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そうだ、突然背後から襲われたのだ。痛みはそのときのもので、思い出した分だけ余計にズキズキが増したような気がした。
「ヘイワぼけした大和猿のガキが、ようやくお目覚めか」
足音の主が、すぐ傍にいた。部屋は突然電気に照らされて、暗闇に慣れてしまっていた飯綱には眩しくて仕方ない。
角ばった顔つきの男と太めの糸目の男が二人、飯綱たちを見下ろしている。花楓はまだ目覚めないままだ。もしかしたら後頭部以外にも深刻な殴打を食らっているのかもしれないと心配になる。
「オイ、木下。ダレにも見られなかっただろうな」
「へい、金本の兄キ。大丈夫でス。みんなデモに夢中で見てなかったっすヨ」
二人の男は発音がどこか妙だった。そして到底堅気の男たちには見えない。明らかに「どこかの筋」という雰囲気を醸し出している。
だとしても一介の平凡な高校生が、やくざなどにとっつかまるいわれはない。心当たりがあるとすれば。
「あ、あんたたち、木村の?」
その名を出すことは吐き気がするほど嫌だったが、確かめなくてはならない。昨日緊急逮捕に至ったあの変態の仲間で、その仕返しをするための拘束なのかと思ったのだ。
だが彼らは怪訝な顔をしただけだった。
「木村ァ? 誰だィそいつワ……兄貴、知ってますカ」
「シらねえな。オイ大和猿。テめえ、俺たちの話を聞いてたな?」
「え?」
飯綱には金本の言うその呼称にこそさっぱり心当たりがなかったが、こちらに向けて言っているようなので仕方なく返事をする。喋らないと何をされるかわからない雰囲気が、二人からは漂っていたからだ。
「話って、なんのこと……」
「しらばっくれるナ! 俺たちの暗殺計画を聞いてただろうって言ってんだヨ! しつこくつけまわしやがっテ! 偶然とは言わせねえゾ!」
「ケーサツにチクりやがっただろうが。トぼけても無駄だ」
どうやら頭はいい方ではないようだ。弟分の木下が馬脚を現しているというのに、兄貴分の金本はそれがまずいというのを理解してもいないらしい。もちろん彼らが馬鹿を晒すことにも理由があって、この後判明するのだが、そこでようやく飯綱は、目の前の二人のことを思いだした。
公園で、ぶっ殺してやると息巻いていたあの二人。その後ちょくちょく見かけた、彼らに似た容貌の人物はもしかしたら彼ら自身だったのかもしれない。ずっとつけられていたのだ。飯綱のみならず、花楓までもが。
だが暗殺計画とは言うが、飯綱には彼らが誰を殺そうとしているかも知らない。ぶっ殺すなんて言葉は日常的にもありふれたもので、それを聞かれただけでここまで行動を起こすほどとなると、どうやら彼らの目標としている人物は相当有名人らしいが、ノーヒントすぎて見当もつかない。
「マあいい。ドっちにしろここまで来たら、殺すだけだからな」
「そうっすネ」
「ま、待てよ、僕ら本当に何も知らな……」
抵抗を試みる飯綱だったが、無駄でしかなかった。この二人はどうにも最初から彼らを始末するつもりで、このどこともしれぬ空間に閉じ込めているのだとしか思えなかった。聞いていようとなかろうと。そして人の命を奪うことに何の呵責も覚えぬ性質であるかのように、まるで表情も態度も変わらぬことに、飯綱は底知れぬ恐怖と絶望を抱いた。
これが本当に、同じ人間のすることなのか。
逃げようにも花楓はまだ意識がないままで、その重みを手錠で繋がれている飯綱一人がどうにか動いたところで目の前の男たちに制圧されてしまうのは目に見えていた。彼らは丸腰であり、どのようにして二人を殺すのかは分からないが、もしかしたらナイフなどを隠し持っている可能性もある。逃げようとしたところで即、刺殺される可能性すらあった。
「兄貴ィ、どうせ殺しちまうんだから、その前にいいっすよネ?」
あまりにも唐突すぎて死への覚悟など決められず呆然としている飯綱にそのとき、木下が近寄ってきた。その鼻息は荒く、顔には興奮が満ちていた。よぎった嫌な予感はすぐさま的中して、動けないでいる飯綱にのしかかってきた。
「なっ、なにすん……」
「へへへ、ずっと見てきたんだけどヨ、お前、いやらしい腰つきしてるよナ」
(ぎゃああああああ!)
叫び声は声にならなかった。フンフン言いながら服をまさぐってくる男の重みと体温が気持ち悪くて、飯綱は必死で押しのけようとしながらも、手錠につながれた方の手をがしゃがしゃと動かした。
(起きろ! 花楓!)
「かわいいナ、お前、俺のものになれヨ」
「オイオイ、木下、お前、ソう言う趣味あったのかよ。コんな大和猿相手によお」
花楓は起きない。金本は呆れながらも木下を止める気配もない。笑いながら見ているだけだ。
「くそっ、お前ら、こいつに何かしたのか!」
「アア? オ前と同じだよ、後ろから殴っただけだ。ウち所が悪くてもう死んじまったか?」
「てめえら……!」
さらなる絶望を味合わせようとでも言うのか、人の命をなんとも思わぬ男たちに、咄嗟に飯綱の中に怒りの炎が灯る。それは自分に降りかかった災難を嘆くときよりもよほど大きな感情の振幅だった。だが木下の方は、そうして飯綱が花楓の方に意識を取られていることに、気分を害したらしい。
「ちくしょう、こいつばっかり見やがっテ、俺よりこいつのがいいのかヨォ!」
木下はヘドロのようにへばりついていた体を飯綱から離すと、隣の花楓を蹴り始めた。よく見ると涙目で、感情が先走りすぎてろくな力が入っていないことが分かる。だが揺さぶられる衝撃のおかげで、花楓がようやく目を覚ました。
「うーん、痛い……なんだあ?」
「花楓!」
「飯綱? え、これ、何? どんなプレイ? いた、痛いよ、何お前……あっ」
花楓は、隣に飯綱がいることを認めると次に手錠がはめられた手を見て困惑し、自らを執拗に蹴ってくる男を見つけて、その顔に見覚えがあることに気づいた様子だった。だが今更、何かが判明したところで覆る未来はない。
「オイ、木下、モうその辺にしとけ。コの大和猿は俺が殺す」
「え、え? 何それ? ニホンザルのこと? え、どこにいんの?」
「ウるせえ、俺はてめえみたいなスカしたガキが嫌いなんだよ」
「ぐへっ」
木下を押しのけた金本は、花楓の胸元を蹴りつけた。勢いで倒れた彼の胸に、さらに踏みにじるように足を乗せ体重をかける。
「俺がいつスカしたんだよ……なあ飯綱、俺ってスカしてるかなあ?」
手錠がはめられていない方の手で必死に足を押しのけようと力を入れる花楓だったが、一方で力の抜けるようなことを真剣に問いかけてくる。飯綱は飯綱でそんな場合ではないのに。木下が、最初からなかったかもしれない理性をさらにかなぐり捨てて、彼にのしかかってきていたからだ。
男に乗られるのは二度目だが、こんなこと何度も体験したくない。悪夢がよみがえるが、目の前の醜悪な面を見ているとなぜだか木村の方がマシだったのではないかという気すらしてくる。あちらは刃物を持っていて、命を脅かそうとしたにも関わらず。
二度目。二度目だ。しかも全然間を置いていない。もはや不運では済まされず、恣意的な悪意を感じるほどだ。『特殊な状況』であるはずなのに、頻発しすぎではないか。それでは特殊が、特殊の意味を失ってしまう。偶然ですらなくなってしまう。こんな狭い範囲に短期間で変態が二人もいたなんてことが必然になってしまう現実なんてものが存在するとしたら、それは間違いなく飯綱の精神を殺そうとしているに違いない。
「ちくしょう、やってやる、やってやるゾ……!」
何を「やる」のか、想像もしたくなかった。抵抗しようとした手の片方が、耳障りな金属音と共にぴんと引っ張られた。見れば花楓も片手ではいかんともしがたいことに気づき、両手でなんとかしようと試みたためだった。こんな時にこんなことでシンクロしても、「気が合うね俺たち」などと笑い合うこともできない。
「俺はスカしてなんかねえよおおおおお!」
「僕に触るな、クソ変態がああああああ!」
不協和音というにはあまりにも悲しい悲鳴が狭い部屋中に反響した。
それらを打ち消すような轟音が響き渡ったのは、そのすぐ後であった。