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冬と春  作者: あおにぎり
第一章 二人の出会い、過去と新たな街
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第二話:夜は、まだ冷たい


 街は、薄い橙色に染まった夕暮れに沈もうとしていた。


 石畳に影が長く伸び、街を行き交う人影もまばらになっていく。

 蒼は数歩進んだところで、不意に足を止めた。


 すると、背後で一定の刻みを刻んでいたはずの靴音も、ぴたりと止まった。


(……あ)


 振り返ると、少し離れた場所で雪灯が立ち止まっていた。

 漆黒の外套が風に揺れ、彼の視線は所在なげに宙を彷徨っている。


(あの人、宿はどうするつもりだったんだろ……。声をかけたら、迷惑かな)


 蒼は一瞬迷ったが、すぐに快活な笑みを浮かべて手を上げた。

「ねえ、雪灯」


 呼ばれた瞬間、彼の鋭い視線がこちらを射抜く。


 やはり、一分の隙もない。


「この辺、宿代が高いでしょ? 野営のほうが気楽じゃないかな」


 一瞬の沈黙。雪灯は思考を巡らせるように視線を逸らした。

(断る理由はない……。それに、この女を一人にするのも危ない気がする。一晩だけなら……)


「……構わない」


 蒼の口角が上がる。

「じゃ、決まり!」



 街道から少し外れた林の中。踏み固められた地面には、古い焚き火の跡が残っていた。

 蒼は慣れた手つきで荷を下ろし、薪を組み始める。

 桜模様の鞘が、熾り始めた火の明かりを受けて淡く光った。


 その間、雪灯は周囲を音もなく一周していた。

 残された足跡、風向き、潜む動植物の気配。


(……問題なし)



 戻ると、小さな火が夜の帳を押し返していた。


「警戒、交代制にしよっか。私が先にやるよ」


「……いや、俺が先で、蒼さんは後でも……」


 口を突いて出た言葉に、雪灯は自分自身で驚いた。

(……まただ。さん付けをしないよう、不愛想に徹していたはずなのに。今の呼び方は、さすがに不自然だったか?)


 蒼は火に手をかざしたまま、面白そうに雪灯を覗き込んだ。

「『さん』付けなんて、真面目だね。呼び捨てでいいよ? 私の方はもう、すっかり呼び捨てになっちゃってるし」


 焚き火が、ぱち、と乾いた音を立てて弾ける。


「……昔からの癖だ」


(俺はきっと、無意識に距離を測っているんだ。不用意に近づいて、いつか自分が傷付かないように)


「そっか。癖なら仕方ないね」


 蒼はそう言って火を見つめたが、その内心は穏やかではなかった。


(嫌がってないなら、まあいっか。……というか、火に照らされたイケメンの破壊力が凄すぎる。ちょっと待って、直視できないんだけど……尊い)


 夜が深まるにつれ、空気の冷たさは鋭さを増していく。

 吐き出す息が、かすかに白く濁った。


 蒼は肩をすくめ、羽織をぐっと引き寄せた。


「寒いか?」


「……まあ、少しだけ」


 雪灯は、羽織っている外套に手をかけた。だが、その動きを止める。

(貸す理由などない。……だが、これほど冷え込む夜に……)


「いいよ、無理しなくて。私、こう見えて体温高いからさ」


 蒼の軽い物言いが、雪灯の迷いを霧散させた。


(本当は、推しの外套なんて借りたら幸せすぎて尊死しちゃうから、絶対無理!)


(……本当に、軽い女だ。だがその軽さに、こちらとしては助けられている。雑ではないのだ。踏み込むべき場所と、引くべき場所を、本能で分かっている)


 沈黙が落ちた。火の爆ぜる音と、遠くで響く夜鳥の声。


 蒼が、ぽつりと独り言のように言った。


「今日さ」


 雪灯が顔を上げる。

「助けたの、正義感とかじゃないからね」


 炎が、彼女の横顔を赤く染める。


「ただ……気に入った、っていうか。まあ、そんな感じ」

 あっさりとした、湿度のない声だった。

(本当は、タイプど真ん中の推しだから助けただけなんだけど! 夜に二人きりの今、変な風に意識されて引かれたら嫌だし!)


 だが、その言葉は雪灯の胸に静かに沈んだ。

(気に入った、か……)


「……そうか」

 短い返事。


 蒼はわずかに眉を寄せた。

(あれ? 今の言い方、ちょっと上から目線で嫌な感じだったかな?)


 しかし、雪灯の胸中は、彼女の想像とは別の色を帯びていた。

(拒まれていない。――それだけで、今は十分だ)



 やがて、警戒の交代時間が訪れる。


「次、俺が起きる」


「了解。おやすみ」


 蒼は地面に横になり、夜空を仰いだ。星々が、宝石を散りばめたように瞬き始めている。


「ねえ、雪灯」


「?」


「今日の依頼さ。もし私が声をかけなかったら、誰と組むつもりだったの?」


 雪灯は、ほんの一瞬だけ言葉を詰まらせた。

(……最初から、掲示板の前で同じ依頼を見てたから待っていた、と言えば変だろうか。実力がありそうだったし、組むなら彼女以外にないと思っていたが……)


 それを正直に告げる理由は、今の彼にはまだ見当たらない。

「……未定だった」


 だが、その声は夜風に溶けるように柔らかかった。


 蒼は満足げに目を閉じた。

「そっか」

(やっぱり、組めたのは偶然か。まあ、結果オーライ。これからたっぷり推していけばいいもんね)


 夜風が林を抜けていく。


 雪灯は揺れる火を見つめ、そっと空を仰いだ。


(春の嵐が……来てしまったな)


 静寂を好んでいたはずの自分の世界に、土足ではなく、舞い散る花弁のように入り込んできた少女。

(……追い払う気にもなれない。俺は、これからどうしたいんだろうな)


 冬は、まだ終わらない。

 けれど、春もまた、そこまで来ている。


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