第二章 西荻窪のそれいゆ 10
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次の日は土曜だったので、閑散とした校内、カフェテラスに三々五々、午後イチそのあたりの時間に集合した。
「いや、室井くん、ここじゃなくて私んちにしよう」
芽里亜のその提案で菜乃も、あきらも関東バスで井の頭通りにある彼女の部屋へと向かった。
野笛には声をかけなかった。
部屋に着くと芽里亜は緑茶とアクエリアスの2リットルサイズのペットボトルをテーブルの上に乗せた。
コップを人数分だす。
「安さん、ありがとうな。確かに人目もあるトコでは話し辛い。関係者のいるレコンキスタの部室ならばなおさらだ」
基本、場の空気を読めないのか、読まないかのあきらは平然としていた。
皆に「どっちにしますか?」と緑茶とアクエリアスを注ぎ始めた。
だが菜乃だけはガクブル状態であった。
―芽里亜は何の話題になるか当然知っている!
「酉野さん、もしおれの発言で不快、つまりなんらかのハラスメントだと思ったら、直ぐに右手を上げてくれ、言い直すし、それでもダメなら安さんに代弁してもらう、いい?」
菜乃は虎丸の言にうなづく。
「酉野さん、あのリュウセイとハッコウって肉体関係はあんのか?」
不快感は感じなかった。
なんかもっと映画論的な指摘とか、プロの俳優を入れるとかそんなことを菜乃は漠然と云われると考えていた。
だが、直ぐにレスポンスできなかったのはそれが意外だったからではない。
菜乃はその件から逃げていたからだ。
「菜乃、脚本を書いた私から言うとあの二人はセックスをしている」
―そうだよね。判っていた。
これは菜乃の心持ち。
「酉野さん、もう一度言うが不快に感じたら、セクシャルハラスメントでなくても右手を上げてくれ、対処する。酉野さんの書いた同人誌をあの後、全部安さんに読ませてもらった」
「あ、あー!め、芽里亜ぁぁ~」
こういう反応はやはり菜乃がおたくだと思わせる。
「ごめんなさい。でも私はチームで組むひとの過去作なので読んでいいと思った。実際素晴らしいし」
「そう、素晴らしかった。さすがだよ。SNSだかネットニュースだかで何回か見かけた絵柄だと気づいた。3分足らずだったけど、あの画角やカットの切り方、編集の妙、コミックでパースやコマ割りを数年やってないと出せないものだと思った。でも、でもさ、安さんが持っていた作品を全部読んだけど、極限せつら描く関係性は、①少年時代のじゃれ合いが20%、②友情以上恋人未満が30%、③プラトニックな同性愛が50%、実は肉体関係を結んでいる作品は描いてないよね」
「!」
―いやぁ、そりゃそうだろう。
菜乃の内的独白とほぼ同じ台詞を云ったのは芽里亜。
「そりゃ、そうよ。小学校高学年から女子高生がハードコアなんて描けないし、描きたくないでしょう」
「でもさ、この『二人の失楽園』って、ハッコウとリュウセイってカラダの関係あるよね、っていうか、無いと成立しない話じゃないか」
「そんなことないよ。二人だけで幸せになるんじゃくて、他のみんなの幸せを願って、支配者にたてつくんだから」
どこか反論が弱弱しい菜乃。
「でも命がけだ。戦国時代の武将同士や太平洋戦争中の皇軍兵士が男色の関係を結んだように、生きるか死ぬか関係だ、むしろ寝ていないとおかしい。どこか安さんが書いたシナリオと酉野さんの描いた画コンテには齟齬があるなと前から思っていたが、あのアヴァンの試写を観てよいやく気づいた。安さんはセックスを前提として、酉野さんはぼかして描いてるって」
―これが生身のヒトを使う映像と漫画の差か。
菜乃の周囲でも、つまり女性の創作でも有害図書指定の問題は上がっていた。
でもそれは非実在のキャラクターに条例はおかしいという錦の御旗があった。
仲間うちでもそれが通念だった。
「ごめんよ、酉野さん、言葉選ばずにいくわ。だからといって、肛門性交やフェラチオするシーンをやろうというのではない、逆に台詞でソレらしい台詞を言わせて逃げるのもいただけない。なにより、おれはこの映画が上手くできれば、配信すら考えていた。だから、あまりハードなのは上映会ですらかけられないだろう。確かに今まで映像の素人が作ったにしてはあの2分38秒は素晴らしかった。けど、天才の作品は最初の一本目から神作出なければないと思うけど、そこまではとてもじゃないが、いってないと思う。でも、素晴らしいデキなのは変わりない。このままいくか、そういうシーンを入れるかは女の子2人で決めて欲しい」
少しの間、菜乃も芽里亜も発言しない。
「二人で決めてくれと室井くんは今言ったけど、二人がやれというのならば、やります」
その空気を破ったのはあきら。
「ああ~、いやいや、その、いやいや、相川くん。フリでもそれをお願いするのは、そうとうなことだよ。許されるのか、そういうことを。私は、それで二人との関係が壊れるのはイヤだ」
「今では世界的に有名になっているある映画監督は学生時代の映画で下級生の女の子を自作で脱がせたって聴く。そのコとは結婚しているとも聴く」
虎丸はその次に「だからといって、おれと相川のどちらかと付き合えと言っているんじゃあない」と付け加えるのを忘れなかった。
「これは、私と菜乃が最初に話し合うべき事柄だったよね。無ければないと決めていればよかった。虎丸くんの言うように、台詞で説明するってことに、それらしい、肉体関係を匂わすくらいにするとかにしておけばよかった。実際さ、菜乃は、菜乃の漫画はそういうエッチなシーンは描いたことないけど、男性の肩甲骨や手の甲の静脈をスゴくエロく描けるから、その才能あればいけると思っていた。でも、そうか、虎丸くんが昨夜言っていた役者の問題というのは、技術論ではなくて、覚悟があるかどうかってことか」
その覚悟はやるキャストとやらせるスタッフにある。
やる人間とやらせる人間、そしてそれは恨みっこナシの人間関係が不可欠。
「ああ、いや、おれも言っていて気づいた。男の監督たちがこの百年の映画史で女優たちに押し付けたことをおれたちがやらないでどうすると思った。あの素晴らしい映像がもっと素晴らしくなるんだったら、それをおれ自身がちょっと見て観たい」
―これが表現者として、芸術家として背負わなければいけない業か。知らなかった、思ってもみなかった。私は今、嵐の渦中にいるのだ。
「わかった。私が二人の、リュウセイとハッコウの絡みのシーンの画コンテを切ってくる。それは室井くんの言うように、上映や配信ができるレベルで、しかも契りとしてのセックスとして通用するものでなければいけない。それでも大学当局から注意や警告が入るかもしれない。イロドリ先輩やノブ先輩に迷惑をかけるかもしれない。いや、大学を辞めることにもなるかもしれない。だから、相川くん、室井くん、きみらが地獄へ落ちる時は私も一緒です」
けっこうムリして〈セックス〉と発音した菜乃だったが、一蓮托生を宣言したことに比べればなんてことはなかった。
「おれさ、未だ明確なことは言いたくないけど、実家にはもう帰りたくないし、女でもいい目みたことないし、ロリコンだし、とっくに地獄行きは決めていたと同じさ。掛けてみるものがある方が少しは退屈しなくて済む」
―ちょっと信じられないね。菜乃を誘ってから未だひと月も経っていない。それなのに、なに、これ。
芽里亜がこの台詞を口に出さなかったのは発音すると、この今のアクセル全開な展開に水を差すと思ったからだ。
「芽里亜、一つお願いがある。その画コンテを切って、又みんなでその画コンテを精査して、そのシーンを撮る」
そのシーンとはあきらと虎丸の性的なシーンだ。
「この部屋をロケ地使わせて、って?」
「違う。確かに広いからここの方が使い勝手はいいけど、やはり芽里亜が普段住んでいるから女の子の香りがするんだよ。この前カレー作って、食べた時に行った室井くんの部屋がいい。あすこで撮る」
菜乃の狙いは、あの作品でハッコウは事務次官、リュウセイはテロリストだから、まさに男子大学生が暮らすあの1Kは不釣り合いに思えるだろうが、まさにあきらと虎丸というゲイではない二人が交わる情動にむしろあの部屋の方がリアリティが出ると考え始めていた。
そう、覚悟が決まれば、誰よりも作品のために全てを注ぎ込み、少しの倫理も弾き飛ばすのが菜乃の本質だ。
「で、そのシーン撮ったら、丸の内のオフィスであのハッコウのタイプ音を聞きに来る清掃員に化けたリュウセイのシーンを撮る」
「ちょっと、それって、菜乃!?」
「芽里亜、そうよ!撮り直します」




