52 ソアルの初恋
「エヴァリスのドレスも美しいですわ!どこの職人がお作りになったの?」
「あ、えぇ…このドレスはその。」
「私が今宵のパーティーの為にエヴァリスに贈ったものです。」
正直に話すかどうか迷っていたエヴァリスの横で、セオリアは自身が注文したドレスに身を包んだエヴァリスを見て満面の笑みを浮かべた。それを聞いたアネモネとソアルは同時にエヴァリスの顔を見た。鋭い視線を浴びながらエヴァリスは一点の曇りもなく事実を口にしたセオリアに内心天を仰いだ。
「えぇ、お気遣いいただきまして感謝しております。」二人の強い視線に気圧されて、エヴァリスの声は尻すぼみに小さくなっていく。それを聞いたアネモネはすかさずセオリアに向き直る。
「う、羨ましいですわ。セオリア様!是非私にもドレスを送ってください。」
「そうですね、機会があれば。」
短く端的に。セオリアは乾いた返事を返す。
その様子にアネモネはギリリと歯を噛むが、負けじとセオリアの前にグイッと迫った。
「セオリア様、せっかくですから私とダンスを踊りましょう。こう見えて私ダンスは得意なのです。」
「いやお前は優雅な動きが苦手だろう。」
「お兄様は黙っていてちょうだい!」
アネモネは呆れ顔のソアルを子猫のように睨んで見せると大きく頬を膨らませた。先ほどからクルクルと表情を変え真っすぐな気持ちをセオリアにぶつけるアネモネを横目にエヴァリスの胸はチクリと疼く。
「いや、私はエヴァと…。」
「まさかジプナル国の姫からの誘いを断るなんて…私と踊るのはそんなにお嫌ですか?」
アネモネはそう言うと目を潤ませ鼻をすすり始める。先ほどから歓談の隙を見ては、皆チラチラと噂のエヴァリスとアネモネのセオリアを巡ってのバトルに興味津々のようだ。そうなれば周りの目もあるため、セオリアは慌てて王子の顔を張り付けると「いえ光栄です。」と返すほかない。
「エヴァ…。」
「私の事はお気になさらず踊っていらしてください。今日はジプナル国の方を歓迎するパーティーです。」
「必ず後で迎えに行くからラストダンスは私と踊ろう。」
必ずだ。
セオリアはエヴァリスの耳元で囁くとアネモネに引きずられてその場を後にした。
四人の様子を見ていた人々はセオリアがアネモネと共にダンスを踊り始めたのを見て「おぉ。」と声を上げる。やはり本命はジプナル国のアネモネ姫らしい、と。
マリアンナの魔法で楽器に命が宿り音楽が流れ始めれば、どこからかダンスが始まりホールの中心にはセオリアとアネモネが羽のように軽く踊る姿が見えた。エヴァリスが離れた場所でそれを静かに見つめていると隣に座っていたソアルが声をかける。
「エヴァリスは踊るの?」
「いいえ踊りません。マリアンナ様と一緒に練習はしましたが…殿方と踊る機会はありませんでした。」
「練習で男と踊るだろう?」
「そうですね…確かに幼い頃は。」
エヴァリスの記憶では、子どもの頃にダンスの練習相手はいつだってエリオットだった。そして王宮で生活するようになってからは専ら男性役のメイドやマリアンナと手を合わせる程度だ。マリアンナに言わせれば、セオリアから直々に異性とダンスの練習は絶対にしないようにと釘をさされているからに他ないが。エヴァリスはその事実を知る由もない。
その時。
エヴァリスの視界が揺らぎ、頭の中に過去の記憶がどくどくと流れ込んできた。
幼い頃に男の子に手を取られ、このホールで踊った事がある。エヴァリスは飛び込んできた過去の記憶に思わず大きく息をのむと口を覆った。
『エヴァ!』
『試験なんだから相手の顔を見ないと減点されるよ。」
『離れがたいな…。』
夢の中で出会うあの人の顔に張り付けられていた黒いシールが少しずつ捲れるように、今まで完全に見えなかった顔が一瞬だけ見えたような気がした。
「エヴァリス!?」
エヴァリスのただならぬ様子に気づいたソアルは、傾く身体を支えながらエヴァリスの手を取る。軽いめまいを覚えるエヴァリスの背中を優しく摩りながら「落ち着いて、息を吐いて…。」ソアルは優しく声をかける。
「ソアル様、今一瞬記憶が見えました。私はこのホールで踊ったことがあります。多分あれは…。」
「分かった、エヴァリス大丈夫だ。無理しなくていい…深呼吸をして。」
ソアルに言われたようにゆっくりと息を吐くと、エヴァリスの酸欠だった頭に温かい血が巡り始める。
一瞬しか見えなかったが、あれはきっとセオリアの顔だった。
人が増えてきたパーティー会場から出て、ソアルは落ち着いた廊下にエヴァリスを連れ出すと近くのソファーに優しく促した。「ありがとうございます、落ち着きました。」そう言ってエヴァリスが申し訳なさそうにほほ笑むとソアルは「気にしなくて良い。」と返した。会場から漏れ聞こえる参加者の賑わいの声と音楽を聴きながら、エヴァリスはやっと一息つける場所が見つかり安堵した。
「エヴァリス、二人で抜けないか。」
「今からですか?しかしソアル様がいらっしゃらないとルモネ王妃がご心配されます。それにソアル様とお話しされたい方がたくさんいらっしゃいますよ。」
「話をしておかなければいけない人間にはあらかた挨拶が済んだ。これ以上あの中にいると気分が悪くなりそうだ。」
ソアルはそう言うと、廊下の先にある王宮の庭園を見てエヴァリスを促した。人脈作りも大事なのだが…確かにソアルの事なので今日一言二言会話をした人物の事は予め書類に目を通しており事前の情報収集は完璧なのだ。
エヴァリスの頭の中にちらりとセオリアとのダンスが頭を過るが、確かにエヴァリスとてセオリアとアネモネが楽しそうに踊るパーティー会場は居心地が良いとは言えない。
「分かりました。では少しだけお散歩しましょうか。」
「あぁ、外の空気を吸いに行こう。」
ソアルとエヴァリスはそっとパーティー会場を後にして、王宮の庭園に足を向けることにした。
廊下を進めば人がまばらになり、何組かカップルが談笑をしているものの顔までは分からない。その横を通り抜けて噴水の近くに来ると二人はベンチに腰を下ろした。
パーティー会場の扉は開いておりここからも音楽は聞こえてくる。遠くでその音や声を聴きながらひんやりとした夜風がエヴァリスを癒すように通り抜ける。ソアルは首元に着けていたネクタイをを緩めるとボタンを開け大きく息を吐いた。
「ソアル様が会場の皆さまとちゃんとお話しされていらっしゃったのを見て安心しました。」
「あのな、俺はやる時はやる。必要に迫られればな。」
「皆様ソアル様とお話が出来て嬉しそうでしたね。」
ヴァレリーと挨拶をしながら、エヴァリスは相変わらずぶっきらぼうではあるが一応最低限の会話に応じる姿を見ていたのだ。そう言ってくすくす笑ったエヴァリスを見てソアルは「うるさい。」と小さく笑った。
暫く音楽が鳴っては止まり、そのたびに拍手が鳴る。二人は庭園の噴水を見ながら言葉なく、ただじっとそれに耳を傾けていた。しかし、ある曲が鳴り始めた時にエヴァリスが「あっ。」と声を出した。
「何だ?」
「いえ、この曲…好きなんです。」
「ゼンチェル・コートナーの『群青のワルツ』だな。」
「ソアル様は本当に何でもご存じでいらっしゃいますね。私昔からこの曲がお気に入りでした。穏やかで優しい曲なので。」
そう言ってエヴァリスは漏れる音を聞きながら目を閉じる。そう言えばまだ幼い頃によくエリオットにねだってこの曲をピアノで弾いて欲しいとリクエストしていた事を思い出した。久しぶりに聞いた懐かしいメロディーに喜びを感じていると、隣で腰かけていたソアルが静かに立ち上がりエヴァリスの前に立った。「じゃあ、
せっかくだし一緒に踊るか?」そう言って差し出された手。ソアルからの提案にエヴァリスは驚いて目を見開いた。
「こ、ここで踊るのですか?」
「別に音楽は聞こえるし問題ない。安心しろ、運動は嫌いだがダンスくらいは踊れる。」
「でも…私もあまり上手くないので。」
一国の王子の足を踏むことを恐れるエヴァリスだったが、「良いから、ほら。」ソアルは優しく、しかし力強くエヴァリスの手を引くと自身の側に引き寄せた。先ほどのようにエヴァリスの記憶の中には男性と踊った記憶がほぼない。少し薄暗い中に、噴水の照明で仄かに照らされたソアルの顔が近づいてエヴァリスは慌てて目を逸らした。
その反応を見たソアルはふふっと笑みを漏らすとエヴァリスの手を取り、音楽に合わせてゆっくりと身体を揺らし始めた。漏れ聞こえる音楽を頼りに二人は静かに踊りだす。
「完全に意識されていない、というわけではなさそうだ。」
「えっ?な、何のことですか?」
踊りが始まればエヴァリスは、目の前のソアルの足を踏まないように精いっぱいで『群青のワルツ』の音と、目下の足を見るのでダンスを楽しむどころではない。しかし、言うだけあってソアルもまたダンスの腕前は優れているようだ。先ほどからエヴァリスの呼吸にピタリと寄り添いながらソアルは優しくエヴァリスの手を取っている。
「上手いじゃないか。そんなに気にしなくても足を踏まれたぐらいじゃ怒らない。」
「いえ、そんなことは。でもソアル様が合わせてくださるので踊りやすいです。」
「昔からアネモネの練習相手になっていたからな。あれに足を踏まれまくってから俺も久しくダンスなんてしていないよ。」
その時の二人の姿を想像してエヴァリスはぷっと笑いをこぼす。ようやく全身ガチガチに緊張していたエヴァリスの身体が少し緩みソアルは安堵したようにほほ笑んだ。
決して華やかではない場所ではあるが、エヴァリスの虹色のチュールドレスが動きに合わせてキラキラと光っていた。暫くして音楽が鳴りやむと、二人が互いにお辞儀をしたところで会場からはパラパラと拍手が聞こえ始めた。
「ありがとうございます。この場所ならあまり見られないので緊張しませんね。」
エヴァリスが楽しそうに笑うと、ソアルの胸にポッと明かりが灯る。少しと思っていたが、そろそろ会場に戻った方が良さそうだ。きっとジプナル国の人々もソアルがいないことに気づいているだろう。「そろそろ戻りましょうか…。」エヴァリスがそう言って会場の方に戻ろうとすると、ソアルはエヴァリスの手をそっと掴んだ。
「ソアル様?いかがされましたか?」
エヴァリスが不思議そうにソアルの目を見つめ返すと、ソアルはエヴァリスの手を引き寄せながらその目を見つめた。
「エヴァリス、俺は君に恋をしたらしい。」
「…えっ?」
恋をした『らしい』。
そして訪れる無言の時間。あまりの衝撃に口を開けたままのエヴァリスを見て、ソアルは言葉を続ける。
「分からん…。俺は恋をしたことが無い。初めての感情だからな。」
「それで、らしい。なのですか?」
「生まれて初めて恋愛小説を読んでみたが、あまりの非効率さに途中で読むのをやめようかと思った。だが…。」
これが恋というものなら、そんなに悪いものじゃ無いと思った。
そう口にしたソアルの耳が、ほんのりと色づいたように見えるのはエヴァリスの勘違いだろうか。
ハッキリと目を見つめられて本心を束ねられればエヴァリスの顔もじんわりと恥ずかしさで熱を持っていく。
それを見たソアルはこほんと咳をひとつ。
自身の思いをさらけ出したことで、目の前の彼女の表情がクルクルと変わることにソアルは愛しさを感じていた。そして無意識にエヴァリスの手を握り締めていた事を思い出し慌ててその手を離した。
「だが言っておく。エヴァリスに思い人がいるのは分かっている。ただ伝えたかっただけだ。」
「ソアル様…、この様な私に心を尽くしてくださってありがとうございます。お気持ちは、嬉しいです。でも…。」
「何度も言わせるな。伝えたかっただけと言っただろう。別にどうこうするつもりはない。」
ふんと鼻を鳴らしたソアルは相変わらず不器用なのだ。ただその無骨な優しさにエヴァリスは改めてソアルに感謝の念を抱いた。パーティーもそろそろ終盤に差し掛かって来たらしい。向こうの方からアネモネがソアルを呼ぶ声が聞こえて二人は会場に戻ろうと歩き出した。しかしソアルはその途中「あっ…。」と何かを思いついたように立ち止まると後ろをついて来たエヴァリスを振り返った。
「でも、エヴァリスの気が変わったら…俺と結婚しよう。」
今度こそエヴァリスの口から声が漏れた。それを隠すかのように口を抑えたのを見て、何故かソアルは嬉しそうだ。慌てたエヴァリスは「ですから…。」と抗議の声を上げるものの。
いつでも良いよ。
そう言ってほほ笑んだソアルは、何事もなかったようにスタスタと会場に歩いて行ってしまう。
ぶっきらぼうさの中にこの様な異性を引き付ける才能があったのか。機嫌よく前を歩くソアルを見て、「違います!そちらの道ではありません。」エヴァリスは慌ててソアルの背中を追いかけて行った。




