表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
10/20

9.ざばっと恋が降る日



 ――翌日。別棟にある視聴覚室から本棟に向かっていた。

 突然、頭上から冷たい水がざばっと降りかかり、息が止まる。

 教科書をぎゅっと胸に抱え、冬風に震えながら見上げた。

 二階の窓に、女子二人組の姿があり、一人がバケツを持っていて、隣のもう一人がくすくすと笑っている。


「あ〜、水かかっちゃった? ごめんねぇ。誰もいないと思ったの」


 反省の色が見えない様子に、ため息が漏れる。

 敦生先輩は人気だから、なんとなく嫌がらせをされる予感はしていた。


 好きな彼氏と付き合えるのが羨ましくて妬まれるなら、まだわかる。

 だけど、どうでもいい相手の偽彼女じゃ、こんな仕打ちは割に合わない。

 毛先から滴る雫を眺め、肩を落とした。


 だからこそ、言わない過去より、言う未来を選択した。

 准平を失ったあの瞬間から、気持ちを伝えなかった後悔が、胸の奥にこびりついていたから。


 仕返しなんて、好きじゃない。

 けれど、黙っていたら、きっとこの先も同じことが繰り返される――そう思った。

 やられっぱなしで泣き寝入りなんて、無理だし。


 唇をぎゅっと噛みしめた。


 ふと視界に入ったのは、水道付近に置いてある泥水入りのバケツ。

 掃除中だと思われる。

 それを持って、二階へ。

 心臓が高鳴り、他の音が全て消えた。

 渡り廊下に立ち、二人の姿を目で追う。

 足を止め、震えた手で容器を斜めに傾け、勢いよく泥水を振り撒いた。


 バシャーッ……。

 辺りは静まり返り、水たまりが広がっていく。


「きゃあ!」

「ひどい、なんてことを!」


 二人は制服から水を滴らせながら、睨みつけてきた――私だけが悪者のように。

 私はバケツを放り投げた。

 カランと転がったあと、指先が震え、心臓の音が耳の奥で跳ねた。


「……姑息、なんだね」


 瞳に影を宿したまま、ぽつりと呟く。


「えっ」

「酷いのはどっちよ。嫌味なら直接言ってくれない? いつでも相手になってあげるから」


 強気な姿勢を見せたせいか、二人は小言を言いながら渡り廊下を走り去っていった。

 私が言い返さないとでも思ったんだろう。

 じゃなきゃ、こんなに大胆なことをするはずがない。


 初っ端から、なんでこんな目に……。


 眉をひそめたままUターンすると、目の前に人が立ちはだかった。

 見上げると、そこにはジャージ姿の敦生先輩が。


「すげぇじゃん。よく言い返せたね」


 私はサッと目を逸らす。


「思っていることは伝えないと。准平に告白できなかったときのように、後悔したくないし」


 言い返すことも、告白できなかった過去の自分も怖かった。


「そういう熱意……俺には足りないかも」


 寂しそうな声に聞こえたので、見上げた。


「えっ、熱意って?」


 聞き返したが、彼はフイッと目を背ける。


「いや、なんでもない」


 彼が時おり見せる悲しそうな表情に、息苦しい。

 なんだろう、この気持ち――。


「敦生先輩のファンって、姑息なんだね。こんなことでしか自分の気持ちを守れないなんて」


 顔についていた水滴を払っていると、彼はジャージの上着を脱いで、私の肩にかけた。

 彼の香りがふわりと漂う。


「おまえは……助けてほしいの?」

「そりゃ、そうに決まってるでしょ。だって、私はなに一つ悪くないんだから」


 ぷいっとそっぽを向いた。

 もう、こんな惨めな思いはしたくない。


「いいよ、守ってあげる」

「えっ」


 彼は突然私の手首を引いて、教室が並んでいる校舎の廊下に出ると、すうっと息を呑み、声を張り上げた。


「俺は里宇とつきあってまーす! 嫌がらせはしないでねー!」


 一瞬、周りの音が消えた。

 数えきれない視線が、一斉に突き刺さる。

 廊下中に響く声に、生徒たちは息を呑み、足を止めた。


「うっそ! あの子、敦生先輩の彼女?」

「うわ、ショック〜!」


 噂が噂を呼び、次第にざわめき声に発展する。

 偽彼女と割り切っていたが、この状況が本命へと結びつけていく。

 ふと准平の顔が思い浮かび、彼の腕を引いた。


「バカバカ! 意味わかんない……。たった1ヶ月の偽彼女なのに、そこまでする必要がある?」


 青ざめながら問いかけると、彼は対照的ににこりと微笑んだ。

 でも瞳の奥には、わずかに影が宿っているように見える。


「そう。たった1ヶ月の偽彼女。だったら、お互いこの時間を楽しまない?」


 彼の思惑についていけない。

 楽しめるわけない。自分なりに頑張っているのに、報われないし。

 拳をゆっくり握り、目線を落とした。


 あの日交わした『契約』が、准平一色だった心を塗り替えることになるなんて――思ってもみなかった。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ