第一章 吉祥寺の焼肉きんぐ 5
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「アニメじゃあ、ダメなのかい?」
「アニメは際限なく、凝れる。そりゃあ、実写も凝れるけど、アニメには実写でいう捨て素材がある時もあるのだろうけど、実際的はあり得ない」
芽里亜が云うことは、実際に描くセルやCGをわざわざ取捨選択でするように候補を何枚も描くということはあり得ない、というワケだ。
「だから、その1枚1枚のクオリティを上げていけるから、1週間で次の放映の間に合わせるTVアニメもあれば、10年以上凝りに凝り仕上げる劇場版アニメもある、と」
―これは漫画とおんなじだ。週刊連載と巨匠の書き下ろしやバンドシネ。
だが実写はともかく撮影を終わらせないと編集という作業ができない。
確かにいざ編集の際に撮り直しもあろうが、それだって、編集の中で生かされてのフィルム、凝るには限界がある。
「菜乃、即興性を取り入れられるってことだよ」
絵画教室やデッサンの授業で静物画を描く時に、答えはあって無きもの。
全部正解ではないので、ある種、この芽里亜が云う〈即興性〉が入るのだ。
それは窓からさす〈光〉の揺れから自分の感情まで様々だ。
「確かに、コマ割りという大前提のためのネーム作業と、その形式のためのキャラクターの記号化により、漫画は即興性が入り辛い」
「しかもアニメと違って、撮影という行為は時間が介在してしまう。その意味、解る?」
「芽里亜は楽器の経験ある?」
「女子だけバンドでギターとボーカルを担当していました」
「私はピアノを少々。そっか、映画は絵画より音楽に近いのか」
二人とも、菜乃が云うことが極論だということは知っていた。
だが、まず、菜乃だが、モラトリアムで入った映画学部に映画サークルだが、そうだ!漫画で行き詰っていた私にむしろ向いていたんだ、映画は、と思わせた。
そして芽里亜は、騙すのではなく、菜乃を心から納得させ始めていることに気づき、嬉しくなっていた。
「どう?菜乃?」
「うーん、尺は?」
「最初だし、30分以内、いや、30分弱」
「目標がないと創作意欲が湧かないんだよね」
といつも年に2回のコミケに邁進してきた菜乃はバーバリの鞄からごそごそとタブレット端末を取り出した。
「芽里亜、夏休み直前の7月下旬にうちの大学はナビゲーション・フェスタという受験生用イベントがあるんだよ。私も去年行ったけどなかなかに盛況だった」
日映大学ナビゲーション・フェスタ!
菜乃の云うように10月末から文化の日に開催される映創祭と名付けられた戦前から学園祭と並び称される大イベント。
まず、日映大学最大・最古のサークル、レコンキスタと同じく60年以上の歴史を持つアニメ研究会ユナイトが30分程の長編を毎年作成している。
ユナイトからは名だたるアニメ監督を何人も輩出しており、その目玉が、入学から四か月で開催されるナビゲーション・フェスタで発表されるセル画新作である。
入部の時点で、新二回生のうちで既に主要スタッフが決まり、台本と絵コンテは完成している。
新入部員はそれらに合わせて、セル画をひたすら描くのである。
30分もののTVアニメは昭和の時代、セル画を3000~4000枚使ったのだが、ユナイトはこの30分に6000枚超えるくらいかける。
新入部員は毎年約50名程、在校生部員も50名ほどが力を結集して6000枚に挑むのだ。
だから部員が夏前に減ると云われている。
最初に昔のセル画だけの作品を作り、秋の学園祭では彩色や編集にCGを取り入れた作品を作ることで、ユナイトは現場重視の活動を続けていた。
しかもアニメ学科があるので、塗料も編集機も録音ブースも使い放題である。
「ユナイトが30分で、菜乃と作るのが30分、ということは、VSか?」
「それとナビゲーション・フェスタがやたら盛況の理由の一つに、カレー勝負というのがあってさ。特にユナイトのタイカレーと声優部のナスカレーとレトレゲーム部の骨付きチキンカレーとうちの部の和風カレー蕎麦は接戦になるらしいよ。更にその四サークルに負けじと他サークルも虎視眈々とカレー作りに余念がないとはさっきの焼肉屋で聴いたのだ」
「カレー蕎麦作るんだったら、映画作れよ!」
大勢の人の手が不可欠なアニメと違い、実写映画志望の才人はサークルに入らず、機器の扱いを覚えたり・基礎的な撮影能力を身に着けたら、現場でバイトを始める。
そこで人脈を作り、その同類たちと切磋琢磨し、経験を積んでデビューを目論むというのが基本のスタイルとなってもう20年くらいになっていた。
「率先して作る人はいないらしいともさっきの冷麺の先輩から聴いたな」
「菜乃、食い物ばかり話しているが太らないな」
「実際の話をしよう。どこまでできているの?」
―会話のベクトルを変えた!?
「脚本はできている」
芽里亜はPC上にWordで作成したシナリオを開けた。
『二人の失楽園』
これがタイトル。
菜乃が神妙な面持ちになる。
芽里亜は自然と菜乃にPC前のスペースを譲り、自分はキッチンの方に移動して、空芯菜を炒めだし、金華ハムを切り出した。
食べ放題の店を出てから、もう5時間経っていたのだ。
「うん、もうちょっとふわふわしたものを読ませられると思っていたけど、ちゃんと物語しているし、画になることを想定しているホンだね」
キッチンにいる芽里亜に、そう云った菜乃は鞄からスケッチブックを取り出し、なにやら書き始めている。
―画コンテ?
空芯菜炒めから香るにんにくの香りで芽里亜は「上出来!」と思ったのだが、菜乃は変わらず、書き込んでいる。
―これをフリーハンドで、か。流石だな。
一人の青年がオフィスらしき建物内のパーティションの中で、キーボード入力をしている。
その脇をマスクをした青年がデスクの横のゴミ箱からゴミ回収に勤しんでいる。
キーボードを叩く、男の指のアップ。
清掃員とは思えぬ男の眼光。
これらのアップがインサートされ、キーボードを叩く音が漫画の擬音が神経質そうなフォントで実際に書き込まれている。
その擬音フォントだけが画コンテのコマに残り、その擬音はやがて清掃員の青年の脳内にこもる。
清掃員の青年がロッカーで着替える、IDをかざして・警備員の前を通る、改札にICカードをかざす。
ICカードやホームの案内板や路線図から日本語が禁止されていることが判る。
遠くから、演説の声が聞こえるが、それも日本語ではない。
そして青年の脳内では、あのキーボードを叩く音が未だ聞こえている。
取り出したスマートフォンで何かを入力しているのだが、それはキーボードを叩く音を変換して文字に落とし込んでいるようで、「クーデタ」「地下潜伏」「武器の供給」の単語が並ぶ。
気が付くと列車の中。
電車内扉上部にある液晶に先ほどのオフィスの青年が映し出される。
彼の名と肩書が表示されるが、これも日本語ではない。
列車内では舌打ちや「裏切者」とか「売国奴」の独り言が聴こえる。
その映像を清掃員の青年が悲しそうに見る。
芽里亜は自分の頭の中をのぞかれているかのようだった。
―画が巧いとかではなく、いや、勿論画が巧いのも当然なんだろうが、ひとの意識に引っかかる・刺さる画の連続性だ。
「菜乃、ここまで、5分くらい?」
「それじゃあ、間延びするよ。できれば1分、いや、それは言い過ぎか。3分も長過ぎ。2分半がせいぜい」