6, キモチ
後書き参照。
スイーツを舐めている人に次ぐ。「これはスイーツを読んだおかげで書けたものでもある」
いわゆる女性一人称です。キモクてごめん。
一日中泣いたことなんて無かったかもしれない。パパに叩かれてもママに叱られても、十分も経てばケロっとして遊びに行っていたというのに。今のボクはもうズタボロで、歩くこともしゃべることも出来ないから、ただ涙を零し続けていた。
保健室の白いベッドはいまやボクの内側から流れてきた色々なもので汚れてしまっている。一度保険の先生が来て、青い顔をして話しかけてきたけれど、何を言っているのかは全然耳に入ってこなかった。
今は何時だろう。どのくらいこうして泣いていたんだろう。外を見れば確かめられるのに、今はそんな気力も出なかった。お人形さんになって、一生飾られていたい、そんな気分。
ほとんどのことは分かっていた。はるくんがボクに少しだけ、本当に少しだけ距離を置いていたこと。理由は分からなかったけれど、きっとそういう事情があるんだって、なんとなく理解はしていた。ただいつになっても分からなかったのは、はるくんの本当のキモチ。
「わからないよ……わからないよ、はるくん……」
男の子に乙女心が分からないように、女の子にも男心が分からない。
スキだと言ってくれた、初めてのヒト。
正確に言えば、ボクに紛れも無い恋をしてくれたヒト。
手紙で告白されたり、憧れから近づいてくる子は沢山いたし、自分で言うのもなんだけど、凄い人気があったんだと思う。そして、はるくんもその中の一人だった。
鬼ごっこをしようなんて言われたのは、小学生のころでも無かったかもしれない。なんでも、ボクを捕まえて言いたいことがあるとか。面白いことをする子だな、と思った。だからボクは突然開始の合図を叫んで、そしてはるくんはすぐにタッチしてきた。元々逃げようなんて思っていたわけじゃないけれど、まさかあんなに早く手を伸ばしてくるなんて思いもよらなかった。
そうして、告白された。
嬉しかったのか、そうでなかったのか、そのころは分からなかった。やっぱりほかの子たちと同じ、憧れから告白してくる子だと思っていたから。
でもはるくんだけは、鬼ごっこなんて子どもだましみたいな方法で告白してきたから、ちょっとだけチャンスをあげようかな、なんて思って、ボクは自分が鬼になるって言い出した。その時の呆けたはるくんの顔といったら、面白いことこの上なかった。
それから、一年間、はるくんに気付かれないようにはるくんを見てきたんだ。授業中から昼休み、帰る時も見てきた。
はるくんが、ほかの子と違うな、と思ったのはそのころだった。憧れの先輩に告白をした、なんてことを話のネタにするようにして言いふらす人は少なくない。そういうことをする人がいるから、自然と『高嶺の花』なんて似合わない言葉を当てられてしまったし、誰とも付き合わないんじゃないかなんてうわさも流れた。
でもはるくんは待っていた。時々ボクの姿を探すようにきょろきょろとしていたけれど、諦めずに待っていた。一年間、そんなに長い時期を待たされても、待っていた。
興味を持った。うん、すごい気になった。
三年になって、いろんなことをやってみた。急に抱きついたり、自慢でもあった胸を押付けてみたり、とにかくありとあらゆる方法でいじめてみた。でも、その度にはるくんはやけに冷静で、なんだか軽く流されているような気がした。
もう――ボクに興味がないのかな……。
無性にそれがイヤだった。そう考えてしまうと苦しかった。だから、ずっと忘れないようにと、ボクはいつの間にか必死になってはるくんにくっついていた。
でも分かった。彼がボクを紙一重で避けていること。襲われても文句は言えないくらいのことを毎日していたのに、彼は一切ボクには触れてこなかったし、いつだって軽いギャグでその場をやりきっていた。
こころの奥底で、朱色の感情が騒ぎ出していた。
純粋でもあったし、汚くもあった。ボクは知らないうちに『好きだと言われた彼に好かれようと必死だった』。
突然生えてきたネコミミに勇気をもらった。今日のボクは違うんだぞと意気込んで、朝ははるくんにアタックした。下着だっていつもより派手で、力を入れて来た。でもやっぱりはるくんは笑顔をくれるだけで、言葉をくれない。
おかしいな。
思わず笑ってしまう。ひうっ、と喉が音を立てるだけだけど、泣いているんじゃない。
『思い出をくれた人です』
泣いているんじゃないのに、涙が止まらない。
自分のやってきた必死の行動が、はるくんにとっては全部思い出でしかなくて、じゃあボクはなんのために彼に好きになってもらって、なんのために好きになったのか分からない。これが自然に芽生えた感情だとしても、卑怯だ。あふれ出してしまった想いを誰も受け止めてくれなくて、底を尽きるまで流れ出そう。止まったと思っていたものが、再び堤防を破ってきた。
シーツを頭から被って、思いっきり歯を食いしばって、それでも止まらないから、自分の不甲斐無さに泣いた。
どうして、どうしてボクは笑ってあげられなかったんだろう。
辛いのは、きっとはるくんなのに――。
そんな時、静かで冷えた世界を壊すように保健室の扉が開く音がした。一瞬はるくんかと思って、ボクはシーツから勢い良く頭を出した。
「よっ、涙は枯れたか?」
でも、そこにいたのは保健室の中村先生だった。男勝りの気丈の持ち主で、男女共々から人気がある女性の先生。保健室なのを良いことに、煙草を咥えている。
「帰らないつもりか? 残念だが、うちの学校では寝泊りは許可してないぞ。気が済んだならさっさと帰りな」
「……」
「ん。まあ、冗談だ。あたしもそこまで鬼じゃないよ。さっきお前の親御さんから電話があってな、早く帰すように催促はされてるんだ。でも、その様子じゃきついだろうね」
先生はこっちに寄ってきて、ボクが身体を丸めているベッドの横に腰掛けた。
「学校の華がこんなんになっちまって、そう易々と帰せんわな。あたしも保健室の先生なんだし、言いたいことがあるんなら聞いてやるよ。誰かさんの代わりに、だけどな」
そう言って、先生は頭の上にぽんっ、と手の平を置いて撫でてくれた。細くて、長い指が髪の毛に絡んで、頭のてっぺんから先生の優しさが伝わってくる。曇り空だったこころの奥が、小さい木漏れ日を先頭にして、だんだんと晴れ渡っていくよう。
まだどこかでつっかえていたタガが外れた。奥底に眠っていたキモチというキモチが、洪水になって溢れ出す。
「せ、せんっせぇっ……イヤだ、イヤだよぉ、はるくんと、お別れなんかしたくないよぉっ……!!」
優しさに甘えるように、先生に抱きつく。枯れたと思っていた涙はまだまだ出てきて、いつしか世界が自分の涙で埋まってしまうんじゃないかと思うほど。その涙で、はるくんをさらっていけたらどんなに良いだろうと思った。
先生はネコミミに疑問も持たずに撫で続けていてくれる。ボクの言葉も、止まるところをしらない。
「すきでっ……ううん、だいすきでっ、それで、それでっ」
「うん」
「だからっ、きらわれたくなくてっ、いっぱいスキっていって……」
「うん」
「でも、でもはるくんは……っ、思い出だったっていって……っ」
「うん」
「だいすきなのに、ひどいこといって……っ、はるくんが、すきなのに」
「うん」
「おわかれっ、したくない……っ」
――ああ、馬鹿だな、お前は。
「……え?」
そんな声が聞こえて、ボクは顔を上げた。そこには先生の澄ました顔があって、何もかもを見透かしたような目で、こちらを見つめていた。
「なら何故追いかけない。何故その泣き顔をあいつの前で見せてやらない。ちっぽけなプライドか? 年上の尊厳か? そんなもんないだろうが。だったら、追いかけろって」
「でも、もうあわせる顔も……」
先生はボクの口を指でそっと塞いで言う。
「いいか。恋愛ってのは永遠に終わらない鬼ごっこのようなものだ。どちらかがどちらかを常に追いかけている。逃げてしまわないように何度も捕まえている。男も女もクソみたいな生物でな、追いかけて捕まえていないと、すぐにどっかにいっちまう。そうだろう、お前も最初は追いかけられている立場だったはずだ。それが今回、たまたまお前が鬼になってるだけ。どちらかが追うのを諦めたり、鬼ごっこを終わらせたらそれで、はいおしまい。それがお前は嫌なんだろう? だったらやることは一つじゃないか」
思い出すのは、あの日の言葉。鬼ごっこを始めようと言った自分の言葉と、頷いた彼。
何を馬鹿なことをしていたんだろうか。自分で勝手に好き合っていると思い込んで、彼に迫って、それで自己満足して。彼は今でもずっと、約束を守って逃げているというのに。ボクにも追いつけるような、ゆっくりとした速度で、前を走っているというのに。
鬼ごっこをやめようとしていたのは、自分自身だった。
いつか言ったはずだ。
『キモチが届いたかどうかを判断するのは、はるくん』だと。
「……」
火が灯った。波は穏かな海のよう。木漏れ日は一気に広がり、太陽になった。
「九時だからな。明日朝一にでも……」
「行ってきます」
ベッドから飛び降りて、真っ赤になった瞼をこする。
「お、おい……」
「先生」
決めたんだ。このキモチを、朝日を拝むまでしまっておくことなんて出来ない。今すぐにでもぶつけてきてやる。もう二度と逃げられないくらいに、全力で。
「恋する乙女は、好きな人のためなら火の中水の中森の中、どこにだって行きます」
ボクは走る。もう絶対逃がさない。
どうも蜻蛉です。
キモくてごめん。でも、全力でした。
それ以外に言うことは無い。あるとすれば、あと二話だ。