1, 路上の変態は見てみぬふりをせよ
後書き参照。
今の心情を表すと、「俺、これが終わったら結婚するんだ」という感じ。
ランニングインザスカイ。あ、間違えた。
走り抜けたいほどの青空の下、俺は何の変哲も無い道路を全力疾走していた。理由など言わずもがな、俺が逃走者だからだ。
「待ってよはるきゅ〜ん!!」
きめぇよ。誰だよはるきゅんって。
後方の追い手はこれもまた言わずもがな、準先輩こと白鳥準。まさか早朝からガキみたいな鬼ごっこをするとは思わなかった。
普段も毎朝準先輩は俺のことを待ち伏せしている。別段迷惑というわけではない。むしろ初めの頃は嬉しかったくらいだ。いや、待っていてくれること自体は今でも嬉しいのだが。
しかし今回は逃げざるを得ない。ああもう全力で逃げなければならない。貞操とかそういう次元を超えて人間としての尊厳とかその他色々を失いそうな気がする。今の準先輩はそれほどに危険な人物と化していた。動く実害スプリンクラー。しかも一点にしか振り撒かない不良品です。さっさと廃棄処分して。
「見て見てー! これ見てー!」
「無理! 断じて見ません!」
「なんでよ〜!」
「何かを間違えそうな気がするんです! 猛烈に!」
死ぬぜぇ、準先輩の姿を見た奴はみんな死んじまうぞぉとか、どこぞの死神が俺に語りかけている。ありがとう、今回限りは死神にも感謝したい。
だがこの状況において一つだけ問題があった。
それはつまるところ、俺が運動不足の現代人で、準先輩がテニス、バスケ、ソフトなどなど、多数の部活に兼部しているスポーツにおいて完ぺき超人だということだ。その無駄の無いプロポーションはここから来ているのだろう。まるで風を味方につけたかのような疾走。普段は憧れるものだが、今だけ恨みたい。
「……に、逃げ切れん……」
息が上がってきた。足が重く、思うように前に出てくれない。流石に全力疾走ではいつもより長くもたない。
後ろを振り向きたい衝動に駆られるが、ここは必死に前だけを見据えて明るい未来を……。
「はるきゅ〜〜ん!!」
「ごはぁっ!?」
背中への強烈な衝撃に耐え切れず俺は無残にもアスファルトの上に顔面を打ちつけた。ああ、憧れのマイホーム、何故そんなに遠くに行ってしまったのだ。
新たにアメリカンフットボールの技術を習得した準先輩が背中の上から強い力で抱きついてくる。倒れている俺は成されるがまま、正面からで無かったことだけに感謝したい。当たってるんですよ、その豊満なものとかスカートの奥のものとか。いや、当ててるんでしょうけど。
「んふふ〜。はるくんの背中あったかいなぁ〜」
「そいつは重畳……。とりあえず色々辛いんでどいてもらえませんか。もう逃げませんから」
「いやー。このままでいるー」
頬擦りしないで。ぞくぞくって来るんですそれ。
「あ、はるくん、顔怪我してる……」
準先輩が先ほどアスファルトとごっつんこした顔に出来た軽い擦り傷を見つける。ちなみに準先輩から見えていないあご周辺は物凄い怪我なんです。早く保健室に行きたい。
「ボクが舐めて治してあげる!」
「え?」
そういうと準先輩は、その小ぶりな唇をこちらに近付けてきた。その花弁から微かに聞こえる吐息の熱を耳元で感じる。準先輩が状態を上にずらす度に制服と制服が擦れ合う。背中から感じる準先輩の体温が、俺の身体をも熱くする。
その唇から真っ赤な舌がぬめり、と姿を現した。
そして、ぴちゃっ、と俺の頬に生暖かいそれが触れた。
「うっ……おぉぉぉ!!」
寒気がっ、寒気がっ!
「んっ……はぁ…っ、れろぉ、ちゅ」
そんな俺の気も知らず、準先輩は傷口を中心に俺の顔を舐めまわす。ねっとりとした感触が絡みつき、準先輩の唾液の軌跡が俺の頬に残る。何度も往復するように舌を使い、丹念に傷口を消毒してくる。
「んむ……んっ、はぁっ」
準先輩の瞳の奥に確かな熱さを感じる。吐息が時折荒くなり、先輩はどうやら行為に熱中しているようだ。俺の頬を走る濡れた感触も次第にいたわるようなものから、攻めるようなものへと変わっていた。
「ああっ、好き、大好きだよ、はるくん……」
まずい、耳元で語りかけられるように呟く言葉が俺の脳内を痺れさせる。そんなにストレートな言葉で表現されると、俺もたまったものではない。自然と身体が硬直して、その行為を受け入れるがままになっていた。
「はるくんの肌も血も声も良いよ……全部ボクのもの。ああっ、今すぐ食べちゃいたい」
……それはまずいな。
ふと感覚を全身に戻してみると、なにやら太股周辺に不穏な空気。蛇のように絡みつく手の平が俺の上で踊っている。
それは段々と内股に移動していき、
「って待たんかいこら。何しようとしてるんですか」
「エッチ」
素直だなぁオイ!
念のために一応状況をもう一度確認させてもらうと、現在時刻は全国の学生が舗装された道路の上を安全に友人と談笑しながら歩いている時間帯であり、通勤途中のサラリーマンや犬の散歩をする婦人方を多く見かける。
場所はその通学路。単刀直入に言えば、この状況から目を逸らせば周りにギャラリーがいるような場所であり、今の発言はすべて公にさらされたわけだ。
「あらやだわぁ、若いからってこんなところで」「お母さん、あのおねーちゃんたち何してるの?」「しっ! 見てはいけません!」「はっはっはー、俺も昔は路上でハッスルしたもんだ」「はぁはぁ、準にゃん可愛いよ準にゃん」……誰だよ最後の。
「んふふー、ほうら、はるくんのこんなに……」
「止めんかっ!!」
「いだっ!?」
なにやら一線を踏み越えそうだった準先輩の頭を半ば本気で叩いた。涙目になりながらも準先輩は俺の上半身から身体をのけた。
甘い空気が一瞬にして青空に消え去る。
「むー、釣れないなー。ボクがこんなに迫ってるっていうのに」
むしろあなたが迫ってるからです。……いや、他の人でも同じだけど。
「それはともかく準先輩。その、見て欲しいものの件なのですが」
半ば逃げるように話題を逸らす。いや、実際はこちらに話題を移動させるほうが身の危機がありそうなのだが、正直な話先ほど逃げいていた理由といえども気になって仕方がないのだ。
それはもう意外も意外。準先輩がそれを見せ付けたくなる理由も理解する。恐らく先ほどの「見てー」発言は、子どもが親に褒めて欲しいという想いの元から駆け寄るのと同じ原理だろう。
「あ、そうだよはるくん! 見て見て、凄いでしょ!」
そう言う準先輩の頭上、英語で言えば「over」ではなく「on」の方の頭上。そこに準先輩であらざるものがあった。
何やら頭蓋という丸っこい部分から突起、いや三角形でありつつも刺々しい角を見せない軟体的なやわらかさを兼ね備え、さらに後を押すようにふさふさとした毛がついている。髪の毛の一部ではないだろう。かと言って新種の角でもないし、準先輩がいたずらで用意したおもちゃとも思えないそのリアルさ。
……現実逃避は止めよう。いわゆる『ネコミミ』とやらがそこには存在していた。
見た目のふさふさ感、ぴょこん、という擬音がよく似合いそうなほど小さく突出したそれは、紛れも無くネコミミと呼ばれるそれだった。
「これねー、朝起きたら生えてた!」
やった! アサガオの芽が出てきたよ! 今日からあなたはアサちゃんね!
違うだろう。その反応は間違ってますよ準先輩。
「昨日ね、はるくんに言われたことでずっと悩んでたんだ。ボクはネコが嫌い、でもはるくんが好き。どうしようどうしようってずっと悩んでて、泣き明かしたらネコミミがついてた。これはきっと神様からのプレゼントに違いない! って思ったんだ。これでボクは、はるくんとちゃんと向き合えるって!」
……準先輩、そんなに俺のことを……。でも、綺麗な話に見えて内容凄いカオスです。
「あとねー、これが生えてきてからなんだか身体が火照って火照って仕方が無いの……。ミミに風が触れるだけでビクンッってしちゃって……」
それは大問題です。ていうかどんな原理ですかそれ。
一説に寄れば猫の耳は一種の性感帯らしい。人間も同じであるが、結構なものだとか。にしたって風が吹くだけでその反応は病的だ。
「準先輩」
「ん? 何なに、この火照りを収めてくれるって?」
「んなこと微塵も言ってません。とりあえず病院行ってそれ見てもらいましょう。なんか危険です」
主に俺が。
しかし先輩はご不満に口を尖らせる。
「ええー。せっかくはるくんの大好きなネコミミが生えてきたんだからこれでいいよ。なんかこれがあるとパワー沸いてくるし。今ならはるくんの心を奪うことが出来そうな気がするよ!」
そんなもの力強く宣言しないで下さい。あと、心を奪う意味では既にこんな状況になる前から出来そうです。放心的な意味合いで。
そうやって俺と準先輩がしばらく乳繰り合っていると(文字通りの意味で)、歩いている方向の遠い空から予鈴のベルが聞こえた。どうやらかなり長い間話し込んでいたようだ。主にそのモノの処遇とか。
「というわけでボクはこのまま過ごします! このパワーではるくんを絶対仕留めてやるんだから」
「本人の前で宣言しないで下さい。……まあ、学校についてはコスプレとかなんとか言えば、準先輩のことですから許されるでしょうが……大丈夫ですか? その、結構敏感なんでしょう?」
「まあねー。さっきはるくん追いかけてる時なんか、感じすぎて濡れてきちゃったし……」
「何がですか」
「パンツ」
ストレートだなぁオイ! 少しは恥らおうよ!
「その……さ、触ってみる?」
「え、え? な、何をですか?」
落ち着け、落ち着くんだ。自分でも声が上ずっているのが分かる。腰の前で手をもじもじと擦り合わせ、視線があちらこちらにさまよう。
まずい、いくら俺でも男だ。ここでそんな行為を強要されたら、堕ちるしか道はない。お母さん、僕はいけない子でした。今まで育ててくれてありがとう。
頬をこれまでにないくらい紅潮させ、準先輩がぼそりと呟くように言った。
「……ネコミミ」
……予想できてたよ? 本当だよ?
しかし、的外れだったがこの誘いは同じくらい魅力的だ。元々ネコミミ属性は無いにしろ、ネコの肉球やそのもの自体には興味はある。野良猫などに触れたことも無かったし、猫を飼っている友人もいないので、触れたことが無かったのだ。
す、少しだけなら良いんじゃないだろうか。一回ちょっと押してみるくらいなら。
「……では、せん越ながら失礼して……」
「うん……」
準先輩が強く眼を閉じる。真っ赤になった顔から湯気が出そうだ。というかこういうことは恥ずかしいのか。
俺はネコミミにそおっと手を伸ばした。
――ふにっ。
「にゃんっ……」
準先輩が色っぽい声を上げたが、俺は気付かない。
「お、おぉ!」
なんという触り心地。高級じゅうたんのような毛の手触りであり、かといってその弾力を失わない適度な肉付き。ふさふさもふもふ、ミミの内部まで毛で覆われており、病み付きになりそうだった。
「んんっ、ふぅ……あっ、ん」
ふにふに。
「ちょ、はるく……ん? も、もうそろそろ、あっ!」
ふにふに。
「あ、あぁ……っ、ま、待って、これ以上は……くぅっ」
ふにふに。
「――っっっ!!」
突如、準先輩の身体がビクリッと脈打つ。俺はそれでようやく異世界から戻ってきた。
しまった。想像以上に気持ちが良かったので歯止めが利かなくなってしまっていたようだ。失敗失敗。
俺は謝るために準先輩に声をかけようとしたが、なんだろうか、準先輩の様子がおかしい。大きく息を嫌いして顔が本物人間の耳まで真っ赤だ。熟したりんごのように、何やらほのかに甘い香りもする。
「せ、先輩? 大丈夫ですか?」
「……うっ」
準先輩が嗚咽を漏らす。頬から涙が伝っていた。
突然のことで俺はわけがわからず、肩に手を置いて言った。
「お、俺何かしました? 何かしたのならすいません、やりすぎました」
「……は」
「え?」
「はるくんの馬鹿ぁーー!!」
準先輩は俺の手を払い、身を翻して学校へ向かって走り去ってしまった。
俺はある種デジャヴを感じながら、その背中を見送る。い、一体なんだっていうんだ。
とりあえず解放されたからいいや、と思いながらもなんだか準先輩に悪いことをしたような気にもなり、地味で小さな罪悪感を感じつつも、その奥ではネコミミの感触を思い出してニヤけていた。
「お母さん、あのお兄ちゃんニヤニヤしてるよー」
うるさいわねっ!!
どうも蜻蛉です。
なんだか好評のようで、消すか消さないか迷ってます。
正直な話、今すぐにでも首をつりたい気分です。ある種の才能も感じてますが、んなもんいらねぇよ。
今回はこのような感じでしたが、恐らく「序の口」かと。俺の暴走は止まらない。