第一章 吉祥寺の焼肉きんぐ 6
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芽里亜の書いたシナリオとは別に設定資料があったので、菜乃は画コンテにその情報を視覚的に取り入れた。
「情報量の多さをいかに配置していくか?これはむしろアニメ作品の方法論だね」
これはとりあえず画コンテをかなりラフだが仕上げた菜乃の意見。
「むしろ登場人物の心情や過去は現場での役者の演技で出したいんだ」
こっちはその神業のカメラアングルと編集を仕込んだ菜乃の画コンテに感嘆している芽里亜。
「でも、そんな演技が素人にできるものかね」
「いや、むしろ素人がいい。リュウセイとハッコウはこの世界に投げ出されて、お互いしか信じられない」
「でもリュウセイはテロリストで、ハッコウは事務次官だからこの世界ではかなり明確な立場にいるじゃん」
「肩書に地位や名誉、それらの虚しさを心から理解している二人だ。でも自分がいないと周囲や仲間が回らない。そういう使命感は強いけど、それは二人の手段や方法であって、目的ではない」
「芽里亜、その目的って、何?」
「自由、まぎれもない自由」
菜乃は幼い頃から描いていて気づいていたのだが、何かモノを表現しようとする時には主題とかテーマとか云われるものが不可欠だと悟っていた。
確かにありがちなネタや決まりきったルーティンで物語は運べるが、やはりギラついた・ナマの〈言いたいこと〉がないと読み手・受け手には響かないし、読み進める欲望をかきたてられない。
―更に言えば、優れた表現者である程にその〈言いたいこと〉は素朴だ。
「ロケ地の選定や役者のオーディションはどうする?」
「勿論、菜乃と二人で決めていくけど、書いている時点でロケ地の候補は決まっている。例えば冒頭のオフィスは私のバイト先である丸の内のビル」
芽里亜が云うには彼女は指定校推薦で入学したので、卒業式にはいったん帰省したが、昨年末にはもうこの部屋には引っ越していた。
早く上京したかったのもあるが、高校の時の先輩の紹介してくれたショッピングモール運営会社のアルバイトを早く覚えたいというのもあった(実はまだ他の理由があったが、それは話が進めば彼女自身が語ってくれるだろう)。
「じゃあ、想定しているロケ地を全部教えて」
「よし、直ぐに行こう」
「さすがに睡魔がきたので、眠ってからにしよう」
「あ、私、全然菜乃は平気っぽかったから、大丈夫だと思っていた」
「いや、流石に、もう、ね」
「そんじゃあ、明日の土曜にロケハンしよう」
「明日じゃなくて、日曜じゃあ、ダメ?」
「土曜は何かあるん?バイト?」
「いやぁ、援軍が必要か、と」
菜乃はねじまきの巻き分がなくなったようにくずれ落ち、眠り始め、芽里亜がそれに続いた。
翌朝、10時に起きると、菜乃は芽里亜から新品の歯ブラシと洗い立てのバスタオルを受け取った。
芽里亜はもう二つとも済ませたどころか、メイクまでしていた。
―自分はメイクしたまま寝てしまった!女子校気分が抜けないな!
歯磨きはとても気持ちいいものだし、広い芽里亜の部屋はバスルームもゆったりしていたが、菜乃は気づいた。
よそ様の家で裸になるのは初めてだったので、最初は抵抗あったので、洗顔だけで済まそうと思ったが、入ると確実に気持ちいいであろう浴槽のぬるま湯の魅力には勝てなかった。
上がると、下着やソックスがない!
「洗濯して、直ぐに乾燥機かけるから、それを着ていてね!」
菜乃の反応に気づいた芽里亜の声がする。
それとはふわふわとしたバスローブだった。
ダイニングキッチンに出ると、珈琲と焼きたてパンの香りが菜乃の鼻孔をつく。
―こ、これは、凄く良くできたカノジョをゲットした、一日目の男の子気分が、私をすっぽりとくるんでいるよ!
ホームベーカリーで作られたパンと淹れたてのコーヒー、それに少々の野菜を添えたスクランブルエッグ。
「昨日の金華ハム残っていたから、玉子に使っちゃった!」
―ちょっと、恥ずかしくなってきたな。
「どうした?」
菜乃の気おくれに気づいて芽里亜が声かける。
「いやぁ、美味しそうだなぁっ、て」
「そういやぁ、昨夜の援軍って?」
「一本だけ電話して、いい?」
「うん、いいよ」
菜乃の連絡先は昨日の食べ放題で話が合った先輩の河都野笛であった。
「あ、芽里亜ちゃん。あのね、昨夜話した野笛先輩もこのプロジェクトに誘ってもいい?」
菜乃は大事な確認を忘れていたので、スマートフォンを取り出して云った。
「ーうん、いいんじゃない。勿論よ」
芽里亜は笑顔で答えた。
野笛は直ぐに電話に出てくれたが、こちらも頼みがあると、自分の部屋に来ることと、片付け等の準備をしたいから14時頃にして欲しいことと、近所にモスバーガーがあるので、スパイシーモスチーズバーガーとテリヤキバーガーとモスチキンを買ってきてもらい、但しお金は払うので、きみらも好きなものを買っていいと。
つまり、どうやら、昨夜あの後に二次会、三次会と進んだらしい。
二人は野笛先輩に見せる脚本、設定資料、画コンテを整理し、食器洗いや洗濯、掃除をして、気が付くと13時になっていたので、風が涼しいようだし、歩いて、野笛先輩の住む久我山に向かうことにした。
果たして、確かにモスバーガーはあり、芽里亜はレタスに包まれたモスバーガーにして、菜乃はかきあげのライスバーガーを選んだ。
飲み物は酔い覚ましによかろうとアクエリアス、自分たち用にバヤリースオレンジとアイスコーヒーをコンビニで購入した。
「いらっしゃい」
上はシンゴジラのTシャツに、下はスウェツトというラフな服装な野笛先輩に招かれて、「おじゃまします」と二人は来訪した。
そして驚く。
「確かに二日酔いっぽいダルさがあったから来てもらったってのも、あるんだけどさ、コレ、見てもらいたかったのよ」
昭和であった。
芽里亜の部屋と比べれば確実に狭い、1DKで、フツーの賃貸であったが、内装や家具が昭和で統一されていた。
カーテンがレトロモダン、テーブルがちゃぶ台、食器棚や本棚がシック、トースターや冷蔵庫が妙なデザイン、しかもTVはブラウン管だ。
「スゴイ、っていうか、かわいいし」
「うん、かわいいし、かっこいい!」
菜乃と芽里亜が交互に云うと野笛も嬉しそうになる。
で、持参した飲み物とモスバーガーを採りながら、二人は野笛に貼ってある映画のポスターや本棚の知らない小説家の名前について尋ねた。
「ねぇ、菜乃、どっちに住みたい?」
「えっ、この部屋と芽里亜の部屋ってこと?」
「うん、どっち?」
菜乃は困った。
昨日才能の片鱗を見せつけられ、つまみや朝食を用意された芽里亜に軍配を上げたいが、野笛先輩の昨日のおしゃべりにこの部屋のセンスにも惹かれていた。
「うーん、これは撮りたくなるよねぇ」
その間に結果、助け舟を出してくれたのは外ならぬ野笛だ。
菜乃は既に野笛にも同人誌即売会で7年のキャリアがあることを伝えてある。
「芽里亜ちゃんの構成と台詞もいいよ」
そう云われた芽里亜は無表情で「ありがとうございます」とだけ答えた。
機材はサークルで共有用もあるし、大学側に申請を出せば借りられることもできた。
ただ野笛が云うには「これがいいよ」と自分の4K用のカメラを手渡した。
野笛は高校の頃に名古屋の私立で写真部に所属していた。
デジタルは勿論のこと、使い捨てカメラの現像もしてみた。
その流れで部室でほこりをかぶっていた8ミリカメラを発見して、いざ撮影すると静止画でなく動画の面白さにも気づいた。
その頃の名古屋にはもう8ミリを現像してくれるトコがなかったので、自分でやってみた。
そこいらでタイムアップ、高校生活は終わり、この日映大学に進学し、話が作れないし、プロデューサー的仕切る能力にも欠けていた。
昔から、参謀役・忠告するポジションで活躍するタイプで、面倒見はよいが、職人タイプでアーティスト的資質に欠けていた。
だから、年に一度のサークルでの劇映画でも積極的に参加したが、話もホンもノれるものはなかった。
―これにはノれた。大学の四回生になって初めて、ノれた。
「明日の日曜にロケーションハンティング、行くんでしょう?」と野笛。
「はい!全部都内です!」と今度は元気に芽里亜。
「じゃあ、野笛先輩は!?」と菜乃。
「喜んで協力するよ。私もプロジェクトの一員に加えて欲しい」




