5 新たな力の開花
祭司のヴァレリーに促され足を踏み入れたそこは、エヴァリスの想像を絶する光景が広がっていた。
硬い床に藁を敷かれその上に横たわる人々の姿と、忙しく走り回る人たちの横で山積みになった洗濯物、そして細い体を震わせて母親に縋り付く子どもの姿。部屋の中は思わずえづいてしまいそうな酷い臭いが立ち込めていた。
「これは…酷いな。」
ガイデンが顔をしかめる。祭司たちはその言葉に俯きながらぽつりと話し始めた。
「ここは昔から身寄りのない者の最後の集いの場所でした。この様な有り様になったのはここ数年です。」
「どうして、こんな風になってしまったのでしょうか?」
「数年前、魔物との戦乱で魔物の子どもをあやめた兵士がおりました。その報復として魔物から大きな呪いを身体に受けることになったのです。それは少しずつ体を蝕みやがて命が尽きるその瞬間まで藻搔き苦しみを与えるというものでした。」
話を聞けば、その兵士の呪いを恐れた街人達はこの教会に彼を追いやったのだという。噂に尾ひれがつき、関わると呪いを受けると名が通った教会は援助を打ち切られ今もこのような状態だ。
兵士は未だその生命が尽きることなく、この教会の地下でただ一人呪いと戦っているのだという。
ふとエヴァリスは疑問に思ったことを際しに尋ねる。
「皆様はこの場所にいても平気なのですか?」
「えぇ、呪いとは人にうつるものではありません。その人に向けられた強い思いが苦痛を与えたいと思ったものにのみ降りかかるのです。」
「なるほど。つまりは、お会いしても平気だ…ということですね。」
エヴァリスの言葉に、そこにいた何人かは意図が分からずに首をひねる。
そのうち、ガイデンたちがその意味に気づきギョッと汗をかく。
「お嬢様、まさかその方に会いに行くなんておっしゃいませんよね。」
「えぇ、お会いできるのか?とお尋ねいたしました。」
「そ、それは可能ですが。しかし…。」
「エヴァ…お嬢様、ご冗談ですよね?呪われている兵士に会うなんてそんなことありえませんよ。」
責任感で頭がおかしくなっちゃったんですか?とライラは慌ててエヴァリスの腕を掴む。
「いえ、冗談ではないわ。もし私がお会いして何も無い事が分かれば噂は消えると思わない?」
「ガイデン様、やっぱりお嬢様がおかしくなりました。何とか言ってください。」
半泣きになりながらライラはガイデンに声を荒らげる。流石のガイデンもこれには首を縦に振らないようだ。
「それは出来ません。今日はここにいる人達の慰問に来たはずです。それ以上のことは祭司も望んでおられないでしょう。」
「えぇ、勿論です。エルメルダ様、先程の話はこの老人の戯言です。お聞き流しください。」
話を聞きながらエヴァリスはじっと考え込む。
この悲惨な状態をこのまま放置することはできない。もし祭司の言う通り、本当に呪いだとしてうつらない確証はない。自分にできることと言えば…。
はたとエヴァリスは気付く。
呪いとは本来は魔法のことをさす。つまりは魔法を感じられるものに作用するはず。魔術や様々な方法を使い相手に苦痛を与える魔法…だとすれば。
(私には色がない…)
エヴァリスはもう一度皆に向き直ると、静かに口を開く。
「やはり私がその方に会いに行きます。」
「待ってくださいお嬢様、ですが…。」
「良いのよ、ライラ。私は自分で決めたいの。」
エヴァリスの力強い気迫に、ライラは息を飲む。それは未だかつて見せたことのないエヴァリスの強い意志だった。エルメルダのそれとは違い、何処か高貴な雰囲気をまとってエヴァリスは微笑む。
「祭司、私を彼の場所まで案内してください。」
「エルメルダ様…。」
祭司は何度か言葉を出そうと唸るが、程なくしてはあと大きなため息とともに目をつむる。
「かしこまりました、こちらです。」
根負けした祭司の後に続き地下へ行こうとしたエヴァリスをガイデンが呼び止める。
「俺も行く。」
「ガイデン、でも…。」
「まぁ、俺幽霊とかそういうの信じてないしな。いざって時は水も使えるし盾になれる。悪いことは言わないから連れていけ。」
エヴァリスはその言葉を聞いてニッコリと頷く。
もはや涙でグチョグチョに顔を濡らすライラはエヴァリスに抱きつくと骨がきしむほどその身体を抱きしめる。
「今日の夜のマッサージは念入りにします!最高級の香油も拝借して持ってきますから、だからお嬢様…。ご無事で。」
「分かったわライラ。大丈夫よすぐに戻ってくるわ。」
祭司のヴァレリーは静かに頭を下げると
水が垂れる音が響く地下への階段は下へ進む度に明かりが灯っていく。カツンカツンと靴音が響く音とともに、暫しエヴァリスの耳にキーンと耳鳴りがする。
『…、………て。』
声が聞こえる。
『………た…けて。』
これは誰の?声が聞こえないかと二人に尋ねるものの、ガイデンや祭司にはこの声が聞こえていないらしい。
『お母…さん。』
【あなたは だれ ? 】
そろそろ着きます。祭司がそう話す。暫く階段を降りると次第に鎖でぐるぐる巻に封印された大きな扉が目の前に現れた。
たくさんの防衛魔法と鎮魂の札が至るところに張り巡らされているその場所は不気味なほど静かで、青白い光だけが薄っすらと扉から放たれている。
「硬い封印をかけておりますゆえ、扉を直接開けることは出来ません。ここでお声を聞かせてやってください。」
「わかりました。」
エヴァリスはそう答えると、おずおずと扉の前へ歩み寄る。祭司とガイデンは後ろからその様子を見守っている。扉にそっと手を当て中の兵士に問いかけるように目を閉じる。
「初めまして、声が聞こえますか?」
『……………。』
返事はかえってこない。
「私は今日貴方に会うために来ました。」
『……………。』
「あなたは…」
その時、エヴァリスの頭の中になにかの走馬灯が一気に流れ込む。兵士の戦う声、魔物の咆哮。
『やめろ手を離せこどもだろ。』
『そこをどけお前がやらないなら俺が仕留めてやる。』
『やめてください、この子だけは…。』
そして無惨に八つ裂きにされた母の、悲痛な叫び。
叫び。叫び…。
バーンとまるでフラッシュ・バックの様な一瞬の爆発の中、胃の中のものを戻しそうなほどの吐き気。その場にへたり込むエヴァリスを見てガイデンが駆け寄ろうとした時、エヴァリスは呟いた。
「あなたは殺されたのね。」
その瞬間、カタカタと扉が揺れ始めると鎖の引きちぎられる音とともに轟音を上げて扉が開け放たれた。
青白い光が漏れ出し祭司達は思わず目を隠す。鎮魂の札は風に舞い上がり紙吹雪のように身体に張り付く。
「まさか、あれだけの封印魔法を解いたと言うのか。」
祭司のヴァレリーは驚愕の顔を浮かべる。エヴァリスは吸い込まれるように扉の中に入ると、ゆっくりゆっくりそれに近づく。
身体を小さくして蹲るように下を向く男の身体は聞いていたよりも遥かに小さい。手足から黒く変色した身体はそろそろ首元まで到達しそうだった。その手足には大きな足枷が重りのようについている。その呪いの魔力に蝕まれて青年だった身体はもはや7歳くらいまでの少年の姿になっていた。エヴァリスは少年の前で膝をつくと、縮こまり、つむじしか見えない頭にそっと手のひらを置く。ぴくりとその身体が少し動く。
「やっと会えたわ。ずっと一人で寂しかったでしょう。もう大丈夫よ。」
その言葉を聞いて、少年はゆっくりと顔を上げる。
細くこけた頬と綺麗なトルマリンの緑の瞳がエヴァリスを捉えた。
「どうして来た?」
「うーん…どうしてでしょうか。開けたいと願ったからかもしれません。貴方に会いたくて。」
「そんな人間いるわけない。」
「でも来ました。話してくださいあなたの見た全てを。」
少年は遠くを見つめるように口を開いた。
「兵士として魔物の討伐に出かけた時、魔物の催眠にかかった仲間の騎士が錯乱して手当たり次第切りつけ始めたんだ。近くにあった村の子どもにまで。俺は討伐の時足を駄目にしたから、必死に後を追ったが追いつけなかった。」
少年は淡々と話し続ける。
『やめろ、目を覚ませ。』
『次…お前。お前も…お前も。』
仲間の足に縋りつきながら、眼の前で母親の亡骸を抱きしめながら泣き崩れる子どもに逃げるように喉から血がでるほどに叫んだ。
『お母さん、ねぇお母さん逃げようよ。』
気付いた時には息絶える寸前の子どもに覆いかぶさりながら自身の身体からもとめどなく血が流れていることに気付いた。
『許さない…。』
絶命の瞬間まで子どもの声が耳に残る。
『あいつを絶対に…。』
目が醒めた時、自分は仲間の救護班に運良く助けられ一命をとめたという。しかし目が醒めた瞬間から何故か自分がこれから死ぬことがわかっていた。徐々に黒く焼けた炭のように変わっていく身体を見て誰もが呪いを恐れ逃げた。
その方が都合が良いと思った。あぁ、どうやら自分はあの子の憎しみを、悲しみを悔しさを全て背負ってしまったのだと。やるせなかった自分を消そうと藻掻くことすら疲れてしまうほどに。
エヴァリスはその話を静かに聞きながら、少年の手を握る。黒く炭のように固くなった手は強く握れば壊れてしまいそうだった。
「あなたのお名前をお聞きしても良いですか?」
「…名前?」
「はい、私はエヴァリスです。あなたのお名前は?」
「リオン…。」
「分かりました。では改めてリオン、私と一緒に外へ出ませんか?」
リオンは遠くを見つめたまま答えない。
「ありとあらゆる祭司が訪れてさじを投げて帰っていったんだ。もう直俺は死ぬのに外に出る意味なんてない。」
エヴァリスはもう一度リオンの目を見ながら固い手を握る。
「リオン…。人は必ず終わりがきます。それは地位や名誉に関係ない。平等に分け隔てなく訪れます。しかしあなたのそれは今ではありません。まだやっていないことがあります。」
「やっていないこと?」
「子どもの魂は弔いましたか?」
その言葉にリオンはエヴァリスの顔を見た。
「その子どもと亡くなった生命に温かい言葉はかけましたか?」
リオンの黒化は顎のあたりまで迫る。エヴァリスは敢えて微笑みながらリオンに声をかけ続ける。
「一緒に鎮魂の祈りを捧げましょう。私達は無力です。消えた命は元には戻りませんがあなたにはまだ時間が残されています。」
エヴァリスの穏やかな顔を見てリオンはわずかに瞳を揺らす。時間はもう殆ど残されていない。しかしエヴァリスは不思議と焦ることはなかった。否、焦る必要がないのだ。リオンの前でエヴァリスは静かに目を閉じる。
集中して。
集中して。
集中して。
私は、この感覚を知っている。
ゆっくりと開かれたエヴァリスの目がオパールのような虹色に変わる。
「大丈夫。」
エヴァリスがそう笑った顔を、後にリオンはこう言ったという。全てを許す女神のほほえみだったと。
エヴァリスの手から広がった虹色の光はまるで木漏れ日のように温かくリオンやそして地下全体を包み込む。地下にいることを忘れるような暖かい光に祭司とガイデンは急なまばゆい光にたまらず目を覆った。
エヴァリスがリオンの胸に手をかざすと、小さい光が子供の形に変わり姿を表した。
「君はあの時の!!」
リオンは驚いて大きな声を上げる。
「遅くなってごめんなさい。小さい体で大きな苦しみを受けたことでしょう。あなたの傷をお慰めします。」
『ありがとう、お兄さん守ってくれてありがとう。』
「いや、俺は…。俺は。守れなくてごめん。助けてやれなくてごめんな。」
止め処なく涙を流すリオンに子どもの魂はただただ穏やかに微笑むだけ。その場所にはただ許しと穏やかな時間が流れ続ける。
「次の生はまた幸せな生命でありますように。」
エヴァリスの言葉にたくさんの光が大きな風に連れられて空へと走るように登っていく。
またいつか…。
エヴァリスはこころの中で念じる。
「もう自由です。」
エヴァリスが呪文のようにそう呟くとたくさんの虹色の光がまばゆく子どもの魂を連れて天へと駆け上がっていく。その光景を見た祭司とガイデンは驚愕の顔を見合わせる。
魂を連れて天に昇って行った風が止むとともに、リオンの身体が淡く光り黒かった足先から少しずつ肌色が見え始めた。驚いたようにリオンは固まったままだがそれは段々と広がり最後には綺麗サッパリもとの美しい肌に戻っていた。
「エヴァリス、俺…治った。」
「えぇ、もうこれで…大丈夫、ですね。」
自分の身体を触っては何度も嬉しそうに喜ぶリオンを横にふらふらとエヴァリスの身体が揺れる。オパールの目は次第に元の色に戻る。
「えっ!エヴァリス!?」
リオンの焦ったような声をエヴァリスは遠くに聞く。床に倒れる寸前、ガイデンがその身体を抱きとめた。
「エヴァリスが倒れた!」
「あぁ、問題ない気を失ってるだけだ。」
「あの封印魔法をこじ開け、なおかつ膨大な魔力を使ったのです。数週間目覚めなくても無理もないでしょう。しかし…いやはや。とんでもないことになりました。」
三人の困惑を後目にエヴァリスはくぅくうと寝息を立て続けた。夢の中で空へと昇っていった子どもの笑い声を聞きながら。




