序章 -リューク編-
深緑の山々に、陽が高く昇っていた。山中は森閑としている。風も無く、変化の無い一帯は静に支配されていた。
その森の静寂を切り裂くように、数人が疾駆している。先頭を走るのは、頭から身体に布を巻いた男。木々の間を駆けている。いや、跳躍とぶように駆け抜けていた。
五人の追手が、男の後に続く。
全員が、生い茂る木々や藪の枝葉で体を打つ、または切りながら駆け抜けていく。
追われている男の顔は見えない。だが、何か呟いている。
追手を統率している男が、奇声を発した。
その奇声を合図に、四人の男が広がり、逃げる男を囲い込もうとする。両側面、後方は完全に塞がれていた。そして徐々に間隔を狭めてくる。四キラテ(四メートル)の半円に包囲される。
背中からの殺気は圧として感じる。
追手の統率者が、甲高い叫びを上げると、左側の追手が襲い掛かった。
追われる男は、左手を追手に突き出した。
「破ッ!」
声と同時に魔力を放った。
追手の首から右肩にかけて破裂した。
しかし、その一瞬の攻撃時間は、追手が取り囲むのに十分な時間だった。
木々を抜け、開けた場所に、五人は、賽の目の□の様に立っていた。
奇声を上げていた男が、一歩前に出る。筋肉質な体を強調するように、勝ち誇った態度だ。
「逃げられると思っているのか?」
布を巻いた男は無言のままだ。他の三人は、それぞれ掌を向け、警戒している。
「さて、リューク。罪を償ってもらおう」
「罪など犯していない」
冷静な声。だが、男は返答など聞く気はなく、部下に視線を送った。部下たちは、その視線で一斉に魔力を発動させた。
リュークは流れる様な動作で刀を抜くと、右側の二人が攻撃を放つ前に両腕を斬り落とした。さらに、その勢いで一人を蹴り飛ばした。
話し掛けた男が、かろうじて魔攻を発動できたが、リュークもその魔攻に魔力をぶつけると、両者の魔力は凝縮し、凄まじい音と爆風に変化した。
両者共に、爆風を避けようと、後ろに跳び、距離を取った。
リュークは、腰に付けてある飛剣(投げナイフ)を手に取った。
「鬼火リンホウ!」
蹴り飛ばした追手だった。追手が放った青白い火球が視界に入る。素早い放出系高熱魔法だった。しかし、その魔攻は目標を捉えることはなく、逆にリュークの投じた飛剣が、額に突き刺さり絶命していた。
一人残された追手は、魔力の全てを攻撃として放ったが、当たることはなかった。
筋骨隆々とした男は、実力の差に戦意を完全に喪失していた。もはや立つ力も無く、地に両膝を着き相手を睨むだけだった。
リュークは、刀を抜き追手の前に立った。
「追手は、我々だけでない。お前は、必ず殺されるぞ…」
その言葉に、まったく感情の感じられない口調で言い返した。
「言い残すことは、それだけか?」
あまりに冷静な声色は、追手の表情を強張らせた。
「あの組織を、学院を敵に回して、生きていられると思うな!」
リュークは、その言葉に動作で答える。敵の頭部に手をかざすと、追手の後頭部が破裂した。
屍を五つ森に残し、体に巻いていた布を捨てて歩き出した。
身体には戦闘で受けた傷は無かったが、逃走中に様々な植物で切った傷が多数あった。その傷口自体は軽いものであったが、砂や塵など様々なモノが入り、悪化と感染症を防ぐ為にも手当ての必要がある。
追われる立場である以上、過信も油断も即、死に繋がるのだ。
そんな事をいつも考えていた。追手がここまで来ている。この傷で街に出るのは、人目を引きすぎる。
今は、あても無く歩くしか、出来なかった。
リュークが去って、約半刻後(一〇分)。木々の空間を歪める様に跳躍している人間がいた。その移動の仕方は、まるでリュークの駆け方に良く似ているが、より華麗であった。
木々を抜け、四人の遺体が転がる場所に女が降り立った。長身に、紫がかった藍色の髪の女は、見事なまでに『一流の女』の容貌・体形をしている。七頭身を少し上回る均整の取れた体形。すらりと伸びた肢体に、たわわな胸と細くくびれた腰。気品と妖艶さを絶妙な割合で混ぜ具現化されていた。
その女が、転がる死体の中心に立ち周辺を見わたして呟いた。
「馬鹿ね。あれ程、私の指示に従うように言ったのに…」
死体の頭を端正な曲線脚を振って軽く蹴ると、それ以上死んだ男達に意識を向けなかった。
妖艶な女は、口元が少しだけ笑っている様だった。
「リューク。逃がさないわよ」
美女は、無表情で山を下り始めた。
山中には、複数の死体が残されていた。