第3話 VSエーディン
「アイク、エーディンに挑戦するか?」
今さらな問いを、バザードが真顔で口にした。
「もちろんです! やらせてください!」
俺は即答し、牡丹槍を構える。
距離を取った向こう側――赤縁の眼鏡の奥で、宝石のような瞳を冷たく光らせるエーディンが、右手に一振りの杖を握っていた。
ただの杖じゃない……あれは武器だ。警戒しておくべきだな。
「よし! では一年Sクラス、最後の序列戦――始め!」
バザードの号令が響いた瞬間、エーディンの杖が天を突く。
「【土弾】!」
「【土弾】!」
「【土弾】!」
……三連発。ガルの時と同じか。
だったら――貫いてみせるまでだ!
「【ファイアアロー】!」
「【ファイアアロー】!」
「【ファイアアロー】!」
放たれた炎の矢が空を裂く――が、次の瞬間、信じられないことおきた。
礫土の弾が炎を押し潰したのだ。
「な……っ!」
信じられない。
【ファイアアロー】は【土弾】よりも高位魔法。威力で勝るはず……なのに……ってことは、エーディンの魔力が俺を圧倒的に上回っているということか。
それに、あの杖……何らかの強化効果があるのかもしれない。
だが、驚いていたのは俺だけじゃなかった。
「石人形の杖を使っても、これくらいしか押せない? 彼は前衛のはず――」
エーディンが呟いた次の瞬間、視線が鋭く俺に突き刺さる。
「……う、嘘っ。前衛なのに、MPが四桁!?」
――鑑定か。
だが、マルスのときとは違う。
マルスの鑑定は心の奥底まで見透かされるような感覚だった。
対して、エーディンのは表層をなぞるだけ。
とはいえ、もう俺のステータスはバレた。出し惜しみしても意味はない。
「今度はこちらから行かせてもらう!」
近づけば束縛眼で動きを封じられる。
なら、中距離で牽制して隙を突く!
「【ファイア】!」
「【ファイア】!」
「【ファイア】!」
火球を連射し、様子を見る。
対するエーディンは、静かに息を吐き――呟いた。
「長期戦は不利かもしれない……だったら――」
再び、杖を天へと掲げる。
「【土壁】!」
瞬間、地を裂いて巨大な壁が立ち上がった。
分厚い土壁がリングを二分し、向こう側のエーディンの姿を完全に遮断する。
……だが、それならこっちにも手がある。
「【ファイアボール】!」
火球を大きく迂回させ、壁の向こう――エーディンの位置を狙い撃つ。
だが、次の瞬間、エーディンの澄んだ声が響いた。
「【起動】!」
……【起動】? 聞いたことのない魔法だ。
警戒する間もなく、地面が低く唸りを上げる。
な、なんだ……これは、何が起きている!?
視線を彷徨わせると、正面の壁に変化が見られる。
目の前の土壁が、ゆっくりと……いや、確実に動いた。
壁が震え、形を変え始める。
その瞬間、俺の全身に鳥肌が走った。
「まさか……!」
崩れかけた土壁が――腕を、脚を、頭部を形成していく。
やがて、巨人のような姿へと変貌を遂げた。
そして――
土の巨人が、振り上げた腕で俺の【ファイアボール】を叩き落とした。
轟音と共に炎が、煙だけを残して消滅する。
その奥から、エーディンの声が響いた。
「【人形使い】と呼ばれた私の力を……見せてあげるわ」
この人形はゴーレムというのか……。
見た目こそ鈍重だが、腕を振り下ろす動作は異様に速い。
一撃でももらえば、ただでは済まない。
あの威力……真正面からの衝突は自殺行為だ。
俺はフェイントを入れ、エーディンへ突っ込む素振りを見せる。
だが、即座にゴーレムがその巨腕を広げ、行く手を塞いできた。
くそ……完全に守りの壁か。
しかも、そいつに気を取られていると――
「【土弾】!」
エーディンの礫土が飛んでくる。
守りと攻撃、両方を同時にこなすゴーレム……厄介すぎる。
だが――勝機がないわけじゃない。
奴を倒す鍵は、主じゃなく盾のほうにある。
「【ファイアアロー】!」
「【ファイアアロー】!」
「【ファイアアロー】!」
エーディンが直接俺を狙えないようにゴーレムで体を隠す。
その間に連続で炎の矢を放つ。
エーディンも動き、俺を射程に収めようとするが――敏捷では俺が上だ。
素早く移動しながら、同じ箇所を狙い撃つ。
焼け焦げた土の表面がひび割れ、砕ける音。
狙いすました矢が次々と突き刺さり、亀裂が広がっていく。
そして、ついに――
ゴーレムの足に深い裂け目が走った。
――今だ。
足に力を込め、地を蹴る。
一直線にゴーレムへと駆ける俺に、巨体が反応した。
土の拳が振り上げられ、轟音とともに振り下ろされる。
だが――
身をひねってその一撃を紙一重で躱し、回転の勢いのまま牡丹槍を構える。
穂先が、すでにひび割れていた足元を正確に捉え――突き抜けた。
瞬間、ゴーレムの全身に亀裂が走る。
そして、崩れ落ちるように前のめりに倒れ始めた。
「はっ!」
俺はその巨体を思いきり蹴り飛ばす。
支えを失ったゴーレムの体が、重力に引かれてエーディンの方へ傾く。
「えっ――!?」
予想外の展開に、エーディンの瞳が大きく見開かれる。
驚愕の表情のまま、わずかに硬直――。
――チャンス!
迷わず踏み込む。
地を裂く勢いで距離を詰め、牡丹槍の穂先が閃く。
だがその瞬間――エーディンの瞳が、氷のような光を宿して俺を捉えた。
まずいッ……! ここで束縛眼を使われたら、俺が下敷きに――!
と、思った次の瞬間。
――体は、自由のままだ。
なぜだ?
視線を向けると、エーディンは俺ではなく、倒れかかる土の巨体を見据えていた。
「逃げなさいッ!」
切羽詰まった声が響き、彼女は杖を掲げて詠唱に入ろうとする。
だが、間に合わない。
あの質量を吹き飛ばせる魔法を、即座に放てるのはマルスくらいだ。
だったら――俺が動くしかない!
「エーディン! じっとしてろ!」
牡丹槍を投げ捨て、全身の力を爆発させるように駆け出す。
エーディンの瞳が驚きに見開かれ――それでも、彼女は一歩も動かない。
間に合え――ッ!
咄嗟に彼女を抱きかかえ、そのまま地を蹴って跳ぶ。
背後から、崩れ落ちたゴーレムの巨体が地を叩き割り、轟音が鳴り響く。
舞い上がる砂塵が、視界を覆う。
「助かった……のか……?」
ホッと一息。
すると、すぐ近くから澄んだ声が届いた。
「ちょっと……いつまでこうしているのよ……?」
声のする方に視線を向けると、吐息がかかるほどの距離にエーディンの顔があった。
「おっと、すまない」
腰に回していた手を引き抜き、立ち上がって彼女に手を差し出す。
「これは……俺の負けか?」
エーディンはその手を取って立ち上がる。
わずかに息を整えてから、首をかしげた。
「どうしてそう思うの?」
「あの時、束縛眼を使われていたら俺は下敷きになっていた。ま、エーディンも下敷きになっていただろうがな」
俺の言葉に、彼女はふっと笑みを見せる。
「……なるほどね。だから私を助けたってわけ。でも、それは見当違いよ。私は下敷きにならなかったわ」
「いや、あの状況で吹き飛ばすなんて無理だろ」
「そもそも吹き飛ばす必要なんてないもの。倒れ掛かってくるゴーレムに新しく息吹を与えれば、私を回避するように動かせるわ」
なっ!? そんなことができるのか!?
ってことは、エーディンは一瞬で全部を計算して――それでも俺の言葉を受け入れたということか!?
「ま、ただ……お礼だけは言っておくわ」
少しだけ視線を逸らして、彼女は口元を緩める。
「まさか、男に助けられるとは思ってもみなかったもの。今回は――引き分けってことにしてあげるわ。先生もそれでいい?」
呆然としていたバザードにエーディンが視線を向けると、彼はハッと我に返り、慌てて何度も首を縦に振った。
「そ、そうだな! 今回の試合は……引き分け! 迷宮試験後に再戦とする!」
エーディンはちらりと俺に視線を向け、何かを言いかけて――結局、何も言わずにリングを降りた。
こうして、俺とエーディンの初めての戦いは――引き分けに終わった。
けれど、俺の中で何かが確かに始まった気がした。




