がれる言葉に、咄嗟に口は開いたが声は出なかった。問うべき言葉を探しながら立ち上がりはしても、最初に足を止めてしまった場所から動けない。


「ここに来られてから、碌に眠れていないんでしょう?」


 ひどい顔色ですよと心配そうに言われ、咄嗟に片手で顔を擦る。そんなことで誤魔化せようはずもなく、寧ろ眠れていないと証明したようなものだ。

 シズナはそうと息を吐くと、どこか申し訳なさそうに視線を落とした。


「私が何より悪夢の引き金、ですよね……」


 いなくなったらきっと眠れるようになりますよと、安眠を促す香草や寝酒を勧めるくらいの気軽さで言われても受け入れられるはずがない。

 けれど実際にはかけるべき言葉も見つけられず、立ち尽くすしか術がない。ちらりとイギサの様子を見て諦めたようにそっと息を吐き、月を見上げるシズナをただ見つめる。夜空に白く爪を引っかけたみたいな、猫の目のような月は彼女を慰めるのだろうか。


「どう、して」


 長い沈黙の後、我ながら情けないほど掠れた声で紡げたのはそれだけ。自分でも何に対するか分からない問いかけに、シズナは月を見上げたままふと口許を緩めた。


「知ってます、最初から。あなたが私を殺しに、ここに来たことを」

「っ、そんなこと!」


 するはずがないと悲鳴みたいに声を上げたイギサに、シズナはしぃと口の前で指を立てた。もう皆は眠ってる時間ですよと小さく諌められ、違うと頭を振る。


「そうじゃない、どうして俺が殺すなんて、」


 尋ね、途中で顔が歪む。今は条件が揃ってないからこそ、殺さずにいられる。でも、何れ殺すためにここに来たのも事実だ。他の誰でもない自分の手で、静かを与えに来た。


 視線を落として惑うイギサから目を逸らさないまま、シズナは秘密を暴くようにして言葉を重ねる。


「イギサさんは、この町が苦手でしょう。もっと警護のしっかりしてるところでないと、不安なんでしょう?」


 警護が不安なのは確かだ、けどそれはシズナのため。


「何もなくて、退屈な町ですからね」


 何もないはずがない、だってシズナはここにいる。


「することがなくて、時間も持て余すでしょうし」


 それはどこにいても同じだ、イギサは戦うことしかしてこなかった。戦争が終わってからずっと、時間どころか自分自身も持て余していた。


「帰りたい、ですよね」


 どこに帰れと言うのだろう。

 身寄りがないからこそあんな無謀に戦えた、帰る場所なんてどこにもない。どこか一つ自分で選ぶことができるなら、シズナの側にと望むのに。


「もう、終わらせてください」


 ようやく解放されるとでも言いたげに、子供たちにまた明日と告げるみたいに簡単に。さあと促すシズナに、嫌だ! と反射的に断言していた。何度も目を瞬かせ、不思議そうにしている彼女を睨むように見据える。


「どうして俺がそんなこと! っ、まだ理由なんか、」

「理由」


 繰り返されてはっと口を閉じると、シズナはもう何度か瞬きをして俯いた。


「……ああ。ご存じないまま、ここに来られたんですね……」

「知らないって、何を」


 聞くな、聞くな、聞くな。


 本能が煩いほど警鐘を鳴らすのに、誰もイギサの耳を塞いでくれない。ゆっくりと顔を上げて目を合わせると、シズナは泣き出しそうながら、とても綺麗に微笑んだ。


「私が、あなたを死神にしたんです」


 震えそうな声で、それでもしっかりと発音された言葉で時間が凍りついた。

 死神と呼ばれていたことを、彼女が知っている。イギサがどれだけ虐殺を繰り返してきたか、知られているのだと思うと血の気が引いた。


 いや、違う。彼女は今、何と言った? 死神にした、と言わなかったか。


 誰が。誰を? シズナが。イギサを。


「死神に──、した……?」


 見ているのに見えていない、ただ視界に映る女性は震えそうな手を身体の前で組んで、指先が白くなるほど力を込めて何かを堪えている。

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