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26.未来への一歩



 ――12月17日。マラソン大会当日。

 冷たい風が校庭を吹き抜け、ジャージ姿の生徒たちの髪や袖を揺らしていた。

 見慣れない顔に揉まれ、三年生を見送り、スタートラインへ向かう。

 少し緊張しているせいか、息が白く揺れた。

 

 軽く足首を回していると、繭花さんが隣へついた。

 また同じようなことを言われるんじゃないかと思うと、胸がドキッと跳ね、手のひらがじんわりと汗ばむ。

 不安が入り交じったせいか、冷たい風が二人の間をつきぬけていった。


「私がこの勝負に勝ったら、敦生くんから離れてほしい」


 繭花さんはするどい眼差しで、私を見た。

 決意に満ちあふれている目。

 迫力に負け、思わず息を呑んだ。


「その代わり、里宇さんが勝ったら、もうなにも言わない。……約束する」


 姉のためとは言え、繭花さんの執着心は強い。

 敦生くんと幼なじみだということも、重なっているだろう。


「繭花さん、もしかして敦生先輩のことが……」


 気づいたら、口から溢れていた。

 振り返れば、何度か視線を感じたことがあったから。

 彼女は小さく息を吐き、目線を合わせた。


「そうだよ。お姉ちゃんが好きになる前から、ずっと好き。私なら、絶対に悲しませなかった」


 瞳の奥の熱が、胸に跳ねる。

 正直、素直に伝えられるなんて思いもしなかった。


「えっ」

「だけど、偽彼女としても選んで貰えなかった。一番近くに居たのに。……だから、この勝負、受けてくれない?」


 熱意が耳の奥に貼りつくと、背筋が凍り、思わずサッと目線を落とす。


 繭花さんは、お姉さんたちの恋愛を見守りつつも、密かに敦生先輩を想っていた。

 お姉さんが亡くなったあとも、ずっと見守り続けてきた。

 正直に言うと、彼女が敦生先輩を支えていた方がいい。

 心の傷に寄り添い続けてきた期間が違う。


 ――でも、私にはもう一つの想いがある。

 

「わかった。その勝負、乗った」


 作り笑顔して、うんと頷く。

 彼女はホッとしたのか、こわばった表情を和らげて、軽くため息をついた。


「約束……だよ?」

「うん、約束ね」


 私たちは指きりをした。


 彼女の話を聞いたときは、一瞬私の役割を託そうと思った。

 マラソンの手を抜けば、偽彼女はやらなくて済むし、繭花さんのためになる。

 だけど、それはフェアじゃない。


 大会に向けて毎日練習してきたし、敦生先輩も腕の振り方や呼吸方法など教えてくれた。

 頑張ってきた分、目標は下げたくないし、最後まで走り抜きたい。

 弱い自分から卒業したい。


 だから、最後まで自分らしく走ることを決めた。



 スタートの合図が鳴り、二年生女子は一斉に走り出す。

 砂埃が舞っている校庭。

 不揃いに並ぶ体に、自分の体を寄せていった。


 次第に息が切れ、手足が重い。なのに、繭花さんの背中はどんどん遠くなる。

 心まで焦ってしまいそうだった。


 絶対に負けない――そんな強い意志が、彼女の背中に滲み出ている。


 敷地外の道に出た。

 ハァハァと呼吸が上がり、額に汗が滲む。

 それでも彼女の背中を見つめ、他の生徒を追い抜き、距離を縮める。

 ところが、彼女は突然なにかに躓いた。


「キャッ……」


 その場に倒れ込んだが、周囲の女子はただ通り過ぎるだけ。

 目線だけを置いていく。

 私はすぐに駆け寄り、立ち止まった。


「大丈夫?」


 太陽の日差しを浴びたまま屈んだ。

 彼女は指先に力を込め、太ももを握り、フイッと目を逸らす。


「いい気味だと思ってるでしょ? 私なんか気にしないで、先に行けばいいじゃない。そしたら、今後口うるさく言われずに済むしね」


 軽く手でおしりを払った――が、立とうとした瞬間、グッと歯を食いしばって膝を抱えた。


「痛っ!」


 彼女が手で押さえている箇所を見た。

 膝には血が滲んでいる。


「うそ……。血が出てる。保健室行かなきゃ」


 すかさず手を伸ばすと、彼女の瞳は影をかぶったまま、私の手を振り払う。


「放っておいて。こんなことで手を借りたくない」


 他の人たちが横を走り抜けていく音が、焦る気持ちに拍車をかける。

 彼女は顔を背けて、拳を揺らす。

 私は彼女の手を引いて、自分の肩にかけ、立ち上がった。


「なっ、なにしてんのよ!」


 怒鳴り声が届いたけど、肩に重みを感じたまま歩き出した。


「どうせ一人で歩けないんでしょ。だったら、大人しく肩を借りなよ」

「それが嫌だって言うの」

「意地っ張りってさ、損の塊なんだよね。私がそうだったから、間違いないよ」


 敦生先輩と知り合ってから、今日までのことをふと思い出す。


「なによ……。あんたの手を借りたら、意味ないし」


 諦めたような細々しい声が届いた。

 悔しい気持ちを押しつぶしているかのように。


「こんなときは、負けとかどうでもいいよ。それより、さっさと手当してもらいな」


 私たちの影は、同じスピードでゴールに向かった。

 多くの人に追い抜かされても、自分たちに見合うスピードで、一歩ずつ。


 校庭に戻ってくると、異変に気づいた教師が駆け寄ってきた。

 繭花さんの手を離して離れると、彼女の声が背中に届いた。


「どうして助けたの? あのまま行けば、あんたが勝っていたのに」


 その言葉が、胸の奥に沈んでいった。

 振り向くと、彼女の瞳は揺れていた。

 私はふっと息を漏らす。


「こんな勝ち方をしても、私たち幸せじゃないじゃん」

「え」

「お互い同じ条件だからこそ、勝ったときに喜べるんじゃない? 勝負って、そういうことでしょ」


 あのまま彼女を置いていけば私が勝っていた。

 50位以内……ううん、40位以内に食い込む自信もあった。


「里宇さん……」

「また今度別の形で勝負しよう。そのときは絶対に負けないからね」


 逆光に照らされ、にこりと笑った。

 救急箱を持った教師とすれ違った。

 私は二年生の集団の方に向かうと、敦生先輩は私の前へ。


「繭花を助けるために順位を捨てるなんて、いいところあるじゃん」


 首を傾けて笑ってきたので、私は口を尖らせ、フイッと目を逸らした。


「べっ、べつに別れることを諦めたわけじゃないからね! ……これでも、一生懸命頑張ったし」


 最後まで走れない悔しさはあったけど、それ以上に得たものの方が大きい。

 悔いなんて、ない。

 すると、敦生先輩は、目の前にスポーツドリンクを差し出した。


「俺の中では、おまえがダントツ1位だったよ」


 ペットボトルは、彼の笑顔と共にキラリと光った。

 彼の少し照れたようなまなざしに、私の頬が赤く染まっていく。

 風が頬を撫でても、その熱は冷めない。

 照れ隠しに、スポーツドリンクを受け取って蓋を開けた。

 

「かっ、勘違いしないでよね! 別にあんたのために走ったわけじゃないし!」


 人には偉そうに言ってても、いまこの瞬間ですら意地っ張りだ。


「でも、約束は約束。24日まで、責任持って付き合えよ」

「えーっ!」

「あ〜それと、好きなものをおごる話はナシだからな」

「なにそれ〜、意地悪!」


 目標には届かなかったけど、それだけがすべてじゃない。


 順位なんて、関係ない。

 胸に残ったのは、誰かと並んで走った温度だった。

 走り抜けた風は、ときに砂嵐に巻き込まれながらも、私の未来ごと押している。



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