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8 マリアンナの試験

「…ま、………様………エヴァリス様?」



突然耳元でライラの声が聞こえて、エヴァリスはハッと手に持っていたお皿を床に落とた。


あっ、割れる…。それはスローモーションのように見えた。




ガチャン。




と音がして真っ白い皿がバラバラに砕け散る。「ごめんなさい…」と慌てて破片を拾おうとするエヴァリスの手をライラが止める。




「エヴァリスお嬢様、そのまま触ったら手を切ります。私が片付けますから先ずは椅子にお座りください。」




顔色が悪いですよ。ライラの言葉にニッコリと笑顔を返し、大丈夫よ…と再度お皿に手を伸ばそうとするエヴァリス。しかしライラはその手を掴むとキッチンのスツールに強引に座らせ、散らばった皿の破片を集める。




「そんなに目元にくまを作って。一体夜な夜な何をしているんですか?」


「違うのよ、気になる本を読んでいたら眠るのを忘れてしまっただけよ。」


「はー、鶏よりも正確に朝起きて、必ず夜同じ時間に眠るお嬢様ですよ。ありえません、この前から何か隠してますね。」






ライラは腕を組みながら、ずいっとエヴァリスに顔を近づけた。こうなったライラはてこでも譲らない。エヴァリスは頭を抱えると渋々エルメルダから試験の代わりを頼まれたことを白状した。






「はぁーーー!?あの悪魔女ーーーーー!!」




案の定、大声を上げたライラ。何人かのメイドがぎょっとしてこちらを振り返るのを見てエヴァリスはライラの口を思いっきり抑える。




「分かってはいたけど、ライラお願いだからもう少し静かにして。」






もごもごと怒りを口にしていたライラは、エヴァリスの手を引き剥がすと両手で顔を覆いながら天を仰ぐ。




「いやいや、逆になんでそんなに冷静なんですか?」


「仕方ないわ。光の魔法が枯渇するかもしれないなんて言われたらやるしかないもの。」


「待ってください…明日が試験ということは…1、2、3…あと4日しか日がありませんよ?」







エヴァリスは大人しく頷く。


それを見たライラは今度という今度こそ、文字通りぶち切れている。




「祈祷なんて嘘ですよ!エルメルダ様は昔からあんぽんたんでお勉強なんかからっきしだったじゃないですか。絶対に試験の自信が無いからってエヴァリス様に押し付けたんです。」






捲したてて話すライラの剣幕にエヴァリスの視界がフラフラと揺れる。

慌てたライラに支えられるが、頭は霧がかったように重たい。



「とりあえず休みましょう。今日、エルメルダ様は旦那様と奥様と一緒にパーティーにお出かけですし夕食の用意もありません。」


「でも…。」


「エヴァリスお嬢様、次にでも…を使ったらライラが代わりに試験会場に乗り込んで全部ぶち撒けますよ。ですから休んでください。」




何かを言葉にしようとしたエヴァリスに「良いですね!」とライラは強制的に終了のゴングを鳴らした。




「はい、わかりました。」




あれよあれよという間にエヴァリスは自身の部屋まで連れられると、頭の上から勢いよくシーツと大きめのブランケットをかけられる。


子守唄もつけましょうかとエヴァリスのお腹をトントンと叩き始めたライラに思わず笑ってしまった。




「大丈夫です。数時間したら必ず起こしに来ます。だから安心して少し眠ってください。このまま倒れたらそもそも試験が受けられませんよ。」


「それもそうね…。」






ライラの言う通りだわ。トントンと優しく響く音と、心地よいリズムにエヴァリスはウトウトと目を瞬かせる。そして、ものの数分で眠りの世界へ落ちていった。




暫くして目を開けると、大分陽が傾いて空の端がオレンジ色に色づき始めていた。ベッドから起き上がり大きく伸びをすればトントンと遠慮がちのノックが響きライラが顔を出した。




「お嬢様、よく眠れましたか?」


「えぇ、ライラのおかげで久しぶりにまとまって眠ったわ。夢すら見なかった。」


「お嬢様、こういった理不尽はお一人で抱え込まなくて良いんですよ。可笑しいのは向こうの頭ですから。」






そうして笑顔で不敬を口にする。いつでもライラを頼ってくださいと言って微笑むライラにエヴァリスは力なく笑みを返す。

少し気が軽くなったエヴァリスはその後、眠ることなく課題の準備に明け暮れた。いつの間にか日が暮れていた空は気付けば白んでいた。窓の外の朝露に濡れた空気を思い切り吸い込むと、エヴァリスは深呼吸を繰り返す。やれることは全てやった。


自身では力不足が否めないがやるしかない。



「よし、大丈夫。」




エヴァリスはそう言って日の出を見つめると、朝の仕事のために顔を洗いに部屋の外に出た。




「エヴァリス様、エルメルダ様のお洋服ですがどれも胸元の布が心もとないものばかりです。」




ライラは洋服をつまみながらひらひらと振って見せる。

確かにこれを着ていったらダンスを踊る間に脱げそうね…。エルメルダに服を相談しようと思っていたが、夜更け過ぎまでパーティーを楽しんでいたらしい三人はベロベロに酔っ払ったまま倒れ込むように帰宅すると直ぐに眠りについてしまった。案の定、朝になってもエルメルダが起きる様子は微塵もない。


仕方なくエヴァリスは自身の持つドレッサーを開くと数少ないブルーのワンピースを取り出した。老舗の仕立てで作られたそれは、かつてエルメルダに送られたものだったが彼女の趣味には合わず。エヴァリスへいらないと押し付けられたものだった。




「これにするわ。ライラこの袖に余ったレースを付けてくれる?」


「お任せください。こんなのちゃちゃっとですよ。」




ライラの手によって素早くリメイクされたシンプルなワンピースは袖にレースが付きとスカートの裾には淡いフリルが施された。それはエヴァリスが動く度にゆらゆらと優雅に揺れる。




「いつも思うけど、ライラは洋服を仕立てる才能があるわね。」


「そんなことありませんよ大袈裟です。ささ、エヴァリス様鏡の前にお座りください。メイクと髪型もきれいに整えちゃいますよ。」




ライラは気合を入れて袖をまくると、テキパキとメイクを整えてウィッグと一緒にエヴァリスの髪の毛を見事に結い上げる。やはり作業中、たまにエヴァリスの顔を見ては、ほぉっとため息をつき頬を染める。


相変わらずこうも魔法がかかったように見違えるものなのだろうか。ライラは今回も完璧に己の仕事をやり遂げてくれた。


目が腫れてしまったことにしなさい、エルメルダの指示通りエヴァリスはヴェールを頭からかぶる。



その後、ライラに見送られながらエヴァリスはこっそりと用意された馬車に乗り込んだ。






「お嬢様、頑張ってください。お帰りをお待ちしております。」


「ありがとうライラ、行って来るわね。」






行ってらっしゃいませと、馬車が見えなくなるまでライラは手をふる。一人馬車の中で揺られながらエヴァリスは静かに外の景色を眺める。


頭の中でここ数日詰めこんだ事を反復しながら、ここから先は天の女神様にお任せするしかないと祈る。ただ、大事な人たちを傷つけたくないとそう願いながら。





懐中時計を気にしながら、王宮のエントランスに立つリタールは何度目かのため息を吐く。

その横で背筋をピシリと伸ばしたマリアンナは真っ直ぐに前を向きながら口を開いた。


「セオリア様は本日いらっしゃるのですか?」


「メイド長、あなたの方があの方のお心をご存知のはずですよ。」




その言葉にマリアンナはふっと息を吐く。




「エルメルダ様の純粋さは白の魔法そのものです。私も長く王宮に勤めて参りました。大抵の人間は目を見ればそれがわかります。歴代みな王女に即位される方は純粋で、清らかでいらっしゃいました。」






しかし…。マリアンナはそういうと首を横に振る。






「言わないほうが賢明でしょうね。何故なら口にしたところで現実は変わらないからです。」




「セオリア様はあれから笑わなくなりました。いえ、笑えなくなったと言った方が正しいですね。」






遠くから見えたエルメルダを乗せているであろう馬車がゆっくりと近付いてくる。






「今日も鉄のマリアンナ…ですか?」


リタールは小さく笑いながら尋ねる。






「私は今日も主のため、私の務めを果たすまでです。」




お互い忠誠心の強さは折り紙付きですね。リタールはかけていた眼鏡をくいっと上げるとエントランスに到着した馬車まで歩くと、ゆっくりとその扉を開けた。




「お待ちしておりましたエルメルダ様。」


「リタール、おはようございます。お出迎えありがとう。」


「エルメルダ様、本日は予定していた試験の日です。既に部屋にご用意が出来ております。」


「かし…。分かりました。申し訳ございません今日は目が腫れてしまいまして、失礼を承知でこうしてヴェールで顔を隠しております。」


「そうでしたかそれは大変ですね。構いませんよ、ご案内いたします。」





マリアンナはお辞儀をすると、背筋を伸ばしたままエルメルダ、否エヴァリスを試験会場の部屋まで案内する。足音を極力出さないように、しかし姿勢を崩さずに足を進めるマリアンナの後ろ姿を見るだけでエヴァリスには分かる。これは昔から常日頃から続けているからこそできるものなのだと。

さすが歴代の王女に仕え、王宮の要とも目されるマリアンナ・リュメルである。



その時、リタールもエヴァリスの後ろを歩きながらいつもとは違う何かを仄かに感じていた。

美しく背筋の伸びた姿勢とヒールの高い靴を履きながら歩く、微細なぎこちなさ。

それはまだ僅かにしか分からない微妙な変化。




エヴァリスは客室に通されると椅子に座るように促される。部屋の中には試験監督のマリアンナとセオリアの執事のリタールの二人だけのようだ。




「先日もお伝えしましたが問題用紙は全部で4枚です。時間は1時間としますが、もし早く終わるようなら声をかけていただいても構いません。」


「分かりましたわ。」


「それでは始めましょう。」




マリアンナの声で定期試験が始まった。エヴァリスはまず配られた問題にひと通り目を通す。しかしいくら経ってもなかなか書き出さない様子を見てマリアンナとリタールは目を合わせる。時折首をひねりつつ、何かを口元で呟きながら一向にペンを持つ気配がない。まさかと思うが、そもそも問題の問われている意味がわからないのか…と不安になり、マリアンナがエヴァリスに声をかけようとした瞬間、エヴァリスがペンをその手に取った。


その頃、屋敷ではエヴァリスが王宮で試験を受けることを聞きつけてリオンが慌てて現れた。



「だめだじっとしてられない。」



不安そうに言いながらリオンは自身の移転魔法で様子を見に行こうかと席を立つ。



「やめておけ、そんじゃそこらの魔法なら王宮にかけられている防衛魔法で簡単にはじかれるぜ。」


「そんなたった五日間で王宮教育の内容なんて覚えられるわけないよ。エヴァリス今頃大変なんじゃない?」


「違う違う、それは無いね。」


「エヴァリスお嬢様はもともと1回書物を読めば大抵の事は理解できるくらいですから。」




そう言って、ガイデンとライラはグリンピースのサヤを開きながら豆を取り出す。




「だってライラがさっき殆んど寝れてないって…。」


「あー!あれはね違うんです。大変なのは…後で分かります。」








試験が始まって10分ほど経った頃からペンを持ったエヴァリスは迷う事なく次々に答えを解いていく。適度に空欄を作りつつもそのペンが止まることはない。あっという間に一通りを埋めると今度は回答を見直して一度書いた正解を違う言葉で書き直す。




試験が終わる15分前まで、チラチラと時計を確認ながら、ゆっくりと書いては消すを繰り返していたエヴァリスは大きく息を吐くとマリアンナに向かって静かに手を挙げる。




「もう宜しいのですか?」


「えぇ、もうこれ以上は考えても分かりませんわ。」




マリアンナはその言葉に小さく頷くと解答用紙を回収した。一枚ずつエヴァリスの解答用紙を確認していたマリアンナは4枚目をめくり終わると小さく笑う。




何かおかしな回答をしたかと不安になるエヴァリスの顔をマリアンナはじっと見つめると直ぐに踵を返す。




「次はルーブルシュ語のテストです。少ししてから始めます。」




とりあえずお咎めがないことにエヴァリスはホッと胸をなでおろす。


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