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参章 波風の地

     一


 リュークが、王の命と引き換えに、タムクの首を要求したその日の夜。ささやかな事件が起こった。

 国王護衛兵の一人が、妖剣を奪ったのだ。

 護衛兵は、王の妖剣に見惚れていた。王は、肌身離さず帯剣し、蒼銀色の剣身を眺めては、愛おしそうに手入れをしていた。

 奪ったのは、わずかな間だった。王は攻守同盟を結んだ、隣国の王太子を歓迎する宴の為に、妖剣を肌身から離さねばならず宝物庫に収めさせた。宴自体は、五刻(一〇〇分)であったが、王は一刻(二〇分)しか出席していない。

 そのわずかな時間を狙い、その護衛兵は庫に潜入したのだ。

 男は、眼前に並び積まれた金銀、瑠璃、瑪瑙(めのう)、珊瑚、硨磲(しゃこ)琥珀(こはく)、真珠などには目もくれず、一番奥の妖剣が置かれ場所に引き寄せられるように向かっていった。

 妖しく美しい剣は、妖艶な色気を漂わせていた。


「素晴らしく美しい」


 男は、その一言を言い終えると、両手を伸ばし剣に触れた。鞘を抜き、刀身を眺めると思考が飛んだ。そして心を掴まれ、魅惑の泉の深くまで引きずり込まれた。


「俺のモノだ」


 男の瞳には、剣しか映っていなかった。人格が変わったように笑い声を上げる。

 男は、宝物庫を飛び出し、逃げ出した。まるで、女を連れて逃げるように、城内を息荒く走り抜けた。

 門を抜けようとした時、門兵が静止する。しかし、剣を手に走る男から只ならぬ気迫に、門兵三名が瞬時に槍を構えた。

 元護衛兵は、微笑んだ。妖剣を構える。淡い蒼色の剣身が妖しく輝いた。

 体が勝手に動く。男は、そう感じた。

 門兵の二人が行く手を塞ぐ。一人が後ろに回り込む。

 その配置は最善であったが、意味が無かった。

 一人が後背に回った瞬間に、前方の一人の頭が割られていた。残った前方の一人が、この攻撃と同時に衝きかかれば、仕留められたかもしれない。だが、門兵はその機会を逃した。

 兵士の頭に、血の花が咲いた。一瞬で、その花が散り、もう一人の行く手を阻む。門兵に腕を返して振り下ろした。首と右腕が槍と同時に舗石の上へ落ちた。

 雄叫び。後ろに回り込んだ番兵が、槍で衝きかかってくる。また体が勝手に動いた。妖剣が槍を弾く、その動作のついでに、首を妖剣で刺し貫いた。

 三体の死体をつくった元護衛兵は、妖剣に纏わり付いた血を振り払うと、王都の夜陰に紛れていった。

 それから半刻(一〇分)後に、王の耳に妖剣が盗まれたという情報がいると、隣国の王太子を放り出し、王都城門を閉じ街道封鎖するなど、速やかに的確な指示を出した。


 翌、早朝。ラック・ディン王は、苛立っていた。苛立ちの理由は、昨夜に登城を命じた剣士エクバールが現れないことである。

 王が、大臣らに苛立ちや怒りをぶつけていると、エクバールが飄々と現れた。

 妖剣を盗まれ、荒れ狂う王に、エクバールは関心も興味もなく立っている。 


「エクバール、キサマ。王命にも関わらず、何故、昨晩のうちに参内しなかった!?」

「女が、離してくれないもので」


 真顔だが、軽く答える臣下に、ラック・ディンは足を踏み鳴らし激昂した。


「王である余が、緊急の呼び出しをかけたにもかかわらず、女だと!キサマは―」


 後半部分は、怒りで何を言っているのか、識別できなかった。

 エクバールは、周りを見渡した。

 ラック・ディンは、このような些細な事件に文官まで呼び出していた。常軌を逸している。居並ぶ諸臣たちは、エクバールに不快さと警告の意を視線に込め送っていた。

 とばっちりを食うのは、不本意極まりない。そう思うのは当然だった。

 しかし、エクバールが態度を改めることはない。

 仕方なく、エクバールは王に尋ねた。


「お怒りの理由が理解できませぬが…?」


 怒りの炎に油の浸み込んだ薪をくべた。諸臣は唖然としている。

 エクバールは、再度確認する。


「陛下は、剣を盗まれたことに、憤りを感じておられるのでと、解釈してよいのですか?」


 用とは、剣を取られた事なのか、それとも取った護衛兵が許せないのか、を聞いていたのだった。物か。名誉か。ということだ。

 ラック・ディン王は目を細め睨みつけている。

 その視線で、所詮物欲か…と、そう解釈した。


「では、端的に話しましょう。要は、剣を取り返せば問題ないのですね?」

「言うのは簡単だが、具現化させることは容易ではないぞ」


 チャン・ゾアン宰相が口を挟む。そして諸臣が次々に頷いた。


「御自身の能力で考えるから、そのような結論が出るのだ」


 エクバールは、そう胸中で毒吐いた。言葉こそ胸にしまったが、いつもの不遜な態度が、雁首並べた高貴な御仁には不快であったらしい。

 宰相が問う。


「では、王の愛剣をいつまでに取り返せるのだ?」

「本日、陽が落ちるまでに」


 一同、失笑した。そんな短時間に、出来るわけが無い。諧謔(かいぎゃく)の出来としてもひどい。などと、平然と言っていた。

 ラック・ディン王だけは、嗤っていなかった。


「では、日没までに、持って参れ」


 そう言うと、王はその場を後にした。エクバールも王を見送ると、無言で立ち去った。

 チャン・ゾアン宰相は、両者を見送った。そして、ため息をついた。

 あの妖剣が来てから、国が乱れ始めた。チャン・ゾアンには、そう思えてならなかった。その二年前まで、能力こそは凡人であり、致命的な欠点は小心であることくらいであったが、国王としての最低限の品性と責任感は所有していた。

 その点では、能力の有る臣下に国政を任せていた。だからこそ、チャン・ゾアンが最大限の権限を有し、我が物顔が出来たのだ。しかし、妖剣に魅入られた王は、その剣しか眼に映らなくなった。それ自体は大した問題ではなかったが、疑心に囚われるようになり、他者を信じることがまったく出来無くなった。すべての案件が、王の許可・信認が無ければ動かないように変化していったのだ。

 宰相の地位ですら、子供の使いの様に細かなことまで、陛下に許可を求めなくてはならず、国家として著しく鈍重になっていった。

 王太后の発言力も無くなり、制す者は誰も居なくなった。

 日ごとチャン・ゾアンは、体が重くなる感覚に襲われる。さらに頭痛の種があった。


「あの女魔導師は、いま何をしているか?」


 王都警備隊長が一歩前に出る。


「あの女は、罪人を追っているらしく、王都の隅々まで探索しているようです」

「己の事で手一杯か。だが、このような事が起こっては、我が国の件を優先させてもらう。魔導学院の厄介者など、こう云う事態にこそ活用するのだ」

「確かに。しかし、言う通りに動きますでしょうか?」

「どちらでも良いのだ。今は、王の手前、形式が大事なのだ」


 チャン・ゾアン宰相は、女魔導師を思い出した。その容姿は、鮮明に浮かぶ。藍紫色の長く艶やかな髪。黒い瞳。均整の取れた体躯。すべてに美の造形を見る。

 老齢のチャン・ゾアンですら、無性に抱きたくなる。この歳では、その衝動を押さえることは容易くもあるが、生きてきた中で、最高に良い女である。老境の自分でもそうなのだ。若い者には耐え難い色香だろう。

 そんな中で、唯一王だけが興味を示さなかった。王は、妖剣にしか興味を示さなかったのだ。

 妖剣とはそれほど魅力的なのか、剣に興味も無く、触れてもいないチャン・ゾアンには理解しがたいことだった。

 チャン・ゾアン宰相は、居並ぶ凡臣を見ると、ため息をつかずにはいられなかった。


     二


 日の光は、朝の特有の爽やかさを都に注いでいた。その心地よい光に、誰も気を留めることなく忙しく動いている。

 藍色の髪を風に靡かせ美女が、気配を消して歩いていた。いくら気配を消したところで、妖艶な器量と色香は消せるはずも無く、男達の視線を集めている。その男の熱視線が、女の冷視線を引き込み、注目の的となっていた。

 街では男の欲に晒され、王国の重臣たちに厄介者扱いされている(さい)明霞(めいか)であった。しかし、明霞は一向に気にする様子は無かった。

 腰に付けている淡い色の鼈甲の櫛に、彼女の白く細い指が触れると、口から言葉が漏れた。


「なぜ…」


 これまでの出来事が甦っていた。しなやかな指は、滑らかな鼈甲を優しく撫でていた。

 慌しい街の中に、目映いばかりの白衣を着た男が立っていた。明霞は、男を見ると近づき声を掛けた。

 その声に、エクバールは振り返った。


「これは、魔導の女傑か。このような場所に、何か御用かな?」

「貴様たちが低能だから、宰相が私にまで『妖剣を取り返しに動け』と命じてきたのだ」


 エクバールは、明霞の不快な一言を無関心でかわすと、すべての会話を省いて、結論だけを伝えた。


「助力も、気遣いも、心配も無用だ。罪人の所在は掴んでいる。すぐに取り返す」


 口調には、焦りや虚勢はなかった。嘘ではなのだろう。


「では、これまで通り、勝手にやらせてもらう」

「貴女の捜している者も、共に見つけてやろうか?」

「私の足を引っ張らないで頂きたい。そなた達の力量では、足止めの役すらできぬでしょう」


 そう言うと、やわらかな陽の光を浴び、輝く長い髪を軽く払う。

 その仕草は、エクバールの部下を魅了した。部下たちの視線を集めながら、明霞は足早に立ち去った。

 明霞は、既にリュークの姿を捜していた。

 エクバールは、そんな絶世の美貌を持つ女傑の立ち去る姿を冷ややかに見送った。


「いい女ですね。隊長」


 側で控えていた副隊長が言った。


「容姿だけで判断すると、痛い目を見ることになるぞ。もっとも、容姿が重要ではないと言っているのではないがな。容姿は重要なのだが、あれは危ないということだ」


 あの女の内に、闇を感じていた。振り返ると、その女の姿は消えていた。

 別の場所から、視線を感じた。振り返る。視線の先には、前日早朝に王城門前で会った男がいた。民家の二階から、杯を手に眺めていたのだ。

 エクバールは、手を挙げ相手を呼ぶ。

 呼ばれたリュークは、意図を正確に理解して瞬考した。逃げる、隠れるなどの不審な行動をとれば、不要な疑念と警戒を招き、追手に嗅ぎ付けられる。そうなれば、身動きが取れない。だからこそ、一市民と変わらぬ振る舞いが無難だと。判断し、その招きに応じた。


「やぁ、会えてよかった。どうだい、仕官する気になったかい?」


 自分から呼び付けておいて、随分な言い分だ。そんな人物と、会話を続ける気は無く、すぐに本題に入った。


「何か御用でしょうか?」

「いや、特にない。だが、君は腕が立ちそうだ。暇なら、野暮用に付き合わないか?」


 エクバールの部下の表情は、王命が野暮用とは…と呆れていた。


「人手が足りないんですか?」

「いや、充分だ」

「では、なぜでしょう?」


 その問いに、少しだけ考えるような仕草をして答えた。


「君より強い男が、この世には存在(いる)って事を知っておくことは、今後生きる上で役に立つだろうと思ってね」


 ぬけぬけと言う白衣の剣士は、同行の目的を教えることなく歩き始めた。

 リュークも、歩き出した。

 この国の重職に就いていそうな人物に付いていれば、怪しまれることもないと踏んだからであった。

 リュークは、エクバールと話し始める。何気ないことを聞くように。また、エクバール自身の事を聞くように。王と城の情報を引き出そうとしたのだ。だが、警戒しているのか、先ほど居た民家の情報屋よりも、役立モノは出てこなかった。

 風景が、変わっていた。

 目の前に、酷く朽ちた廃屋が目に付いた。


「さて、着いた」


 エクバールは、見張り役の兵士に駆け寄らせると報告をさせた。


「只今、罪人は廃屋の地下に潜伏しています」


 エクバールは、腰に携えている凡庸な剣を抜くことすらしない。


「さっさと済ませよう」


 言うと、視線で合図を送った。

 十人程の兵士が廃屋を取り囲み、道を封鎖する。


「鼠を追い出してくれ」


 エクバールの言葉で始まった。

 三人が、建物に押し入り数十秒の静寂が流れた。

 絶命の叫び。

 罪人は、正面玄関で待っていた我々の裏を掻き、木窓を突き破って、血塗れの剣と共に逃走を図った。だが、道で待ち構えていた兵士が行く手を阻む。門兵などの雑兵ではない。エクバールの配下には優秀な兵しかいない。その兵はエクバールの隊の中では平均的な実力だが、他の隊であれば一、二を争うだろう。その兵を相手に、王の護衛兵だった男が、どれほどのモノなのか知るには良い機会だと考えた。

 兵は、即座に剣を抜き襲い掛かる。元護衛兵は、妖剣を持つ手を返し、踏み込んだ。

 斬り合いが始まった瞬間、エクバールとリュークが同時に駆け出していた。

 兵士の首が飛んでいた。護衛兵は、そのまま駆け出し逃げ切ろうとする。


「やるね~」


 部下が殺されているにもかかわらず、エクバールの表情は嬉々としていた。


(速い)


 リュークは、エクバールの俊足に驚ろかされた。この男、どうやら口だけではなさそうだ。エクバールの方でも、並走するこちらを見て驚いているようだ。


「君もやるね~」


 エクバールは、更に足を速めると、先にある草むらで追い抜き、元護衛兵を立ち止まらせた。


「追い駆けっこは、もう飽きたな。私に勝てば、その妖剣は君にあげよう」


 権限も許可も無いくせに、さも自分の所有する物のように言ってのけた。


「さぁ、始めようか」


 鞘に収めたままの剣を腰から引き抜き構えると、エクバールは微笑していた。

 余裕なのだろう。リュークにはそう思えた。

 緊張の液体が、場に満ちる。

 しかし、エクバールの周囲五〇サラテ(センチ)は締まりのない穏やかな空間だ。

 雄叫び。

 蒼銀の剣が、日の光を受け輝く。元国王護衛兵の顔は執念というよりも、執着に近いように思えた。剣と共鳴しているように、目が据わり始めると、飛び出た。妖剣が煌く。

 エクバールは、半歩後ろに下がり斬撃を受け止める。その一撃で悟った。


(この剣。人を操っている・・・いや、少し違うか・・・)


 この元護衛兵は、決して弱くはない。だが、これほど優秀ではなかった。これほどの者がいれば、是が非でも我が隊に入れているだろう。

 男は王とは違い、妖剣の刀剣としての素晴らしさと不思議な力を活かせる程の能力を有している。そういう事か・・・。

 連撃が襲い来る。エクバールは、わずかにかわすのが精一杯の様子だ。元護衛兵には、そう思えたに違いない。

 男は、止めどない連撃から即座に低く構えると妖剣を突き出す。蒼銀の一閃が空間を割く。その刺突は、エクバールの上着の衣だけを貫いた。


「あぶない、あぶない」


 命の危機に、笑みを浮かべる。

 その光景をリュークは冷ややかに見ていた。遊んでいる。一見、劣勢に思えるが実力の差は明らかだった。

 総ての攻撃を華麗にかわすと、今度は斬撃を受け止めだした。隊の兵士が、一人また一人と追い着き、周りを取り囲み始めた。

 場の空気が澱みだしたのを感じ、エクバールはため息を吐く。


「なかなかの退屈しのぎにはなったが、それだけだ・・・」


 そう云いうと、反撃に転じた。

 鞘に収まった剣を強振して、男の妖剣を持つ右腕に当てる。鈍い音が響く。


(折れたな)


 リュークは、冷静にエクバールの闘い方を分析していた。

 妖剣が地に落ちると、男の顔に緩い打撃が入った。その瞬間、膝から崩れ落ちた。

 男に見向きもせず、落ちた剣にゆっくり歩いて行くと、蒼銀に煌く妖剣を踏みつけた。


「こんな物に魅了されるから、お前は地に這いつくばってるのだよ」


 男は、意識が朦朧としているが、剣を探して左腕が地を這っていた。


「身の程に合った得物を探すんだな。まっ、俺ほどの男であれば、木片すら名刀になるがね」


 男は言葉を聞くことも、理解することも出来なかった。既に精神が崩壊しているように見えた。


「連れて行け!」


 男は、兵士に両脇を抱えられ、引きずられていく。騒ぎを聞きつけた民も集まりだした。エクバールは立場上、リュークは都合上、騒ぎを大きくするわけにもいかず、眼を向けると視線が合った。

 エクバールが、悠々とこちらに向かって口を開く。


「どうだ?」

「素晴らしい腕前です」

「そんなことは、言われるまでもない。どうだ、我が隊に入らないか?」

「光栄ですが、そのような腕はありません」

「謙遜か?隠したいのか?まあいい。どちらにせよ、君は強い。部下が斬られると予測した時が、私とほぼ同時だった。それに対応しようと駆け出したのは、私と君だけだ」


 リュークは、自然に断る理由を捜していた。


「エクバール様・・・」


 二人は、声の主の方向を向いた。声の主は、以前に王城正門で会った真黒の髪が魅力的な若い女だった。エクバールは、その女を抱き寄せるとこちらを向く。


「すまぬな。こういう事情だ、先に消える。気が変われば、いつでも来ればいい。歓迎するぞ」


 そう言うと、女の背に腕を回し、胸に触れながら足早に去って行った。

 一人残されたリュークも、追手に発見されることを恐れ、自然な範囲で、可能な限り速く歩き出した。

 歩きながら、エクバールと出会う前に計画した国王殺害の上、逃亡の成否を改めて考えていた。

 王の殺害は必ず成功する。これは邪魔されようがないのだ。

 タムクの首と魔剣を持って行けば、王への謁見は叶うだろう。武器携帯は許されないが、渡す物が剣だからこそ持ち込むことが出来る。

 だが、逃亡が至難の業だ。情報屋によれば、謁見の間は本城の三階中心部らしく。城内の一部を地図で手に入れた。それが運良く西側水堀までの地図であった。

 ささやかな幸運で、完成度の高い計画を作成できたが、エクバールに捉まれば逃げ遅れる可能性が高い。それだけでなく、学院の追手に見付かれば、死が待っているに等しい。

 街に溶け込むように歩き、逃亡に必要な物を買って回った。馬、薬、食料など必要なものから、短剣なども購入していた。

 まだ王を討つと決まった訳ではない。少年の決意の程度、覚悟が出来て始まるのだ。条件を満たすことを拒否すれば、そこで話は終わる。そうなれば、次の国に行く。それだけのことだ。

 今夜までに決心しなければ、自分を狙う追手に足取りをつかまれるかもしれない。逃走をする上で、一ヶ所で留まることは愚かさ以外のなにものでもなかった。

 様々なことを思案しながら、賑やかな市場を回る。

 リュークは、どちらにでも動けるように準備を整えていた。


     三


 深い森の中、清らかな小川が流れている。

 少年が石の上に座り、小川に足首までを浸けていた、その心地よい冷たさとせせらぎで心を癒している。日の光も暖かく少年を包むが、その光は水面で乱反射し、少年の心を苛立たせる。心の乱れは、水面の光の反射などではないことは自身がよく分かっている。

 水面は乱れているが、浮かぶのは両親の顔だった。

 タムクは、今朝魔導師から言われた言葉を、頭の中で幾度となく響かせていた。


「お前の首と引き換えだ」


 その言葉は、自分の置かれている現在の状況を如実に表していた。

 王を殺す。そんなことなど、自分には儚い夢だと云うことは理解している。この生命でさえ、儚く消え散るような状況なのだ。王と刺し違えることですら無理なことなど、冷静に考えれば判る。だが、そう思わなければ、これまで生きて来れなかった。

 リュークは言った。

 

「なぜ俺が、お前の為に命を落としてやらねばならないのだ。自分の助かる策があってこそ、その様な願いは聞き届けられるのだ」


 と、当然だと思った。

 自分と魔導師の関係など、希薄と呼べるモノですらない。関係自体が無いに等しく、水と寝床の礼など、物資の買出しで充分だった。それだけでも義理堅い方の人間だ。

 タムクは、未だ年端も行かぬ少年であったが、苦労だけは大半の人間よりも質、量共に上回っている。そう確信はあった。

 リュークと出会って一日しか経っていないが、信用に足る人物だと確信していた。

 これまで出会ってきた総てと言っていい人間が、自分とは係わりを避ける。その中の一部の人間は、売ろうとする。しかし、リュークはそんな事などに興味は無く、お互いの関係性のみを見ている。正面から向かい合い話をする。その態度に驚かされた。それに加えて、王都警備兵から守ってくれたのだ。

 だからこそ、国王殺害を口に出した。絶対に断わられると思っていた。

 以前にも、腕に自信のある旅の猛者と出会った時も、にべもなく断わられた。だが、今回の返事は『首と引き換え』だと言う。

 正直、そう言われた瞬間、断わる為の条件付けだと思ったが、その目には冷徹なまでの真剣さが宿っていた。

 まだ信頼には達していない。本当に王を殺害してくれるのか、首だけを差し出し懸賞金を受け取るだけかもしれない。わずかでもその可能性があるなら、引き換えなんてとても無理な話だ。だが、もし本当なら・・・。悪くない話だ。


(あの時、僕は決意した)


 広場で公開処刑されたあの瞬間、母は僕の名前を叫び、ただ涙を流していた。髪を摑まれ、引きずられながら丸太に磔にされた。

 槍を手にした兵士二人が両側に立つ。すると、泣き叫ぶ母の脇腹を突き、口から、脇から血を流し、苦しみながら死んでいった。

 無理とは分かっていても、助けに駆け寄りたかった。自分の非力が呪わしかった。

 目の前で、母は命が散るその時まで叫んでいた。


「タムク!自由に生きなさい!思い通りに生きなさい!」


 そう繰り返していた。群集に紛れて見に来ている事が分かっていたのだろう。

 例えこの場に居なくても、人の口を伝い僕に伝わると思っていたに違いないのだ。

 その後、父も王城の地下牢で峻烈な拷問の末に悶死したと聞いた。

 母の最後の言葉の意味は、正確に理解している。要は、『生きなさい』という事なのだ。だが状況は、それを許さない。他国に逃げようにも国境警備は厳しく、国内主要都市は公安兵の見回りが頻繁だ、寒村に住む人々は排他的で、平凡な生活を送ることは不可能だった。

 それからと言うもの、逃亡生活の中、王を討つ事だけを考えていた。

 川面の光が弱まっていた。空を見上げると、日が翳っている。突然、風が吹き、木々の匂いが鼻を掠める。

 決断の時まで、残り時間は刻々と迫っている。

 タムクは、リュークについて考えていた。 



 リュークが帰って来た時、陽は沈んでいた。片手で持てるだけの品物を麻袋に入れ、肩で軽く担いでいる。

 焚き火の前で、簡単な食事を作っている少年に、リュークは鶏肉と香草を渡した。


「決まったか?」


 その口調には、何の感情も込められていない。至極、事務的だった。

 両者の視線は、焚き火の炎を凝視している。香草を塗した肉が、香ばしく焼けると食欲を刺激する匂いが辺りに漂った。

 沈黙が続く。

 タムクから返事は無い。


「そうか。では、俺は翌朝すぐに、この国を発つ。世話になった」


 荷をまとめている魔導師の言葉に嘘はないようだ。

 リュークは、その場を立つと、タムクが口を開いた。


「待ってくれ。あんたは信頼できるのか?何で追われているんだ?せめて、それくらい聴かせてくれないか?」


 焦ったような口調だった。だが、自分の命を滅してまで託す願いなのだから、判断材料が欲しかった。

 リュークは、座ったままでこちらを見上げている少年を見た。

 その意を汲み取り、その場に座りなおすとリュークは話し始めた。

 現在に繋がる過去を・・・。




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