第一話:春の嵐は、雪の前に現れた
ギルドの掲示板前は、昼前から活気づいていた。
依頼書が風に煽られて乾いた音を立て、荒事を生業とする者たちの革靴と、この辺りでは珍しい草履の音が混じり合う。
その喧騒から少し外れた場所に、人だかりができていた。
その中心に、一人の男が立っている。
夜の闇を溶かしたような漆黒の外套。腰まで流れる銀の長髪。
長身の腰には、身の丈に合わせた反りの美しい刀が一振。
帽子とマフラーで顔の大半を隠した彼は、表情を読み取らせない。ただ、冷たい視線を床に落としていた。
「なあおい、聞いてんのか?」
「無視とか感じ悪ぃな。ギルドで問題起こす気かよ」
三人の冒険者が男を囲み、下卑た笑いを浮かべている。
だが、男は何も答えない。わずかに眉をひそめ、内に秘めた闘気を抑え込んでいるだけだった。
(……関わりたくない。この程度に抜くほど、俺の刀は安くない)
その男、雪灯は無用な衝突を切り捨てる剣士だった。だが、その沈黙はさらなる火に油を注ぐ。
「調子乗ってんのか? 黙ってるなら、言うこと聞けよ」
暴力の気配が膨れ上がった、その時。
「――あれ? なんだか、不格好な喧嘩してるね?」
凛とした、けれどどこか軽やかな声が割り込んだ。
人混みをかき分けて現れたのは、目を引く装いの少女だった。
日本系の和装と、大陸系の装束が混じり合った不思議な出立ち。淡い緑の生地に、チャイナボタンがあしらわれた上衣。
裾には鮮やかな桜色の刺繍が舞い、動くたびにスリットから覗く足取りは軽い。
腰には二振りの刀。背中には、それらとは対照的な武骨な大剣。
三本の鞘には、すべて統一された桜の文様が刻まれていた。
「ちょっとさぁ。その人、何かしたの?」
冒険者たちが不快げに振り返る。
「は? 誰だおめえ。関係ねぇだろ、女は引っ込んでろ!」
少女――蒼は、囲まれている男を一瞬だけ一瞥した。
(無愛想、静か、でも立ち姿が完璧。重心が全くぶれてない。……あ、この人絶対強い。私のタイプのイケメン……尊い。全力で推すしかないね、これ)
内心の「オタクの直感」は爆発していたが、彼女はそれを微塵も顔に出さず、凛として前に出た。
「無視してるのは、喧嘩を買ってない証拠でしょ。手を出さない相手に群れるのって、最高にダサくない?」
「お前――ッ!」
ドン、と低い重低音が響いた。
蒼が鞘に収めたままの大剣を、石畳に叩きつけた音だ。
その一撃で、ギルド前の空気が一変する。
「ここ、ギルドの前だよ? 騒ぎを起こせば資格剥奪。……やるの?」
周囲が息を呑む。先ほどよりも低い声と少女から放たれた圧力に気圧され、冒険者たちは舌打ちを残して、逃げるように去っていった。
人だかりが散り、残ったのは静寂と、二人の剣士だけだった。
「……助ける必要はなかった」
雪灯が、低く、冷たく言い放つ。
蒼はそれを聞き流し、にっと太陽のように笑った。
「必要かどうかは、私が決めること。まあ、私の好みのイケメンだしね。イケメンが絡まれてたら助けるのが私の流儀。それにさ……」
彼女は掲示板を指差した。
「この依頼、同じの見てたでしょ?」
(……気づかれていたか)
雪灯は驚きを隠す。顔を隠していても、彼女の観察眼は雪灯が「足を止めた秒数」だけで狙いを見抜いていた。
それは、護衛と討伐を兼ねた、二人組以上が条件の依頼。
(条件は悪くない。だが、足手まといと組むくらいなら諦めるつもりだったが……)
雪灯は目の前の少女を見る。
小柄だが、芯の通った立ち振る舞い。武器の扱いに迷いがない「プロ」の気配。
(案外……悪くないかもしれない)
「私は蒼。あなたは?」
「……雪灯。相良、雪灯だ」
蒼の瞳が、宝石のように輝いた。
「へぇ! いい名前だね。和の響き、最高。じゃあ決まり!」
彼女は迷いなく依頼書を剥ぎ取った。
「この仕事、一緒にやろ! ペア必須だし、さっきの落ち着きを見てたら背中を預けられそうだし」
春の嵐のように、自分の一歩先を歩き出す背中。
(……断る理由もないか)
「……分かった」
二人はギルドの受付へと向かった。
使い込まれた木製カウンターに、インクの匂い。
「同行者登録ですね。お名前を」
「あお。草かんむりの『蒼』って書きます」
「……相良、雪灯」
受付嬢のペンが止まる。
「珍しいですね……お二人とも、この地では珍しい『漢字』の名前だ」
蒼は肩をすくめて笑う。
「文化が違うと色々言われますけどね。私は気にしてません」
雪灯は何も答えなかったが、自分と同じ「文字」を名に持つ彼女に、不思議な縁を感じずにはいられなかった。
ギルドを後にし、古道へと続く森に入る。
歩く速度が、驚くほど自然に揃う。
「足音、静かだね。癖?」
「……無駄な音は死を呼ぶからな」
「なるほどね、徹底してる。いいよ、そういうの」
その時、森の空気が一変した。
低い唸り声。
「早速来るね。――二体か」
蒼が背の大剣を地面に預け、同時に腰の二刀に手をかける。
現れたのは、筋骨隆々とした獣型の魔物。
「前は俺が――」
「了解!」
雪灯の言葉を待たず、蒼は地を蹴った。
速い。だが、その動きに無駄はない。
(……まるで、春の嵐だな)
魔物の一体が、死角から雪灯を狙って跳ぶ。
雪灯は抜刀した。だが、斬り伏せはしない。
鋭い剣筋で魔物の牙を叩き、動きを完全に停止させる「後の先」。
蒼が即座に反応し、頷く。
「ナイス連携!」
彼女は雪灯が作った一瞬の隙を見逃さず、流れるような二連斬で魔物を屠った。
依頼は、完璧な完遂だった。
帰り道、夕焼けが二人の影を長く伸ばす。
ギルドで報酬を受け取り、外へ出た。
「次も組まれますか?」という受付嬢の問いに、雪灯は「未定だ」とだけ返した。
だが、隣を歩く少女は、そんな彼を面白そうに眺めている。
(断られなかったし、次もいけるね。もう、推すしかない。幸せにするまで推しは変えないって決めてるから)
「じゃ、今日はここまでだね」
「……ああ」
別れ際、一瞬の沈黙。
「また同じような依頼があったら、声かけてもいい?」
「……構わない」
蒼は満足そうに手を振った。
「ありがと! じゃ、またね。雪灯!」
呼び捨てにされたその名を、雪灯は胸の中で反芻する。
春の風に揺れる桜色の布が、夕闇に消えていく。
(……意外と、悪くない組み合わせだったな)
雪灯の心に積もっていた冷たい雪が、ほんの少しだけ、解け始めていた。




