44 四角関係
ジプナル国から来客が来て早一週間ほどが経とうとしていた。
騎士達の練習場ではセオリアがルイと剣術稽古の真っ最中だった。ルイの作り出した獅子の幻影が一斉にセオリアを囲み取り囲む。それを黄金の魔法で跳ね返しながら、ルイに切り込む姿を見て他の騎士は誰もが手を止め釘付けになっていた。
「これで終わりだ。」
セオリアは自身の剣に力を込め、獅子の幻影の首元に剣を突き立てれば咆哮が響き渡り獅子の身体が弾け飛んだ。
魔法を破られたルイは小さくため息をつくと「参りました。」とセオリアに頭を下げた。
「ルイ副隊長、手合わせをありがとう。」
「いえ、それにしてもまた一段と魔力が増しましたね。私も精進いたします。」
「…守りたい人がいるのでね。」
セオリアはそう言うとふっと笑みをこぼした。ルイの言う通りセオリアは政務の傍ら自身の魔力を高めるため努力を重ねている。まだエヴァリスの存在は不安定であり、王宮の中にはエヴァリスを王宮に置いておくことに異議を唱える層があることをセオリアとて理解していた。
「そのためにもっと強くなりたい。」
セオリアの言葉にルイは胸の内を察すると静かに頷いた。
「私たちはいつでもセオリア様にお仕えする覚悟です。」
「ありがとうルイ、感謝している。」
その時、訓練場の端が何やら騒がしくなってきた。騎士団長のベルナーはあくまで礼を尽くしながらも、ジプナル国の従事者にハッキリと苦言を呈する。
「こういうことは許可をとっていただきたい。」
「でも塔の上からではよく見えないと仰っておられまして。」
「話しなら私が聞こう。ジプナルの方がどうして訓練場に?」
押し問答をする二人の元にセオリアがルイと共に割って入る。セオリアの姿を見たべルナー達は直ぐに申し訳ありません、と頭を下げた。ジプナルの人間が説明をしようとすると後ろの方からメイド達を連れたアネモネが姿を現した。
「セオリア様、ご挨拶いたします。申し訳ございません…私がセオリア様の剣術練習を見学したいと口にしたので、侍女が気を効かせてご無理を言ったようです。後でしっかりと教育いたしますわ。」
アネモネはしょんぼりと顔を伏せながらセオリアに頭を下げる。慌てた侍女はセオリアに「申し訳ありませんでした。」と慌てて平謝りした。
「そうでしたか、しかし訓練場は危険です。魔法の一部が飛んでくることもありますから出来れば塔の上からご見学いただきたいと思います。」
「えぇ、そうさせていただきますわ。でも先ほどのセオリア様の勇ましい姿…とても神々しかったです。政務で国を治めながら剣術までお強いのですね。」
アネモネはほんのりと頬を染めてセオリアを見つめる。騎士の何人かが呆ける中、セオリアは表情を崩さずに「ありがとうございます。」と形式的に返事を返した。
「よろしければ後で母とルシエラ様がお茶をされるそうです。セオリア様もよろしければご一緒にいかがでしょうか?」
「…分かりました。少しの時間になりますが、後ほど顔を出します。」
「是非!楽しみにお待ちしておりますわ。」
アネモネはそう言って嬉しそうに笑うと訓練場を後にした。ベルナーは突然の訪問を快く思っていないらしい。ルイはそんなベルナーをなだめながら騎士たちに訓練に戻るように声をかける。
その頃、エヴァリスが祈祷を終え書庫に足を運ぶとソアルが顔に本をのせたまま昼寝をしている最中だった。マリアンナのレッスンの前に調べ物をするつもりでいたが時間を改めようか。
邪魔にならないようにと、踵を返したエヴァリスだったが「待て。」と声がしたため振り返る。ソアルは眠そうに目を擦ると大きく伸びをした。
「すみません、お休みの邪魔をしてしまいましたね。」
「問題ない。今日は来るのが遅かったな、来ないかと思った。」
「あぁ、今日は祈祷の後ヴァレリー祭司長と魔法の修練があったので遅くなりました。」
魔法という言葉にソアルは興味を示したようだ。エヴァリスはソアルの近くにあった椅子に腰かけると魔導書を見せる。
「今、治癒魔法について勉強しているんです。」
「…そういえばハレオンの国の人間は魔法が使えるらしいな。アンタはどんな魔法を?」
「私は…魔物の気を浄化する魔法です。」
虹の魔法か…。ソアルはそういうと魔導書に目を通す。
博識のソアルといえど虹の魔法について名前は聞いたことはあっても、その歴史までは知る由もない。魔導書から目を離すとソアルはエヴァリスに正面から尋ねた。
「話を聞いたが、アンタ記憶がないんだってな。」
「…えぇ。以前虹の魔法を使った際に記憶を全て無くしました。でもここ最近でいろいろと思い出せるようになっています。家族の事も、友人の事も…。」
そう答えたエヴァリスにソアルは「そうか。」と返すと暫く黙り込む。そのままじっと腕を組んでいたソアルはエヴァリスの方に椅子を近づけると正面に腰かける。
「俺は記憶が消えない。書で見た事、悲しんだこと、恐怖だったこと…。その全てを忘れたくても忘れられない。」
「ソアル様…。」
「しかし人は忘れるから生きていける。良い事も悪い事も、何かを手放すから新しいものが手に入る。」
つまり忘れること悪い事じゃない。
淡々と、しかし目を離さずに、ソアルはエヴァリスに言葉を続けた。驚いて目を丸くするエヴァリスだが、それがソアルの気遣いなのだと分かるとエヴァリスの心はじんわりと暖かくなった。
「ありがとうございます。」と笑えば、ソアルは不服そうに「別に深い意味はない。」と窓の外を見る。
「それでも、ありがとうございます。」
拗ねたソアルの背中にもう一度礼を伝えると、チラリとエヴァリスを見て「しつこい。」と一言。しかし、その言い方はどこか柔らかく穏やかなものだった。
その時、王宮の書庫の扉が開きジプナル国の従事者が入ってきた。ソアルが何事かを尋ねると男は恐る恐る口を開く。
「ルモネ様がルシエラ様とお茶会を開かれますので、その…ソアル様もご同席されるようにと。アネモネ様もいらっしゃるそうです。」
それを聞いた途端、ソアルの機嫌が急降下する。社交の場に出向くことはもともと苦手としており、ルシエラとの初対面は父であるイーサン王からも母であるルモネからも「猫を被れ」とキツク言われていたのだ。
「腹を壊したからいけないと伝えろ。」
「しかしですね…。ルモネ様より「命令」とのお達しがありまして…。」
ギロリと睨みつけられた男はヒッと声を漏らす。あくまでソアルが怒りを向けているのは『面倒くさいお茶会に』であって彼ではない。嫌な汗をかきながら恐る恐るソアルに声をかける従事者を見てエヴァリスがソアルに口を開いた。
「行ってくださいませ。ルシエラ様もソアル様にお会いできるのをとても楽しみにしておられました。モーロの作るお菓子もですが、マリアンナ様が淹れてくださる紅茶は特別に美味しいのです。是非召し上がってきてください。」
「あのな、俺は子どもじゃないんだ。菓子くらいで釣られるわけないだろ。」
「でも、甘いものはお好きなのでは?」
目の前で繰り広げられるエヴァリスとソアルの会話を聞いて従事者は度肝を抜かれた。今、自身の目の前であのソアルと臆せず対等に話している少女は誰なのかと。その後も男を置いてけぼりに「行ってください。」「行かない。」は続けられる。
「でも、今日はお天気が良いですし…。」
「あのー…結局行かれるのですか?行かれないのですか?」
しびれを切らした男は二人の間に割って入ると結論を急ぐ。ソアルは「あーーー!!」と頭を搔いてから目の前のエヴァリスの手を取った。
「あんたが一緒なら良く。」
「「はい!?」」
突拍子のない答えにエヴァリスと男の声が大きく重なった。エヴァリスの驚きもさることながら男の方はもう既にキャパオーバーである。考えるのを放棄した男に替わりエヴァリスが慌てて大きく首を振る。
「お待ちください!その中にどうして私が入るのですか?ご一緒に行くことは出来ません!」
「そんなに行けというのならあんたも来い。そのマリアンナとやらの茶が上手いのか確認しよう。」
「話を聞いてください。これは王族の方の茶会です!私ごときが足を踏み入れてよい場所では…。」
エヴァリスとてここで抵抗を諦めるわけにはいかない。ただでさえ王宮で目立たないように生活しているというのにこれ以上の問題を起こせばルシエラやセオリアにも大きな迷惑をかけることになるのだ。しかし、それを聞いたソアルはエヴァリスをグイッと引き寄せると目を細めた。
「俺が誰だか忘れたか?これは命令だ。」
声は鋭いがソアルは何処か楽しそうに慌てるエヴァリスを見つめる。従事者は我に返ると半ばやけくそに、「参りましょう。」と王宮の庭園へと促し始めた。エヴァリスが止めるように男に目で懇願するものの、男は黙って首を振り続ける。まるで諦めろと言うように。
良く晴れた空の下、庭園で茶会を楽しんでいたルシエラとルモネは遅れて現れたソアルを見て呼びかける。
お菓子を食べていたアネモネも社交の場はからっきし苦手な兄が大人しく茶会に顔を出したことに意外だと呟いた。
「ちゃんと来たわね、ソアル。こちらに来て…。」
ズンズンとこちらに歩いてきたソアルの後ろから真っ青な顔のエヴァリスがすごすごとついて来たの見て、アネモネも含め三人は驚きの声を上げた。「エヴァリス?」ルシエラは驚きながらもどこか楽しそうにほほ笑んでいる。「遅れました。」と三人に頭を下げるとソアルは何事も無いようにテーブルに着いた。
アネモネからの視線を強く受けながら居心地が悪そうにモゾモゾしているエヴァリスを見てルモネが声をかける。
「あなた…エヴァリスね?」
「初めまして。ご挨拶が遅れまして申し訳ございません、エヴァリス・ダリオンと申します。ヴァレリー祭司の養女です。」
虹色に輝く髪と美しいカーテシーを見て、ルモネもそしてアネモネも「美しい」とぽつり零す。
「お兄様が誰かと一緒なんて…。お母様これから雨、いえ槍が降るかもしれないわ。」
「えぇ、まさかソアルがこんな素敵なお嬢様とお友達になるなんてびっくりだわ。」
「いや滅相もございません。」話しを否定するそぶりもなく、ソアルはマリアンナが手際よく淹れる紅茶をじっと見ていた。はしゃぐルモネにエヴァリスは慌てて強く頭をふった。
「誤解です。こちらまでソアル様をご案内して参りました。私はこれで失礼いたします。」
そう言って即座にその場を離れようとすると、ちょうどタイミングよくセオリアがリタールを連れて庭園にやって来たのだ。
「遅れました。あれ…エヴァリスも参加していたんだね。」
セオリアはエヴァリスの姿を見つけると嬉しそうにほほ笑んだ。しかし今のエヴァリスには笑顔を返す余裕はない。アネモネはセオリアの登場に一気に顔をほころばせるとセオリアの元に歩み寄り自身の隣の席に座すように促した。
「お待ちしておりましたわセオリア様。お母様、先ほどセオリア様の剣術を見学させていただきました。とても見事で素晴らしい身のこなしでしたのよ。」
「まぁ、容姿端麗で剣術もできるのね。さすがルシエラの子だわ。」
会話が弾み、茶会が始まるとアネモネを中心にセオリアについての話題が膨らんでいく。機会をうかがっていたエヴァリスは茶器を下げるメイドと共にそっとその場を後にしようと声をかける。
「では、案内が済みましたので私はこれで…。」
そう言って踵を返すと。
「エヴァリス。」
エヴァリスは自身の名を呼ばれて驚いた。それはその場にいた誰もが同じこと。
ソアルはカップを持ちながら紅茶を飲むと「確かにあんたの言う通り旨い。」と表情を変えずに頷いた。ソアルの口からエヴァリスの名前を聞いたセオリアはピクリと肩を揺らす。
「ソアル様、私の名前をご存じだったのですか?」
「当たり前だろ、呼ばれているのを何度か聞いた。」
まさか名前を知っているとは思わず。驚くエヴァリスにアネモネは「へぇー面白い。」と笑みを深める。その後も立ち去ろうとするエヴァリスに無言で「命令だ」と視線を向けるソアル。ルシエラとルモネに大歓迎されたこともあり、エヴァリスはとうとう根負けすると心の中でため息をついた。
ソアルはメイドに椅子を増やすように指示をすると自分の隣にエヴァリスを座らせた。セオリアの後ろでリタールが卒倒しそうな程に顔を白くしているのが気がかりだが、困り果てたエヴァリスはセオリアの目を見た。しかしセオリアはそれに一瞬目を伏せると横から来たアネモネの質問に笑顔で答える。
それを見たエヴァリスの心がチクリと痛んだ。不相応な場所にのこのこ出てきたのを見て気分を悪くしただろうか…。エヴァリスの胸に重く黒い鉛がのしかかった。
マリアンナの紅茶を飲みながらセオリアとエヴァリスの様子を見ていたソアルは何かを理解したようだ。エヴァリスは話が進めば進むほど、どうしてこの場に自分がいるのか理解しがたい。メイド達の目、居心地の悪い椅子。セオリアを呆れさせてしまったこともありすぐさまこの場所から消え去りたい。
「セオリア様とエヴァリスは古くからのご友人なのでしょう?」
急にアネモネに声をかけられてエヴァリスは鉛から引き戻された。
「えっ?」
「セオリア様が先日仰っていましたもの。昔からの大切な友人だと。」
何処か友人という言葉を強調しながら。アネモネは興味津々でエヴァリスの顔を見る。
「えぇ、エヴァリスは昔から聡明で私よりも優秀でしたよ。剣術も、知識も、そしてその優しさも。」
代わりに答えたセオリアはエヴァリスの目を見つめながら嬉しそうに話す。横にいたルシエラもまた自身がエヴァリスを娘のようにかわいがっていることをルモネに話し始める。
「セオリアは昔からエヴァリス一番でね。エヴァリスとはよく書庫にこもって勉強していたし、エヴァリスに負けたくないって、帰ってからも一人残って勉強していたわ。」
「な、母上!」
秘密を露呈されたセオリアは顔を赤く染めて口元を隠す。「そうなのですね…」アネモネはそう答えながら、顔を引きつらせた。話に全く興味のないソアルはエヴァリスに声をかけるとお勧めの菓子を聞いてはそれを口に入れる。
「ソアル様、モーロが作るクッキーも美味しいのですよ。お召し上がりになっては?」
「あんたは作らないの?」
「私ですか?…えぇ、たまに一緒に作りますが。」
「じゃあ今度はそれを書庫に持ってきて。」
冗談か本気か?やはりこの男の真意ははかり知れない。「いけません書庫は飲食禁止ですよ。」そう言ってエヴァリスが窘めると「エヴァリスはお固いね。」ソアルはエヴァリスに向かって小さく笑った。
その時とうとうセオリアは椅子から立ち上がった。




