表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
この作品には 〔ガールズラブ要素〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

ともし火と翼

作者: park_1254

「…また、不合格、かあ…」

 試験会場であるダグラス城砦跡から出てきたわたしは、すまなそうに笑う試験官に見送られながらため息をついた。

 術師としての才覚に見切りを付けて、いわゆる冒険家(クローラー)として生きていこうと決めた矢先の壁だった。体力試験があったのだ。

 D級以上の遺跡に入るにはこの試験をパスしなければならない。これができなければ、いつまでも子供のお遣いじみた依頼で日々を食い繋ぐことになる。

「はあ~ぁ……」

 しかしわたしの場合、それが生々しい現実になりつつあった。子供と殆ど遜色ないわたしの体躯では、戦闘に傷つき倒れた仲間(という想定の試験官)を引きずって安全な場所まで運ぶことができないのだ。

 術師であればこの項目は免除されるが、そうなると今度は攻撃ないし治癒の魔術が使えることを試験官に証明しなければならない。わたしはここでも引っかかってしまう。

 魔力をうまく変換することができないわたしは、基本の攻撃魔術のいずれも放つことができない。唯一変換できる魔術は、相手を直接に攻撃したり治療に役立てることができない。

 できないできない尽くしのわたしはほとほと気が滅入って、慰めに崖の近くまで歩いていった。

 山脈の関所を兼ねた城砦からは、街がきれいに見下ろせた。初めて試験を受けに来た時からここはわたしのお気に入りで、幾度となく落ち込むわたしを励ましてくれる。はぁ。

 お財布の中はまだそれなりに蓄えがあるけど、先を考えたら不安しかない。街へ下りたらまた依頼を受けなくちゃ…。

 少し目を凝らせば悠然と空を舞うハーピィたちが見える。今年もハーピィレースは盛大に行われるのだろう。

 一番に王の元へたどり着いた翼には、栄誉の証と褒賞金が与えられる。ただの人間であるわたしには元より関係のない話だけど、自由に空を飛ぶことができてさらには褒賞まであるなんて。羨ましいことこの上ない。

 ああ本格的に気分が落ち込んできた…。

「…ん?」

 膝に顔を埋めていたわたしの耳に、木々の揺らぎとかすかな声が届いた。山の上の方だ。

 苛立つ女の子の声と、あざ笑うような若い男の声が降ってくる。待て、とか返せ、とか女の子が言うのも聞こえてきた。

「こんなもんにいつまでもすがんなよ!」

「うるさいっ!!」

 バザッと林を抜け出たのは灰色のハーピィだった。次いで明るい茶色のハーピィが追って…、飛びきれずに着地した。膝に手を付いて息を切らしてる。

「はあ、はあっ……」

「5年も前のもんなんだろ?」

 滞空した灰色ハーピィの背中が何かを掲げている。

「いいから返してっ…!」

 声音には疲労と、苛立ちと、悔しさが滲んでいた。この感じはわたしにも覚えがある。

 嫌な記憶。

(返して……!)

(あははは、ちーび…)

 遠い日の宝物は奪われてそれっきりだ。あの子の宝物は…?

「もう忘れちまえよ!」

「っ!」

 息をのむ女の子と後ろ手に投げた灰色。キン、キンと地を這う何かが崖に向かって――

「このっ!!」

 わたしの両手が捕まえた。

「やった!」

 女の子の声。

 手の中のそれは丸い茶色で、薄くて、長いリボンが……?

「うぐっ!! わああっ…!!!」

 グンと引っ張られて足がぶらつく。地面が、崖が、林がどんどん足から離れてく。

 高い…! わたしの体が浮いている!

「暴れんなよ落としちまうぞ!!」

 汚い声が降ってくる。灰色だ。灰色の腕がわたしの襟を掴んでるんだ。

 もう足元には何もない。山からも離れて、ずーっと下に小さく林と街道があるだけだ。

 落ちたら死ぬ…!!

「なあ今のやつ捨ててくれや! 落っこちたくねえだろ!? な!?」

 ……ああ、もういい。もういいや。

 なにかが吹っ切れたわたしはリボンを巻いて服のポケットにしっかりしまうと、両手を伸ばして

灰色の顔に突き出した。

(極超短時、最大光量、白9発――!)

 強く目を閉じて、全身の魔力を手先に込める。

(くらえ!!)

――パパパ! パパパ! パパパンッ!!

「うわああアアアアアア!!!!!」

 翼が乱れ、ぐらぐら体が揺さぶられる。あたりまえだ、目の前で太陽みたいな瞬きをさせたのだ。わずかな間、灰色の両目は使い物にならない。いい気味だ。

 頭を振って体をよじる。ぐるん、ぐるん、ぐるん――

「おいダメだやめろ、危なっ…!!」

 ふっと手が離れた。

 体が落ちる!!

 風の音が耳を叩く。閉じたまぶたにグルグルの色が意識をかき回す。天地が目まぐるしく混ざり合ってもう分からない。

 もみくちゃに落ちていくわたしは、それでも引きつった笑みを無理矢理浮かべてやった。

 おしまい、ざまみろ、さよならだ――



 ドンっ!!!

「ぐぶっ!!!!」

「つかまえた!!!!」

 女の子の声。

 体がぎゅっと縮んで息が詰まる。体に一瞬すごい重みが掛かって、頭が投げ出され――なかった。

 何かがわたしの背中と後ろ首に強く巻き付いている。これは腕?

「だいじょうぶ!?」

 おでこの上から聞こえてくる、女の子の声。嘘みたい、わたし、生きて――

 息ができない!!

「ンー!!」

「あっ暴れないで!!」

 なにこれ!? むにむにした弾力のあるなにかがわたしの顔に押し付けられてる!

「ンンー!!!」

 えっホントなにこれ!!? 右を見ても左を見てもむにむにが顔から離れない! ていうか乗ってる!! 顔に乗ってる!!

「ちょっとっ…!」

 死ぬ!!!!

「ぶはぁっ!!!」

 死ぬかと思った!!! 思い切りのけぞったわたしはようやく息ができた。

「ああ、そっか苦しかったんだ? ごめんね」

 ぐぐっと体がずり上がる。ちょうど女の子の肩にしがみつく格好になったわたしは、やっと自分が今いる高さを把握することができた。

 すぐ下に樹木の先端がある。あんなに小さく見えていた林の真上だ。あと少し遅かったら、間違いなくわたしは木々に串刺しにされていた。

「これでいい?」

「あ…う、うん」

 本当に死ぬところだったんだ。

 今になってそれが実感として指先をちりちりさせた。

「よし昇るよ! 掴まって!」

「え? 登る?? わあっ!!!」

 また体にずしりときて、みるみる足元の木々が小さくなる。

「んんん……!!」

 大きな円の軌道をとって女の子は羽ばたいた。わたしを抱き締める女の子の体が、たちまち熱を

帯びていく。反対にわたしの背中は風を受けて、どんどん冷えていく。

 時々針路を変えながら、あっという間に高度を上げる。自分の肩越しに見えたあの影が、わたしを掴んだ灰色のハーピィだと分かった。

「すごい…!!」

 もうこんな高さにまで。なんて速さなんだろう。

「マディィイッ!! 覚悟しろ!!」

 言いながら灰色を追い抜いて、見下ろしたハーピィの頭上で足の鉤爪を開く。

「ま、待ってくれ目が…」

「うるさい!!」

 今まさに急降下――というところで、

「やめえええぇぇいっ!!!」

 よく通る老齢の声が制止した。

「い"っ、族長…」



「こんの大バカ者めがぁっ!!」

 ゴスッと鈍い音がした。

「ブヘェッ…」

 灰色のハーピィがうめく。はた目に見ても痛そうだ。

 族長と呼ばれた老境のハーピィに案内されたツリーハウスで、私は他のふたりと同じように縮こまって話を聞いていた。怒られているのがわたしではないものだから、なお居心地が悪い。

「自分が何をしたのかわかっとるのか!!」

 ガスッ。

「オゴォッ…」

 族長が握る杖は手元に近いほどゴツゴツしていて、しかも頑丈にする加工なのかテカテカに光っててすごく固そう。それが目にも止まらぬ速さで振られるものだから、すっごい痛そう。

「翼を持たぬ者を空へ連れ出して、あまつさえ落とすとは!!!」

 ボゴッ。

「ギヘェッ…」

 痛そう…。

「お前もじゃルーダス!」

「ひゃっ」

 呼ばれた女の子がびくっとした。

「落とされたこのお方を抱きとめて、命を救って差し上げたことはこの上なく素晴らしいことじゃ。それにはまったく何も言うことはない。いくら褒めても褒め足りんくらいじゃ」

 老いたハーピィは少し語気を弱めた。まるで生徒を諭す先生のようだ。

「じゃがの! なーんで抱えたまま空に上がっちゃうんじゃ!!」

 ポコッ。

「あいてっ…」

 痛…そう?

「せっかく助けて差し上げたこのお方に万が一のことがあっては悔やんでも悔やみきれんぞ!」

「…ごめんなさい…」

「あ、あのぉ…」

 びくびくしながら声を出すと、族長はそれまでと打って変わった人の良い笑みを浮かべて、

「いかがなされましたかな?」

 と答えた。なお怖い。

「そ、その灰色の人はわたしを落としたんじゃなくて…。やけくそ起こしたわたしが自分から落ちたのでして、その…。あんまりふたりを怒らないでいただければ…」

 ほんのわずかな時間、虚をつかれたような間があいた。

 ビュッ!

 ベキッ。

「ウグゥッ…」

 うわ痛そう…。

「見ろ、見ろ! このお方の海よりも深い慈悲の御心を! お前の心にはこの万分の一でも人を思いやる気持ちがあったのか!?」

 余計に怒らせてしまった。

「ルーダスとの話は取り止めじゃ! お前が所帯を持つなど10年早い!」

 そしてわたしに向き直ると深々と頭を下げる。

「お心遣いまことに痛み入ります。しかしながらこやつに対しては、厳正に処罰をさせていただきます。『飛ぶ意思を持たぬ者を空へ連れ出してはならない』という我らの掟を、著しく乱す行為でございますゆえ…」

 ちらと女の子…ルーダスと呼んだ茶色のハーピィに目をやって、

「より厳密に言えば、そやつも掟を破ったことになりえるのですが…。貴方様の意思を尊重して、

そやつに関しては不問といたしましょう。此度は大変に、ご迷惑をおかけしました…」

 もう一度深々と頭を下げると、

「ホレ来い! お前の親にも事を説明せねばならん!!」

「ヒィ…」

 灰色の首根っこを掴んで引きずっていった。



「はあ~ぁ…」

 日は沈みかけ、赤い夕焼けの上にはかすかに星がきらめいている。わたしたちは――わたしと、ルーダスと呼ばれていた女の子は――そろってため息をついた。

 ツリーハウスのすぐ近く、不揃いの箱やテーブルが雑多に置かれた広い場所。おそらく始めは単なる空き地だったのだろうが、今はハーピィたちが適当な箱を椅子にして、思い思いの交流を深める奇妙な憩いの場となっていた。わたしたちもならって箱に腰掛けている。

「あ…、あの、ありがとう。族長からかばってくれて」

「えっ!? あ、ううん、そんな、わたしこそ命を助けてくれて、その、ありがと…」

「…」

「…」

 ぎこちなく言葉を交わすけど、会話が続かない。色々びっくりなことがありすぎて、頭がうまく働いてない気がする。あんな高いところなんて…しかもそこから落ちたことなんて、あたりまえだけど初めてのことだ。

 ただケンカを見てただけなのに、こんなことになるなんて……あ、違った見てただけじゃなかった。

「あの…。これ、返すね」

 ポケットにしまったレンガ色のそれを差し出す。落ち着いた今ならわかる、これはハーピィレースのブロンズメダルだ。

「あ…」

 女の子はなぜか少しだけためらってからメダルを両手で受け取ると、大切そうに胸に抱いた。

「すごいね。3位のメダルなんでしょ?」

「す…。…すごいでしょ? わたしが持ってる、唯一のメダルなの!」

 女の子は得意げに笑って見せた。一瞬だけ泣きそうな顔が見えた気がしたけど。

「このときは天気が大荒れで、わたしがオーキュペテでいちばんの成績だったんだ!」

「オ、オーキュ…?」

 困惑顔のわたしに女の子が腕を広げてみせる。

「腕が翼になってるのがアェロ、わたしたちがオーキュペテ」

「別名、『郵便配達要員』さ」

「わっ!」

 びっくりした。にゅっと顔を出した男性のハーピィが会話に割り込む。

「触ると熱いぜ」

 何かと思ったら、今しがたテーブルに置いたランタンのことを言ってるようだった。

「うっさいな!」

 女の子はこぶしを振って怒っている。

「懲りないねぇ。配達仕事も悪いもんじゃねえぞ?」

 言いながら、配達物を入れるであろう大きな布袋を肩にかけると、ちょっと手を上げて離れていった。

「ふん…」

 女の子はふてくされた顔をしながらも、同じように手を上げて答えた。たぶん、ふたりは気心の

知れた友達なのだろう。

「…配達も大事な仕事だって、それはわかってるよ。でもあんなのつまんない。荷物は重いし、お金だってあんまり稼げない。…レースで勝てれば、みんなの暮らしだってもっと楽になる…」

 女の子の声には、嘘いつわりのない思いがこもっていた。

 特定の種族や少数の部落などは、そのグループ全体がひとつのギルドのように機能すると聞いたことがある。ここもきっとそうなのだろう。みんなで働き、みんなで分け合い、みんなで生きる…。

「族長はわたしに、ほかの集落との橋渡しになってほしい…ってお見合いの話を持ってきたけど、

今日のでたぶんなくなったと思う。だからレースしかないの。…このときみたいに天気が荒れたら、わたしにもやれるかも…」

 メダルを見つめてそう呟いた女の子は、太陽みたいに笑って見せた。それが無理に作ったものだと、気づきたくなかった。

「わたしね、気流をいなすのが上手いの。強い風とか、嵐の中だって飛べるんだよ!」

「だから なーおさら配達向きでしょー?」

「わぅっ!」

 またびっくり。ひょっこり現れたハーピィのおねえさんが、からかうように口をはさんだ。

「仕事にだってじゅーぶん生かせるのにさぁ、この子ってばレースレースってもーう…」

 ぐしゃぐしゃと髪をかき撫でる手は、羨ましいほど思いやりに満ちていた。

「ううう…うっしゃい!」

 あはは、と笑ったおねえさんは小さな包みのキャンディをわたしたちの手に置くと、ひらりと指をなびかせて行ってしまった。

 女の子はふくれていたけれど、おねえさんが見えなくなるとその勢いも消えて、伏し目がちに小さくささやいた。

「…本当は、わかってるの」

 手の中のキャンディを見るともなしに、女の子は続ける。

「始まる前に嵐になったら、レースは中止になっちゃう。…わたしが勝てるのは、レースが始まってから天気が悪くなったときだけ…。そんなこと、そうそうないって わかってる…」

 でも…と、包みを握る女の子の体は、とても小さく見えた。

「でも、もしかしたら…。なにかが、うまくいったら…。勝てたりしないかなって…思ってたけど…。…もう、もうわたし……」

 女の子の翼が震えている。それがどういう心境を表しているのか、想像するまでもない。

 どうにかしなきゃと焦るわたしはテーブルを見渡すけど、手元には貰ったキャンデイと頼りない灯りのランタンしか見つけられなかった。

「あ、の…」

 言葉が出てこない。気がつくと周りはだいぶ暗くなってきていた。共用ランタンの油はほとんど

切れかけていて、小さな炎は今にも…――ああ、消えてしまった。

 火を見送った女の子は弔うようにゆっくりと目を閉じて、うつむくさなかに一筋の涙が落ちた。

「で、…でも! あの…。わ、わたしからしたら、好きなように空を飛べるって、その、それだけでも、すごい……、こと……で…」

 暗がりに言葉が消えていく。わたしは何を言ってるんだろう? この子が元気になれる言葉は、きっとこんなことじゃない…。

「…」

 言葉を探し当てられなかったわたしは、差し出した両手の平に魔力を込めた。

 ふわ、と女の子の顔が浮かび上がる。ランタンの代わりにろうそく程度の光を3つ、周回軌道で作ってみせた。

「あ…」

 顔を上げた女の子は目元の涙を邪魔そうに拭うと、手の中でゆっくりと巡る灯かりにそっと微笑んだ。

「…きれい」

 よかった。少しずるい手段ではあるけれど、この子の気を逸らすことはできたみたい。

「これ、魔術? マディにやったパパーンってやつもそうなの?」

「そうだよ」

 さっきの涙などなかったことみたいだ。あえて気にしないのが礼儀というものだろう。

「すっごいね…、ヒューマンの魔術なんて初めて見た。なんでもできちゃうんだね」

 なんでも。そう言われたわたしの胸が、きゅっと痛くなる。

「それは……。それは、ちがうよ。ちがうの…」

「?」

 不思議そうに女の子はわたしを見る。隠さずに心の内を見せてくれたこの子に、浅ましい取り繕いはしたくなかった。

「わたしは…、これしかできないの。光を作り出すだけ…。他のは、基礎魔術もろくにできない…」

 鼻の奥がつんと痛くなる。灰色に行った魔術も、持続時間を犠牲にして光を強くしただけ。全力で唱えた魔術も、目くらましがいいところだ。

「だから魔術学校も落第して…。諦めて、冒険家(クローラー)になろうとしたけど、それもだめで…」

 閉じた目に、別れの最後までわたしを慰めてくれた友達が浮かぶ。マリー。ロゼ。今どうしているだろう。

「おとうさんたちは帰って来いって…言うけど……、わたし……」

 帰ってどうなるんだろう。きれいな服をあてがわれて、知らない人の下へ嫁いで、子供を作って育てて死ぬのか。そんなの……、そんなの、嫌だ。

「あっ、ああの、なか、泣かないで…」

「泣いてないよっ…」

「あ、う、うんえっと、あのわたし、えっと…、き! 聞きたいことがあるんだけど!」

「うん。……なあに」

 しどろもどろに話を変えようとしている。余計な気を遣わせてしまったわたしは、目をつぶって懸命に涙を引っこめた。

「あの…、えっと、ああの、えぇ~っと…、あっ! こ、この魔術のことなんだけど!」

「うん」

 やっと少し気が落ち着いてきた。わたしは何を聞かれてもいいように、隠れて深呼吸する。

「こ、この光の球って、どのくらい作れるのっ?」

「…どのくらい。……どのくらい、かぁ。えっとねぇ…」

 難しいことを聞かれてしまった。目を開けたわたしは、ちょっと空を見て考える。

「…いつでも自由に動かせるものなら、ふたつが限界かなぁ…。それ以上あっても、わたしが動かしきれないから…」

 答えながら女の子の顔を見たら、丸い目をぱちくりさせていた。

 あれ、わかりにくい説明しちゃったな…というか、これでは回答になってなかった。

「え、えっとね、ぐるぐる回り続けたり、行ったり来たりをずーっと繰り返すようなやつは、たぶん20個か30個くらいだと思う…」

「…繰り返さないなら?」

「えっ? うーん…」

 そんなこと初めて聞かれた。

「…決めた位置から、まっすぐ動くだけとか…、逆に、決めた位置まで行って止まるようなやつなら…。たぶん80か90個…」

「…ねえ。ねえじゃあさ!」

 ぐいと女の子の顔が近づく。どうして急に元気になったんだろう。

「いちばん簡単なやつなら? どのくらい!?」

「か、簡単…。そうだね…」

 きれいな目にまっすぐ見られて、わたしは急に恥ずかしくなった。どうしてだろう、この子の顔が見れない。

「卵くらいの大きさで…、種を…撒くみたいな軌道なら…」

 女の子が身を乗り出している。

「…に さんびゃく?」

「ねえ!! わたし!!!」

 がしっと肩を掴まれた。目の前に眩しい笑顔がはじけている。

「いいこと思いついた!!!」

「え? え?」

「来て!!」

 ぐいぐい腕を引っぱられる。女の子につられて小走りになった私は、キャンディが置き去りなことに気がついて振り返った。

「…?」

 遠ざかる広場にいる大人のハーピィたちが、みな安心したような眼差しをしていた。



 夕日は沈みきっていた。地平線の少し上が、ほんの少しだけ紫に焼けている。

「よおし、準備オッケー!」

 住処から配達用の肩下げ袋を持ってきた女の子は、山の斜面に向き直ってにんまりした。

「じゃあこっち来てー」

「あ、うん…」

 そう、これから肩下げ袋で運ばれるのは、新聞や書物ではなくわたしなのだ。

 もう暗いけど大丈夫なのとたずねたら、よく言われるけどハーピィは鳥目じゃないのって教えてくれた。そうなんだ。

 布袋にすっぽり入ったわたしは、自然と女の子と向き合う形になるんだけど…。

「おおぅ…」

 背の低いわたしの眼前に、巻きつけただけの簡素な布を盛大に押し上げているふたつのふくらみが現れた。

 すごい。

 こんなおみごとなやつに顔を塞がれてたんだ…。そりゃ息もできなくなるよね。

 知らなかった…。人っておっぱいで死にかけるんだね…。

「どうしたの?」

「あっううんなんでもないんです!」

「ふぅん…? じゃあ、しっかりくっついて」

「あ、はい…」

 近づく女の子の首に手を回して、肩にあごが乗る。広げた足は、ちょうど女の子のわき腹辺りにはまり込んだ。

 女の子が肩下げ袋の持ち手を短く結んでいる。そうすれば、強くしがみつかなくても女の子と袋の間から転落することはほぼなくなる。すごい密着することになるけどべつにはずかしくなんかうわわわぁ。わたしの胸のあたりでとてもやわらかいものが形を変えてるのがつぶさにわかるけどなんでもありません。

 …わたし、さっきからなんか変だよね…?

「よし、できました! …じゃあ、いきます!」

 女の子が勇ましく宣言する。わたしも気を取り直して声を出す。

「はい! おねがいします!」

 翼を広げた女の子は坂道を駆け出した。たったっと地面を蹴る振動が、布袋のわたしの背に伝わる。ふいに振動がなくなって、滑るように女の子は飛び立った。

 こうやって飛び出すんだ…。耳に風の音がまとわりついた。

「じゃあ、昇るね!」

「うん!」

 昼のときよりもゆったりと、女の子は上昇した。翼をはためかせる事もないのに、少しずつ高度が上がっていく。ときどきすれ違うハーピィたちに手を振りながら昇っていって、わたしが少し寒く感じるぐらいの高さで滞空した。

「このへんかな!」

 言われたわたしは袋のすき間から腕を出す。今度はわたしの番だから。

「よおし…。それじゃあ、いきます!!」

「うん! おねがいします!!」

 女の子の声はわくわくしている。

 両手にありったけの魔力を込めて、

「んんっ…!」

 振り払うように解き放つ!

「ひゃっ…」

 視界が一瞬真っ白になる。光はすぐに拡散して、たくさんの光球が夜空に振りまかれた。

「…うわーーーーあぁ……!!」

 女の子が夢中になって声を上げる。上下、左右、前後にちりばめられた、赤白緑や橙の光。遠くに近くに瞬きながら、輝いているそれはまるで――

「星のなかを飛んでるみたいだ!!」

 嬉しそうに叫んだ女の子が羽ばたいた。わたしたちの目に、光が流れていく。

「わたし、星に向けて飛んだこともあるんだ! 昇っても昇っても届かなかったのに、今はこんなに近くにあるの!! すごいよ!!」

 楽しそうに飛ぶ女の子の言葉が嬉しくて、わたしはもう一度、思いっきり光を振りまいた。もっと大きく、もっと遠くまで、この星空を…!!

「すごいなあ…、魔術って、すごいなあ…!!」

 魅入られたように繰り返す女の子に、わたしはむくむくと悪戯心がわいてきた。

 女の子の視界をかすめるように、強めの白い光を一筋投げる。

「あっ! 流れ星!!」

 ぐんと翼が加速する。

「待て待て待てーっ!」

 風をかき分けながら、差を縮めながら、伸ばした手が光にあと少しで届く…というところで持続時間が切れてしまった。

「ああーっ、消えちゃったぁ…」

 残念そうに減速する女の子の頬に、わたしは頭を当てて合図する。

「あれ見て!」

「えっ?」

 8個の赤い光で、ゆっくりと閉じていく輪を3つ作ってみせた。

「…よおし!!」

 意図をとらえた女の子は勇ましく羽ばたいて、吊られたわたしをぐんぐん引っ張った。

「いち!」

 正面の輪。

「にぃ!」

 左の輪。

「さん!!」

 上の輪をくぐり、

「ゴーール!!」

 最後に作った白い輪を通過した女の子が歓声を上げる。

「間に合ってた!? わたし、1位!?」

「うん、1位だよ! すごいね!!」

 口調を真似たわたしの言葉に、女の子はとてもくすぐったそうに笑った。

「楽しいね、魔術!! もっと遊ぼう!!」

「うん!!」

 じゃあ次はどうしようか?

 思案したわたしは大きめの青白い光球を作ると、追尾軌道の終点を女の子の足首に紐付けた。

「見える!?」

 また頭をとんと当てて合図する。1拍遅れで女の子の軌道をそっくりなぞる光球だ。

「逃げてみて!!」

「いいよ!!」

 勢いをつけて女の子が加速すると、光球もそれをなぞって速くなる。

「ムムッ……なら!」

 波打つように右へ、左へ。大きく揺らめく動きでも、光球はぴったり同じに追尾した。

「あははっ、面白いっ!!」

 体を傾けて、円を描いて上昇する女の子。弧を大きくしたり、小さくしたり。光も合わせて近くなったり、遠くなったり。

「踊ってるみたい…!」

「えへへ! 上手でしょ!?」

 得意気な笑顔がわたしにも嬉しい。

 光が消える頃には、最初に作った星空がすっかり見下ろせた。わたしはその場所にむかって、まっすぐに続く光の輪を筒みたいに置いてみせる。

 突然ぎゅっと抱き締められると、体の重みが全部なくなった。

「うわーーーーーー!!!!」

 無意識に女の子にしがみついていた。光輪も星空も追い抜いて落ちるより速く地面に飛ぶ女の子は、木々をかすめる高さで上向きに舵を取って制動した。

「ご、ごごご ごめん!! 急降下しちゃった!! 大丈夫こわかったよね!?」

 泡を食ってまくし立てる女の子に、わたしは返事ができなかった。

「あはっ、あはは……アハハハッ……」

 今度は目をまん丸くしている女の子に、また笑いがこみ上げてしょうがない。

「ちが……アッハハハ……!」

 早く説明してあげなくちゃ。

「っいま……、いまの、すっごいきもちよかった……。ねえ! もっかい出すから、またやって!」

「……うん! いいよ!!」

 うきうきと翼をはためかせてもう一度高度を上げる軌道の中で、見上げた星空の光球がじわじわと消え始めているのが見えた。

 仕切り直しに光を作り出そうとしたわたしは、体の小さな違和感に気が付いた。魔力の流れが少し悪い。手先も震えて、息も上がってきた。どうしたんだろう…? あ、そうか魔力が切れてきてるんだ――

(!!!)

 雷に打たれたような衝撃だった。

 このわたしが。基礎魔術もろくにできない落ちこぼれのわたしが。魔力の使い過ぎで息を切らしてる。

「……っ…」

 こみ上げる、嬉しさのような何かに視界がにじむ。

「どうしたの?」

「……っううん…」

 わたしの様子をすぐに感じ取った女の子が問いかける。わたしは目元をごしごし拭って追い払った。だって今は、泣くよりももっと素敵なことがあるから。

「……もっと飛ぼう! もっと遊ぼう!!」

「…」

 女の子がぎゅっとわたしを抱き締めた。ああきっとこの子には、私が泣いているのも全部わかっちゃってるんだろう。

「うん!!!!」

 それでも、声だけでもわかるこの子のめいっぱいの笑顔に、わたしは救われたような気がした。

「待っててね! すぐ昇るから!」

 そう言いながら羽ばたく女の子だけど、わたしを抱き寄せた腕も、胸も、今すごく熱くなっているのに気がついた。

「ねえ! ……だいじょうぶ、なのっ?」

 ばれた、と女の子の顔に書いてあった。

「……~~っだいじょうぶ!! おねがい、もうあとちょっとだけ…!!」

「はいはーい、ちょっとごめんなさいねーおふたりさーん」

 横からのんびりした声と共に、眠そうな目をした女性のハーピィが滑空して並んだ。…あのキャンディをくれた人だ。

「メリア!」

「楽しそうにしてるところほんと悪いんだけどさぁ」

 のばした人差し指を斜め下の方に差し向けて、

「呼んでるよ」

 顔を向けると、指の方角からは聞き覚えのある声がこだましていた。

「ルー…! タァァス……!!」

「うぇっ!! 族長……!」

 女の子が青ざめる。あぁ、今度こそわたしたちが怒られちゃうのかな。あの痛そうな杖が飛んでくるのかな、うう…。

「わりとさっきから呼んでた」

「ええっ!! うっそ、わかんなかった!!」

 わたしにも分からなかった、全然…。夢中になりすぎてたみたいだ…。

 女の子がおびえた声でまくし立てる。

「え、え、族長怒ってた? なんでわたし呼ばれてるの?」

「ふふっ、それは行って聞きなよ。はいごあんなーい」

 おねえさんハーピィに先導されて、わたしたちは族長のいる…ちょうど飛び立ったあたりの場所まで、ゆるやかに滑空していった。


 降り立ったわたしたちに、族長はあわてた様子で駆け寄ってきた。一も二もなく、わたしを吊っている布袋の紐をほどきにかかる。

「あ、あの族長…」

「ルーダスはじっとしとりなさい。…失礼しますじゃて」

 女の子を制する声はずいぶんとかすれていた。相当叫ばせてしまっていたらしい。族長は手間取りながらもなんとか紐をほどいて、わたしが地面に足をつくと挨拶もそこそこに、

「ホレおいでルーダス! 怒っとるんじゃないから! ホレ早く! お前に…お客さんじゃ…!」

「なに? え、なに!?」

 腕を引っ張って連れて行ってしまった。

 ひとり、ぽつんと残されてしまったわたしはどうしたらいいのか……。困っていると、先導してくれたおねえさんハーピィと目が合った。

「んふー」

 おねえさんはにこーっと笑いながら、わたしの頭をわしゃわしゃ撫ではじめた。

「え、え? あのちょっと……」

「ちょーっとここで待ってなね」

 じゃーねと手を振って、おねえさんは歩いて行ってしまっ……行っちゃうの!? 結局わたしはどうしたらいいの!?

 …途方にくれたわたしは、仕方なく周りを見回した。

 すぐそばの簡素な山小屋が、ランプの灯かりを吊るしている。飛び立つときは気がつかなかったけれど、ここから出る人も戻った人も、小屋のなかのおばあさんハーピィにひと言知らせているみたいだ。

(…あれ?)

 周りのハーピィの視線に気がついた。飛び立つ前からここの人たちは、よそ者のわたしにも分けへだてなく接してくれたけど…。今はそのときよりも、もっと近しいものを感じる。

 みんながわたしに笑いかけたり、うなずいたりしてくれる。なんだろう? なにがあったんだろう…。

「ねえーー!!」

 大きな声がして振り向いた。あの女の子だ。

「ちょっと……、えっと……あのーー!! ちょっと助けてーー!」

 


「バルフォア領の騎士団員、レベッカだ!」

 ツリーハウスの空間にそぐわない声量で、白銀の鎧をまとった女性が自己紹介する。差し出された手に握手したらぶんぶん振られて痛いたたたたたた。この人すっごい力つよい。

「ど、どうも……わたしは」

「そちらの方々には2度目の自己紹介になってしまうね!!」

「あ、はぁ……」 

 名乗れなかった…。隣の族長もこの人の調子に戸惑っているみたい。

 わたしを呼んだ女の子――ルーダス……さん?――にいたっては、気圧されたのが声量なのか鎧なのか、ほとんど膝をつくようにしてわたしの背中に隠れている。

 ……膝をついてもらって大体おなじ目の高さになるって……。あらためて、自分の小さな体が悲しくなってうううわぅわぅあんまりおしつけないでくれませんか。

「交易遠征の帰りだったんだがね、光があんまり見事なものだったから進路を変えたんだ! 是非にひと言ご挨拶をと思ったんだが、ここは坂の上だろう!? それで道も荒れてて馬が嫌がったものだからさ!」

 もう私だけ走って登って来たのさ!! と豪快に笑う女の人に、なんかもうわたしはとりあえず愛想笑いを返すしかできなかった。

「いやしかし素晴らしい曲芸だった!! あれがファイアワークスというものなのだな!!」

「きょく、げい……?」

「ん?」

 気の抜けた返事をするわたしに、女の人は不思議そうに眉を上げた。

「さっき光を出しながら飛んでいたのは君達だろう?」

「……あっハイ。きょくげいです。れ、れんしゅう? みたいなことしてました…」

 まさか単純に遊んでただけですとは言えず、思わず口を合わせてしまった…。

「だろう!? ああいった派手な見世物は、我らがお転婆お嬢様の大のお気に入りなんだ!! なにしろ、屋敷を抜け出して牧場で遊び回るようなお方だからね!! ぜひ一度わが領土にて、曲芸を披露してほしい!! …まぁただ、見世物とはいえ火薬を燃やすのは良くないとかごちゃごちゃ抜かす堅物もいるかもしれないが……」

「あ! ……あの、火薬じゃありません。魔術ですから、燃えないし雨でも消えません」

「本当か!!」

 女の人の顔が、ぱあっと明るくなる。

「それはありがたい!! わが領土は晴天が少なくて…………あぁ……」

 そこまで言って、すうっと笑みが消えた。

「…………すまない。こういうのが私の悪いところなんだ……」

 ふらりと目を押さえてしまった。

「……わが領土には、晴天が少ない。強い風の中に、雨が混じることも多い…。そも、私の目にハーピィが珍しく映るのも、そのためなんだ…。ハーピィは、気流や風にひどく敏感と聞く。おそらく君たちが飛ぶには適さない気候なのだろう……」

「あっ」

 おもわずわたしは息をのんだ。女の子の手が乗る肩をぐいぐい揺らして合図する。

 これだけは。これだけはあなたの口から言わないといけない。

「…あっ……! あっあの!!」

 震える声がうしろからする。肩の手にぎゅうと力が入るのが分かった。

「わたし飛べます……!! 強い風でも、嵐の中でも!!!」

「…それは本当かいっ!?」

「ほ…、ほんとうですっ!!」

「レベッカふーくちょー。用事終わりましたかぁー?」

「ああーすまない!! もう終わるから!!」

 追いついたらしき鎧の人に答えながら、女の人は袋をゴソゴソ探って笑いかけた。

「今これしかないんだが、受け取ってほしい」

 じゃらりと握らされた手には小さな硬貨が…ってうわああ銀貨だ!! 5枚!! わたしの依頼何十回分だろう!?

「これは私個人の出資金だから気にするな。ただもし良ければ、他の者から同じように頼まれても、私と約束したからと断ってほしい。どうかお願いだ」

「はっ……はい……」

 もうわたしはなんだかわからなくて、夢でも見ているような気分だった。

「詳しい話は、のちほどここへ人をやればよろしいか?」

「…はい。わたくしが承りましょう」

 微笑む族長の言葉に、女の人は満足げにうなずいた。

「よし…! 必ず、必ず人をやるから…、いい返事を期待している!! いいぞメイヤー行こう!! あとすまない、金を貸してくれ!!」

「ハァ!?」

 たったいま無一文になった――という声をぼんやり聞きながら、わたしは呆けたまま突っ立っていた。

 まるで嵐みたいな人だった……。でもこれで、わたしみたいな落ちこぼれでも、この子の役に立てるかもしれない…。あんなつらそうな顔を、もうさせなくできるかもしれない――。

「よかっ――」

 たね、と言いかけたわたしは、

「ぃいいやったああぁぁぁ!!!!!」

 大喜びした女の子の胸に、思いっきり抱き締められた。

 

今回の着想を得た曲は P*Light / Gale Rider です。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ