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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

リトルウイッチと赤いデーモン

作者: 白夜

 彼は車を滅茶苦茶に暴走させていた。ここは荒野でもなんでもない、東京の街中である。それも繁華街にごく近い、人通りがやや多い住宅地で、さらに夜の帰宅時の時間帯である。騒ぎにならないほうがおかしい。


 パトカーが来るまでに、彼は四軒の住宅とアパートの塀をけずり、五台の路駐車のライトと左ドアをへこまし、三本の標識をへし曲げた。そのたびにタイヤはキュルキュルと悲鳴をあげて地をけずり、土煙があがった。その黒の軽は比較的せまい路地を右へ左へ、そこにあるものへ手当たり次第に、そう大きくないボディで体当たりし、周りも自らも破壊しながら、デタラメに破滅的に進んだ。乗っている彼はハンドルを狂ったように右に左に回し、よける気などはなからないようだ。それは、でかすぎるが、またゆっくりすぎる弾丸であった。幸い、今のところ人間には当たっていないが、時間の問題だろう。


 彼の目はぎらぎらと血走り、口はへの字で眉はカモメのようにつり上がり、もとはわりと童顔だったその顔の全てがゆがみ、皮膚はしぼった雑巾のごとく、きつくこわばっている。怒っているような、笑っているような、悲しむような、ほとんど全ての感情が同時にむき出しの、完全にいかれきった形相だった。

 彼は歯噛みし、うなっていたが、全開のエンジン音にかき消されて誰にも聞こえない。だが、たとえ静寂の中だったとしても、彼のうなりの意味を解するものは皆無だったろう。


 それほどに、今やっていることは常軌を逸していた。まさに自殺行為であり、他殺的でもあった。けたたましく叫ぶ車体は、時速百キロ近くからスピードをいっさい落とさず、周囲に驚愕と恐怖をまきちらして進んでいく。

 そこには死しかなかった。今の彼は死そのものだった。









 水族館にも行ったし、遊園地にも行った。彼が死そのものになる、ちょうどひと二ヶ月前の夏の終わりのこと。彼女――リルと恋仲になった。

 最後のデートは湾岸近郊の某有名遊園地、十月末日の晩で、園内で行われるダンスのイベントにあわせて、貸衣装を借り、他のおびただしい客たちと一緒にハロウィンの仮装をした。リルは魔女、彼は顔が白塗りの悪魔だった。

「リルだから、リトル・ウィッチだな」

 手を取ってフォークダンスを踊りながら彼が言うと、リルは笑って「じゃ君は赤羽だから、赤いデーモンだね」と返した。



 しかし、楽しかったのはそこまでだった。じつは最初からリルは、デート中に赤羽が道々よその女をちら見しただけで、たちまちガーッとキレるほどの独占欲があったのだが、そのハロウィンがすぎたころには、何かというと彼のスマホを勝手に見ては、女からの着信やラインのたぐいがないかと調べるほどになった。いわゆるメンヘラだった。


 だがメンヘラは、メンタルがおかしくないときは反動でとんでもなく可愛くみえるので、彼がはまったのも、ある意味仕方がないともいえた。もっとも可愛いといっても、それは相手に極端に依存するからで、それをうっとうしいと感じる場合は通じないのだが、赤羽は頼られると大喜びで彼女の「お世話」をしまくった。夜中にいきなり電話してきて「会いたい」といえば必ず飛んでいったし、彼女のために仕事をすっぽかしたのも一度や二度ではない。


 だが、どんなに上司から怒られようが、減給されようが、抱きしめたときに見れる彼女の極上の笑顔という最終兵器には、まったく勝てなかった。その、愛くるしいだけでなく、薔薇のような品も併せ持つうりざねの丸顔は、ふだんは冷めた性格の赤羽が、瞬時に別人に生まれ変わるほどの破壊力を発揮した。彼は彼女以外のすべてにルーズになり、ずるずると破滅していった。


 だが、その「破滅」が決定的になったのは、皮肉にもリルの可愛さのせいではなく、その逆だった。時と場所をわきまえず甘えてくる彼女が、突然うざくなったのだ。理由は、はっきりとはわからなかったが、おそらく日に日に重くなる彼女の「愛」の重さに、自分の心が疲れてしまったせいだ、と思った。



 態度が急にそっけなくなり、連絡が減るや、リルは激怒して彼のアパートに押しかけ、泣き叫んで暴れさえした。それでますます嫌になり、もう別れるしかないと悟った赤羽は、その晩秋の風の冷たい夕方、彼女のマンションを訪れた。どうせ修羅場になるはずなので、暴力も辞さない覚悟だった。


 すでにメールで「別れたい」と送っていた。返事は予想外に冷静で「じゃあ、最後にうちに来て」というものだったが、安心はまったくできない。以前も何かでキレたときに、謝って許されたはずが、関係ない話題で似たワードが出たとたん、一気に揺り戻って狂ったように叫びだしたことがある。今回もタダでは済むまい。

 しかしこれは、自分が可愛いすぎる女と付き合い、普通の男よりもはるかにいい思いをした報いだ、という自覚もあった。それで、全て自力でけりをつけるつもりでいた。





 あいたドアから出た顔は、いつもの嬉しそうな微笑だった。だが入ると部屋じゅうに、澱のような重苦しい緊張が漂っている。もっとも、彼女がヘラってるときはいつもこうだし、とくに今は「最後のお別れ」である。穏やかなほうがどうかしている。とくにこういうときのリルは、笑っていても雰囲気は冷たく殺伐としている。笑いの仮面をつけた鬼だ。


 すぐに暴れだすのを覚悟で切り出そうとしたが、相手は彼を入れるなり、台所に引っ込んで出てこなかった。玄関の先、いま彼がいるところが六畳間の部屋で、その奥が台所。かわいいピンクの長いのれんの下から、すらりとしたきれいな両足が見える。スリッパでマットの上に立ち、ガサガサいう音から、紙袋からなにかを出しているのだろう。気まずいにもほどがあるので、すぐこっちに来て欲しかった。だが、わざとあせらす気かもしれないので、ここは我慢し、小さな円卓の前の座布団に座り、あぐらをかいて待った。



「やよいちゃんね、」

 不意に声がし、そのいきなりの単語に、彼は固まった。

「君のこと、悪魔だって。やっぱ、デーモンの格好は当たってたんだねえ」

 なにか楽しそうですらある口調に、赤羽はかなりあせった。

「だ、誰だよ、それ……?」

 思わず震え声で言ったが、ガン無視で続ける女。

「やよいちゃんさあ、もらったペンダント、捨てたって。そりゃそうだよねえ、好きだとか言っといてさ、こんな、ほかの女に――」

「み、見たのか、スマホ?!」


 叫んで立ち上がる。いや、スマホはどうしてもと言うので暗証まで教えているから、やましいところはない。今のは、もう一台のほうだ。しかし、存在自体知らないはずなのに、どうして。

「やっぱ、もうひとつ持ってたんだね」

 カマかけられたと知り、かっとなったが、どうしようもない。

 が、それでもまだ腑に落ちない。


「だ、だいたい、なんでやよいのことを――」

「電話きたんだよ」

 ガサガサやりながら、なんでもない口調で続ける。もちろん腹は超激おこだろう。

「清くんの番号、調べたって。ほら、ワクチン打ちに行ったとき。カルテは見ないと思ったんだろうけど、『ナースなめんな』だって」



 たしかにやよいとは、病院の廊下で、ひょんなことで知り合った。ちょうどリルに嫌気がさしてきたころだった。しかし、直接診察したわけでもないし、電話番号は別のケータイ(三つめ)のを教えてあるのに、なぜ。要は、ほかにケータイを持っていると感づいたのだ。

 そして、さらに悪いことがあった。

 やよいも、付き合ってみたら、重度のメンヘラだったのである。


 しかし、バレてしまったら、実はちょうどよかったとも言える。別れる立派な口実になる。

 赤羽は立ちあがり、気を付けの姿勢で、頭をぐっとさげて叫んだ。

「すまない! でも、最初はそんなつもりはなかったんだ! 最初から裏切る気だったわけじゃない。ただ、ずるずるこうなっちまった。俺の責任だ。ごめん!」

「じゃ、今はやよいさんが好きなんだね?」

「あ、ああ」

 彼の頭に、やよいの美麗な面長の顔やスレンダーな体などが浮かんだが、今更バカなことをしちまった、と後悔した。


「さっきも、会ってたんだよね?」

「うっ――そ、そうだ。すまん、君に会う前なのに――」

「それ、ちゃんとやよいさんにも言った?」

「えっ」

「今の、『君に会う前なのに』ってやつ」

 ぎょっとした。こいつはこのうえ、まだ何か知っているのだ。

(いや、まさか、あれを――?!)


「だってさ、やよいさんに会う前にも――」

 こっちを見んばかりに言った。

「善子さんに会ってきたんでしょ?」

 赤羽は凍りついた。



 善子とリアルで会ったのは、ほんの数日前だ。最初は出会い系サイトだった。やよいにも嫌になり、ストレスでいかがわしいサイトに出入りした結果である。だが数日前に実際に会ってみてわかった。

 こいつはヤバい。

 いや、こいつ「も」、というべきか。


 書き込みでは分からなかったが、善子も相当なメンヘラだった。こっちも裏ケータイの番号(四つめ)しか教えていなかったが、カーショップの店員だからって、客の電話番号(一つめのやつ)までいちいち見ないだろう、と思ったのが甘かった。


 赤羽は頭まっしろで、声を上ずらせた。

「じゃ、じゃあ、善子からも――」

「うん。来た、電話」

 彼の頭に今度は善子が浮かぶ。ボブヘアーで、優し気な目じりで笑う明るい顔に、白い制服に包まれた肉付きのいい体。だが優しいのは客対応だけだった。遅いにもほどがあるが、さらに後悔した。


 ガサガサがしなくなり、水を打ったように静まったのが怖かった。

 が、このまま逃げるわけにはいかない。俺は別れ話に来たのだ。怖いものなどない。

 そうだ、わざと嫌われて追い出されよう。それしかない。



「俺は最低だ」

 赤羽は立ったまま円卓を見つめ、うなるように言った。

「リル、君と付き合う資格なんか――」

「今夜は、お刺身にしようと思ったんだ」


 唐突に言われ、えっと顔をあげた。

「最後にごちそうしようって。一緒に食べようって、マグロ買ってきて。

 でも、変更」

 そして、いきなりくるっとこっちを向き、左手でのれんを分けて、ひょこっと顔を出した。

「お刺身は――」

 言いつつ、もう一方の右手をあげる。満面の笑みだが、目はマネキンのようにまったく笑っていない。その手には鋭い包丁が握られ、蛍光灯の光をぎらりと照り返した。

「お刺身は――

 清くんにするわ!」


「うわあああ――!」

 叫んで這うように逃げてドアから飛び出し、靴も履かずに階段を駆け下りる。外はとうに暮れ、振り向けば、踊り場の白い電灯に照らされたリルが、ぎらつく包丁を振り上げ、髪を振り乱して追ってくるのが見えた。

 が、一階で見えなくなり、戻ったかとほっとして、駐車場の車に入ってエンジンをかけた瞬間、背中に鋭い痛みが走った。

「ぐ、ぐあああっ!」


 うめいて恐怖に振り向けば、リルのにやにや笑いが目の前にあった。

「ドアくらい閉めなよ、危ないなあ」

「てっ、てめえ――!」

 さすがに、この所業にはむかついて毒づいたが、リルは足を伸ばしてアクセルを踏み、強引に発車させた。

「やよいさんの病院、近いでしょ」

 さっと降りて覗く。

「間に合えば助かるよ。がんばってー」と手を振る。

「ち、ちっくしょおおお――!」

 赤羽はヤケクソでハンドルを握り、駐車場をあとにした。



 刃は深々と刺さっている感じで、背中はかなり痛いが、幸い血はそう出ていないようだ。抜きたかったが、マンションからかなり離れないと、停めるのは恐ろしい。リルが自転車とかで追ってきて、またなにかするかもわからない。メンヘラとは知っていたが、いくらなんでも殺人未遂までするとは思わなかった。確かにやよいの病院はすぐそこだ。

 と、スマホが鳴った。やよいからだ。

 天の助け、女神様だ、と顔がほころぶ。勤務中に無理に会っといて本当によかった。リルに会うのに気が重くて、とか言って。


 ところが出ると、電話口の声は氷のように冷淡なうえ、その内容に驚がくした。

「リルさん、許してくれた? 私はダメ。君にあげたコーヒーにね、猛毒入れたのよ。そろそろ効くころだけど。一分で解毒しなきゃ死ぬしかないの。残念だわ、私、本気で好きだったのに――」


(じょ、冗談じゃねえええ――!)

 赤羽は恐怖におののいた。一分なんて間に合うわけがねえ。

 彼は顔をふり、頭をめまぐるしく働かせた。

(そうだ、こうなりゃ、外に出て助けを求めよう!)(誰か通行人にすがって、救急車よんでもらう!)(それしかねえ!)

 ただちにブレーキを踏む。だが――。

 おかしい。

 停まらない。


 電話が来た。

「善子だよ。さっき、リルさんのとこの駐車場にいたんだ。車に細工しといたから。リルさんもやよいさんも、みんなあんたのこと悪魔って言ってるよ。あたしもね。

 とっとと死ね、この糞男!」

 ブツッ。


「はははははは!」

 赤羽はヤケクソで大笑いしながら走った。大口をあけ、目をむき出し、背には包丁が深々と突き刺さり、毒が全身に回っているのがわかる。

 そしてもう停まれない。

 二度と停まれないまま、住宅街を暴走した。





 ハンドルを滅茶苦茶に切りながら、いつしか人生の不条理に激怒していた。ちくしょう、だいたい俺がこんなに最低なことしか出来ないのも、みんな母親のせいだ、最悪の毒母だった。だから同じ最悪の女としか付き合えないし、気をつけたって、そういうのだけが、まるで神が周到に用意するみたいに、向こうから次々に勝手に現れては、最初は飴を与えといて、結局は俺に「バーカ、だから女と付き合うなっつってんだ」とでも罰するように痛めつける。それでも、バカな俺は懲りずにまた別の女に寄ってって、また酷い目にあう。そんなのを繰り返してきた。

 もちろん、ぜんぶ自分のせいで自分が悪い。

 でも、まるっきりは悪くない。親ガチャ大外れが根源だ。


 でも、もう遅い。たしかに俺が悪い。ガキじゃないし、俺の責任だ。ガキのまま大人になれなくても、それは相手には関係ない。

 でも、なにも殺さんでもいいだろう。死ぬほどのことかよ。


 げほっ(膨大に吐血)。

 そうか、死ぬほどのことなんだな、これ! なあるほど! わかったわかった!

「よおおーくわかったあああ――!」




 パトカーのサイレンが背後に迫り、車は崖から大きく飛んだ。落ちるさなか、赤羽はでかい満月の中を、ホウキに乗って飛ぶ一人の魔女を見た。

「リトルウィッチいいい――!」

 叫ぶ彼の、血にまみれた顔を指し、彼女は満面の笑みで言った。

「赤いデーモンだね、赤羽くん!」(「リトルウイッチと赤いデーモン」終)

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