第一章 吉祥寺の焼肉きんぐ 9
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野笛は翔と気まずくなったのもあるが、菜乃と同じく食い過ぎのため一人で休みたかったのだ。
ゆっくりトイレにも入りたい。
そこで商店街にある夜遅くまで開ている古風な内装の喫茶店を思い出し、入店した。
「じゃあ、コーヒーフロートをお願いします。トイレをお借りするので、出てきたら作り始めてもらってもいいですか」
飲まない菜乃相手だったので、野笛もジョッキ一杯のビールしか飲んでいない。
アイスコーヒーの苦さとアイスクリームの甘さは胃に優しかった。
野笛は喫茶店のテーブルの上でメールの確認やSNSを見て、クールダウンのために過ごした。
そこに電話。
同じ部員の岸くん。
「彩先輩が新入部員相手にアレ始めちゃっているから、ノブさん来てくんない!?」
野笛はこうなる可能性を察知していたのかもしれない。
だから部屋の帰らず、ここに来て座っていたのか、と自分の無意識に気づいた。
場所はハモニカ横丁にあるビアホール。
「いや、例えば、子どもの時に親御さんと一緒に観に行った映画とかはないの?」
質問者は彩翔。
修士2年めの24歳。
映像研レコンギスタでは部長をつとめ、映像作品を作りにおいては監督も脚本もプロデューサーもこなしてきた。
卒論は「松竹・東宝・東映 70年代における主題の変容」ということで、大学院でも映画史を勉強している。
某有名サブカルサイトで映画レビューを手掛けていて、文学フリマで卒論を改稿したものとその補遺の計2冊のZINEを出している。
「あー、アンパンマンとドラえもんかどちらかが最初で、小学校の時にはコナンくんとかワンピースを観た記憶があります」
返答しているのは相川あきら。
新入部員で、R2-D2のシャツを着ていた男の子だ。
「やなせたかしも藤子Fも戦争や道徳を主題にしているし、コナンやジャンプ系は社会学的に考察するのには良いテクストだ。どれも嫌いじゃないよ」
翔がそんなフォローめいたことを口にしたのは、先の焼肉屋であきらを笑い物にしてしまったことへの、遠回しの融和への糸口であった。
「ああいうシリーズって、どれも同じような話だから、厳密にはよく覚えていないんですよね」
いったいこのあきらの台詞は翔に反抗しているのか、本心なのか。
都内出身、今も実家から通い、高校時代はバトミントン部に所属していた。
youtube等の動画配信サイトをよく視ていることと未だに特撮ヒーローものを観ていることから、この大学の映画学部に入学し、映像研レコンキスタに入部した。
身長は165と低いが、細身で憂いあり・まつ毛長い表情から、哀愁漂うキレ者に見せるが、口を開けるとコレである。
つまり、翔が融和とかコミュニケーションとして会話のネタふりをしていることがよく判っていない。
じゃあ、ここにいたくないかと云えば、隣に座る室井虎丸から二次会に誘われたのでついてきた以上の思いはなく、受け答えも真っ当に返しているに過ぎない。
―こ、これは困った。いったいなんで、この大学に入学し、映画学部を選び、更に映像研に入部したのか!?
いや、例年このタイプはいたのだ。
それでもさっきのネタふりではないが、スターウォーズは9部作と外伝がサブスクのドラマ全部観ています!とか、お母さんが好きでもう30回くらい『風と共に去りぬ』は観ているんですよ!みたいな新入部員、つまり、ゴダールとか小津安の話ができなくても楽しい映画体験を共有できればいいし、そこで翔としては「ルーカスが黒澤明をリスペクトしていたからジュダイ騎士は〈時代劇〉からきてるんだ」とかウンチクを披露したり、「『風と共に去りぬ』を観たならばフライシャーの『マンディンゴ』も観ないと」等のくすぐりをすれば、なんか映研らしくなるから、それをしたいだけなのに、ここまでの人材はなかなかいないと翔は驚嘆して、嘆息した。
「じゃあさぁ、入部の理由は、焼肉の食べ放題につられた、とか」
「いえ、肉より魚派ですし」
「そうか!カノジョ作りたいから、女の子目当てだ!」
「中高6年間で一切何もありませんでした。興味ないワケじゃあないと思いますが、何していいか判らない時は何もしないんです」
菜乃は芽里亜の部屋に行き、5人は一次会で帰った。
二次会参加希望の6名が偶然女子だったことから、先輩の女子部員たちがチーズのスイーツが美味しい夜カフェに導いた。
ここにいる在校生部員は翔先輩のそういう映画ウンチク等をサカナに駄弁りにきたので、なんとなく女子ばかりは行き辛いと着いてきたので明らかにあきらは場違いだった。
この時点では三回生の岸くんがトイレ行くフリしてノブさんこと野笛に電話している。
空気が重くなっていた。
翔先輩は議論好き・論争好きなのだ。
だがさっきの彼の脳内例から判るように素人や半可通相手には諭す感じで論難することはなく、本当にやり合える相手の時は舌鋒使うタイプで、わざわざついてきたあきらはわざわざついてきたからそのタイプだと思ったのに、そもそもがそういう世界すら一切知らないタイプだと悟った。
「そうだ!彩先輩!今度は庵野秀明、どんなシンを作るんですかね!?」
岸くんだ。
もうあきらをいないことにして話を進めようとしていた。
「相川はさぁ、初めて観たライダーは何?」
これは相川あきらの隣に座っていた室井虎丸くん。
場で男子部員たちは室井くんに「よけいなことを!」という視線を送った。
「ダブル!あれは連続ものとして面白いから長編としても、一話一話の各回の話も優れていたし、なにより寺田豊の最後の良い仕事だった!あの年って戦隊はシンケンジャーだったし、当たり年だったな!」
―こいつ、特撮オタか!?
翔がそう思うと虎丸くんが翔に視線を送り、微笑した。
―そうか、この室井虎丸という新入部員、話を聴きだすインタビュアーと映画体験の共有という連帯、この映画評論家としての不可欠な特性2点でオレに挑んだ、ということか。
「印象で悪いけど、確かにライダーと戦隊、両方が面白いってあまりないよね」
虎丸が話を乗せる。
「単純に脚本家だと思うよ。Wは三条陸で、シンケンジャーは小林靖子だ」
翔が答えを出す。
「井上敏樹が書いたキバは子どもの頃にサブスクで観たけど、イマイチでしたけどね」
これは、なんとあきらの発言。
―同学年で既に会話していることもあろうが、この室井、相川の引き出しを開けたか。
「じゃあ、相川くん、ゴジラでは、どれがいちばん好きかい?」
翔としてはVSシリーズかシンゴジラを予想したのだった。
「『モスラVSゴジラ』、勿論1作めを殿堂入り、ヘドラを番外にした上で」
あきらが答える。
―コレだよ、これこれ、ちゃんといるじゃない。世代論はやはり信じられないな。
現在サブスクが常態化しているので、誰もが深堀することが可能なのだ。
ふた昔前にはビデオ屋へ、更にひと昔前まではマニアックな映画館へ行かなければ観られなかったものが、今ではお部屋で定額料金で楽しめるのだ。
―文化資本ってヤツだな。ベクトルが決まればラクに収集できる。
「じゃあ、次は室井くん。ベスト3を聴きたいもんだ」
「ええ、良いですが、範囲を狭めませんか」
「邦画か、洋画か、まずは決めよう」
「洋画?最近韓国や東南アジアが元気で、キアロスミタみたいな人もいて、ボン・ジョノはハリウッドで撮っている。もう洋画という概念はないでしょう。
「確かに、では邦画で、この10年縛りでどうか?」
「いいですよ、提示の方法は?」
―塩を送ったか。観てないこともないが、映画黄金時代は明らかにこの先輩の方が上だろう。
翔が云うには入力して、せーの!でLINEで送信。
そこに店内へ野笛が入ってくる。
―遅かったか!ベスト3送信だな。