六章 逃走の地
一
目の前で、炎が揺れていた。紅い光は、周囲を弱く照らしている。
タムクの顔が、闇に浮かんでいる。
少年は、沈黙して聞いていた。
「それから追われる日々が始まった。国内では、絶えず刺客を送られては、返り討ちにしてきた。生き残る為には、学院の影響力の及ばない西へ向かうしかなかった。そして、この場に居る」
手に持った小枝を指で折り、焚き火へ投げ込んだ。
「学院は、裏切り者に対しては、総力を挙げて掟に従わせる。すなわち、命を奪うまでは終わらない」
リュークの言葉に重さを感じた。その重さで、タムクは発言できないでいた。長い沈黙が続く。風が吹いた。その風に共鳴するように、鳥の鳴き声と木々のざわめきが、一帯を支配していた。
タムクは、素朴な疑問を口にした。
「何に、執着してるの?話を聞いていると、命に執着しているとは思えない」
タムクの眼を見た。意思の篭った良い眼だった。
リュークは、言われた事を考えた。そんな理由、考えたこともなかった。
なぜ生きているのかなど分からない。だが、こじつけに近い理屈を付けるならば、生きる理由を知りたかった。そして、生きる楽しさを知りたかった。苦しさ、悔しさ、辛さ、寂しさ、悲しさ、それらの感情は、不条理なまでに味わった。生きる事とは、そんなモノだとは思っていない。
上流階級の奴らは、安穏と生を貪り悦楽に耽っている。それが幸福なのかどうかは別にしても、いま生きているのは、上流への不快感の裏返しなのかもしれない。
答えられなかった。どう答えても陳腐になる。しかたなく、疑問に疑問で答えることにした。
「お前は、どうなんだ?」
「僕は、両親の仇を討てればそれでいいと決めたんだ」
「親の遺志は、違っているだろう…」
親のいない自分が、一般論を口にするのが滑稽に思えた。親というものを知らない自分、他者と繋がることすらない自分が、ひどくくだらない人間に思えていた。
タムクは、炎をジッと見つめている。炎に向かって呟いた。
「そうかも知れない。でも・・・・・・」
そこで、言葉は切れた。リュークの無機質のような顔を見てみている。自分よりも不幸な人間、地獄を知っている人間が、前にいる。
リュークにとって契約が全て。そう教育されて生きてきた。話している出来事が、眼に生々しく見えていた。言葉が出た。
「信じる。あんたを信じるよ。お願いだ、親の仇を取って欲しい」
少年の目には、決意が表れていた。
「いいのか?」
その問いに、少年は頷いた。
薪が切れ、炎が弱火になっていた。タムクが、布に包まれた魔剣を差し出した。
「お願いがある。いや、条件がある」
契約を重んじるリュークには、その方が合っていると判断した。タムクが、立ち上がった。
リュークは、こちらを凝視している。
「この魔剣を、あんたにやる。だが、売るなら、遥か西の国で売ってほしい。それと、準備をしたい。翌朝まで時間がほしい。可能だろうか?」
その答えにリュークは、「わかった」とだけ言い残し、立ち去った。
タムクは、今にも消えそうな炎を見つめていた。突然の強風が、白い灰を巻き上げた。
差し出した魔剣を引っ込め座り込んだ。
二
土壁。白く塗られた部屋に明かりが多く灯されている。板間であったが、そこには布団が敷かれていた。
エクバールは、寝間着で寝所の壁にもたれていた。
「エクバールさま。何を考えられておられるのですか?」
優しく弱々しい女の声。可憐という表現しか適さない女性が入り口に立っていた。艶やかな黒髪が濡れていた。女も純白の薄着をまとった姿で、布で髪を拭きながら、エクバールに近寄り傍に立った。
「燐、ちょっと気になる奴がいてな・・・・・・」
「女ですか?」
すこし、語尾が上がった。燐は、エクバールを凝視していた。
エクバールは、笑い出した。
「可愛いなお前は。他の女に興味があれば、これほどは悩まない」
「それは、どういう意味でしょう?」
「俺は、女のことであれば迷うことはない。だが、今回はなかなか見えて来ないんだ」
とりあえず女でないことが分かり、燐は安心したようだ。
エクバールは、燐と出会った時の事を思い出していた。
三年前に遡る。この国に流れ着いた頃だった。剣士として世を流離っていた。己よりも強い男と出会いたかった。世に名を馳せた剣士、戦士と多く戦ってきたが、まったく相手にならなかった。一撃を受けるどころか、相手は逃走しても四半刻(五分)すら生きていなかったのだ。
幾度と無く戦場にも行った。
戦場で、無数の屍を生産したが、充実感はなかった。弱兵を殺したいわけでも、殺戮をしたいわけでもなかった。戦場では、死が無数にあるだけで、生は感じられなかった。
卓越したもの同士が、命を掛けて全知全能を振り絞り戦う。そういった環境に身を置くことで、初めて生きていると実感できると思っていた。
四歳から剣術を学び、十二でほぼ習得し、初めて人を斬ったのは十三だった。それからは経験を重ねた。そして、十七歳の時だった。遥か西国の医師から人体構造を学び、独自に人体の限界を熟知した。
それからは、無敵だった。動作とは骨と筋肉の動きだと悟り、限界域の直前でかわせるまでになった。その習得は、剣術・体術だけに止まらず、魔導師の攻撃を避けるにも役立った。
要は、動作ですべてが読めるようになっていたのだ。
十九の頃から、強者を求めて東へ旅をしていた。三ヶ国目で、金が尽きた。金を得る為、その匂いを嗅ぐ為に花街を歩いていた。
女が多く居て、男が集まれば、自然と金が集まる。金銭といわれて思い浮かぶのは、こんな場所だった。
いかにもあくどく商売をしていそうな外観の娼館があった。門前に人相の悪い男が立っている。
中を覗いた。
娼館に年端もいかぬ少女が、中年の醜く太った女に売られるところだった。
黒髪の少女は、痩せすぎた体だが透き通りそうな白い肌と整った顔立ちをしていた。娼館の主人は、下種な笑みを浮かべていた。
少女の商品価値を見定めようと、少女の服を脱がせようとしていた。少女は、抵抗して駆け出した。
少女と目が合った。エクバールの背に隠れ、エクバールの服の端を握っている。
下種な雰囲気を漂わせる主人と、醜く太った女、そして三名の三下がエクバールを囲んだ。
主人が笑みを浮かべて口を開いた。
「剣士様、ご迷惑をおかけ致して申し訳ございません」
少女の手に力が入った。
主人よりも、女の方痺れを切らした。
「手間をかけさせるんじゃないよ!」
少女の二の腕を掴もうとして、手を出した。女の爪が、エクバールの手の皮膚を切った。
娼館の主人は、それを見逃さなかった。
主人は、諍いを回避しようとして、即座に詫びる。懐から、銀貨を二枚取り出した。
「剣士様、ご迷惑代としてこちらで…」
エクバールは、それを受け取ると少女に渡した。主人は、剣士の行動は理解に苦しむが、とりあえず金を受け取った時点で、片付いたと思った。
「では、行こう」
エクバールは、少女を連れて行こうとした。
「ちょっと待てください」
主人は落ち着いて言ったが、三下の一人が叫んでいた。
エクバールは振り返った。
「まだ何か用か?」
「その子を渡してください」
エクバールが笑った。
「銀二枚という事は、この子も含まれての金額なのだろう?」
「与太飛ばしてんじゃねぇぞ!」
男は、肩に掴み掛かった。男は重心が崩れ倒れたように見えた。男の左腕の肘から先が消えていた。エクバールの手に、剣が握られていた。
無くなった腕は、肩から足元に左手が落ちていた。
ざわめきが起こった。主人は後退り、女は逃げ出していた。
「野郎!」
残りの二人が、短刀を抜き襲い掛かる。
無頼にしては、動きは悪くない。だが、所詮は素人の動きだ。兵士にすら劣っていた。
エクバールは、剣を抜いた。一歩だけ動くと、三下二名の顔が割れていた。血を滴らせた剣を手に、壁にもたれかかり怯えている娼館の主人に近づいた。
「さて…」
「命だけは、お助けを…」
エクバールは、主人の華美な上質な絹の服で剣の血を拭き取った。
「言いたいことがあるなら、暴力ではなく言葉で聞こう。何か文句でも、あるのかな?」
主人は首を横に振るだけで、何も言わなかった。
人助けをしたかったわけもなかったが、なぜか助けたようになっていた。それから、少女はエクバールの後を付いて来るようになっていた。
名と齢を尋ねたが、少女の返事は一言だった。
「わからないの・・・・・・」
悲しそうに言った。
「今決めよう」
少女は、困惑した顔を浮かべた。両手をギュッと握っていた。
「名が無いことなど、たいした問題ではない。私が決めてやろう」
エクバールは、気遣ったわけでもなかったが、少女は純粋に満面の笑みを浮かべていた。
年齢は分からない。外見は、一三、四歳に見える。
「燐。これから燐と呼ぶぞ」
少女は頷き、抱きついてきた。
特に何か考えていたわけではなかった。ただ、身の回りの世話をするのに丁度良いくらいにしか思っていなかった。
頬がコケ、骨が浮き出た少女の身体に性欲を感じるわけもなく。ただ世話をさせる為だけの小間使いとして使っていた。使えない場合は置き去りにするか、どこぞに売ればいいと思っていたほどだった。
だが、甲斐甲斐しく動き、健気に振舞う姿は、そんな考えすら忘れさせる程だった。
それから一年後には、良い女に成長したが、抱く気になどならなかった。
富人から、燐を売ってくれと頼まれたことはあったが断った。そして、翌月にはこの国の武人が奪いにきた。
丁度良かった。
私に勝てば持って行け、と言うと、武人が多く集まるようになった。これで、正々堂々と人を斬れるようになり、しかも向こうからやって来てくれるのだ。
そんなある日、王宮から召し出された。
きらびやかな建物であったが、その建物に住んでいる人物は、どいつもこいつも腐っていた。腐臭に耐えて謁見の間に入ると、目の前に立っている人間が王だと説明を受けたが、信じられない。
見るからに王は、小物であった。そして、怯懦という言葉が良く似合っていた。その怯懦を隠すために、尊大さで繕っていた。
「その方、余の武官、兵を多数殺めているそうだな。詳細の報告も入っているが、どういうつもりだ」
王、大臣、将軍などの視線が集まる。
「その将や兵が、納得して勝負した結果です。陛下が兵を惜しむなら、首輪でも着けて、一見優秀そうな大臣たちにでも飼育させればよろしいでしょう」
尊大な王に対して、軽口で応じた。
「わが国の臣を殺害して、何たる言い草か!」
大臣らしい中年が、怒りを露にして叫んだ。その行動に、エクバールは横目で見ると鼻で笑い飛ばした。
「文句があるなら、理を持って礼を尽くせば済む話でしょう。礼を尽くせないならば、お互いが血を流すしかありますまい」
エクバールの目に怜悧な影が差した。衛士が、一斉に槍を構えた。
王が、荒れ始めた場を制止す。
「そなたの言うことは、聞くべき所はある。だが、間違っておる。余の命は、そなたの気持ちなど汲む必要がないのだ。それが、王命である。しかし、余は寛大で寛容だ・・・・・・」
エクバールは、王の言動に抑えがたい不快さを感じていた。王を殺せない距離ではない。それでも、素手でこの人数を相手にするのは厄介だ。城から出るのも至難の技で、剣があれば、何とかなるだろうが・・・・・・。その時、燐の顔が浮かんだ。
ため息をつく。燐を連れて逃走など無理だった。
話している王を、目を細めて見ていた。
「その方には、臣を殺した埋め合わせをしてもらおう。余に仕えよ。そなたのような手練れであれば、高額の扶持を約束しよう」
「具体的な額で知りたい」
エクバールは、無表情だ。
「金塊一〇〇貫(三七〇キロ)でどうだ?」
場内がざわめく。一剣士に、年間金一〇〇貫もの高額の扶持など聞いたことなかった。
「いいだろう。だが、宰相や大臣ならびに、王に対しても仕えぬ。私は、この王国に対して仕えましょう」
「どういう意味だ?」
王は、不愉快な顔をする。返答次第によっては容赦しないという感じだった。
チャン・ゾアン宰相が前に出た。
「陛下。この者の申している意味は、次のようなことではないでしょうか。私や大臣の指示で動けば、派閥争いに巻き込まれる。だが、王国に仕えていれば、自身を害せぬと。そして、自身を害そうとする者がいれば反撃できると云う事だと思われます」
「では、なぜ余に仕えることを拒む?」
「陛下が、不慮に崩御されれば、国は求心力を失うかもしれませぬ。ですが、王国であれば、陛下の御子を守ることも出来ましょう」
虚言だった。真意は、王が排されれば、道連れになりかねない。いつでも無能な王を見捨て、王を売れる名分が必要だった。
権謀術数の世界であれば、当然の配慮であった。宰相は、そのことまで見抜いているのかどうかは判断できないが、この宰相の腹黒さは侮れないと思われた。
「ま、良かろう。王国の為になるということは、余の益になることは疑いようもない。明日から出仕せよ」
悪くない環境だと思えた。愚人を守る責務を負うことはなく、自身の強さを試せる場所にいられる。そう思った。
なぜ燐の事を考えて判断しているのか、このとき自認したのだった。
記憶から現実の光景に帰っていた。燐は股間から液を垂らしたままで布団に横たわり、寝息を立てていた。
頬にかかった艶やかな黒髪を、優しい手つきで後ろに流した。黒髪。その黒髪は、リュークへ思考を引き戻した。
妖剣を取り戻す時のあの身のこなし、只者ではないのは確かだ。
剣士、魔導師、冷静に見ればそう判断するだろう。だが、それでは納得できない。諜者にしては、戦闘力があり前面に出すぎている。暗殺者、これが一番しっくりくる。だが、暗殺者にしては、あまりに無警戒で、無防備だった。何より、目的が見えない。しかし、何か目的がある事は確かなのだ。
話をしていて、城の事を聞きたそうな感じだった。目的は城内の何かだろう。妖剣には、興味を示さなかった。
こうなると、あの女狐と関係があると思わずにはいられなかった。あの女の目的には興味が無い。罪人を追っている、と云うことしか聞いていない。あの男が罪人であれば、捕縛など至難の技だ。討ち取るとなれば、幾分簡単になるだろうが、それでも万全の準備が必要だが…。
何をしたのかは知らないが、少し探りを入れた方が良いのだろうという結論に達した。
寝室を出ると、二度手を叩いた。闇の中から小男が現れた。
三
城郭の中を歩いていた。通行人や商人の視線が集まる。その視線を気にすることなく、美女は鋭い眼光で街を見ている。
この三日間、城郭でリュークを探し、足取りを追った。この王都にいることは、分かっていた。それらしい男が、傷薬と雑貨を購入したという情報を得ていた。
だが、不自然な情報だ。人物の特徴は、リュークと酷似しているが、その男は生活用品を大量に購入していたという。
逃亡者がこの都市で生活するには、どう考えても無理に思えた。この近辺で、戦闘にもなっている。だからこそ、と云うことなのだろうか…。それにしても、愚行の極みだった。
(逃亡に疲れ、死ぬ気か?)
そう考えた瞬間、笑いがこみ上げた。
リュークが諦める。そんな事は、ある筈が無い。彼は、絶対に諦めない。どんな状況でも、活路を開いて生き抜いてきたのは傍で見て知っていた。
そうなると、大量の日用品は何の為なのか推察せねばならない。
二つに絞られる。一つは、目眩ましの為。もう一つは、誰かに頼まれたと云うところだろう。だが、その両方とも、現実味は薄い。
ここに至って、目眩ましなど無意味だ。
そして、もう一つの事象であれば…。頼まれる。そういうことが、起こるのだろうか…。リュークは、自身以外は信用しない。それは、私が一番良く分かっている。
何か罠を張っているのだろうか。
明霞は、考えている。
リュークに関係すると、過敏になるところがある。それは自覚していた。しかし、共にいくつもの任務を遂行してきた。リュークの先見性や機転で助けられたことは幾度もある。
リュークについては、魔導の才は準一流だ。魔力の抽出は二流で、上位魔攻は一つか二つしか使えないはずだ。だが、与えられた任務は総て完遂した。
魔導を軸に、知力、その他の武を学び、自身が得意な分野で勝ってきた。そして、様々な天才や一流の者であっても、意外な方法で仕留めてきたのだ。
まさに父が言ったように、リュークは紛れもなく能才であった。
明霞は時を遡っていた。父からの命を受けた頃へ。
その日は、秋だというのに肌寒く、空は曇っていた。李雲玖が、弟を殺して学院を逃亡した。
弟が死んだのは悲しいが、学院に在れば死という結末は納得できないわけではなかった。それに、卒院試験は参加者の半数は死ぬのだ。
弟は、確かに優秀だった。天才と称しても過言ではなかった。魔導の才は常人離れし、優れた才を多く有していた。人の上に立つ器量はあった。だが優秀故に、他者を軽んじる傾向があった。特に、身分には拘る傾向が見られ、それでも、遜り、下風に立つ者は寛大に接している。
それでも弟なら、その欠点を克服できると思っていた。李雲玖が、そのきっかけになると信じていた。 だからこそ、共に卒院試験に参加することを強く反対した。
その結果、両者が相撃ち蔡白冰が負けた。
蔡白冰の死で父は激昂したらしく、その場に乗り込み襲い掛かったようだ。父は、李雲玖に不意の一撃を喰らい、左目を失っていた。
任務で、その場には居なかったが、小刀で蔡白冰の首を刺し、父が襲い掛かると飛剣を投じたのだ。
(読んでいたのだ。準備していたのだ。蔡白冰と当たることを・・・・・・。そして父が襲い掛かって来るであろう事も・・・・・・)
まさか、それら全ての可能性を想定しているとは、にわかに信じられなかった。
李雲玖が逃亡して、既に半月が経過した。行方は杳として知れなかった。
そんな時、父に呼び出された。
院長室に入った。父は、未だ左目に眼帯を当てていた。
左目は隠れているが、不愉快だと十分に判る。
「お父さま。お躰はいかがでしょうか?」
父からの返事は無い。
父は、白冰を失い人格が変わった。ここ半月で、周到さより果断さが目に付き、豪腕を振るい政敵を短期間で葬った。
それはまるで、別人と言ってもいい程の変貌だった。右目で、明霞を凝視した。
「李雲玖のことだが」
「はい」
「五名の刺客を放っていた。その全てが、死体で発見された。しかも、街中に晒されるように置いてあったそうだ」
父の顔が、少し歪んだ。その歪みは、生徒を失った院長のものではなく、息子を殺した男が生きている不快さだろう。
それを見抜いている娘は無表情だ。
「お父さま。当たり前の結果を言われましても・・・・・・」
「当たり前だと?」
「そうです。弟を殺害し、お父様に手傷を負わせる程の男です。八杖慧ですらない学院徒五名なのでしょう。お父様は生徒五名に、いえ倍の十名に襲われれば負傷しますでしょうか?」
その説明で、納得したようだ。
父は、左目に軽く触れると、本題に入った。
「明霞、学院から依頼したい」
依頼内容は、容易に想像が付く。
「何でしょうか?」
蔡伯鈞は、その態度を笑った。話の脈絡から云っても、すぐに分かりそうなものだ。判っていても、こう答えるのか娘らしくもあった。
「一族として、家族として、奴は討たねばならない。学院の掟とは別に、お前には動いて貰いたい。足りぬものがあれば手紙で知らせよ。すぐに物でも人でも送ろう」
明霞は、その理屈では納得できなかった。弟白冰の死は悲しくもあり寂しくもあった。だが、李雲玖は悪くない。生き残る為に、蔡白冰を殺害したに過ぎなかった。
元は、父が下した決定の間違いである。
だが、息子を殺された父に云ったところで不興を買うだけだろう。
そう思えばこそ、無言で頷くだけだった。
それから李雲玖と出会うために、生徒の遺体が上がった場所に向った。
聯国内の都市・碩夏荘に着いた。学院から南西に五〇府(二〇〇キロ)人口七〇万人の聯国第六位の都市だ。豊かな平原が広がっている。
小麦畑や玉蜀黍畑などが眼下に見え、郊外の長閑なうっすらと町並みが見える。
そこを歩きながら考える。李雲玖は、こんな所には居ないだろう。木を隠すなら森の中。人を隠すなら人の中。大都市ほど、人間関係は希薄だ。こう云うことをリュークは過去に言ったが、彼の真意は「人とは、利に関すること以外の感情は希薄だ」という事を思い出した。
情報を集めると、予想した以上に多く集まった。この街に潜伏しているらしく、西洋人の呼び名で動いていた。リュークという名で。
この名は、約一年前の任務で、西洋人の護衛を仰せつかった時、護衛対象の黄金の髪をした貴人の女性が、どうしても李雲玖を『リューク』と呼ぶのだ。結局、西国地域では、李雲玖の発音が難いようで、従者も世話人もそう呼ぶようになった。
その名を使っていると云うことは、西に行く気なのだろう。街に入るとその情報はさらに増加した。
街で、魔導師六名の死体が川から上がったと情報が入った。
確信した。本格的に逃亡に移るのだと。その準備は既に整っていると。
駆け出していた。
街は既に朱に染まっている。陽は、沈もうとしていた。
古びた門が見えた。一人、男が歩いていた。明霞の駆けてくる音に気づいたのか、城門を過ぎた所で、振り向いた。
李雲玖だった。
わずかひと月見ない間に、雰囲気はすっかり変わっていた。
「李雲玖」
冷静に口にしたつもりだったが、叫んでいた。
明霞と李雲玖の間に古びた門が建っている。
李雲玖は、微笑んでいる。
「待っていたよ」
「何故?」
「別れを言いたかった」
「その為に、刺客を人目に付き易い場所に晒したのね…」
李雲玖は、何も言わなかった。
「李雲玖…」
「その名は捨てた」
「知っているわ。リュークでしょ?その名にするとは思わなかったわ…」
「西に行くなら便利がいいだろう。どうせ正確に名を言っても、伝わらないだろうからな」
やはり。卒院試練以降、発する気が変わっている。姿も多少痩せているが、言葉を交わせば交わすほど、距離は開いていく。
この瞬間から、李雲玖ではなく、リュークという人物に見えていた。それでも、理を説く努力をする。
「私は、あなたが罪人だとは思っていません。私はこのような事態を避けるべく、父に試験への参加は見送るように進言しました。力になります。帰りましょう」
リュークは、嗤っていた。
「明霞、思ってもいないことを口にしない方がいい。あなたが、擁護したところで、私の敵は院長であり、強大な学院だ」
そこまで言って、リュークは失笑した。
「何がおかしいの?」
「いや、自分の馬鹿さ加減、未練に呆れただけだ」
「どういうこと?」
「あなたは、無理だと知りつつも、そう信じさせることで、院長の意に沿おうとしているのだろうが……陳腐だな。」
「そうじゃないわ」
明霞は否定した。だが、すでにリュークは、聞く気など無い。
「院長から誅殺指令が出ているのだろう。明霞、放って置いてくれ。そうしなければ、貴女を殺さねばならなくなる」
今回は、見逃そうと謂わんばかりに発言を終えた。明霞は一歩前に踏み出すと、名を呼んだ。
魔力の集結を感じる。明霞は身構えた。
リュークは、口の端だけで微笑を作る。その右手から火焔魔攻を放つと、門柱の隅に纏められている麻の紐を焼き切った。
「この四年と数ヶ月、世話になった」
その声が明霞の耳に入ると、古びた木製の門が轟音を当てて始めた。
門に溜まった埃や塵が落ちる。まるで雨のような風景だった。木片、木材が崩れ落ちる。
寄木ごと外れ、音を立て降り注ぐ。柱が地に突き刺さる。
白煙のような埃で、リュークの姿が消えていく。
明霞は、後を追わなかった。それは、これから山越えの道になる。山を約一府(四キロ)入ったところに、吊橋がある。追っても、渡れないようにしてあるだろうとの想像は付いていた。
明霞は、古い木材、埃の臭いに包まれていた。
木材と埃の臭いがして、追憶から返った。右の家が取り壊されていた。
それから、リュークとの二度の戦いを経て、今この場所に追い詰めている。
リュークとして殺してあげるのが、優しさだと明霞は考えていた。それ以上に、一族としての決意がついたのだ。
油断、甘え、他力など全て捨てた。
この城で必ず仕留める。そう思いながら、城郭を歩いていた。
男が一人、闇夜に紛れるように屋敷に入っていった。その男は、窓辺で風に当たりくつろいでいる小男に頭を下げた。
「エクバール様」
エクバールは、了承無く邸宅に踏み込んだ男へ視線を送ることすらなかった。
「何かわかったかい?」
小男は、肯定の言葉を使った。その男は、エクバールの間者である。
「よくやった。で、なんだ」
「はい。男は、リュークと名乗り、数日前に、王都入りしています。聯国の魔導師らしく、明霞の言うとおり、罪人として学院から追われているのは事実でした」
エクバールは、まだ男を見ず、外に視線を向けている。
「主目的は、逃亡だと思われますが、この都での行動が不規則で、非効率的なので納得がいきませぬ。逃走だけが目的ならば、それに必要な物を手に入れれば用は無い筈ですが…」
「数日間、滞在している…か」
「はい。そして、さらに調べると面白いことがわかりました」
「なんだ?」
「リュークが現れたと同時に、警備兵が四名行方不明になったので。関連があるのかと調べたところ、南東の山中でその兵士の死体が発見されました。さらに山奥を探ると、魔剣を持って逃走している少年を発見しました。二刻(四〇分)程、監視したところにリュークが現れたのです」
「ほう。魔剣を奪ったか?」
エクバールの表情が変わった。
「いえ。それが、魔剣を奪うことなく立ち去ったのです。エクバール様から、何もするなと言われておりましたので、そのままで帰ってきましたが、よろしいのでしょうか?」
「構わぬ。魔剣など、いつでも奪える。それよりも、リュークの狙いを探るほうが先だ。こちらの動きを察知されれば、行方を暗ますかも知れぬからな」
「了解致しました」
「で、どう思う?」
「判りません。逃走資金を得るために、魔剣を奪うなら解りますが。」
「そうではなかった」
エクバールも悩んでいた。
狙いが判らない。それは、異様な不気味さを感じさせる。
逃亡者で、一刻の猶予も無い者が、数日も同じ場所に滞在している。しかも、大金になる魔剣を見過ごしたと云うのだ。
「エクバール様」
燐の声が聞こえた。
小男は、エクバールの前から素早く立ち去った。
部屋の戸が開き、燐の姿が現れた。
「何だ?」
エクバールの問いかけに、燐は足早に駆け寄った。エクバールの太腿に顔を置く。
「何だ?では、ありません…湯殿の用意が整いました」
艶っぽく言う燐の頭を撫で、耳に触れた。燐の吐息が漏れる。
「わかった。では、行こう」
エクバールは立ち上がり、湯殿に向って歩き出した。
「私も御一緒致します」
嬉しそうに振舞う燐は、エクバールの気持ちを安定させた。
賢い女だった。エクバールの心を機敏に察知し、決して不快にさせない。何をするにもさり気なく振る舞い、そのあまりに自然さで煩わしさから開放してくれている。
「エクバール様、御心は安らかになりましたか?」
「悪化したかな。しかし、愉快になってきた」
燐は、ただ見詰めるように優しい眼差しで見ていた。
エクバールは、続きを話し出す。
「それが、奴は他国の罪人だとわかったのだが、なかなか良い腕を持っている。是非とも部下に欲しいが、無理だろうな…。闘うことで満足するとしよう」
初めて見るエクバールの楽しそうな顔が、燐の嫉妬心を煽った。
「私では、不満ですか?満足しませんか?」
これまで燐は、嫉妬など見せたことは無かった。エクバールは、そんな燐を愛おしく思った。
「燐に不満があるわけではない。今は、極上の女より一流の男と闘いたい。それだけだ」
燐の肩を抱くと、湯殿に入る。湯気の匂いが心地良い。
五
夜空には、星が現れ天を緩やかに流れていた。様々な輝きの強さで存在を主張している星々であったが、山中に入っている二人は、気付いてなかった。
山の気温は下がり、肌寒さを感じる。その寒さから逃れるように、焚き火が煌々と燃えている。
その光に照らされるように、タムクは枯れ木の上に座していた。
タムクは、炎の一点を見つめている。
リュークが、闇から現れた。手に何か持っている。焚き火の赤い光に照らされた。
首だった。三〇代半ばだろうか、浅黒い肌の男の首がぶら下がっていた。
リュークは、焚き火の傍に放り投げた。首が土に塗れた。それから、向かい会うように座った。
タムクは、困惑の表情を浮かべた。
「その首は?」
「顔に見憶えがあるか?」
タムクの質問を無視して、訊ねた。
タムクは、首をじっと見たが憶えなど無かった
「知らないな。何故、その首を?」
「半日前から、微かだが気配を感じていた。そして、つい半刻前(一〇分)に捕らえた。口を割らそうと思ったが、自ら命を絶った」
「捕らえられただけで?」
「そうだ。いやに潔かった」
「僕を狙っていたのかな?」
「わからない。俺かもしれない。どちらにせよ、間諜が潔く死ぬほどだ。余程の完璧主義者か、背後に大物が控えているかだ」
タムクは、震えながら薪をくべた。
リュークは、切り落とした首の上に右足を置いている。
風が木々の間を吹き抜け、笛のような音が鳴っている。風で炎が揺れていた。
「こうなっては、時間が無い。相手は見えないが、間諜が殺されれば、敵も動き出すだろう」
「そうだね」
「準備は出来たか?」
ここでの準備の意味は、タムクの死を指している。少年もそれはわかっている。昨日の朝から、悩みながらも全てを片付けた。
残るは、抱えている剣だけだ。
タムクは、半日以上考えていた。だが、生き残っても、王を殺せるわけ無いという結論に達していた。
リュークという男は、厳しさと優しさを兼ね備えているように思えた。話していると良く分かる。
目的を達成する実力が無ければ、それに見合う代償を払うべきだと。人とは対等であり、弱者だといって、強者に施しを受けるような心持ちが許せないのだろう。弱さを肯定し、それを理由にして努力を怠る。そんなことが、許せないのだろう。
だからこそ、首を条件にしたのだろう。それでも、王の首と自分の首が等価だとは思わなかったが、魔剣に王の金を含めれば等価になるのかもしれない。そう思った。
そして、いま間諜に居場所がばれ、一刻の猶予も無い。
すべてをリュークに託すしかなかった。
「絶対、ラック王を討ってくれるか?」
「一五刻(五時間)後には、冥府で会わせてやる。先に行って、待ってろ」
タムクは頷いた。
そして、おもむろに立ち上がると、鋤を担ぎ闇に向って歩き出した。リュークも、その後を付いてゆく。
虫の音色。鳥の声。木々のざわめき、風が森の香りを運んでくる。一筝(三〇センチ)先も見えない暗闇の中を、タムクは迷うことなく歩いている。
リュークも夜目が利く、だが僅かでも光があればの話だ。だが、この山中では、木々が高く生い茂り月明かりすら遮っている。まったくの闇なのだ。
タムクの背中だけを見て、後を追う。
これまで生きてきた山。その山の全てを知り尽くしているから歩けるのだろう。この闇中へ逃げ込まれると、殺すことは不可能に思えた。
三刻(一時間)は歩いただろうか。その時間的感覚も、闇の中では正確に機能しない。小川を渡り、しばらく歩くと、白い光が振り注いだ。
森を抜けた。
目の前に、断崖が広がっている。タムクの背が止まっていた。
「着いたのか?」
リュークの問いに、タムクは振り返り言った。
「ここに埋めてくれないか…」
そう言い、タムクは、鋤を地に突刺し穴を掘り始めた。リュークも手伝い始める。
穴を掘っている間、タムクは饒舌だった。
家族の話。母親の優しさ、父親の厳しさを独り言のように呟いていた。
父親の鍛冶技術に話が及んだ。
父は、よく言っていた。
「私が、名匠として呼ばれているのは、この鎚があるからだ」と。
父が言うには、特別な鎚の効力が大きいと。確かに変わった鎚だった。緑色の鎚で、その鎚でなければ、魔剣を鍛えることが出来なかったと。他の鎚、一般的な金属の鎚では、珠の硬度に負けると言っていた。
「父の墓に、その鎚を共に埋めた。父の物だから…。だから、父と母の墓の隣に、僕も眠りたい」
リュークは、その話は興味深く聞いていた。
幅六筝(一二〇センチ)深さ三筝(九〇センチ)の穴を掘り終えた時、東の空が白み始めていた。
タムクが、鋤を放り投げた。
「これくらいで十分」
穴の中から這い出すと、タムクはリュークに向き直った。
「日が出てきた。始めよう」
魔剣をリュークに手渡すと、服で顔の汚れを拭う。そして、断崖に近づき、朝日を浴びるように膝を着き座った。背が震えている。
「頼む」
声が震えていた。だが、強さを感じる声だった。
リュークは、魔剣を手に取ると、刀身を鞘から抜いた。力を吸われる感触。
魔剣は、禍々しい気を放ちリュークに語りかけてきた。
血に餓えている。それを乾きとして感じた。絶命の叫びを欲していた。持ち主の命すら奪う、そう感じる。飢えているのだ。この剣は…。
魔剣の飢えを満たすために、魔力を送り込んでみた。魔剣の禍々しさが増した。それは、まるで喜んでいるように共鳴してきた。
納得した。タムクの父親が、何故王にこの剣を渡したくないか、剣を持って始めて理解できた。
魔剣は、リュークの魔力を喰っている様だった。魔剣を振りまわすと、羽根のように軽かった。
タムクは、その音で背筋が丸まった。
「胸を張れ、お前は王と刺し違えるのだ。志を達成する。それは、胸を張れることだ」
その言葉に、タムクは背筋を正し、胸を張った。
リュークが剣を構える。
「ああっあああああああああああああ!」
タムクが叫んだ。腹の底から、全てを吐き出すように。
朝日が、昇り始めタムクとリュークの影が伸びる。
魔剣が振り抜かれ、頭が宙に舞った。
血が吹き出し、地を染めた。
首を拾い上げた。安らかな顔をしている。叫んでいたとは思えないほどに・・・・・・。満たされた表情だ。
タムクの骸を穴に入れると、土を被せた。穴を平らにして、鋤を地に刺した。
急ぎ川に向かい、タムクの首を洗った。
そして、口を開かせる。口の中の咽喉の奥。上顎の骨を避けるように、穴を掘り始めた。肉を抉り出す。そして、考えた通りに掘り終えた時は、四刻(八〇分)の時が過ぎていた。
リュークは、飛剣を二つ油紙に包み、タムクの口から頭部に詰め込んだ。そして、口を閉じさせ布に包んだ。
「よし。準備はできた」
麓に見える王都に目をやる。
朝日が差し始め、王都は目覚め、民衆の熱気が発ち上がるように見えた。
王都を見るリュークの眼光は鋭さを増し、表情は引き締まっていた。
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