表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
冬と春  作者: aonigiri
第一章 二人の出会い、過去と新たな街
3/8

第三話:名を明かさない



 朝の空気は、刃のように澄んでいた。

 夜の冷え込みを色濃く残しながらも、東から差す朝日は確実にその熱を増している。


 蒼は大きく伸びをしながら、灰になった焚き火跡を見下ろした。


「よし。痕跡を消して、戻ろっか」


 慣れた足取りで灰を散らし、土を被せていく。その一連の動作には、長旅を潜り抜けてきた者特有の無駄のなさが宿っていた。


 少し離れた場所で、雪灯は周囲の気配を読み取っていた。夜明けの森に不自然な動揺はない。


(野営も、行動も……やはり、隙がないな)

 昨日から何度目かになる評価を、雪灯は無意識に積み重ねていた。


 街へ戻る道中、蒼は軽やかに歩を進めながら掲示板の話題を切り出した。


「ねえ。今日さ、軽めの依頼を一個くらい受けていかない?」


「……この依頼か?」


「そそ。薬草採取と簡単な護衛。時間もかからないし、今の私たちなら余裕でしょ」


 雪灯は一瞬だけ吟味(ぎんみ)する。

(報酬効率は妥当。危険度も低い。……断る理由はないか)


「……問題ない」

 即答ではないが、否定でもない。それが人に拒まれて育った彼の精一杯の歩み寄りだった。


 蒼は満足そうに頷いた。「よし。じゃあ、寄り道決定!」



 依頼先は、街外れのなだらかな丘陵地。

 早咲きの春草が芽吹き始めた丘で、薬師見習いの若者二人の護衛をするのが今回の仕事だ。


「えっと……今日はよろしくお願いします」

 武装した二人の威圧感に気圧されたのか、薬師の男女は緊張した面持ちで頭を下げた。


「こちらこそ。危ないことがあったら、すぐに私たちの後ろに下がってね」


 蒼の声は、春の陽光のように柔らかい。雪灯はその一歩後ろに立ち、静かに周囲へ目を配る。


(蒼さん……いや、蒼。彼女は、対人の距離の取り方が恐ろしく上手いな)


 敵意のない相手には、自然に溶け込む。それは天性の才能か、あるいは……。



 採取は順調に進み、魔物の影も差さない。


 その穏やかな空気の中で、薬師の一人が蒼の装束に目を留めた。

「その服装……この辺りの方じゃないですよね?」


 蒼の動きが、一瞬だけ止まった。


「まあ……そうだね」

 笑顔は崩さない。けれど、そこには明確な「踏み込ませない壁」が築かれていた。


(……線を引いたか)

 雪灯は、その僅かな空気の変化を見逃さなかった。


「どこからいらしたんですか?」

 もう一人の薬師が無邪気に問いを重ねる。


 蒼は歩みを止めず、さらりと答えた。

「いろいろだよ。長くなるから、またいつか縁があったらね」


 軽い調子。だが、その言葉に宿る拒絶を察したのか、薬師たちはそれ以上深追いしなかった。




 昼過ぎ。依頼は滞りなく完了した。


「ありがとうございました!」


 薬師たちが去り、丘の上には二人だけが残される。

 風が草を揺らし、空はどこまでも高い。


 蒼は背中の大剣に軽く触れ、ふっと表情を緩めた。


「平和な仕事だったね」


「……ああ」


 一拍の沈黙。雪灯は迷った末に、静かに口を開いた。


「……さっきの話」


「ん?」


「来た場所を、あまり話したくないのか」


 蒼は目を瞬かせた。少しだけ驚いたように雪灯を見つめ、それからニヤリといたずらっぽく笑う。


「鋭いね」

 否定はしなかった。


「まあ……好きじゃないんだ。名前とか、家柄とか。そういうもので、中身まで決めつけられるのはさ」


 彼女は丘の向こう、遠い空を見つめた。その横顔は、いつもの明るい彼女とは別人のように硬い。

(……名家、か)


 雪灯の胸に、微かな共鳴が走った。

「……俺もだ。名前や素性を明かせば、余計な色眼鏡で見られる」


 それだけを告げる。

 蒼は一瞬黙り、小さく息を吐いた。


「そっか。……だよね」

 それ以上、彼女は何も聞かなかった。

(踏み込まない。……やはり、距離の測り方が俺と似ている)



 街へと続く帰路。人影が増えるにつれ、夕闇が静かに降りてくる。


「ねえ、雪灯」


「?」


「しばらく、ここの街にいるつもり?」


 雪灯は自問する。目的地はない。追われる理由も、ここを去る理由も、今は見当たらない。


「……ああ。しばらくは」


 蒼は弾むような笑顔を見せた。

「じゃ、当分は一緒に依頼できるね!」



(冬は、簡単には溶けない。……でも)


 雪灯は、隣を歩く桜色の背中を見つめた。


(この春なら……この『嵐』の隣なら、もう少し歩いてもいいかもしれない)


 吹き抜ける風はまだ冷たい。

 けれど、それは決して冬だけの風ではなかった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ