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 すさまじい美貌。それが姉につけられたあだ名でもある。彼女の顔を見てしまうと、真正面から告白することがためらわれるのだと言う。だからこそ多くの女が嫉妬に駆られ多くの男がストーカーと化してしまうのだが、その素顔を見てしまった花楓が同じように狂ってしまわないかという不安が、飯綱にはあった。

 彼という友を失ってしまうのは、とても悲しい。喜んでくれている兄姉以上に。

「俺さ、『フジョシ』について調べてみたんだけど、なんかすごい世界だな。まあすごいとしか言いようがないんだけど、それで生計立ててるって、天城お姉さんすごいな。俺すごいしか言ってないな」

 翌日、俺って馬鹿っぽいなーと笑う花楓を見ていると、そこにはストーカー特有のねちっこい情熱というのが全く見受けられなくて、己の過剰な認識を改める必要があった。一昨日だって、美貌とやらを目の当たりにした割にはゲームに熱中していて、天城の情報を飯綱から聞き出すこともなかったのだ。彼の中でまだ想いが熟成されていない可能性もあるけれど。

 それでもこの男は、他の奴らとは何かが違うと思わされるのだ。

「昨日さー、公園出たらこういう角ばった顔の男がなんかついてくるんだよ。結構家まで距離あるのにずっと。同じ方向にしちゃあいつまでも後ろにいるなって思ったんだけど、なんか急にうちの兄貴が出てきたらさあ、消えてたんだよ。方向同じだっただけかな? それで兄貴がさ、勝手に俺のゲーム貸してやがって、しかも謝るのかなって思ったら千円貸せっておかしくねえ?」

 花楓は、鬼瓦というお笑い芸人の一発芸をしてみせたりして、身振り手振りも忙しく、会話に加わっていない人間にまで笑いを提供していた。こういう気質を見抜いて、あの男嫌いの姉に連れてこいと言わしめしたのかもしれない。兄は知らないが。

「花楓、今日よかったらまたうちにゲームしに来ない?」

「え、いいの? 絶対行くし」

 だから自然と誘い文句が口をついて出た。あのレトロゲームをいたく気に入っていた花楓は二つ返事でOKし、内心恐々としていた飯綱はほっと胸をなでおろした。

「あ、僕、今日、買い物してかなきゃだった」

「そんなんいくらでも付き合うって。でも天城お姉さん大丈夫か? 俺なんかが行ったら怖がらない?」

「大丈夫、顔隠してるし、部屋からも出てこないから」

「なら安心だな。千歳お兄さんは?」

「安心して。仕事だから」

「なんだ、会いたかったのに」

 そんなことを話しながらスーパーで買い物を済ませ、「荷物持つよ」と言ってくれる花楓の好意に甘えたりしながら家路につく。

「結構買い込むんだな。こんな大荷物持って歩いてる男子高校生ってどう見えるんだろうな」

「おつかい以外には見えないと思うけど……。ジュース買ったことはねーちゃんには秘密な」

「分かってるって」

 変なところに違法駐車してある銀色の車を避けながら、二人はいたずらっこのように笑い合った。目の端に移ったその色に、ふと飯綱は首をかしげる。

「銀色の車って多いよね」

「そりゃ無難な色だしな。なあ、やっぱ半分金出そうか?」

「いいって」

 それでも金を出す出さないで押し合いへし合いしながら家に着くと、居間へ続く扉の向こうから天城が目だし帽を覗かせていた。ホラーとも取れる唐突なその出現に花楓は声も出ないほど驚いたらしく、硬直してしまった。

「二人とも……今、いちゃついてたわね」

「ねーちゃん、何やってんの」

「窓から見てた。どうぞごゆっくり……」

 そう言って一度は部屋に引っ込んだものの、二人がゲームを始めるとちょろちょろと周囲をうろつくのだった。とはいえ邪魔をするほどでもなければテレビが見たいのでもなく、あくまで「ちょっと通りますよ」程度なのが気に障る。一方で花楓の方はと言えば、ショック状態からさっさと立ち直ってゲームに熱中していたため天城がうろうろしていることは目に入っていない様子だったが。

 そこへ来客を告げるインターホンが鳴り響いた。驚いたことに、腰を上げようとした飯綱よりも先に、カメラ越しではあったが天城がそれに応対していた。

「いえ、いりません。親はいません。今忙しいので」

 一方的にそっけなく言って、彼女はさっさと切ってしまった。何かの訪問販売だったようだが、それほどまでに低く冷たい声を出した姉を、飯綱は初めて見た。

「ねーちゃん、今のなんだったの?」

「さあ。キツネ目と鬼瓦が、何か買えって言ってたみたいだけど。日本語怪しかったわ」

「あー、いますね、なんかそういう意味分からなくって胡散臭いの。ハンカチ千円で買えとかいうやつでしょ? あっ、やばい死ぬ、日野本ヘルプ」

 ゲームをしながら天城と話す花楓だったが、ながらのせいで死にそうになっていた。やはり彼には姉よりも目の前のゲームから目を離さずにはいられないようだ。

「あ、そろそろ帰らないと」

「あらもう? 夕ご飯食べてかない?」

 時計を見て慌てる花楓に、あろうことかそんな誘いをかける天城に、飯綱は息がとまるほど驚いた。異性にここまで気を許した姉を見たのは、生まれて初めてのことだったのだ。どうやら彼女は弟たちがゲームに興じている間に夕食の準備を済ませていたらしい。ちょこまか動いていたのはそれもあったようだ。

「いや、今日はやめときます」

「そう。じゃあ念のため、番号教えてくれる?」

「いいですよ。わあ、結構年期入ってますね、その機種」

 しかもあの、男に並々ならぬ恐怖と憎悪を持っているはずの天城が、男と携帯番号を赤外線で交換していた。もっともそれは彼女の所有物ではなく、固定電話の代わりの家電なのだとは、無邪気にスマホを操作する花楓も気づかなかっただろうが。間を置かぬストーカーの連続出現に心底うんざりした日野本家は、番号ディスプレイにするという選択肢をすっ飛ばして固定電話を携帯電話に換えてしまったのだ。

 そのため父親がストーカーの件を知ることとなってしまったのだが、よもやそれ以降もまだ煩わせる事態が発生していたとは思ってもいないようだ。

 花楓が帰った後、飯綱は恐る恐る姉を伺った。

「ねーちゃん、もしかして」

「違うわよ。いっくんの友達だから登録しないと。ところでいっくん、花楓くんて彼女いないわよね?」

「本当に違うの? ……明日聞いてみるけど」

 確かに、彼女へ興味を示さない男は珍しい。ストーカー化するほどがっつりとではなくとも、一瞬でも目を奪われるのが普通の反応なのだ。確かに飯綱の知る限り、花楓にはそれすらなかったため、警戒とは別の不安がよぎる。

「あのさ、まさかとは思うけど、花楓のことホモだとか思ってないよね?」

「さ、ご飯食べましょうか」

 姉は聞こえないふりをして、目だし帽を脱いだ。

 翌日、花楓はそんな姉の不健全な思惑などまるで知る由もなければその片鱗を漂わせることもなく、いつもの眠そうな顔で、天城が知りたがっていた飯綱の質問に答えた。

「日野本が言うからなんか気になっちゃってさ、したらやっぱ銀色の車って多いのな。昨日の帰り、俺別に悪いことしてねえのにさ、後ろトロトロつけられてさぁ、アレってなんだろな? 運転手、DQNっぽくなかったし、え、彼女? 超欲しいんだけど? 紹介してくれるの? ……いやあ、天城お姉さんはちょっと」

 理由は年上だから、ということだったが聞けば根底には、腐女子への底知れぬ恐怖があるようだった。得体が知れなくて怖いという意見には、飯綱も諸手を挙げての賛成である。

「今日はどうする?」

 疑いの余地はあるとはいえ、あの姉があれだけの積極性を三次元の男に見せたのはきっと生まれて初めてのことだろう。飯綱にとってもそうだ。だからもしかしたらその辺りで、花楓に変な誤解を生んでそれこそ最悪の展開になりはしないだろうかとおののきながらの誘いであったが、花楓はすまなそうに手刀を切った。

「悪い。今日は野暮用があってさ。俺もホントは行きたいんだけど、また週明けにな」

「そっか、分かった」

 断られてほっとしつつも、少しさびしさを覚える飯綱だった。飯綱には花楓しかいないが、彼は当然、その限りではないのだ。姉へのストーカー化への兆しがまるで見えない健全な状態であることは、何よりも喜ばしいことなのに、沈みそうになる。

 急いでいる様子の友人を見送ると、こちらは急ぐ用もないのでなんとなくのろのろとした動作で帰り支度を整える。そうして一人でとぼとぼと帰途に就く飯綱が、花楓に残念な秘密を打ち明けた公園を突っ切ろうとした時だった。

 突然背後から、男に抱き着かれたのだ。

「!?」

 夕刻とはいえ、さほど遅い時間でもない。人通りとて皆無ではないはずだがいかんせん、この公園は茂った緑が多く視界の邪魔をして、人目などあってなきが如しだった。飯綱とてこうして接触されるまでその接近にはまるで気づけなかったのだ。

 どちらかというと小柄な飯綱は、その男の腕の中にすっぽりと納まっていた。状況がつかめず驚いて固まっている間に、その男の手が飯綱の口元を塞ぐ。安物ではない上等な背広が視界に入るも、見覚えはない。

「捕まえたよぉ、飯綱くぅん……これでもう君は、ボクのものだ……」

 気持ち悪い息と熱っぽい声が耳元にかかった。ぞっと全身に怖気が走るも抵抗させる間を与えず、男は飯綱をすぐそばの緑の中に引きずり込んだ。


 花楓の野暮用とは、飯綱が思っているような類ではなかった。

「ほら、兄貴。買ってきてやったぞ」

 そう言って兄の(なつめ)に投げつけたのは、今日発売のコミックだった。大学生だが、今日は昼過ぎまでしか講義がないため、既に家にいる。そして花楓が買ったゲームをやっている。そんな暇があるなら自分で買いに行けと言うのだが、二十歳過ぎて漫画を買うのは恥だと思っているようで、頑なに弟にやらせるのだ、この兄は。

 それならアマゾンとか手はあるだろうに、ネット通販は怖いなどと抜かすのだった。そんな世代でもない癖に。

「金寄越せよ。建て替えてやったんだぞ」

「おい、これ違うじゃねえかよ」

 ゲームの手を止めて袋から漫画を出した棗はそれを、弟に投げつけ返した。

「その絵じゃなかったっけ?」

「原作の絵じゃねえよ。腐女子用だろうが、これは!」

 絵の違いなど、読まない花楓には分からない。新品なのに、汚いものに触ったとでもいうようなリアクションを見せる棗だったが、中身を見ようとする弟を慌てて止める。

「見るな馬鹿、呪われるぞ」

「マジで? 腐女子すげえ」

「ったく、なんで間違えんだよ。本の大きさ違うし、高かっただろうが。とにかく買いなおして来い」

「え、これの代金は?」

「やるわけねえだろ! 捨てちまえそんなもん」

 言われて勢いで家を出たものの、捨てる気にはなれなかった。兄の言うとおり高かったのだ。そういえば倍くらい違った。ならば店に返品してこようと思ったが、レシートをもらい忘れていた。

「どうしようこれ……。あ」

 腐女子用なら天城がもしかしたらもらってくれるかもしれない。そう思い立ち、花楓は一路、日野本家を目指した。古書店に売るという考えは思いつかなかった。

 兄がそうしていたからというわけではないが、花楓としてもその本をいつまでも持っていたくなかった。呪いではないが、何か邪悪な気配が本の隙間あら漏れてきている気がしたのだ。早く手放したい。その一心で、彼は飯綱が残念だと言う秘密を打ち明けてくれた公園を走り抜けた。その脇の草むらで、何が行われているかなど知る由もなく。

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