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七章 標的の地


     一



 澄んだ空気。青空に、太陽が輝いている。多少、光の強さを感じていた。

 城郭(まち)は普段と何も変わりが無い。慌しく行き交う人、忙しく働く人、まだ早朝と云う事もあり、雰囲気は健全そのものだ。

 西の貧困者地区では、既に大きな市が立ち賑わっていた。

 タムクの手配書が、あちこちに目に付く。おそらく普通に暮らしている者は、意識しないほどの風景の一部なのだろう。だが、その少年は、もはやこの世のどこにもいないのだ。

 城が見えてきた。改めて見ると、圧倒されるほどの華麗で重厚な城だ。

 その重厚さを見て、心の中で呟く。


「準備は整っている。問題ない」


 城郭の内側。西地区の城の堀に近い場所に、馬を用意していた。さらに、念のために城郭外の林の中に、荷と替え馬を置いている。

 タムクの首に、飛剣を二本隠している。毎回五本は携帯するのだが、今回は場所が場所だけに、二本が限界だった。

 この契約の難は、王を討つ事ではない。どうやって、最小限の傷で逃走するかである。

タムクと契約が成立した時、王の命の炎は消えている。今の時間は、残火のようなものなのだ。

 右手に魔剣の包みを持ち、左手には淡い紫色の布を持っている。その中には、タムクの頭部が包まれている。

 タムクの体は、城郭が一望できる場所に埋めて来た。そこは、思い出の場所のようだった。涙を流し、雄々しく死んだ。

 命こそなくしたが、目的は達成した。そう思って間違いない。そう云う契約なのだ。

 城門の前に立った。門番が二名、こちらを見た。睨んでいる。

 城兵が近づいてくる。


「何の用だ?」


 兵士が声を掛けて来たとき、後ろから知っている声が聞こえた。


「いや~。キミ、来てくれたのか。待っていたよ」


 エクバールの姿を見た門番は、直立不動の姿勢をとっていた。

 この出会いは、幸運なのだろうか。一瞬、考えた。だが、門番に話すよりも、話が早そうだ。


「手配者の首と、剣を持って来た」


 剣に巻かれた布の端を捲った。赤褐色の見事な皮が巻かれた黒鉄の柄が見えた。柄を見ただけでも、禍々しい雰囲気を発している。


「これは凄い。付いて来てくれ。私が案内しよう」


 エクバールは、門番に手で軽く合図をすると、場内へ向って行く。

 その後を、堂々と着いてゆく。この城内で、自分が警戒する理由はない。現時点では、王の剣を取り返した功労者なのだ。明霞とかち合わねば、問題はない。

 たとえかち合ったとして、王も剣を取り戻すことなく襲ってはこないだろう。

 大きな個室に通された。


「王に謁見を求める。ここで待って居てくれ」


 室内にリュークを座らせると、エクバールは室外に出て、衛士に耳打ちをした。


「王に謁見を、魔剣を持って参った者だと言え」


 衛士は、一礼すると駆け去った。


「さて、私は邪魔が入らぬようにするかね…」


 独り言を呟くと、謁見の間とは逆方向に歩き出した。そこに、血相を変えたエクバールの副官が現れた。


「エクバール様、聞きました。魔剣が見つかったとは、本当でございましょうか?」

「本当だ、妖剣は冷麗な美しさがあったが、魔剣は恐ろしいほどの禍々しさが漂っていた」


 副官は、その声色で本物だと納得した。


「して、これからどこへ参るのでしょうか?」

「あぁ、これから邪魔が入らぬように、雌狐の動きを封じる」

「どういう事でしょうか?」


 副官は、何をしたいかわからないようだ。


「魔剣を持って来た奴だが、魔剣の賞金が目的だとは思えない。何か別の狙いがあるのは確かだ」

「放って置かれるのですか?」

「仕方あるまい。雇っていた間者の行方が分からぬようになったが、いま現在、形式としては罪を犯していない。どうすることも出来ぬ」


 その言に、副官は納得したようだ。


「それで、なぜあの女魔導師に会いに行かれるのですか?教えなければ、済む話ではありませんか…」

「あの女、それ程に低能だとは思えぬ」


 副官は、黙ったまま考え込んでいる。

 そうこうしているうちに、明霞に与えた部屋の前に立った。扉を叩こうとしたときだった。


「何の用件でしょう?」


 扉とは別方向から声がした。二人が振り向くと、中庭に続く回廊の曲がり角に明霞は立っていた。

 副官は、魅入っていた。性的に整った美貌、張りのある完璧な形の胸、引き締まった腰、上がった尻。その体の曲線を活かす衣装、すべてが計算されているのだろう。藍色の長髪が風に靡き、日の光で輝く。その髪から女の匂いが微かに香る。男を堪らなく駆り立てる匂いだ。

 容姿だけならば、燐をわずかに超えるかもしれない。骨抜きになった副官を横に、明霞に話し出した。


「リュークが現れた」


 女の目の光が増した。


「今、どこにいるのですか?」

「城内、謁見の間に」


 歩き出そうとした明霞の前に、エクバールは立ち塞がる。


「何だ?」

「行くことは許さぬ」

「なぜでしょう。私は、学院からの正式な大陸協定書を出しています。王もそれを認め、この国内で罪人を追っていることは理解しているでしょう」


 明霞は、苛立っているように見えた。


「だが、大陸協定書は、王、またはそれを代わりに執行する任命者の許容に基づく。いまリュークは、陛下が長年探しておられた魔剣を持って来ている。その功労者を捕縛し、首を刎ねるなどの暴挙に出れば、王といえども民の信が揺らぐ。王の命に反すれば、たとえ奴を討ったとしても、貴女も協定書違反で殺されても文句は言えない。さらに、協定書を悪用したことにより、良くて協定書発行取り消し、最悪の場合は学院討伐の事態になりかねないがいいのか?」


 明霞の細くしなやかな手が、エクバールの腕を掴み除けようとした。だが、女の力では、エクバールが動くはずもない。


「そう、苛立つことはない。方法が無いわけではない」


 明霞の動きが止まった。


「魔剣を王に渡し、褒美を与えた後、内城から出さえすれば、どういう言い訳もつく」

「では、討てぬ訳ではないのですね?

「そうだ。だが、謁見の邪魔は許さぬ」

「了解しました」


 明霞は納得したようで、多少落ち着きを取り戻した。


「そこで、迎え撃つ場所だが、東塔へ繋がる回廊で待っていてもらう」


 場内の図を剣の先で木面に描き始めた。


「この王城は、本城の左右に西塔、東塔が建っている。本城の後背に後宮があり、前面に庭園、石庭広場が広がっている。その総てを本城内壁が、東西の塔と一体化して囲んでいる。城壁西側には水堀がある。

「なぜ、東塔の回廊へ?」

「あいつは、何をしに来たと思う?」

「賞金目当てではないのか?」

「手の者に徹底的に調べさせた。目的こそ判明しなかったが、私個人は違うと思っている」


 エクバールは、賞金首の少年を助け、数日共に暮らし、首を刎ねている事を教えた。

 明霞は、有りそうなことだと思った。リュークなら、金銭以外に目的があっても不思議ではない。昔から、意表を衝かれてきた。彼の怖ろしさは、魔導の才でも剣術の技術でもない。予想を超えた行動で、皆倒されてきたのだ。


「リュークが、正門から堂々と出ればどうするの?」

「正門には、大量の城兵を置いている。西塔回廊には、私が立つ。だが、西回廊は水掘もあり、来ることはあるまい」


 やる気のないようなエクバールの表情に、明霞は目を細めた。


「万が一にも、そちらに向ったら?」

「謁見終了の鐘の合図から半刻(一〇分)、東塔回廊で待って来なければ、こちらに向ってくるといい。ちなみに、正門の様子であれば、回廊から見えるだろうしな…」


 明霞は、悩んでいる表情ではあったが、エクバールの描いた城内図から見ても、西の回廊へは入り組んだ通路がある為、可能性は低いように思えた。


「総て了解した。東塔回廊で待機している」


 明霞は、長い髪が美麗に流れるように振り返ると、東塔へ続く回廊へと向っていった。

 エクバールは、ニヤつくように笑っていた。明霞の姿が見えなくなったとき、副官が口を開いた。


「何故、あのような事を言ったのですか?」

「あのようなとは?」

「西塔への城内地図は間違っております。描かれたように複雑ではありませぬ。それに、正門への城兵集中など…」

「いいのだ。私は、あの男と。リュークと闘いたいのだ。だから、あの女に邪魔はさせぬ。たとえ王であってもなっ。これから城兵に、正門に集まるように伝える。だが、あの男は、正門からは出ないだろう。出るようなら、私と闘う価値すらないという事だ」


 エクバールは、楽しい出来事が起こることを待っているように嬉々としていた。

 副官は、上司のそんな表情をこれまで仕えた四年間で初めて見た。

 副官は、エクバールから細かな指示を受けて、各方面に伝える為に走り出した。その姿を見送ると、エクバールは西塔へ向い歩き出した。


「さて、下準備をしておこうかな」


 エクバールは剣に触れながら、心からの笑みを浮かべていた。



     二



 リュークは、豪華な待合室で座らされていた。厳しい身体検査を受けた。王に会うために、身に着けている飛剣も手持ちの刀も渡した。

 タムクの首も確認のために検分したが、口を開けて奥までは覗くことは無かった。

 手元には、魔剣とタムクの首だけが渡された。

 今のところ予想通りで、問題はない。これまで歩いた場所も、情報屋から購入した城内図通りだった。

 衛士の声がした。


「謁見の間へ、案内致します」


 そういうと、前後を挟まれ王の待つ謁見の間へ案内された。

 大きな扉。

 リュークは、衛士に言う。


「しばらく、待ってくれぬか。陛下にお会いする前に、身を正したい」


 そういうと、魔剣の包みを整え、タムクの首を確認した。

 衛士は、生首を見るのを嫌い、視線をそらした。

 リュークは、素早くタムクの口に手を入れ、飛剣を抜き取り、隠すように身に着けた。


「いいか?」


 衛士の急かす声がすると、首を包み直し、服装を整えた。


「ああ、すまない。俺も、国王に仕えたいんだ」


 衛士は見下すように、頑張るんだなと答えるだけだった。

 扉が開き、中に入った。

 大きな木の柱が等間隔にあり、その間を白土壁になっていた。東西に窓が計六つあり、そこには非常に珍しい硝子(ガラス)が填められている。城内の者は左右に一〇人づつ並んでいる。王の左に武官が、右に文官が整列していた。皆、リュークに視線を注いでいる。

 奥の壇上には、王が玉座で尊大に飾られていた。

 リュークは、一瞬眼球で左右を見た。明霞の姿は見えない。一息吐くと、今度はエクバールの姿を探した。だが、不思議な事にそこに姿はなかった。

 訝しく思いながらも、王の首を刎ねる障害が減ったという気持ちが微量だが上回った。

 魔剣とタムクの首を持って、謁見場の奥へ歩み入る。両側の文官、武官などがヒソヒソ話をする雑音が耳に入る。

 並んでいる顔を見る限りでは、たいした奴はいないように思えた。

 正面を見た。手足が細く、腹部だけに脂肪がついた体型をしている。王の華美な服装に、妖剣を帯剣している。その身なりは、体型と相まって異様だった。

 謁見の間の中央に進み、跪き頭を垂れる。

 先に王が口を開いた。


「その方、余の剣を持って参ったと云うのは本当か?」

「本当でございます」


 リュークは答えた。

 宰相が、一歩前に出る。


「陛下。此の者は、魔剣を持ち逃走していた鍛冶屋の息子の首も、共に持って来たと申しております」


 リュークは、頭を下げたままで、包んでいる布を前に出した。

 視線が、布に集まるのを感じた。

 包んである布の結び目を解いた。布は、すれる音を立てると、少年の首が現れた。血を抜き、洗ったのだと誰の目にもよくわかる。肌は異様に白く、戦場、処刑場で見る首と変わらなかった。だが、賞金首の死表情は、穏やかで安らかな顔をしていた。満足して死んだ、そんなことを思わせる首だった。


「陛下。先に、褒美を頂きたい………」


 リュークは、当然のように言った。

 宰相以下数名の臣は、眉をひそめ、目を細めたが、リュークは無礼に近い振る舞いで言った。

 王からすれば、リュークなどは、下賤の出の田舎者なのである。野良犬が礼節を知らぬことなど当り前であり、そんなことをいちいち気に掛けていては、国王など勤まらないのだ。


「良かろう。先に褒美を此れに」


 宰相が頭を下げ視線を送ると、傍廻りが金貨一〇〇〇枚と宝石数種を金属製の四角い盆に載せて四人の従者が運んできた。

 目の前に置かれたそれは、初めて見る大金だった。宝石に目をやると、知識で知っている三粒の金剛石と濃青色透明で直径二サラテ(センチ)もありそうな大粒な青玉(サファイア)。そして、淡く輝いている真珠が一つあった。

 小袋二つに金貨一〇〇枚と宝石を分けて入れ、残りの金貨二〇〇枚は大きめの袋に入れた。小袋に入れた金貨一〇〇枚を胸元に入れ、残りの金貨と宝石は腰にぶら下げた。


「残りの金貨七〇〇枚は、運ぶには重い。北門の宿屋に部屋を取っているから運んで欲しい」


 王は、無礼な願いを許可すると、剣を寄越せと腕で空を掻いた。


「これで十分であろう。早うせい」


 王の言葉であった。

 この褒美の量は、剣一本にしては過分である。しかし、それ故に王の熱意も視覚確認出来るほどに、この剣を望んでいたのだと理解した。


「契約成立だ」


 王に聞こえぬように呟いた。

 タムクに向けた言葉だった。


「ラック・ディン国王陛下、もう一つお願いがございます」

「願いとは何か?」


 王は、願いよりも剣の事意外は興味ないないようだ。


「陛下にお仕えしとうございます」

「よかろう。明日、改めて兵舎に来るがよい」


 総ての話が終わった。そんな空気が漂った。宰相が的確に空気を読むと、衛士に視線を送った。

 その衛士が近寄り、剣を渡すように手を出した。

 リュークは、その衛士を無視した。


「この剣は、陛下に御渡しする物。其の他の者に、渡すことなど出来ませぬ」

「なんと無礼な!」


 宰相、大臣が怒声を上げた。衛士もざわつき始めた。


「陛下、こちらを」


 剣の布の外し、黒色の刀室に金の細工を施した鞘は、魔剣の禍々しくも吸い込まれそうな黒紫色と相まって、独特の美を発していた。

 ラック・ディン王の目は輝いていた。


「構わぬ。余自身で取りに行こう。二年以上探しておったのだ」


 王は、前に歩みだした。

 宰相、各大臣、衛士長すらも、何も言わなかった。ただ、見つめているだけだった。

 リュークは、跪き、身を屈めて、剣を頭上より高く掲げる様に差し出した。

 ラック・ディンが、肥満体を左右に揺すり、近寄ってきた。剣へ左手を伸ばした時だった。


「陛下。敬意を持って、この剣で、………首を刎ねさせて戴きます」


 言い終えるのと同時だった。瞬時に魔剣を鞘から抜くと同時に一撃を放っていた。

 首が飛んだ。

 頭部が回転しながら宙に舞っている。その場に居る他者の時は、止まっていた。

 ラック・ディンの首が豪華な床に転がった。頭の無い躰から、大量の血が噴出して倒れた。

 時が流れ始めたのは、大量の濃い色の鮮血が床にぶち撒かれたときだった。

 宰相・大臣・衛兵も何が起こったか理解できなかった。その一瞬の空白で、リュークは窓に填め込まれている硝子を突き破った。

 ガラスの砕ける音が、会場に響き渡ると衛士長が叫んでいた。


「奴を殺せ!城門を閉じよ。城内から決して出すな!」

「エクバールと、魔導師の女にも厳命を出せ!」


 言ったのは、宰相であった。

 衛士、城兵が慌しく駆け出した。まるで戦場さながらの殺気を発している。


「私は、全城兵の指揮を執ります。宰相は、この場にて混乱の収拾をお願いいたします」


 衛士長は臍を噛んでいた。完全に気を抜いていたのだ。

 リュークという暗殺者は、緻密な心理戦を仕掛けていたのだ。それにまんまと嵌まっていた。

 魔剣とその手配の首を持って来た。それは、王との謁見では武器は取り上げられるからだ。だが、剣を持ってくれば持ち込める。罪人の首も、王と会う為の道具だったのだろう。

 金銭に飢えていると云うのは、ありありと見えていた。それ故、警戒心が薄れた。褒美を先に要求したこともだが、願いで臣下になりたいと口にしたときも、困窮さを隠しているように感じた。

 直接、魔剣を渡す行為も、仕官の為の陛下に対しての下種な演出だと判断してしまった。

 謁見の間を出た。

 すぐに、全城門を閉じるよう指示を出した。だが、暗殺者もそれは頭にあるだろう。だからこそ、時間との戦いでもあった。

 そう思いながら、正門へ走っていった。



 エクバールは、西の回廊で口笛を吹いていた。服装は、先程の物とは違っていた。白く派手な造形の衣装だった。派手で気品のある衣装は、華美で自身のあるこの男には憎いほど似合っている。

 彼はゆったりと空気が流れるこの場所で、城内の騒を感じていた。

 未だ正門では、集まった兵に動きは見られない。何をしたのかは判らないが、何かしたからこんなざわついた気を感じるのだろう。

 左後方に立っていた副官が口を開いた。


「本当に、この場に来るのでしょうか?」

「来るよ。来ないと、死んじゃうからね」


 飄々と云った。


「疑問があるのですが?」

「なんだい?」

「何かすると分かっているなら、なぜ謁見の間で張り付いていないのですか?」


 横目で見ると、なぜそんな下らない説明をさせるのかと言わんばかりだ。


「謁見に並ぶと、衛士長とその配下一〇名にしか武器所有は許されていない。それは、私であっても例外ではない。だが、リュークは剣を持っている。私が如何に突出した剣士であっても、徒手で剣を持つ手練の相手など出来るか」

「あの魔剣ですか…」

「危険だと思わないか?」

「そう言われればそうですが、衛士長含め一〇名ですよ。なにか不審な点があれば斬られかねません」

「甘いな。衛士長の条件など、王に対しての過剰な忠誠ありきだ。その他の能力、例えば剣の技量や知能など平均的でこと足りる。そんな歪んだ人格者に、私の貴重な命など預けられるか」


 温厚な口調だが、内容は辛辣だった。その後、こう付け加えた。


「リュークのような奴とは、対等な条件で闘いたいものだ」


 既に朝から昼になろうとしている。

 エクバールは、リュークが来るであろう方向を見つめていた。



     三



 華美な壁が流れていた。

 脳に刻まれた城内の図面を辿りながら、全力で走っている。

 ここからが勝負だった。走りながら、城兵の動きを考えていた。

 城門は、すべて閉じられるだろう。元から門には多数兵が配置してある。

 城門から出る気など無い。城門の存在自体が、陽動として役に立つ。

 向かうは西塔、ほとんどの城兵は現状を把握していない。無防備に立っている兵など、人形と変わらないのだ。不審に思う兵士も警戒したところで、二撃目は必要無いだろう。

 前方に城兵が歩いていた。手に槍を持っている。


「止まれ!」


 その言葉を言い終えたとき、体が左右に両断されていた。

 さすが魔剣と呼ばれるだけはあった。城兵の皮の鎧など、薄紙を切ってるような感覚だった。

 その叫びを聞きつけて、左の一室から兵が五名出てきた。一振りで、首が二つ飛んだ。流れるような攻撃で、残りの三人の頭が断ち割れた。床に城兵が倒れるよりも早く、駆け出していた。

 魔剣の切れ味は性的快楽に似ていた。触れれば、凶暴さが増す。斬れば快楽を得られる。その反面、一振り毎に魔力を吸われる感覚だった。

 魔滅石が埋められている城内でも、魔力がこういう形で使えることに驚いていた。

 笑っていた。なぜ王が、魔剣に拘ったのか判った気がした。同時に、憑かれそうになるほどの魅力に危うさを感じた。

 今は、生き残ることだけを考えよう。あの角を曲がれば、西塔への回廊がある。

 すぐに駆け出した。

 静かだった。遠くからの喧騒が聞こえるが、こちらに大勢の兵士の気配は無い。

 全力で西塔回廊の入り口の角を曲がった。幅が四キラテ(メートル)はある広く長い回廊だった。

 気配。前方を見た。回廊中央に、二名の男が立っていた。


 「いや~。待っていたよ」


 白く儀式のような衣装を着たエクバールだった。その後ろに従者のような男が立っている。

 リュークは、目を細めた。


「有能な者でよかった。何をしたかは知らないが、この場所に来たということは、逃げなきゃならない事をした。と云う事だよね」


 エクバールは、まるでここで待っていれば出会う事が分かっていた口振りだ。付き添いの兵は、驚きのあまり声を出した。


「エクバール様の言う通りになりましたな…」


 その言葉で、どうやら行動を読まれていたのは事実だと推察できる。リュークは、背に冷たい汗が流れるのを感じた。

 行動が読まれていれば、すぐにこの場へ多数の兵が殺到する。そして、明霞が到着すれば、絶望的だった。

 この男を少しでも早く殺さねばならぬということだった。


「あっ、そんな顔はしなくていい。増援や罠ではないよ。私は、一対一で闘いたいだけだから。邪魔は、入らないように準備しておいたから。さぁ、始めようか」


 エクバールは、当然の配慮をしたと言わんばかりの口調だが、信じることなどは出来ない。


「蔡明霞様を、東に向わせて正解でしたな」


 後ろの男が口にした。


「明霞と言ったのか?」


 リュークの顔色が僅かだが変わった。


「おや?あの雌狐と知り合いかい?あんな女に、楽しみを邪魔されたくないからね。東塔の回廊に居れば、キミと出会えるかも知れないよと言っておいたんだ」

「戦力分散は、愚か者のすることだ」

「確かに。でも、キミ程度なら、僕だけで十分だよ。と、言うよりも、邪魔されるのが嫌なんだ」

「やるなら早く始めよう。明霞が来れば厄介だ」

「そうだね。この時間は、巨大な宝石よりも貴重だ。いまのキミにとってはね」


 エクバールは、嗤っていた。


「知恵も洞察力もあるが、取る行動は軽率だな」

「君もだがね。あの時、教えただろう。君よりも僕は強いと」

「強い者が、勝者になるとは限らない」

「いいね~。嬉しくなる会話だ」

「俺は、不愉快だがなッ」


 言い終えると同時に飛剣を投げた。エクバールの額に向けて、素早く放った。だが、エクバールは、剣を抜く動作で容易く飛剣を弾いた。弾かれた飛剣は、後ろに立つエクバールの副官の肩に突き刺さった。

 副官は、片膝を着いた。

 エクバールは、副官に視線を送り、帰るよう支持した。副官は、そそくさと駆け去った。

 その姿を見て、リュークは意図的に飛剣を副官に向かって弾いたのだと感じた。

 エクバールが副官を見送ると、ため息を吐きリュークに視線を向ける。


「大丈夫だよ。告げ口はするなと言ってある」


 笑顔で焦ることは無いと釘を刺した。さらに言葉を続ける。


「それよりも、手抜きは、止めてくれないか。そんな奇を(てら)って、この私が倒せるとでも?失望だけはさせないでくれ。退屈な暮らしを約四年もして、やっと愉快な事が起こったんだ。楽しませてくれよ」

「失礼。では、期待に応えよう」


 リュークは、魔剣を構えた。黒紫色の刃が怪しい光を放つ。


「楽しみだよ。君の全力。僕は強いよ~」


 エクバールは、剣を下段に構えた。緊張感の無い顔をしているが、眼光の鋭さは増していた。

 場の空気が硬化する。視線、無数の殺気、絡み合う。

 両者が動いた。

 リュークが刹那分速く飛び込んだ。

 黒紫色の斬撃。白銀の斬撃。交じり合い火花が飛んだ。

 エクバールの腕が消えた。頭上に剣。魔剣で受け止める。

 腹に衝撃を受けた。周りの景色が前方に動いていた。

 二キラテ(メートル)飛ばされていた。

 エクバールの右脚が上がっているのを見て、蹴られたのだと判った。

 その姿に、気迫などない。あるのは、殺気に似た興趣を肌に感じていた。

 エクバールが笑みを浮かべ、飛び掛ってくる。その斬撃を弾いた。弾かれる事を予想していたのか、その反動を利用し回転すると、剣を突き出した。

 体位を少し反らす。肩を掠めた。その動作に、わずかな隙が見えた。顎に向って魔剣を切り上げる。魔剣がエクバールの顔を捉えたと思ったが、魔剣は空を斬った。

 立ち位置が入れ替わる。

 リュークが仕掛けた。素早い連撃。三撃繰り出したが、二撃はかわされ、最後の斬撃は受け止められた。

 エクバールは、声を上げた。嬉声とでもいうのだろうか。


「すごいよ。こんなに強い奴は初めてだ。嬉しい。嬉しいね~」


 満面の笑みだった。

 妖剣の一件で、ある程度の実力は分かっていた。


(だが、こいつ…。確かに強い)


 認めざるをえない。魔導を使えれば、短期間で片がつくが…。城の各所に埋められた魔力滅去の魔滅石が強力に張り巡らされている。

 そんな心理を読むように、エクバールは言う。


「魔導が使えなくて残念だね。でも、死合いは対等じゃなきゃ、楽しくないからね」


 エクバールは楽しそうに言うと、剣を握り直した。剣を構え、踏み込んできた。

 低く斬り込んで来る。魔剣で剣を受け止め持ち上げる。剣で相手を起こすことは、体力が奪われる。だが、そうするしかなかった。相手に主導権を握らせている限り、勝機は薄くなるのだ。

 攻勢に転じようにも、エクバールの猛攻が激しく、受けるので精一杯だ。

 リュークは、斬撃を受け流しながら、胸に金貨一〇〇枚が入っていることを思い出した。

 策を思いつく。

 半歩さがると、強引に攻勢に転じた。数を繰り出す。魔剣に魔力が吸われている。一撃の破壊力は強くなっている筈だが、その猛攻を巧みに受け流されている。


「魔剣であっても、いや、どれほどの曰く付きの剣、名刀を手にしていても、当たらねば無いのと同じだ」


 攻撃をかわし、受け流しながら、嬉々として言った。

 リュークは、攻撃の手を早める。次々と自在に繰り出す猛攻であったが、当たることはない。息切れの手前で、攻撃の終了動作に移った。

 この一撃で、間合いを取り、息を整える。攻守が転じるその瞬間。リュークは、さり気なく胸に隙を作った。

 エクバールが、その隙を見逃す訳もない。白銀の一線が閃いた。

 リュークは、エクバールの一撃を胸に誘引した。胸に力を込める。白銀の剣は、外衣を貫き、金貨で止まった。

 剣の静止は、エクバールの躰の静止も意味している。

 リュークは、魔剣を振り下ろした。


(もらった!)


 まさに、勝負が決したと確信したその時、魔剣はエクバールの白い衣装に掠っただけだった。

 エクバールは、軽やかに二、三歩後ろに移動して笑っていた。


「そんな事だろうと思ったよ。危ない、あぶない」


 読まれていた。足元に、次々と金貨が零れ落ちる。

 衝撃で、数度咳き込むと、リュークの動きが止まった。

 エクバールは剣を肩に担ぎ、笑みを浮かべている。


「あれ?もう終わりかい?それとも、あきらめたのかい?」


 あからさまな口調だ。

 奴の勝利を確信したかのような表情。首を落としてやりたくなる。

 エクバールは、悠々とした口調で説明を始めた。


「でも、策としては悪くない。実力では勝てない。だから、不意を衝く。その方針自体は正解だが、計算違いが一つある」


 リュークは答えることなく、じっとエクバールを見ている。


「それは、相手が私だということだ。他の奴なら、殺せている」

「ほざけ!」


 呼吸が整ったリュークは、再び斬撃戦を始めた。

 剣を交えながら、エクバールは言う。


「キミは強い。これまで、出会った者の中で一番だ。だが、残念だが私の方がさらに強い」

「その強い奴が、なぜあんな王の為に戦っている?忠誠心からか?」


 エクバールは、笑った。距離を置き、目に涙が浮かぶ程に笑っていた。


「キミは。あの暗愚、浅はか、痴鈍、不才の王に、忠誠心が湧くのかい?そんな奴は極めて貴重だが、貴重さと比例して役に立たないだろうな。しかし、あんな王でも、私の金蔓にはなった。それでも、暗愚には変わりないがね」


 こいつは、自身にしか興味がない。いや、自身の興味があるものにしか反応しない。人間とは、そう云うものだが、こいつの場合は極端に思えた。

 リュークは、冷静に考える。時間がない。既に、四半刻(五分)以上もこの場で足止めされている。こんな状況、これまでの経験では一度もなかった。

 時が経てば経つほど、この状況は悪化の一途を辿る。半刻以上経てば、城郭を出る可能性は無いだろう。そうならぬ為にも、わずかな時間でエクバールを仕留めねばならない。

 考える。

 剣術の腕は、相手の方が上である。魔導は、魔滅石を埋め込まれた壁に吸収され使えない。

 虚を衝く為に仕掛けた策は見破られた。それは、ただ強いだけではないということだ。

 しかも、ここは敵に地の利がある場。移動して、罠を仕掛けることも不可能だ。何より、時をかければ敵には援軍が来る。

 『逃走』その言葉が浮かんだが、道はエクバールの背後にしかない。足なら負ける気はしないが、前方に城兵が立ち塞がれば、状況は現状よりも悪化する。そんな危険は、冒すわけにはいかなかい。

 短時間で、奴を討ち取る。リュークですら至難の業であった。

 さらに考える。状況を分析し、周囲に使える物がないか。優位に立てないか…。しかし、現実は冷酷だった。渡り廊下に、そんな物があるはずも無い。

 ただ見返していた。今は、それが精一杯の虚勢だった。

 エクバールは、ため息を吐いた。リュークの目を見ると、未だ諦めていない。


「もう、諦めたらどうだ?キミが、生き残る方法が一つある。私の影として生きろ。認めているのだ。優秀だと。こんなことは、初めてだ。私に負けるのは、恥ではない」


 エクバールは、手にある剣で遊びながら会話を続ける。


「知っているか、人体の動きとは骨格が決めている。人とは、二百個余りの骨から成り立ち、関節結合・縫合・軟骨結合などによって構成されている。要は、剣術での攻撃範囲とは、関節可動域の組み合わせだ。そして、人体の関節の可動域には限界がある。その限界は、万人が同じなのだ。首は真後ろに向けても、一周は出来ぬ。腕を捻っても精々円にして七割五分ほどだ。攻撃に有効な範囲にすれば、その範囲はさらに縮小する。私は、人体を知り尽くしている。だから、どれほどに速く、強く、攻撃を繰り出そうとも当たることはない。悪いようにはせぬ、我が影になれ」


 その言葉が、リュークに笑みを浮かべさせた。


「では、キサマに斬られる味を教えてやろう」


 腰に隠していた飛剣を取り出した。エクバールは、不思議な顔をしている。

 着衣の端を破り、紐を作る。その紐で、飛剣を左手に結び付けた。


「何かと思えば…。長剣と短剣の大小二刀流ですか…。数多く斬りかかれば、当たるとでも?滑稽だな」


 前髪を掻き上げると、怒気を含んだ言葉を吐き捨てた。下らない発想の思惑は読んでいた。どちらからの攻撃かと迷わせる役目と、左手の短剣は、防御用のものだろうと。そして隙有らば、攻撃に転じられるということだろう。

 だが、二刀流とは、考える以上に難しいものだ。一つの武器を両手で握る闘い方をしていた奴に、すぐ出来るとは思えなかった。


「さぁ、始めよう。貴様と遊んでいる時間は無い」


 リュークが斬りかかった。魔剣が上段から振り下ろされる。エクバールの剣が弾く。左手の飛剣を突き出す。紙一重で右に避ける。

 エクバールの剣が、リュークの後頭部に向う。それを魔剣で受け流した。

 二刀流の攻撃は、読みにくい攻撃所作であったが、これまでと同じでエクバールに掠る事すらない。

 エクバールの読みは、機敏さと相まってリュークの攻撃の全てを余裕で受け止めていた。


「大小二刀流をしたから、どれだけ使えるのかと思ったら…。素人より多少マシという程度…。全く不愉快だな。こんな突飛な行動で、私を評価することが…」


 喋っていても、リュークの攻撃は止まらない。連撃が襲い掛かる。

 エクバールは両手で剣を握ると、腕、剣が消えるような斬撃を放った。

 リュークは、その一撃を両手の剣を十字に重ねて受け止めた。


「二刀流とは、頭で考えるほど容易ではない。武器を二つ持つと、一つの武器を両手で握ることが出来なくなる。それはすなわち、鍔迫り合いになったとき、相手の両手の力に、片手で応じなければならない。今のように、両腕で受け止めては、相手の剣一本に剣二本を封じられていては、何の為の二刀流なのだ?」


 エクバールは、説明しながら嗤っていた。

 リュークは、鍔迫り合いを押し返し距離をとる。

 エクバールは、剣を両手で握ったまま踏み込んでくる。

 リュークは、エクバールの一撃を飛剣で受け流し、手首を返した。その時、エクバールの右胸に、短く

赤い線が現れた。

 エクバールは、リュークが笑っているように見えた。初めて胸にかすり傷を負った。傷口から、微量な血が滲む。

 それは、エクバールの自尊心を傷つけた。怒りで顔色が変化した。

 咆哮。エクバールは剣の柄で、リュークの左腕を叩き折った。


「!」


 悲鳴こそ出さなかったが、表情には苦痛がわずかに滲み出た。しかし、リュークは間を置くことなく攻め続ける。

 右腕一本の攻撃。足技を絡める。鋭い蹴りだが、当たることは無い。


「もう勝負は決した」


 エクバールは、この闘いにもはや興味を失っていた。

 リューク、魔剣を振り下ろす。それを軽く払うエクバール。

 右脚で蹴る。

 エクバールは余裕で弾く。

 エクバールには、分かっていた。この連続攻撃が止まれば、この剣はリュークを貫くと。

 息が上がっている。しかし、リュークは攻撃を止められなかった。止まれば死ぬ。それが分かっているからだ。斬り下ろし、斬り上げる。僅かな隙は、蹴りで補った。巧みに、間断なく攻撃を仕掛ける。体力の限界だった。体勢が崩れかける。常人なら、そこで倒れているだろう。

 最後の一撃だった。

 躰を回転させ、折れた左腕で内から外への一撃だった。鋭さの無い一撃が、エクバールに当たるはずも無い。折れた腕で放った一撃を、エクバールは左腕を顔の横に立てて受け止めた。

 エクバールが最後の一撃を放とうと、剣を上げようとした時だった。


「かかったな!」


 リュークの口元が笑っていた。

 それを確認したと同時に、首に異物がめり込んだ感覚があった。

 折れた左腕は、決して曲がるはずが無い方向に曲っている。

 手に括り付けた飛剣の切っ先が首筋に突き刺さっていたのだ。


「まさか…。意外だな。こんな手にかかるなんて…」


 エクバールは、信じられない様子だった。だが、首の左側から血が流れている。

 飛剣の切れ味は鋭い。だが、折れた腕での一撃では、深い傷はつけられない。

 首から、血が止めどなく流れている。すぐに絶命はしない。だが、激しく動いていた所為もあり、出血は止まりそうにはなかった。

 エクバールの視界が、僅かに揺れた。


「私の負けだな…」


 そう言うと、エクバールは壁に凭れた。

 回廊の床をただ見ていた。負けた事に悔いは無い。ただ、一つ心残りはあった。


「燐を抱くその約束が果たせなかった…。それだけが心残りだな…」


 燐には、莫大な金、銀、銭、絹を残してある。あれで、生きていけるだろう…。約束を破っただけにしては莫大な違約金だな…。

 エクバールは、蒼白な笑顔を作ると睡魔が襲ってきた。

 鳥の鳴き声、回廊を吹き抜ける風が心地よかった。

 血は、白い服を赤く染めていた。





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