参話 部活見学
平常授業が始まり、クラス内の生徒同士が少しずつ打ち解けてきたであろう頃、葵は特に問題も無く学生生活を送っていた。
先の狼の件から、葵は念のために毎晩、時間と場所を変えながら町のあらゆるところを巡回していた。だけどアレ以降、特に変わった様子も影一つも見つけることはない。
出ないなら出ないでそれは良いことではあるのだが、まだ完全に終わったとは思えないのでまだ油断できない。
範囲を広げるにしても単にこちらが疲れるだけの可能性もある上、下手に動き回るのはこちらにも消耗以外の問題が出る場合もある。出来れば何かが起こる前に解決しておきたい所であるが、正体が掴めていない以上、今は後手に回るのが正解だと思われる。
「では次の問題を……烏真さん、お願いできますか?」
「…はい」
先の件が気になって次の手を考えていようと今は授業中である。裏のことは今は置いておいて葵は意識を授業に戻すことにした。別に意識が向いていた為にその間の授業内容を聞いていなかった葵であるが、その動きに戸惑いは無かった。
葵は黒板に書かれた計算式に迷うことなく答えを書いていく。さらさらと書いているが一問二問の数ではない。この担当のよくある手である。以前も教科書とは関係なく抜き打ちで問題を幾つか書いて気紛れで当てた生徒に全て解かせていたりしたのだ。ちなみに間違えても別に構わないらしい。
「はい。正解です」
答えを合わせて先生はそう言った。すると、先生は葵に手を出すように指示し、それに従って手を出すと何処から出したか分からない小さな袋をその手の上に置いた。全部正解すると御菓子をくれるらしい。
なお、御菓子を渡したものの授業中に食べると一応は注意する。其れが目に見えている為、葵は見られながらも後迄置いておくことにした。
その後の授業も特に変わったことはなく、平穏に本日の授業内容は全て終わった。
妖も関係のない平和な学園生活の一コマ。
何の問題もない。ただ変わったことを強いて挙げるとするならばあの担任だろう。此れからの日常に含まれるから一々触れる事でも無いが、二兎が自由過ぎた。
担当ではない授業の最中に、時間が空いているからと入ってきて寝始めたり、全ての授業が終わった後に行われるHRで遅れてきたりと。都合がいい性格をしているからの前に、職務怠慢が過ぎる。前半の部分は怠慢ではなくて妨害に該当しても不思議では無い。
もしもの場合が起こっても気にしないだろうが、逆にしれっと関わってくる可能性すら感じさせた。
そして現在は当のHRの最中であったりする。
「……zzZ」
二兎は相変わらず寝付きが宜しい。
「先生ー、起きて下さーい。帰りたいんですけどー」
生徒の一人が起こそうとしても相変わらず起きない。だけど、その代わりというのか、寝ながらではあるが、ゆっくりと腕を上げて手を振っていた。"さようなら"という意味のつもりなのだろうか。そうならば随分と器用なものである。本当に寝ているのだろうかと疑問を持つ程に。
その手を振る動作を解散の合図と取った生徒たちは各自動き始めた。帰る為にすぐさま教室を出て行く者も居れば、教室に残ってまだ友達と話している者、何か用があるのか帰るとは別で何処かへ行く者など様々。教師としての報告も一切無かったが皆お構いなしである。今更有ってももう遅いが。
特に残る用もない葵も、何かお知らせ的なものがないか確認してから帰ろうと席を立つと、前方から紫乃がやってきた。
「烏真さん、もう帰るのですか?」
「ええ。特に用も無いので」
「じゃあ、一緒に部活を見て回りませんか?」
そう誘う紫乃の手には何枚かの紙があった。
この学園にも当然ながら部活動は存在する。その証拠に入学してからまだ少ししか日が経っていないにも関わらず、頻りに勧誘をする部活が存在する。現に部活の勧誘は葵も何度か受けているのでそういうチラシは数枚持っていた。
葵としては、勧誘されたところで裏の事情等も有り関わるつもりは無かった。
「良いですよ」
葵は提案を承諾して、紫乃と共に部活見学に行こうと歩き出した。
関わるつもりは無かったが、紫乃に誘われれば断らない葵であった。この場合、人付き合いの一環として承諾したという事もあるだろうが、断れば紫乃を一人で行かせるという心配事に発展するからという部分が大きいだろう。方向感覚に関しては変な意味で信用されている紫乃であった。
部活見学の為教室から出て行く葵たち。そんな葵たちを教室の中から見ていた者が居た。
「鹿賀、帰ろうぜ」
「お、おう」
「どうした?」
「いや、何でもない」
そう言って鹿賀 古太郎は教室を出て行った。
「それで、どの部活に用があるの?」
学園の規模や人数から考えれば予想出来るように、此処にはかなりの数の部活が存在する。それも運動系、文化系、と分けた上でだ。"そんなに数があって部活の場所は足りるのか?"や"全部把握しているのか?"などの疑問はあるが、入学間もない一年がその答えを知る筈は無い。
なお、部活を掛け持てないこともないという話もある為、重複している生徒も居るのだろう。其れならば部活の所属人数自体は揃えられるのだろう。
紫乃は自分の手にあるチラシを見た。何処から行くのかは決めていなかったらしい。紫乃の持っている部活のチラシは七枚。勧誘した側も察したのかチラシはどれも文化部のものであった。
其れに対して葵が持っているチラシは三枚。その殆どは貰ったというより持たされたものであったりする。勧誘を受けた事自体はチラシの数どころでは無いが、そもそも部活に入ることを考えていなかった事もあり大抵は軽く流していた。今持っているチラシはそれでもグイグイ来て受け取る羽目になったものである。
「そうですね、まずは知り合いの居るところから…」
そう言ってまず向かったのは家庭科室だった。製菓部らしい。なお此処まで来るのにも何度か迷いかけたのを修正した。
「あ、いらっしゃい」
家庭科室の扉を開くと丁度道具を持って移動していた一人の生徒に出迎えられた。紫乃との話し方からしてこの生徒が先程言った知り合いのようである。
時に、家庭科室の中はというとまだあまり生徒は来ていなかった。先程下校になったばかりだからそれも当然と言えば当然だろう。恐らく見学の話を通していてその準備の為にこの生徒が早くに来たと言うところか。
「お菓子あるけど食べてく?」
製菓部なのだからお菓子があるのは珍しくないのではなかろうか。
誘いを断ることも無く二人は木椅子に座る。そして出されたお菓子を食べながら暫しの雑談へ。
「部活入る気になったの?―――」
「いえ、それはまだで―――」
会話をしているのは主に紫乃であり其れを聞きながら葵は御菓子を食べる。
葵が齧ったのはクッキー。サクッとした食感と共にほんのりとした甘みがあった。このクッキーは製菓部で作った物かと思われたが、近くに持ち込んだと思われる袋が存在した。思いっきり市販のものだった。
会話で出てきた話であるが、家庭科室は他の部活も使うらしく、それ故に他との掛け合いが有って製菓部はまだ本日を入れて二回しか活動していないようである。まだ始めなこともあって活動と呼べることもしていないという。
余談であるが、此処で活動をする部活は料理部や郷土料理研究会などもあるようだ。家庭科室は料理の授業以外でも使われるように他にも用途があるが、その手の部活は別の家庭科室に割り振られている。家庭科室も複数存在するのだ此の学園は。
部活というよりお茶会とでも言うような会話が進む中、入口の扉から小さな音が鳴る。
ガチャッ
「あれ、もう居た。
というか誰それ?入部者?」
雑談をしていると生徒が一人入って来た。その後ろにももう一人見える。きっと彼女以外の製菓部員なのだろう。
「体験入部みたいなものですよー」
「ふーん。…お菓子あるけど食べる?」
そう言いながら一つのお菓子袋を取り出した。同じ部活だからなのか誘い方が似ていた。部活内で流行っているのだろうか。
そうして時間が経てば徐々に部員が室内に集まってくる。部員が集まれば徐々に本来の在り方へと動き始め、気付けば部活動が始まろうとしてた。決して食べて喋るだけの部活ではありません。
出ていたお菓子の袋等は片付けられ、お菓子を早速作り始める…のではなく、その前に今日作る物を決めるようである。目的を決める事は大事だが既に幾つか素材を出しているのは謎である。目的次第では材料も変わってくるだろうと葵は薄ら思っていると、其れを知ってか知らずか、女生徒が言った。
「材料はある程度、買い置きがあるんだよ」
既に備蓄を有しているからこそ無茶ぶりでもある程度対応出来るという感じなのだろう。材料のことをあまり気にしなくていい環境とは太っ腹と言うべきか豪快と言うべきか…。
「今日から本格的に調理を始めていきますが…何を作ればいいのかな? 始めだから簡単なものの方が良いよね…?」
「先生、提案でーす!」
「誰が先生だ!どう見ても部長だ!」
前に出て進行をしているかと思えば部長であった。どう見ても制服なので先生では無いのは一目で分かるが。言っている側も分かっていてやっているのだろう。部長の方は不慣れな様子からして部長になったばかりというところだろう。部員に愛されてはいるようだが。
「先生、提案でーす」
部長と分かっていながら同じ言葉で通す気らしい。伝統芸のような雰囲気さえ感じさせる。
「先生…ホットケーキが…食べたいです!!」
「そんなバスケがしたいです!みたいな言い方しなくてもいいから!ホットケーキにしますから!」
そんな小ネタがありながらも今回のメニューはホットケーキに決まったらしい。ちなみに先程の発言は小ボケであって鬼気迫る程欲していた訳では無いのは見れば分かる。ただ食べたかっただけだとか。
作る物が決まった為、部長が黒板に粗方の基本的な材料を書いていく。棚に仕舞われていたレシピでも書かれているのだろうノートを見ながらだったり、部員の言ったことだったりが書きこまれていく。そして書き込みが終わると、皆が席を立って入り口とは別の扉を開けて中から自分が必要な材料を取ってくる。その後に必要であろう道具も揃えられる。
班に分けて作るのかと思いきや人数的な問題なのかそれぞれ個人の分を作るようである。…だからなのか、材料の段階で基本的なものは押さえながらもそれぞれ少々個性が見え隠れしていた。
部員では無い為ただその光景を見ていた葵たちだったが、席を立つタイミングを見失っていたが故に周囲の流れに呑まれて葵たちもホットケーキ作りをすることになっていた。文字通り体験入部状態である。
「配分これでいいかな?」
「少し粉っぽくない?」
「え、生地にジャムを入れるのですか!?」
「そうだけど? 生地に練り込まれてたりするのよくあるでしょ?」
「寿さん、それじゃなくてこっち」
それぞれの場所で自由に取り掛かり始めている。葵も作るような流れだったけれど流石に遠慮して紫乃の補佐に回っていた。そちらの方が心配であった。
「そういえばさぁ、ホットケーキとパンケーキの違いって何なんだろうね?」
「違いかぁ…。この前聞いた話だと、食事系かデザート系かって言ってたなぁ。甘さの程度だとか、一緒に何を食べるかとか」
「へぇー」
「後は厚みかなぁ」
似たような形状でも色々あるのだと製菓部らしい会話である。そんな会話などが浮かびながら手を止めている訳ではなく順調に工程は進んでいき、速い者は火を点火してはフライパンに生地を垂らし始めていた。
「お皿何処にあったっけ?」
「向こうの棚に無い?」
「あ、あったあった」
生地を焼く人も増えて、部屋の中には生地を焼く音とほんのりと甘い香りが広がる。
「烏真さん、メープルシロップと苺ジャム、どちらがいいですか?」
紫乃が弱火で生地が焼けるのを待つ間に二つの容器を持って問いかけた。どうやら葵の分も焼くつもりのようである。その意図を読みつつ葵がシロップを選ぶと紫乃は二つを置いてから焼いている生地の様子を確認した。それからジャムを返しに行った。
葵が必要以上に心配していた割には、紫乃の手際は意外とまともであった。部員に比べれば砂糖と塩を間違える様な古典的なミスが有ったりもあるが、それ以外は割と安定していた。方向音痴の件でそういう風に思い込んでしまっていた事もあり心配し過ぎていたようだった。よくよく考えればこの手に方向音痴は全く関係ないのに。
部屋の中に焼ける音が流れている間にも皆の手は進み、部員の殆どが焼けた生地を食器に載せて盛り付けに移っていた。絵に描いたように重ねたホットケーキにシロップやジャムをかける者も居れば、かけるソースすら自作しようと何かをかき混ぜているような拘る者もいた。かけない代わりに既に生地に混ぜられていて色が違うものもあって、本当にホットケーキ一つで個性が出ていた。
「はい。これは烏真さんの分です」
「ありがとう」
葵の前に出されたのは二枚のホットケーキを重ねて、その上に小さくバターを乗せてシロップを掛けたお手本のような見た目の品。その隣に置かれた紫乃の分も同じトッピングだった。
「あれ? 誰か此処に置いてあったチョコチップ知らない? 使おうと思ったんだけど」
「あ、それならさっき使っちゃいました」
「ちょっ!?」
実に平和な揉め事である。
皆が完成した後は、それを食べながらのちょっとしたお茶会となった。