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花冠を継ぐ者

作者: 紫藤市

 不規則にプロペラとエンジンの爆音が響く。アキが乗る機体からは黒い煙が立ち上り、漏れ出した油の臭いが鼻についた。

 このまま乗っていては飛行機もろとも(ちり)になるだけだ。

 命が惜しいわけではない。

 飛行士になったとき、この大空を舞いながら死にたいと本気で願った。

 しかしそれは航空郵便配達員をしていたときの話だ。敵地で戦死して英雄として名を残すつもりはない。

 アキは生まれてすぐ親に捨てられ孤児院で育った。家族どころか友人のひとりもいないアキが死んだところで悲しむ者はいない。飛行士としての訓練を受けていた頃の仲間も次々と出征して戦地で皆散っていった。

 偵察命令が出るたび敵国上空を飛び回り、出撃命令が出るたび敵国に爆弾を落としたり敵機と機関銃の撃ち合いになったりもした。敵味方双方が一機、また一機と墜落していく様を空から眺めるたび、いずれは自分もあんな風に死ぬのだろうと思った。

(敵機に攻撃されて()とされたってならまだ格好はつくけど、ただの機体不良で墜ちたとなると、完全に無駄死にじゃないか)

 急降下する機体の操縦席で軽い溜め息を吐くと、アキは身体を固定していたベルトを外した。

 黒煙で周囲はまったく見えない。

 それでも重力に従ってひたすら地上を目指す飛行機からなんとか抜け出すと、そのまま宙に身を躍らせる。

 ここがどこだかはわからない。

 偵察のために国境近くの空軍基地を出てまだ半時間も経っていないが、すでに西の空は藍色に染まっている。

 機体がおかしな音を立て始めてからはとにかく真っ直ぐ飛ばすことだけに集中していたので方向感覚も失っているが、多分敵国の領空だろう。

 物凄い轟音が耳をつんざき、(もう)(ふう)が身体を包む。

 下に視線を向けるが、灯火管制が出ているからなのか暗闇しか見えない。もしくは海の上なのか。

 紅い火を噴いた機体だけが夜の闇の中で美しく輝いている。

(あの両翼の黄色、下品で嫌だったんだよな)

 無残に燃えながら落ちていく飛行機から目をそらし、アキはパラシュートを開いた。

 空気をはらんだ傘が開いた途端、がくんと四肢が空中に引き戻される。途端に皮膚を()ぎ取るような強い風は幾分和らいだ。

 多少横風に流されながらも、アキは地上を目指して降りていった。


 靴底が地面に触れた瞬間、アキは膝から崩れるようにして倒れ込んだ。

 なんとか海の上に落ちることだけは免れたようだ。

 疲労と緊張から手足は痺れ、身体を支えることも出来ず、顔はそのまま土の上に突っ伏した。

 周囲は真っ暗だったが、自分が降りた場所が畑か牧草地らしいことは匂いでわかった。

 久しぶりに嗅ぐ草の香りは新鮮だった。

 遠くで爆音が響き、わずかに辺りが揺れるのを感じた。

 乗っていた飛行機が落ちたのだろう。

 パラシュートの布が毛布のようにアキの全身を包んだ。

 ここがどこだかわからないが、どんな(へん)()な場所であっても飛行機が落ちたとなれば住民の誰かが警察に通報するだろう。敵であれ味方であれ飛行機の操縦席に死体がなければ、警察は捜索するに違いない。

(逃げた方がいいんだろうな)

 目を閉じたまま肌に触れる草の感触にひたっていたアキは、大きな溜め息を吐いた。

 ()(りょ)になるのはごめんだが、いまは起き上がる気力もほぼない。

 気付け薬代わりに酒でも飲もうかと上着の胸ポケットを手で探るが、いつも携帯している水筒が見つからない。煙草やマッチもないところを見ると、パラシュートで降りる途中どこかに落としてしまったのだろう。

(――腹減った。喉も渇いたな)

 なにもないとわかった途端、空腹が襲ってきた。ぐうっと腹の虫が鳴く。

「誰か、いるのか」

 突然、頭上から(しわが)れた声が聞こえてきた。

 慌ててアキは気力を掻き集め、パラシュートの下から這い出る。

 頭だけ布の中から出すと、わずかな星明かりの下でぼんやりとした人影が見えた。

「やあ」

 顔を上げて相手を睨み付けたアキに、人影は腰を(かが)めて膝を突くと声を潜めて囁いた。

「さっき丘の向こうに落ちていった飛行機、あんたの物か?」

 人影は小柄だった。

 よくよく目を凝らすと、背中を丸めた痩身の老人らしき姿がおぼろげに見える。

「あぁ、そうだ。俺が乗ってきた」

 アキが頷くと、老人は枯れ枝のような手を差し出した。

「ようこそ、クラーワ王国へ。儂はここで国王をしている。こいつは従者のレイだ。あんたの名前は?」

 老人は自分の隣にしゃがみ込む影の頭を撫でながら告げた。

 影の形と低い唸り声から、従者というのは人ではなく大型犬のようだ。

「アキ。ところで、クラーワ王国って?」

 まったく聞き覚えのない国の名だった。飛行士になる際、近隣諸国の名は一通り覚えたが、クラーワという国はない。

 国王を名乗った老人は、「アキ、アキか」と繰り返しアキの名を唱えた後で、答えた。

「いまでは国民が儂とレイしかおらず、領土も隣の村より小さい、世界で最小の王国だ。最近じゃ(もう)(ろく)した年寄りが勝手に王を名乗っていると馬鹿にされることも多いが、四百年の歴史があるれっきとした王国なんだ」

「ふうん」

「あんたがどこの国の者かは知らんが、来る者は拒まずで亡命者を(こころよ)く迎え入れるのも王の仕事のひとつだ。あんたを歓迎しよう」

「そりゃどうも」

 パラシュートの布をぎこちない動きの両手で掻き集めながら、アキは軽く頭を下げた。

 妙な場所に落ちてしまったようだが、すぐさま敵国の警察官に囲まれて銃口を向けられるよりはマシだ。

「歩けるか? あそこに儂の家がある。国王の()まいにしては狭いが、あんたを泊めてやれる部屋くらいはあるぞ」

 老人が指した先には、石造りの家があるのが見えた。

「じゃ、世話になります」

 愛想なくアキは告げたが、老人は特に気分を害した様子はなかった。

 アキがよろよろと立ち上がると、老人は自分の杖を貸してくれた。

 そのまま老人はアキの前を足を引きずりながら歩き出す。それでも、杖を突きながら歩くアキよりは速い足取りだった。

 老人の家は、築百年は優に超えていると思われる古びた家だった。屋根瓦はところどころ落ちており、閉じられた(よろい)()の金具は()びている。

 アキが幼い頃に暮らした孤児院よりもさらに襤褸(ぼろ)い。

 家の中は外観から想像したよりも狭く、明かりといえば暖炉の中で燃える(まき)だけだ。

「そこの寝台を使え」

 老人は部屋の隅に置いてある長椅子だか寝台だかわからないような家具を顎でしゃくった。上には毛布が一枚だけくしゃくしゃに放り出されている。

 アキは意識が(もう)(ろう)とする中、毛布を掴むと、その寝台の上に倒れ込んだ。

 明日になって警官たちに叩き起こされる羽目になっても構わない、と投げ遣りな気分になりながら、睡魔によって意識は闇の中へと引きずり込まれた。


 目を覚ますと、狭い家の中に老人の姿はなかった。警官の気配もない。

 窓の鎧戸は開けられ、外からは暖かな陽射しが差し込んでいる。

 古びた小さな食卓の上には、パンが二つと()(いちご)を盛った皿が置かれていた。

 水差しの中の水をコップに入れずにそのまますべて飲み干すと、喉から胃までがすっきりするのを感じた。

 途端に食欲が()き、アキはパンと木苺をむさぼり食った。

 すべてを腹におさめても、満足することはできなかった。

 喉が渇いて仕方がない。

 水差しを手にして、アキは家から出てみた。

 強い風が髪を乱した。

 土埃と一緒に枯れ枝が飛んできたので、アキは(まぶた)を閉じて遣り過ごす。

 地上でもこれほどの風が吹くのであれば、上空ではさぞかし強い風が吹いていることだろう。自分はこの風によってここまで運ばれてきたのか、と空を見上げると、白い雲が勢いよく流れて行く。

 飛行機はまったく飛んでいなかった。

 家の軒下に、アキのパラシュートが丸めて置いてあった。老人が運んでくれたのだろう。

 外に目をやると、辺りは丘陵地だった。ほとんど木はなく、荒れ地の様相だ。大きな石がところどころに転がっており、点々と草花が生い茂っている。

 その荒れ地の草を羊たちが()んでいた。

 空を見上げると、太陽は中天に達している。

 アキの膝よりも低い石垣で周囲が囲まれていた。羊たちは越えることができない高さだ。

 それだけ見れば、長閑(のどか)な牧羊地だが、おかしなことにその目と鼻の先にたくさんの墓があった。

 アキがそれを墓だと思ったのは、地面に突き刺さった杭の真ん中に字のようなものが彫られていたからだ。

「起きたのか」

 近くの岩の上に腰を掛けて羊を眺めていた老人は、アキの姿に気付くと、杖を突きながら歩み寄ってきた。日に焼け、皺だらけの顔には白い(あご)(ひげ)がある。頬には大きな古傷がついており、足の引きずり方も昔の怪我によるものに見えた。

 犬のレイはその隣を歩いている。レイは昼間見ても影のように黒い犬だった。アキを見ても今日は唸り声を上げることはしない。

「おはようございます。机の上のパン、いただきました」

 勝手に食べたことを責められると困るので、アキは先に断っておいた。

「あれ、なんですか」

 老人から口を開く気配がなかったので、アキは杭の群れに視線を向けて尋ねた。

「クラーワ王国の歴代国王とその家族の墓だ。儂は墓守も兼ねているが、一番古い墓は初代クラーワ国王の墓で、一番新しい墓は四代前の墓だ」

「三代前以降の王の墓は?」

「ここにはない。皆、王を辞めて出て行ったからな」

「出て行った?」

「クラーワ王は()(しゅう)(せい)ではない。四代前から法律が変わって、指名制になった。儂も先代に指名されて王位に就いた。二十年ほど前のことだ」

「前王は?」

「退位してクラーワ王国から出て行った。この狭い国の中を毎日ぐるぐると歩き回る生活に嫌気が差したそうだ。当時、脱走兵として祖国から逃げていた儂は、前王の指名を断る理由がなかった」

「兵士だったんですか?」

 老人は生まれたときからこの土地に根付いた暮らしをしているようにアキには見えた。

「儂は三男だったから、戦争が起きると真っ先に徴兵された。いまの時代のように飛行機なんて物はなかったが、大砲はあってな。儂は敵の大砲にぶっ飛ばされて、一度は死にかけた。なんとか野戦病院に運び込まれて命だけは助かったが、怪我が治ればまた戦場に戻される。それが嫌で、多少歩けるくらいまで傷が()えたところで病院から逃げたんだ。どこに逃げようかなんて決めてなかった。ただひたすら戦場から離れようとした。そして辿り着いたのがここだった。前王は儂を亡命者として受け入れてくれた」

 アキは戦場から逃げたわけではない。

 ただ、墜落する飛行機と運命を供にせず、敵国の捕虜となることを恐れてここに隠れている事実を見れば、老人と大差ないように思えてきた。

「前王は、儂がここで暮らすようになって三日後に、王位を譲りたいと言ってきた。王の仕事は領地と王家の墓の管理だ。たまにやってくる亡命者を受け入れ、去りたい者は去らせる。そして、次の王にふさわしい者がやってきたら王位を譲り、自分は引退しろ、と言って儂にこの王冠を差し出した」

 老人は杖を握っていない手をアキの前に突きつけた。

 そこにあったのは、枯れた(しろ)(つめ)(くさ)で編んだ花冠だった。どれくらい前に編んだ物なのか、色も褪せている。

 それでも環になった花冠は、崩れることなく老人の手にあった。

「これがクラーワ国王の王冠だ」

「子供がその辺りの花を摘んで作った物に見えますね」

 鼻で笑うアキの態度など気にする様子はなく、老人は答えた。

「作ったのは、何代か前の王の娘だそうだ」

「なるほど。王女様のお手製ってわけだ」

「これをあんたにやろう」

 老人は花冠をアキに渡そうとした。

「は?」

「代わりにあんたの身分証と服をくれないか」

「俺の?」

 アキは自分が身に(まと)う軍服を掴んだ。

 飛行士の服は、派手ではないが(しゃ)()ている。襟に付けている()(しょう)も空軍に所属する下士官なら誰もが憧れるものだ。

「あんたはクラーワ王国の王になり、領地のすべてを手に入れる。王に仕える従者のレイももちろんあんたの物だ。儂は退位してアキという男になり、国外に出る」

 老人の突拍子もない申し出に、アキは目を丸くした。

「そろそろ次の王を指名する時期だと考えていたところに、あんたが空から落ちてきた。これはもう、代々の王たちが新しい王を使わしてくれたとしか思えない」

「俺は、ただ飛行機の不調で……」

「それも代々の王たちの仕業だろう」

 なにを言っても、この老人は頑としてアキの意見を訊こうとはしなかった。

「大体、なんで退位したら出て行くんだ? そのままここに住めばいいじゃないか」

「この歳になって急に、生きている間に一度は自分の国に帰ってみたいと思うようになったんだ」

「世界中で戦争をしてるってときにか? どこもかしこも戦場だぞ」

「それでも、帰りたいんだ。もう儂を待つ家族などいないだろうが、故郷の景色を見てみたい」

「へぇ」

 家族がいないアキには理解できなかった。

 幼少期を過ごした孤児院は二度と戻りたくない場所だ。身一つで仕事に合わせて住む場所を転々としながら生きてきただけに、もう一度見たい景色もない。

「あんたはしばらくここで王として墓守をしていれば良い。それに飽きた頃、新しい王がやってくるだろう。そいつに王位を譲って、どこへなりとも好きな場所に行け」

「行きたい場所なんてない。食うのに困らず、屋根がある場所で寝起きできれば充分だ」

 飛行士になったのは、出自に関係なく大金が稼げるからだ。筆記試験には苦労したが、運動神経が優れていたアキはすぐに飛行機の操縦を難なくこなせるようになった。

「ここで墓守をしていて毎日パンが食えるのか?」

 羊を飼うだけで暮らしていける自信がアキにはなかった。

 墓の下で眠る代々の王たちが空からパンを降らせてくれるわけではないだろう。

「三日に一度、あの木立の向こう側にある村からパンや野菜を売りにくる男がいる。そいつから買え。毎年そいつに羊を一頭売って、一年分の食費にしている。薪も足りなくなったら持ってきてくれる。ただし、やつを領地に入れるな。あんたも領地から出るな」

「領地って、あの石垣が境界なのか??」

「そうだ。クラーワ王国の王を名乗れるのは国内にいるときだけだ。一歩でも国外に出れば、二度と戻れないものと思え。来る者は拒まず去る者は追わず、亡命者を受け入れろ。こんなところまで滅多に人はこないがな」

 老人は一通りの説明を終えると、アキの頭の上に花冠を乗せた。


 老人はアキに王位を譲ると、その日は井戸の場所、羊の世話の仕方、家の中の案内などをしてくれた。

 狭い領地とはいえ、羊以外にも山羊(やぎ)()(ちょう)、鶏を飼育していた。

 岩だらけの土地は耕作には向かないらしく、畑はなかった。それでも家の横に小さな木苺の茂みがあり、黄色い実が無数に生っている。その横には(よう)(ほう)(ばこ)があった。花の時期、木苺に蜂たちが群がるのだという。

 老人はアキの軍服を譲り受けると、アキには洗いざらしの古着をくれた。パンなどを売りに来る男が、老人の着替えとして持ってきたというその服は、アキには多少小さかったが着られないことはなかった。

 さらに翌日、老人はクラーワ王国王家の墓にアキを連れていった。

 墓地には杭が突き刺さっている場所もあれば、木が植えられているところもあった。柘植(つげ)の木だと老人は教えてくれた。

 どれも墓は年数が経っており、杭に彫られた文字も風化して読み取りにくくなっている。王の墓と呼ぶにはかなり粗末だが、辺りには白詰草の花が咲いており、葉が生い茂っていた。

 その花や葉を羊たちが食べている。

「墓守ってのはなにをするんだ?」

 相変わらず丘では風が吹き荒れている。

「特になにも。杭が倒れていたら起こして地面に差し直すくらいだ。祈る必要も、語りかける必要もない。話し相手が欲しかったらレイと喋ればいい。挨拶も不要だ。王たちは眠っているのだから、眠りを邪魔するな」

 アキは杭に彫られた文字に目を凝らしたが、読み取ることができなかった。

 一番黒ずんでいる杭が初代のものかと老人に尋ねてみたが、彼は「さぁ、知らないな」と首を傾げただけだった。

 この狭い王国は、墓だけが残り、歴史の一切は失われてしまったらしい。

 なのにクラーワ王国という名を残すためだけに、墓守たちは王を名乗り、領地を守る。

 奇妙だが面白い、とアキは思った。

「さて、じゃあ儂は出て行くことにする」

 アキの軍服を着た老人は、上着の袖をまくり上げながら告げた。

 皺だらけの顔に飛行士の服は似合っていなかったが、老人は気にしなかった。

「お前さんは、国王の従者だ。ちゃんと務めを果たし、新しい王様に立派に仕えるんだぞ」

 老人はレイの頭を撫でると、しっかりと言い含めた。

「では王様、儂はこれで失礼します」

 かぶっていた帽子を脱いで挨拶をすると、老人は花冠を手に突っ立っているアキに深々と頭を下げた。

「良い旅を」

 他に掛ける言葉が思いつかず、アキは老人の背中をありきたりの言葉で見送った。

 老人に自分の服や身分証を譲ったことが本当に良かったのか、まだアキは迷っていた。

 クラーワ王国外では、当然ながらなにをするにも金と身分証が必要だ。

 アキは自分の懐に入っていたなけなしの小銭も老人に与えたが、二日も飲み食いすればなくなる額だ。老人の故郷がどこかは知らないが、あの年齢で野宿をしながら本当に旅ができるのか心配になってきた。

 しかも、老人は兵士の服を着ている。

 さすがにあの老人が現役の飛行士だと思う者はいないだろうが、警察に職務質問をされることは(まぬが)れないだろう。捕らえられ尋問を受けないとも限らない。そこで老人がアキの居場所を喋ったら、自分はどうなるのか。

 もしや自分はあの老人に騙されたのではないか。

 胸の中に、不安が渦巻き始めた。

 クラーワ王国などという聞いたこともない国など、最初からなかったのではないだろうか。あの杭の墓は本物だとしても、王の墓などとなぜ自分は信じたのか。

 枯れた白詰草の花冠を握りしめながら、アキが顔を(しか)めたときだった。

「あんたが新しい王様かい」

 荷車を押した恰幅の良い中年の男がアキに声を掛けてきた。

 いつの間にやってきたのか、と辺りを見回すと、すでに()(みち)を歩いて木立に向かっていた老人の姿も消えている。

 かなり長い間、アキはぼんやりと考え事をしていたようだ。

 男の荷車の中には、パンや野菜、果物を入れた木箱と薪の束が積んであった。どうやら彼が、老人の言っていた物売りの男らしい。

 荷車の後ろには、アキとほとんど歳の変わらない青年が立っている。肌は浅黒く、目深にかぶった帽子のつばの隙間から見える目つきは悪い。

 自分も人のことを言えるほど目つきは良くないが、と思いながらアキは頷いた。

「爺さんから聞いている。王位継承祝いに、いろいろと持ってきてやったぞ。酒もある」

 荷車の中から(びん)を掴むと、男はそれをアキに差し出した。

「酒は飲めるか?」

「少しだけ」

 訓練生時代はよく酒場で仲間たちと酔い潰れるまで飲んだものだ。

「王様の口に合うか知らんが、うちが扱っている酒の中ではかなり上等な物だ」

 ほれ、と男は瓶をアキに向かって投げた。

 両手で瓶を受け取ろうとしたアキは、そのまま前に向かってよろめく。

 足元にあった石垣につんのめりながらもなんとか瓶を抱え込み、地面に落ちる寸前の酒を無事手に入れたときだった。

 レイが激しく吠え立てた。

 なにごとかとアキが振り返ると、石垣の中に男と青年が入っていた。

 よく見ると、アキは石垣の外に出ている。

「いまから、儂が新しい王様だ」

 腰に手を当てた男は、()()た笑みを浮かべて大声で宣言した。

「うるさいぞ! ほら、お前も出ていけ!」

 男は吠え続けるレイの腹を足先で蹴った。

 キャインッ、と悲鳴を上げたレイは慌てて石垣を越え、アキの元へと駆け寄る。

「まったく、おかしなもんだ。この土地を手に入れるためには王を名乗らなければならないなんてな。しかも、古い王が出ていかなければ新しい王にはなれないときたもんだ」

 男はさきほどまでアキが抱いていた疑いを(ふっ)(しょく)するように、べらべらと喋った。

「あの爺さんときたらなんども儂が王位を譲れと言っても、ちっとも首を縦に振りやしねぇから随分と手こずったもんだ。ようやく国から出てきたと思ったら、すでに新しい王がいると言うじゃねぇか。冗談じゃねぇ。ここは儂の物だ。儂の先祖はこの国の王だったんだからな」

「あんたは、王家の子孫なのか?」

 悔しげに鼻を鳴らすレイの背中を撫でてやりながら、アキは尋ねた。

「そうさ。儂の(ひい)(じい)さんがこの国の王の子だった。曾爺さんはこんな狭い国の王になどなりたくないと言って国を出たそうだが、儂は曾爺さんの話を聞いてからずっと王位を取り戻すことだけを考えてきた。どんなに小さな国でも、王は王だ。王家の血を引く儂がなんで客にぺこぺこ頭を下げながら商売をしなければならないんだ? 正統な後継者である王と王子が戻ったんだ。さぁ、王冠を寄越せ!」

 石垣の中で男はアキに向かって(わめ)いた。

「王冠? あぁ、これのことか」

 腕に通していた花冠の存在を思い出し、アキは花冠を男に差し出した。

「馬鹿にしてるのか!」

 激昂した男は枯れた花冠を勢いよく払い落とした。それから、アキの格好をじろりと見回し、王冠とおぼしき物は身に付けていないようだと判断すると、唇を歪めた。

「まぁいい。王冠は後で探すさ。どうせあの狭い()()()の中だろう」

 どうやら男はアキの足元に落ちた枯れた花冠が王冠であることを知らないらしい。

 宝石で飾られた黄金の冠を想像しているのだろうが、そんな物はクラーワ王国内にはいくら探しても存在しないはずだ。

 もっとも、そんなことをアキが言ったところで、この男の耳には届かないだろう。

「あんたが王様になるなら、俺は用済みだな。この荷車、貰ってもいいか? 王様になって商売しないんなら、要らないだろ」

「あぁ、やるとも! 儂の店もやろうじゃないか!」

 男はクラーワ王国を手に入れたことで気分が高ぶっているらしい。

 息子は「おい、親父」と止めようとしたが、やはり男は忠告を聞く気配はない。

「あと、あんたの名前も貰えないか? 俺の名前はあの爺さんにやってしまったんだ。王様になったら名前も要らないだろ?」

「儂の名はクロウだ」

「クロウ、ね。ありがたくいただくよ。ほら、レイ、行くぞ」

 アキは花冠を拾い上げて腕に通すと、荷車の持ち手を掴んだ。まだ唸っているレイに再び声を掛けると、荷車を引いて歩き出す。村に行って「クロウの店」と言えば、誰かが店の場所を教えてくれるだろう。

 不満げな唸り声を上げながらも、レイはアキの後をついてきた。

 小径を半分ほど進んだときだった。

 頭上で轟音が響いた。

 顔を上げると、戦闘機が一機、こちらに向かって飛んでくる。

 アキが乗っていた物と同じ機体だ。

 上空はかなり風が強いのか、機体がふらついている。

 黄色い翼は空と雲に溶け込むことを(こば)むように目立っていた。

(操縦士は誰だ?)

 偵察に出たまま戻らないアキを探しに来たのかもしれないが、飛行機に手を振って自分の居場所を知らせる気は起きなかった。

 飛行士の仕事に未練はない。

 クロウの店が自分の物になるかどうかはわからないが、アキという名を手放し、新しい名前で生きていくと決めたのだ。

 心の中でかつての同僚に別れを告げ、飛行機から目をそらそうとした瞬間だった。

 飛行機から爆弾が落ちてきた。

 その黒い(かたまり)は重力に従ってまっすぐに落ち、そのままアキの目の前でクラーワ王国に着弾した。

 爆音とともに墓や家は無残に吹っ飛ぶ。

 アキも爆風にあおられ地面に倒れた。

 火薬と物が焦げる臭いが辺りに充満し、バチバチと物が焼ける音が響く。

 飛行機はすぐに旋回して去って行った。

 しばらく地面に倒れたままのアキを心配して、レイが舌でアキの顔をなんども舐めた。

「俺は大丈夫だ」

 身体を起こし、服に付いた土を払い落とす。

 クラーワ王国に視線を向けると、荒れ地は焼け野原になっていた。

 クロウ親子だけでなく、羊たちの姿もない。

 燃えているのは墓の杭なのか柘植の木なのか、それとも家の横にあった木苺なのか。

「あのままあそこにいたら、死んでいたのは俺たちだったな」

 レイに向かって話し掛けると、犬は軽く尻尾を振った。

 なぜあの飛行機はクラーワ王国に爆弾を落としたのだろうか。あんな荒れ地にぽつんと建つ家など攻撃しても仕方ないだろうに。

(――あぁ、そうか。俺のパラシュートがあったからか)

 家の軒下には、アキが飛行機から脱出する際に使ったパラシュートが放置してあった。操縦士は上空からそれを見つけ、住人がアキから奪い取ったと判断したのだろう。

「国はなくなったのに、王冠は残ったな」

 腕に通した花冠を眺めながらアキが呟くと、丘の上から強風が吹いた。

 途端に、風にあおられた花冠はぱらぱらとほどけて辺りに散った。

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