1:始まり1
ガタガタと揺れる車窓から外を見るが、特に何も無い荒野が広がるばかりで、景色の変化といえばたまに現われる細々とした木だけだ。ここらはまだ寒く口からはぁ、と白い息が零れる。
ガタンッ、と1度激しく視界が縦に揺れた。馬車にはバネを入れてもらったので多少の揺れは気にならなくなるはずだが、道が悪いのだろう、天井から吊るしたラークライト(ランプ)の主張は、収まる様子がない。
「ギャウッ!」
馬車を引く龍馬が、低いいがらっぽい声で鳴く。その鳴き声に、もう目的地が近いのだろうと思っていると、車内に独特な臭いが漂ってきた。決して良い臭いとは言えない、例えるなら硫黄の焼けるような臭いだ。
寒さからくる気怠さと好奇心が競り合った結果、好奇心がその臭いの正体を探るべく俺の頭を窓の外へと押し出した。凍てつく風に目を細めながら前方を見やると、目的地のダゥ村らしき黒点が遥か彼方に見える。時間の経過とともにその臭いも一層強まり、臭いの元であろう煙が村から出てるのも伺えた。
「なんだありゃ」
しばらく進むと人を見つけたので、1度龍馬を停める。龍馬はまだ走り足りないぜというように体を震わせていた。馬車から降り、ここまで半日もの間走り続ける重労働──余裕で一日中走り続けることが出来る龍馬にとってはさしての労働ではないだろうが──をしてきた龍馬に労いの意も含めて軽く撫でてやると、龍馬は気持ちよさそうに鳴き声を響かせた。
「ありがとな、ラスカル」
自らの主人の胸に顔をこすりつけるようにして甘えてくる龍馬──ラスカルを軽くポンポンと叩き、じゃれるのはそれぐらいにしておけと意思表示をする。触れた頭は爬虫類のような赤黒い鱗に包まれているため、ゴツゴツとしていて本気で擦り付けられたら俺の顔は擦りリンゴのように削られてしまうだろう。まだ甘え足りないというのがひしひしと顔から伝わってくるが、ラスカルは主人を困らせるほど物わかりの悪い龍馬ではない。
じっと漆黒の瞳で見つめてくる愛馬から視線を外すと、先程見つけた畑仕事に精を出していた男の方へ向け挨拶をする。馬車から降りたのもそのためだ。
「こんにちは!」
大きな声を出すのはあまり得意じゃない。けれど、男とはそれなりの距離が離れているので必然、大きな声が要求される。声変わり前の子どものようにすこし声が上ずってしまったが、相手には問題なく届いたようで返事が返ってきた。
親しげな様子で、まだ若いであろうその男はこちらへ近付いてくる。肉付きの悪いハリガネのようなその青年は、随分と寒そうな服を着ていた。
「どうされましたか?」
そう尋ねた青年はちらりと馬車の方を見ると、
「村長ならこの道を真っ直ぐ行ったところですよ」
と村の方を指さして教えてくれた。
彼はおそらく、この馬車を見て俺のことを商人だとでも思ったのだろう。
ほとんどの場合、村に商いをしに来た商人は1度村長に挨拶をすることになっているらしい。村にもよるが、商売料を払わなくてはいけないところもあるので、商人はまずは村長のところへ行くのだ。
相手が俺を商人だと勝手に勘違いしているとしても、わざわざその間違いを直す意味は無い。ありがとう、とお礼を述べると青年が指さす先とは別方角にあるもくもくと低い空に昇っていく煙が気になり、そちらにちらりと目が流れた。
その視線を察したのだろう青年は、ああ、あれは───と言葉を続けた。
「近くの炭鉱で事故があったんですよ。落石だとかで。奴隷が大量に死んだので、燃やしてるところです。僕はもう慣れましたが、キツイでしょう?」
キツイというのが臭いのことだというのは、青年の鼻の前で手を振るようなジェスチャーで伝わってきた。それは先程から思っていたことなので肯定の返事をする。
「ああ、しかし…それは災難だったな」
「ええ…春まで持てばいいのですがね」
その青年のどこか他人行儀な言葉にすこし違和感を覚えるが、深入りするのはよろしくない。
「では、村長の家へ行くのでここら辺で」
黄昏ている青年にそう話を打ち切ると、馬車には乗らず手綱を持ち、ラスカルの少し先を歩く。
そして多少早歩きで進み、青年からは姿が見えないだろう距離まで離れると周りにばれない程度に息を吐いた。
…………あぁ、緊張した……。
人と喋る、しかも初対面の人となどほとんどしない。というかしたくない。自分はおかしなことを言ってなかっただろうか。もう少しああいうふうに話せばよかったのではないか。そんなふうな事が後から後からぽこぽこと沸いてくる。そんなこと考えてもしょうがないというのはわかってはいるが、自分の中にいる何かがあれこれ言ってくるのだ。
先程もすました顔で青年と話していたが、その実心臓はバクバクと早打ち、いまにも口から踊り出そうだった。わざわざ青年の勘違いを直す意味は無い、と心の中で合理化したが、それを直そうとしても違うと言えただろうか。自分でも分からない。
親しいものとではこれ程緊張しないのだけどな……と、この村のことを紹介してくれた数少ない友人の顔を思い出す。 あいつならもっとうまく話せるだろうよ。お前はほんとにダメな奴だ。
ああくそっ。俺だって人並みにうまくやっているだろう。
そんなふうに自分に自分でヤジを飛ばしていると、どうかしたのかとラスカルが不思議そうに鳴いた。クルルゥ?と可愛らしい声だ。なんでもない、と視線だけで応え再び歩き始めたが、臭いが一層強くなるのを感じて顔をしかめた。風向きが変わったのだろうか。
病気が蔓延するのを無くすために死体を焼くのは、別段珍しいことではないと思うが、人里から離れ、東の隅っこに引き篭もっている俺からしたら、人の焼ける臭いというのはとんと嗅がないものだった。
奴隷が大量に死んだと言っていたな……
この世界には奴隷制度というものがある。犯罪を犯した人間も奴隷となることがあるが、奴隷のほとんどはエルフやドワーフなどの亜人が占めている。
亜人は人とみなされていないので、その扱いは酷いものだ。
たとえ殺したとしても罪には問われない。人の奴隷だった場合器物損害で捕まることはあるが。
かく言う俺も、こんな辺鄙な村まで来たのは奴隷を買うためで、奴隷制度がどうこういう資格などなかった。
家に半ば缶詰め状態で実験をしていた去年の俺───今もそんな変わってないが───に『半日かけて奴隷を買いに行く』なんて言ったら鼻で笑われ蔑まれるだろう。
しかし、「スェミ種(有翼人種)の奴隷」だと言ったら、ヨダレを垂らして犬のように飛びつくに違いない。友人に教えられてから昨日の今日でここまで来た、まさに今の俺がそうなのだからこれは間違いない。
『スェミの翼』、それは錬金術師となり20年が経過し、あらかたの著名な本を読み漁り、やっとこさ師匠の足元が見えてきたかという俺の前に立ちふさがった壁だ。
師匠の課題の錬金術の中で、ある分野の錬金術をしようとすると、その半数近くがスェミの翼を素材として必要とするのだ。
そのため、俺は必死にスェミの翼について調べた。しかし、スェミの翼について分かったのは一昔前に書かれた本に絵が載っている程度。スェミ種についてはその殆どが奴隷として売られ重労働の末死亡、又は翼をもがれ死亡というものだった。、
そして何より、どういう訳か、スェミ種の翼は混血では生えてこない。奴隷となったスェミ種の人間との混血の子というのはいるにはいるのだが、翼が生えていることは一度もなかった。
どうにかスェミの翼を使わずに出来る方法はないものかと手を尽くしたが、そのような方法は見つからなかった。まるで、世界の理がそう出来ているかのように。
錬金術というのは数学に近い。公式のように覚えてしまえば、簡単なものは素材さえあれば出来る。ただ、それが上位のものになってくると公式をいくつか組み合わせて応用して、というふうになっていくので難しいのである。
スェミの翼はその公式の中で重大な役割を示す。たとえば足すや引く、掛ける割ると言ったものは他のものでも代用できる。2×3も、2+2+2も出てくる結果に違いはない。
しかしスェミの翼だけは別だ。
+や−、×や÷などとは格が違う。言うなればスェミの翼は『=』なのだ。それが無ければ式自体が成り立ちもしない。そのような存在であった。
追い求めていたスェミ種の奴隷がいる、という情報が友人から入ってきたのは昨日、もう太陽が休もうと橙色に代わっていく所だった。
月に一度、わざわざ俺の家まで商品を売りに来てくれる商人の彼女は、軽い調子で「そういえば、あんたの探してるスェミ種らしき奴隷が見つかったよ」と言った。それを聞いた俺はその言葉を音としてしか認識できず、意味が分からずに放心してしまった。
無反応な俺を無視して彼女が食料を卸そうとしだして、頭がようやく意味を飲み込みはじめ、俺は興奮状態で彼女に詰め寄った。
実際、彼女からいつもなら買わないようなものをあれやこれやと買ってしまっていたことからかなり興奮していたことがわかる。そんな訳で、今家には生きていくうえで絶対に使わないだろうというようなガラクタが散乱しているはずだが、つとめて考えないことにする。
「ああ、どうも、よくお越しになりました」
青年に言われた通りに道を行くと、村長の家へとたどり着いた。
頭の毛をすべてどこかに置き忘れてきた村長への挨拶もそこそこに、実は奴隷が欲しいのだと切り出した。もちろん、お近づきの印に、と彼女に言われた通りちょっと高めの宝石類を渡すのも忘れていない。少しやつれた感じの村長が、にっこにこしだしたことからその効果がわかるというものだ。
案内役を付けるという村長の提案を断り、奴隷商人の場所を教えてもらうと、足早にそこに向かった。
外は寒かったが、建物の中に入ると思った以上に暑かったので羽織っていたものを脱ぐ。
奴隷商の中ではツンとした、小動物を飼っている部屋のような臭いがした。懐かしい香りだ。照明があまり機能してなく、全体的に暗い印象を感じる。チカチカとしているものは変えた方がいいと思うが、そんなおせっかい言えるわけもない。
歩いていてわかるが、この村の奴隷商はなかなかに大きい。
なんでこんな辺鄙な村にこのような大きな奴隷商があるのか。その理由の一つとしては、ここは在庫処分も兼ねているからだろう。売れる奴隷───顔のいいものや、筋肉質のもの───は、もちろん大きな町の奴隷商に置いておく。世話している分だけ損だからだ。
しかし、売れない奴隷の場合、大きな町に置いといても無駄だということになる。そういった奴隷はその場で処分されるか、またはこのような辺鄙な村に集められ、最低限度の暮らしをおくり、需要が出たら出荷される。
このような場所での暮らしは酷いもので、最低限度とはいったが、死んでも別にかまわないという前提での最低限度だ。
ヘラヘラと媚び諂うように笑う奴隷商人に、めぼしい亜人奴隷を案内されるが、スェミ種らしきものはいない。
「なんでも、呪われた忌み子の奴隷がいるらしいが?」
スェミ種と言っても通じないだろうから、と商人の彼女から聞いていた名前を出す。種族と言っても、混血によって多種多様な特徴を持っているため、エルフやドワーフなどの有名な種以外は総じて亜人種と呼ばれ、スェミ種と言っても通じないことが多い。
「ええ、ええ、いますとも。ひひっ、お客様もお好きですねぇ」
そう言うと奴隷商人が奥の方の部屋へと案内する。なにがお好きなのかはわからないが、こいつの気味の悪い笑い方は嫌いだと思った。
なぜかその奴隷はほかの奴隷とは少し離れたところにいる様だ。茶色の扉の部屋の前まで案内され、商人が部屋をガチャリと開けると、中には雪のように白い髪を持った少女の死体があった。
いや、扉の音にビクリと身体を揺らしたので生きてはいるのだろう。ただ、その血の気の無い肌色は死体に見えるほど白く、生者ではないようだ。よく見るとその白い肌はところどころ青あざで汚れ、白い髪も汚れで斑になっている。手は後ろ手に縛られているようで、黒い目隠しにボロ雑巾のような布切れ1枚しか身につけていない。
白い肌に白い髪、スェミ種の特徴と一致している、と俺が心の中で歓喜に震えていると、少女は膝立ちでこちらによろよろと近づいてきた。目は見えないはずなので、音だけを頼りにこちらに来ているのだろう。
自分を売り込みに来たのかと思っていると、少女は「どうぞ」とか細い声で言ったあとに、小さな口を開けて真っ赤な舌をべえっと出した。
「ひひっ、どうぞ、使い心地をおためしください」
少女が何をしているのか分からなかったが、その商人の下卑た声で、この子がモノとしてしか扱われていないのだということがわかった。ただ別段怒るようなことでもない。
少女の舌からとろりと唾液が床にこぼれる。よく見ると肌は荒れ、唇はところどころ切れている。
俺は膝立ちになると少女に、「水は飲めるか」と聞いた。
話しかけられると思っていなかったのであろうか、少女は体をびっくりしたように震わせると、コクリと顔を縦に落とした。その拍子にボサボサになった髪の毛がゆっくりと動いた。
俺は腰から水筒を取ると、少女の口に当てた。吸わないと水は出ないようにできているので、一気に流れ込む心配はない。
少女の喉がコクリ、コクリ、と水を飲み込んでいく。
少し経ったところで、水を飲み込むのが終わったのを確認し水筒を口から離す。
少女はありがとうございます、とお礼を述べまたもや口を開けて舌を出した。
潤ったことでより唾液が出始めたのだろう。真っ赤な舌を唾液が伝い、床に黒いシミを作っていく。
そのシミが広がっていくことが、なんだかとても悲しく感じた。
鞄の中から筒を取り出してその中からグミ───グミの実を煮込み、冷やしてできた小指のつめ程度の大きさの栄養食───を一つ出して少女の舌の上に乗せた。
突然乗せられた口の中の異物に驚いた少女はまたもや体を震わせた。それに合わせて、開いたままの少女の口の中からグミは転がっていき、コロリと床に落ちてしまう。舌の上から、与えられた何かが落ちてしまったのを知った少女は、あ、あ、と何かを言おうとしたあと、落ちたものをひろおうとぐいっと前屈みになった。
後ろ手に縛られているのだから当然、手を使えないその身体は床にバタッと倒れ、顔を打った少女からぐっ、と苦しみの声が聞こえる。しかし少女はその痛みを気にするよりも早く、落ちてしまったものを探そうと顔を動かしている。目隠しもされているのだから見つかるはずもない。
「気にしなくていい」
そう俺が言うと少女はやはり体を震わせて、「ごめんなさい、ごめんなさい」と何度も謝ってくる。「気にすることは無い」と再度言って、肩を持ち床に倒れてしまった少女を起こしてやる。
その俺の手は震えていた。
声も震えていたかもしれない。
もちろん悲しみだとか怒りだとかそんなチンケなものからじゃない。
……『翼』だ。
少女が倒れた際に見えた背中には、左側だけだが、翼が生えていた。
……翼!翼だ!!
俺がずっと求めていたもの!!我が錬金術の完成が!!!!!
あぁ、なんてことだ!!!!
間違いない!!スェミ種だ!!!!!
元気のつく食べ物だ、と言って今度は落ちないようにまたグミを口に含ませる。すぐ飲み込まずに、口で転がして噛むといいと少女に忠告した後、奴隷商人の方に振り返る。
「ひひっ、いかがでしょうか?」
「いくらだ」
「はい?」
「この子を買おう」
好奇心と探求心が、ごうごうと燃える脳に注ぎ足されていくのを感じた。