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AnomA

 ――「いいですか、識奈。刀とは――相手を斬る道具です」


「はい」


「それは、どれほど時代が進んでも変わることのない事実。不変の真理です」


「ですが……使い方は、持つ人の心によって選ぶことができる。自分を守るために振るうことも、相手を傷つけるために振るうことも、人を助けるために抜くことも」


「使い方……」


「刀を学ぶというのは、ただ斬る力を得ることではありません。その力を、どう使うかを一生かけて考え続けることです」


「ずっと……ですか?」


「はい。一度手にしたら、死ぬまで刀と共に生きる覚悟を持つ。それが、あなたがこれから歩む道です」


「わかりました」


「いい返事です。では今日は、その覚悟を形にする構えを教えましょう」


その言葉が響いた瞬間、視界の光景がゆらりと揺らぐ。次に目を開けた時、識奈は見慣れた自室の天井を見上げていた。カーテンの隙間から差し込む朝日が、夢の残滓をじわりと薄めていく。


(……夢か)


胸の奥に、あの日の声だけがはっきりと残っていた。


「久しぶりに見たな…」


懐かしい夢だった。

まだ小学生だった時の記憶だ。6年か7年か前だったか……俺が教えを請い刀を握ってまだ間もない頃、師範代の芙蓉(ふよう)先生との会話。

その会話は忘れることのない記憶としていつも頭の片隅に残り続け、たまにこうして夢と言う形であの日の情景を思い出させる。


識奈は体を起こし自然と机の上に視線が向いた。


「昨日のせいだな」


その視線の先に映っているのは漆黒の腕輪だった。


昨日の放課後、識奈は叔父さんから送られてきたVeyraを身につけた。


Overlayer(境界の探索者)、AnomAへようこそ。》


「これが今、世界で一番流行ってるゲームか。噂には聞いたことがあったけど……すごいなこの技術! どうなってんだ?」


識奈の目の前、空中に現れた「Overlayer(境界の探索者)、AnomAへようこそ。」という言葉は空気の揺らぎと共に青白い光の膜となった。それは次第に形を取り目の前に一枚のウィンドウを描き出し淡い文字でこう表示されている。



ピロン――


《プレイヤー識別コード:未設定》


プレイヤーネームを入力してください。

※この名前はゲーム内で他のプレイヤーに表示されます


[            ]


 ▶ 決定

 ▶ ランダム生成



「名前……名前か」


ゲームなんて、スマホでちょっと遊んだパズルやアクションくらい。

コンシューマーもPCゲームも、正直ほとんど触ったことがない。


大体こういうのは、かっこいい名前を考えたり、適当に単語を組み合わせたりするものだ――と知識としては知っている。


だが、思いつかない。


(……自分の名前でいいか)


識奈は迷わず、指先で「S」「i」「k」「i」「n」「a」となぞる。

半透明の画面に、ローマ字で自分の名が並んだ。


なんのひねりもない。ただの自分の名前。

けれど――それが一番しっくりきた。


決定をタップすると、ウィンドウが淡く光って溶けるように消えた。

同時に、視界の奥から低く響く電子音。


《プレイヤーネーム:Sikina 登録完了》



ピロンッ!


《初期装備を選択してください》



目の前に再びウィンドウが現れ、武器のアイコンが、円形にずらりと並んで浮かんでいる。

片手剣、短剣、大剣、槍、大槍、弓、大弓、双剣、双短剣……その中に――。


「……刀」


ひときわ細身で長く、美しい反りを持つ日本刀のアイコンが視界の中央に浮かび上がる。

思わず息が止まった。

鍔、鞘、柄……全部、見慣れた形だ。


(これを選べば……いつも通り、振れる)


しかし、同時に胸の奥で何かが重く沈む。

道場の床板の感触、師匠の声、汗と木の匂い――そして、中三の夏で止まったあの日の記憶。


指先が、刀のアイコンの上で止まる。


「……いや」


ほんの一呼吸のあと、識奈は指を横に滑らせた。

その先にあったのは、銀色の刃を持つ西洋剣。刀よりも短く、厚みのある片手剣だ。



《片手剣を選択しますか?》



「……ああ」


決定をタップすると、剣のアイコンが淡く光り、視界の端に装備データが表示される。

その瞬間、ほんの少しだけ胸が軽くなった。


(これは……剣道でも、抜刀でもない。俺の知らない剣だ)


だからこそ、踏み込める気がした。



《初期装備登録完了》



光の粒子が視界を包み込む。だが、次の瞬間――。


ピコンッ、と右上に「ログアウト」の表示。


「……今日は、もういいか」


剣の重みも、戦場の景色も、まだ何も知らないまま。

識奈はその日、ゲームを終了させた。


AnomAアノマ

――現実は、もう一つの層を持っている。


次世代スマートウェアラブル《Veyra(ヴェイラ)》を装着し、

都市に潜む“異変(Anomaly)”を視認・介入せよ。


ボタンもコマンドも不要。

”意志とわずかな「溜め」”が必殺を解き放つ――【Skillシステム】。

”仲間と連携し「繋ぐ」”ことで威力を増す――【Comboシステム】。

”攻撃を「同時」に叩き込む”ことで防御を打ち破る――【Breakシステム】。


仲間と街を駆け抜け、迫る異変を制圧し、深層に眠る未知へ挑め。


「異変を“なぞる”ことから、世界を覗き込む“境界の探索”へ……か」


「これが最新のゲームなのか? すごいな……」


昼休み。識奈は、自分の席に座ったまま、スマホの画面をじっと見つめていた。


映っているのは、今話題のフルダイブ型ARゲーム《AnomAアノマ》の公式サイト。


現実に“もう一つの層”を重ねるこのゲームは、専用デバイス《Veyraヴェイラ》を装着することで、街に潜む異変アノマリーを視認・介入できるらしい。


なんだそれ。やばすぎるだろ。


――でも、俺はその“やばすぎる”モノを、既に持っている。


きっかけは、数日前に届いた一つの小包。送り主は、時々ぶっ飛んだ贈り物をしてくる叔父だった。


で、中に入ってたのが《Veyra》。


しかもアレ、ヘッドギアでもスマートグラスでもなく、ただの腕輪にしか見えない。だが、値段は――


(……17万3440円。バカみたいに高い。いや、どうなってんだこの業界)


と、そんなことを考えていたら――


「何見てんだ識奈! おっ、AnomAじゃん! それ今めっちゃ流行ってるやつじゃん!」


突然背後から現れた声に、俺は思わず眉をひそめた。


……ヒロだ。


何故か昼休みにも関わらず別のクラスである俺のところに来た。相変わらずの声のボリュームで周りの目が気になってしまいそうだ。


「ってか識奈ってゲームやるんだっけ?」


「……スマホでちょっと遊ぶくらいだな」


「へー? じゃあなんで今さらAnomAなんか調べてんの?」


「ちょっと……やってみようかなって思って」


正直、まだ迷ってる。だが、気になってるのも事実だった。


すると、ヒロの目が怪しく光った。


「……まさか、お前、Veyra持ってんの?」


「……持ってる」


「はぁ!? マジかよ!!?」


その瞬間、ヒロの声は三段階くらい跳ね上がった。

教室中に響く大声。全員の視線がビシッと刺さってくる。


「ちょっ、おま……!」


顔をしかめ、小声で返す。ヒロは「……す、すまん……けどさ……」と机に身を乗り出してきた。


――と、その時。


「ちょっと。さっきからうるさいんだけど?」


キン、と張り詰めた声。

振り向くと、凛とした佇まいの女子が立っていた。黒髪がさらりと揺れ、射抜くような眼差し。


美矢影(みやかげ)瑠璃(るり)


由緒ある家の長女で、弓道部のエース。

真面目で物腰も丁寧――しかし、その視線の鋭さは、弓よりも速く人を射抜く。


「す、すまん! 美矢影! ちょっと興奮しちまって……」


「次から声のトーンを下げてくれるなら、良いです」


さらりと受け流す……かと思いきや。

瑠璃の視線が、すっとこちらに向いた。


「……貴方も」


「え、俺?」


「ええ。あなたも」


うっ……背中がゾワッとした。なんだこの圧。


「悪かった…気を付けるよ」


「そうしてくれると助かるわ」


そう言うと美矢影は自分の席に戻っていった。


「……あれ、何十万もするやつだぞ……!?」


美矢影が離れたのを確認してからいつもより少し小さな声ですぐさま途切れた話を再開した。


「はぁ…知ってる。調べたからな」


(てか、そんなもんポンとくれる叔父さん、金銭感覚バグってるだろ……)


「で、何しに来たんだよ。昼休みだぞ」


「言ったろ? 一緒に飯食いに来たんだって」


――だからなんで当然のように俺の席に来るんだよ。


「……まぁいいけど」


そう言って弁当を開き、俺たちは取り留めのない話をしながら昼休みを過ごした。

気づけばチャイムが鳴り、昼のざわめきもすっと引いていく。


午後の授業が始まる。

午前中に張りつめていた緊張は少し解けて、その反動で体の奥にほんのわずかな重さが残っていた。


眠い……というほどじゃない。

むしろ、授業に集中している限り、そんな感覚はほとんど意識に上がってこない。

けど、それは確かに積み重なっていて、気づけば時間の流れがいつもより速く感じられた。


――キーンコーンカーンコーン。


チャイムが鳴る。

はっと顔を上げると、もう六時間目の五十分が過ぎていた。


(……あれ、もう終わり? 全然そんな感じしなかった)


初めての授業は、思った以上にあっさりと過ぎていった。


その日最後の授業が終われば締めの掃除の時間がやってくる。数人の当番制ではなく生徒全員で行われる掃除はまさに”掃除の時間”と言える。


教室最後の床拭きが終わり後ろに寄せられた机を元の位置に運んでいると、隣で同じ作業をしていた美矢影が、ふとした調子で口を開いた。

その声は周囲には届かないくらいの、ほんの小さな声。


「……歩き方や足さばき、やっぱり綺麗ね」


「は?」


「机を持っていても、姿勢が崩れない。立ち方も、無駄がない。……あれは、ただの剣道の癖じゃないわ。体に染みついてるもの」


識奈は返事に詰まり、わずかに眉をひそめる。

そんなことを、どうして。


美矢影は一度だけ彼を見て、静かに続けた。


「……もう、やめるの?」


「剣道はもうやめた」


そう言い切った識奈に、彼女は首を振る。

そして一言。


「私が聞いてるのは――抜刀術のこと」


その言葉に、識奈の喉が音を立てる。返す言葉が、出てこない。


「…………」


(そうだった、こいつは知ってるんだ)


美矢影は俺が小さいころからある道場で武術を習っているのを知っている。


”抜刀術”


――鞘に収めた刀身を、一瞬で抜き放ち、相手を斬る技術。


剣道が「対人の勝負」を競うものだとすれば、抜刀術は「生死の境」を想定した技。

その違いを、俺は体に叩き込まれて育ってきた。


――キーンコーンカーンコーン。


掃除開始のチャイムが響き、張りつめていた空気は強制的に断ち切られた。


「るりっちー! 部活いこー!!」


「ひかる……っ! ごめんなさい、変なこと言ったわね」


「……あぁ、全然」


廊下から聞こえてきた美矢影を呼ぶ声。その一言で、さっきまでのやり取りは宙ぶらりんのまま、強制終了となった。



ガチャリ、と玄関のドアを開ける。


――ただいま……


口にしかけて、ふと止まる。

本来なら誰もいないはずの時間帯、家の奥から不意に声が返ってきた。


「ただいまが無いぞ、もしかして今日は元気がないのか?」


聞き覚えのある声音に思わず足が止まる。


「……彩都兄さん!? なんでこっちに?」


そこにいたのは、俺より三つ年上の兄――彩都だった。

部屋着姿で、当然のようにちゃぶ台に腰かけている。


「叔父さんに用事があってな」


「父さんに? でも、朝に今日は遅くなるって言ってたけど」


「泊まる予定だから問題ない。ゆっくり待たせてもらうさ」


そう言って気楽に笑う兄に、俺は肩をすくめた。久しぶりに会った兄は記憶と変わらず他愛のない雑談をしながらふとAnomAの話になった。


彩都がポテチをつまみながら識奈に問いかけた。


「なぁ識奈。最近じゃ、クラスでAnomAやってない奴探す方が難しいんだろ?」


「……そうなのか? Veyraがだいぶ高いからあんまりいないと思うけど」


「まぁ確かに高いけどルーメンならまだ安く手に入るからな」


「親が探索者とかなら多いんじゃないか?」


「そうなんだ? なら多いかも……?」


「お前もVeyra持ってるんだろ? 蓮兄さんが言ってたぞ。やってみりゃいいじゃん。まあ、合わなきゃやめりゃいいし」


軽い調子の兄の言葉が、不思議と胸の奥に残った。


「……そうだね」


(そうだ。別に、これはゲームだ。剣道や稽古とは違う。ただの遊びだ)


机の上に置いてあったVeyraを手に取り、識奈は左手首に装着する。

冷たい金属の感触が一瞬、皮膚を締めつけたかと思うと、すぐに身体に馴染んでいく。


「やってみるよ」


無意識に口元が緩んだ。

その笑顔を見た彩都は、ほっとしたように肩をすくめ、「頑張れよ」とだけ言い残し、部屋を出て行った。


──《AnomAシステム・Veyra接続準備完了》──


《識奈、AnomAへようこそ》


空気が震える。

視界の前に青白い光の膜が広がり、淡い揺らぎが一枚のウィンドウを描き出した。


「……本当に、ゲームの世界に入ったみたいだな」


どうやら初期武器を選んだところまではセーブされていたらしく、その続きからのスタートらしい。



視線を落とすと、自身の身体にも変化があることに気づいた。白い布地に、簡素な革の胸当て、脚には柔らかい布ズボンに加えて、膝を覆う軽い金属板。

それらは「防具」というには心許なく、しかし動きを阻害しない程度に最低限の守りを与えていた。


──《初期防具:レザーチュニック+ハーフグリーヴ》──


(……なるほど、ゲームらしいな。動きやすいのはいいけど、竹刀稽古の防具よりも軽い……これで戦うのか)


識奈は胸当てに触れながら、小さく息を吐いた。


そのとき、ドアが再び開く。


「あ、そうだ識奈」


顔だけをひょっこり覗かせた彩都が、思い出したように声をかけてきた。


「なに?」


「ここで起動するのはいいけど、外に出るなら制服のままはやめとけよ。ちゃんと着替えてから行け。……それじゃ」


軽く手を振って部屋を後にする兄。

識奈は一人、ウィンドウに映し出された青い光を見つめながら、小さく息を吐いた。


ウィンドウに浮かぶ文字は、淡々としていながらもどこか温度を帯びていた。


──《チュートリアルを開始しますか?》──

[はい]/[いいえ]


識奈は、しばし見つめる。

心臓がわずかに高鳴っているのを自覚しながら指先で「はい」を選んだ。


視界がふっと揺らぐ。


机も、ベッドも、本棚も、朝と同じままだ。

ただ一点、空気の色だけが違う。

世界全体がガラス越しに見ているような、不思議な透明感に包まれていた。


《これよりチュートリアルへご案内いたします。》


現れたウィンドウは光の粒子となって矢印に形を変えた。矢印は部屋の外を示していて識奈は彩都兄さんの言葉を理解して急いで動きやすい私服に着替えた。


階段を下り、外に出る。

見慣れた住宅街。すれ違う人々の姿はいつもと変わらないままだが、俺と同じくVeyraを装着している人はゲームの中からそのまま出てきたような姿で中には現実には存在しない架空の生物を連れた人もいた。


ただ光の案内人だけが、はっきりとした存在感を持って道を示している。

やがて矢印が指す目的地が見えてきた。


《ここをチュートリアル会場に到着しました》


ウィンドウが告げるその場所は近所の公園だった。空気が揺らぎ、公園の真ん中に――木剣を持ちまた自身も木で作られた人型のゴーレムが立ち現れた。


《これはあなた専用の試練です。倒せばOverlayer(境界の探索者)として正式に認められます》


識奈の目の前に初期武器である汎用片手剣が生み出された。流れるような動作で剣を手に取ると自然に息を整え、識奈は一度、静かに目を閉じる。


剣道の中段とも、抜刀術の居合いとも違う。

右手に片手剣を握り、肩の高さで前に突き出す。

左手は空いたまま、自然に後方へ下ろして体の軸を安定させる。


――これは片手剣の基本構え。


竹刀や刀の感覚ではダメだ。知っていることと無理に合わせる必要はない、知らないなら知らないなりに目の前の剣に合わせて構える。


「よし」


ゆっくりと目を開き視線を前へ向けた。


(……よし。やるか)


時刻は午後四時。夕暮れの橙が公園を薄く染め、世界そのものが一瞬息を潜めたように静まり返っていた。

その静寂を破るように――識奈と、目の前の木製の人型が視線を交わす。


ぎしり、と木で組まれた関節がきしむ音が、耳に重く響いた。まるで生き物の骨が軋むような、生々しい音。

ゴーレムも識奈と同様に構えを取った。


──《チュートリアル開始》──

【敵:木製ゴーレム Lv.??】

【目標:撃破】


視界の端に浮かぶウィンドウが、無機質に戦闘の始まりを告げる。

だが識奈の眼前にあるのは、数字の羅列ではない。木材で組まれたはずのそれは、まるで生命を宿したかのような威圧を放っていた。


(……【Lv.??】? 確かAnomAはレベル制じゃなかったはずだが……。)


夕闇の中、数秒の沈黙。

その先に空気を切り裂いたのは木製のゴーレムだった。


「……っ!」


ゴーレムが持つ木剣は、鈍重さなど欠片もなかった。


神速。

無駄を削ぎ落とし、ただ“突き”を為すためだけに鍛え抜かれた直線の動きは攻撃と言う不自然を極限まで薄め森羅万象にすら溶け込ませるモノだった。


ブゥワンッ!! 視界ごと貫かれるかのような圧倒的な一撃が、識奈に襲いかかった。


頬を掠めた風圧が重い。

木で出来ているはずなのに、鉄槌が唸りを上げたかのような衝撃音。

ほんの紙一重、動き出すより先に識奈の身体は直感で退いていた。


(……冗談だろ。これがチュートリアルの敵?)


ただの演算に過ぎないはずの動きに、全身の神経が危機を告げている。


(避けるだけじゃ意味がない……)


識奈は呼吸を整え、踏み込みと同時に剣を振り下ろす。

竹刀を振るう時の感覚――剣道の延長。速さを優先した「打突」だ。


しかし、――重い。

刀身は竹刀とは比べものにならない重量を持ちリーチも短い、狙った角度から僅かに逸れる。


ゴーレムの木剣が容易に受け止め、ギィン! と嫌な金属音が耳をつんざいた。

衝撃が手首から肩にまで響く。


(……駄目だ。竹刀じゃない。これじゃ押し負ける!)


歯を食いしばり、今度は「刀」を振るう時の感覚で切り結ぶ。

腰を捻り、体幹で刃を導く――力の伝え方はさっきよりも正確だった。


ゴーレムの木の胴体に浅い傷を刻む。

だが、それだけだ。切り裂くよりも“押し切った”という感覚。


──《5ダメージ》──

【HP:95/100】


(これも違う……! 刀と重さは似ていても、片手剣は別物だ!)


その程度の傷には怯むことなくゴーレムはすぐに体勢を整えながら無機質に剣を振り下ろした。

反射的に識奈は後ろに跳び退き、深呼吸を一つ置いた。


(ふぅ……。そうじゃない、意識しすぎだ)


あれほど意地になってヒロからの高校剣道の誘いを断り、育ててくれた道場にも引け目を感じて、てきとうな理由をつけて行かなくなった。

それにも関わらず物は違えど剣を持っただけでこんなに頭の中が侵食される。だから嫌だった……けど、実際にこうしてやってみると案外大丈夫だった。時間の流れは見えない傷を癒してくれる。


「……これは“振り回す”剣じゃない。支点を作って、流す剣だ」


構えを修正し、剣を身体の近くに収める。

踏み込みと同時に肩から重さを預け、刃先を滑らせるように突き出す。


ザシュッ!


そのひと振りはゴーレムの左腕の肘から下を切断し、確かな手応えが返ってきた。

これまでとは違う――まるで片手剣そのものが「ようやく正しく扱われた」と言わんばかりに応じてくる。


(……これだ!)


手に伝わる確かな手応え。

だが同時に、数値のポップアップが視界に弾ける。


──《33ダメージ》──

【HP:62/100】


「……リアルすぎるのに、ゲームでもあるのか」


木屑が散り、削られた跡が生々しく残る。

それでも敵は構わず動き続ける。

HPバーがゼロになるまで、この人形は止まらない。


ゴーレムは首を傾けるようにして、再び剣を振り上げた。

ぎしり、と木材の軋む音。

無機質なその動作に、妙な「執念」を感じてしまう。


「……なら、早めに終わらせる」


識奈は片手剣を下段へ引き、静かに呼吸を合わせた。視線が交わる瞬間を狙い――踏み込む。


ゴーレムの木剣が振り下ろされる。だが今度は違う。識奈は刃を正面で受け止めるのではなく、ほんの僅かに角度を付け、相手の力を“流した”。


ギィンッ! 甲高い音が鳴り響き、重さが抜ける。

その反動を利用し、空いた胴を横一文字に斬り払った。


ザシュゥッ――!


裂け目が走り、ゴーレムの身体が大きく傾く。残りのHPが一気に削られていくのが視界に表示された。


──《ゴーレムを撃破しました》──

【目標達成】


轟音を立てて、木製の身体が崩れ落ちる。

木屑が舞い、夕暮れの光に散った。


「……ふぅ」


自然と息が漏れる。

剣先が震えているのは緊張か、それとも高揚か。


だが、ゴーレムが消え去るのと同じくして識奈の初期武器も小さなヒビが剣全体に伝播していき粉々のポリゴン体となって消え去った。


「嘘だろ!? チュートリアルで壊れる剣ってなんだよ!!」


(いや……剣じゃないか。あのゴーレムが振るう剣技のバカげた威力だ。いきなり丸腰スタートかよ……)


その時、視界に新たなウィンドウが浮かび上がった。


──《特別追加ボーナス獲得》──

【識別:チュートリアル適合者】

・戦闘本能補正(※抑制型)

・敵動作解析(動きの予測精度上昇)

・???(ロック中)


「……特別、ボーナス……?」


眉をひそめる識奈。

通常のプレイヤーに与えられるものとは違うのは、素人でもわかる。だが詳細はほとんど伏せられており、ロックと書かれた項目まである。


(……俺だけ、なのか? いや……)


考えを巡らせる間もなく、淡い光が識奈の身体を包み込み、システム音声が告げる。


──《チュートリアル終了》──

【プレイヤーを初期拠点へ案内します】


「……本当に、ゲームなんだよな。これ」


現実と虚構の境界を、識奈は改めて問い直した。

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