53 夢で逢えたら
パーティー会場の中でソアルの姿を探していたアネモネは、外から一緒に戻ってきた二人の姿に驚きの表情を浮かべた。にんまりとほほ笑むアネモネの顔を見て、その視線が何を言わんとしているのかソアルにはすぐ分かる。「お兄様、エヴァリスと一緒にいらっしゃったのですか?」アネモネの問いかけにソアルは「あぁ。」と一言声を返すと早々に次から次へと挨拶を受けるルモネ王妃の元へ足を進めた。
「ソアル様、お会いできて光栄です。」
「スヴェンタナ男爵ですね。貴殿の商会ではジプナルの生地を特に多く使用していただいており感謝しています。」
「いやはや、こんな小さな人間の事まで把握していただけるとは…。さすが気鋭の秀才と称されるわけです。」
ルモネはほほ笑みをそのままに、パーティー会場からしばし席を外したソアルを諫めるような眼差しをチラリと向けた。しかしとうのソアルは気にするそぶり無く穏やかに危なげなく挨拶に応じている。その姿を見たルモネは、やれやれと首を振りながら内心、幾分穏やかになったソアルを見て喜びを感じていた。
「エヴァリス、お兄様と一緒だったのですね?」
アネモネは兄の姿を見つめながらエヴァリスに声をかけた。
「申し訳ございません。私の気分がすぐれなかったためソアル様が気遣ってくださったのです。」
「そう…。まぁ大方お兄様ご自身が息抜きしたかったのでしょうけど。」
すみません。
申し訳なくエヴァリスが頭を下げるとアネモネは「気にしていないわ。」と笑顔で返した。
セオリアは相変わらず色々な人々に囲まれながらルシエラと共に王子として完璧なふるまいで周りを魅了している。その様子に気づいたアネモネは、向こうで挨拶に応じるソアルを見た。
「ねぇ、ソアルお兄様って素敵でしょう?マイペースだけど優しいし、紳士だし、頭脳明晰だし。」
「えぇとても素敵な方ですね。」
そう言ってほほえんだエヴァリスに、アネモネはぐっと顔を寄せる。
これまたソアルに似た濃い紫色の瞳は、らんらんと輝きながらエヴァリスの手を握った。いきなりの事に困惑するエヴァリスを置き去りにアネモネは言葉を続ける。
「私、お兄様とエヴァリスはお似合いだなって前から思っていたの!!お兄様ならエヴァリスに不自由ない暮らしを与えてくれるわ。ハレオンで隠れて生活しなくたってジプナル国は貴方の事をみんな受け入れるのよ。」
「アネモネ様…。」
「そうよ!私がセオリア様と結婚して、エヴァリスがソアルお兄様と結婚すれば全て丸くおさまるでしょう?」
そう言って力強く手を握ったアネモネに、エヴァリスは静かに首を振った。そしてアネモネの目を見据えるともう一度その首を振る。
「アネモネ様、私はソアル様と結婚することもジプナルの国に行くこともありません。この先の事は自身でしっかりと考えております。」
「はっ。やっぱりエヴァリスだってセオリア様との結婚を望んでいるんじゃない。」
アネモネはエヴァリスの手を払うと「お兄様の事をたぶらかしたの?」と鋭くエヴァリスを睨みつけた。急に向けられた明確な敵意に少々驚きを見せるがエヴァリスは尚もアネモネに向き合う。
「いいえ、私は近々王宮を出ていくつもりでした。新しく教員として学校で働く事になっているのです。私がいることでセオリア様にご迷惑が掛かっていることを理解しているつもりです。なので…。」
「でもエヴァリスが良くてもセオリア様がそれを望まないじゃない。」
「いいえ、セオリア様はこの国の王になる方です。もし必要なら私はセオリア様の目の前に二度と現れない覚悟です。」
何故ならエヴァリスにとって一番の幸せはセオリアの幸せただ一つなのだから。
エヴァリスの言葉に偽りはない。その様子を見たアネモネはエヴァリスが嘘をついていないことは理解したらしい。まだエヴァリスに厳しい視線を向けるアネモネは「あっそう。」と一言返すと息を吐いた。
「でもお兄様を傷つけることだけは許さないわ。」
アネモネはそう念押しすると、エヴァリスを置き去りに客人に挨拶をしに向かっていった。エヴァリスは項垂れるとその場に立ち尽くすしかない。アネモネの見解はお門違いも甚だしいが、しかし兄を思うアネモネの気持ちも理解できる。エヴァリスはパーティー会場にいたヴァレリーに声をかけると「気分がすぐれないので部屋に戻る。」と告げた。
「分かった、部屋まで戻れるかい?必要ならライラを呼ぶが。」
「大丈夫です。風に当たりながら戻ります。」
申し訳ございません。頭を下げたエヴァリスの表情が先ほどとは違うのを見て、ヴァレリーも何かを感じたようだ。「ゆっくり休みなさい。」とヴァレリーが労わる様に頷くとエヴァリスは静かに会場を後にした。
賑やかな会場を後にすれば、その楽しそうな声から逃げるようにエヴァリスは自身の部屋に戻るとベッドに倒れ込んだ。些か行儀が悪いが先ほどのアネモネの言葉や、ソアルの事など様々な気持ちがぐるぐると回っていく。
「お嬢様、ヴァレリーから聞きました!体調がすぐれないのですか?」
「ごめんなさいライラ。何だか疲れてしまって…少し休むわ。」
「え、えぇ分かりました。落ち着いたら着替えましょう。」
白い顔をしたエヴァリスを見てライラは優しく声をかけると部屋の電気を消すと、そっと部屋を後にした。
電気が消え暗闇が広がれば全てのものからエヴァリスを優しく隠すように眠気が迫ってくる。
「そう言えば、また、ドレスのお礼が出来なかったな…。」
また…。
目を閉じながら呟けば、心のどこかで懐かしさがふわっと浮き上がってきた。
そう、先ほどの記憶が戻ってきたことでセオリアの面影が穴あきで蘇ってきているのだ。
今度会った時に謝らなくては。しかし、今セオリアの顔を見てちゃんと笑えるのだろうか。エヴァリスの鼻がじんわりと熱を持ち一筋の涙がエヴァリスの頬を伝って流れ落ちた。セオリアの笑顔が頭の中に浮かんでは消え、その温もりが蘇る。
「最後のダンス、踊れなかったな…。」
エヴァリスはベッドの中で小さく蹲りながら眠りの世界に入っていく。また起きれば忘れてしまうセオリアとの思い出の中へ。
パーティーが終わった後、セオリアはすぐさまエヴァリスの元へ足を走らせた。次から次へとやってくる客人の相手をしながら、心はずっと自身が送ったドレスに身を包むエヴァリスから離れられないでいた。虹色のドレスを身に纏うエヴァリスは頭から足の先までセオリアの強い思いで包まれている。一刻も早くそのエヴァリスの元へ向かい抱きしめたい一心で最愛の人を探すものの時すでに遅し。
『ヴァレリー祭司長。エヴァリスの姿が見えないのですが。』
『申し訳ございません。あの子は気分がすぐれないようでして先ほど部屋に戻らせました。』
『そう、でしたか…。』
エヴァリスは自身の部屋に戻った後だった。
部屋に辿り着くと息を切らして現れたセオリアにライラは驚きの声を上げた。
「セオリア様、いかがされたのですか?」
「エヴァが体調を崩したと聞いて…。熱は?医官が必要なら今から…。」
「ふふっ、ご心配ありませんよ。久しぶりのパーティーに疲れてしまったようです。今横になっておられますから暫くすれば元気になります。」
セオアリはライラの言葉に安堵すると大きく息をついた。「それなら良かった。」とほっとしたセオリアを見てライラはほほ笑んだ。
「セオリア様、よろしければお水をお嬢様に届けてくださいませんか?」
「えっ!?し、しかし…。」
「寝ていらっしゃるので机に置いていただくだけで良いですから。」
ライラはそう言うと、水の入ったグラスをお盆に乗せるとグイッとセオリアに差し出した。「いや…でも。」困惑するセオリアだがライラは一国の王子に対しても引くことはない。「お願いしますね。」力強くそう告げるとライラはスタスタと廊下を歩いて行ってしまった。
ぽつんと残されたセオリアは押し付けられたお盆と目の前のドアを交互に見やった。
机に水が入ったグラスを置くだけ。たったそれだけ。
「顔を見るだけ。一瞬だけ。」
セオリアはそう言い聞かせると、意を決して数回小さいノックをした。
しかし反応は無い。「エヴァ、入るよ。」一度声をかけた後セオリアはドアノブを回すとゆっくりとエヴァリスの部屋の中に足を踏み入れた。
薄暗い部屋の中に、ドアから漏れた光が入り込む。エヴァリスが深い眠りに入ったまま規則正しく寝息を立てれば、チュールドレスがキラキラと光り輝く。起こさないようにエヴァリスのベッドの近くにあるサイドテーブルにグラスを置くと椅子を引き寄せエヴァリスの近くに腰かけた。
そっと顔を見ると色白い顔に涙の痕があるのを見て、セオリアは息をのんだ。
セオリアの視線を感じたのかエヴァリスが僅かに身じろぐ。
「待って…。」
エヴァリスがぽつりとこぼした。一瞬起こしてしまったのかと焦ったセオリアだが、エヴァリスの額にうっすらと汗がにじんでいることに気づいて異変を察知した。慌ててエヴァリスの肩を叩くもエヴァリスは夢の中でうなされ続ける。
「待って、セオリア…ごめんなさい。」
「エヴァ!?」
「忘れ、たくない…。」
エヴァリスはまた、夢の中で懐かしいセオリアの記憶と共に過ごしているのだ。セオリアは初めてその事実を知ることになった。エヴァリスの中で自分の記憶は決して無くなってはいなかったのだと。大封印の魔法を使用した代償はエヴァリスが無意識ながら一番大事にしていたセオリアの記憶を今も尚封印しているのだと、ようやくセオリアは気が付いた。
「忘れたくない。」
エヴァリスが心からの言葉を口にすれば、その頬にまたしても涙が流れ落ちた。
「エヴァ…。大丈夫さ、私はここにいるよ。」
大丈夫、大丈夫…。
優しく涙をぬぐい頭を撫でれば、エヴァリスの眉間に寄せられていた皺が緩み穏やかな寝息が再び聞こえ始めた。
セオリアはエヴァリスの手を握ると、その頬に唇を寄せた。
エヴァリスの中に自身が宿っているものの、裏を返せば自身の存在がエヴァリスを苦しめているのだと。セオリアは苦しそうに顔をしかめた。
大封印の代償についてはセオリアとヴァレリーを中心に調査が進められているが、やはり虹の魔法自体の前例が僅かしか存在しないうえその代償は人によって異なる。記憶が徐々に戻っているところを見るとそれが緩やかに終わりを迎えているとも取れるが、やはり確証は無いのだ。
「エヴァ、きっと君を自由にして見せる。」
セオリアは再びその決意を固くしたのだった。次の日の朝、まだぼんやりと薄暗い部屋の中でエヴァリスは静かに目を醒ました。まだゆらゆらとした視界の中、自身がパーティーを抜け出し眠りについてしまった事を思い出す。ドレスにひどい皺がついていないかと慌てて起き上がると、床にカツンと何かが落ちた音がした。
「これは…。」
どうやらカフスボタンらしい。しかし記憶をたどるも心当たりが見つからない。そして辺りを見れば側に残された椅子とテーブルに置かれたグラス。眠りにつく前には無かったものが置かれている。パーティーの時に誰かのものをひっかけてきてしまったのだろうか。
「一体、誰の物かしら。」
その時、部屋のドアが開きライラがそっと顔を出した。
「お目覚めですか?お嬢様。」
「ライラ…ごめんなさい。少しと思ったのに長い事寝てしまったわ。ドレスを着替えても良いかしら?」
「勿論です。湯あみの準備は直ぐにできますよ。」
ニコニコと準備を始めようとしたライラにエヴァリスはお礼を言うと机に置いてある水に口をつけた。そして作業を進めているライラに、先ほどの落とし物を見せながら声をかける。
「それからこれ…。どなたかのカフスボタンを持ってきてしまったみたいで。」
「あぁ…。多分それはセオリア様のものではないでしょうか?」
「セオリア様の?」
昨日、お嬢さまのお顔を見にこちらにいらっしゃいましたから。
ライラの発言にエヴァリスは「えぇ!?」と驚きの声を上げた。自身の知らぬうちにあられもない寝顔を見られたのかと思うと穴があったら今すぐにでも飛び込んでしまいたいところだ。
「でも直ぐに帰られましたよ。また明日お嬢様のご様子を見に来るそうです。」
「そう…ですか。」
いつも寝起きは気分がすぐれないことが多いが、今朝は何処か体が軽いのは。右手にどこかほんのりと熱が残るのはどうやら気のせいではないらしい。エヴァリスは恥ずかしさから手で顔を覆うと再びベッドに倒れ込んだのだった。




