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43 エヴァリスとソアル王子

その日は朝から雨が降っていた。

音楽に合わせてクルクルと軽やかに回りながら、エヴァリスは男性役のメイドとダンスのステップを練習していた。マリアンナは暫く離れた場所からその様子を見つめていたが、数回頷くと自身の魔法で楽器たちの音を止め手を叩いた。



「よろしいでしょう。問題ありません、今日はここまでに致しましょう。」


「ありがとうございます。」



美しいカーテシーをして、男性役のメイドに礼を伝えるとエヴァリスはふぅと小さく息を吐いた。

虹の魔法の修練をする傍ら、エヴァリスはマリアンナから度々マナーや魔法史、語学など様々な分野で手ほどきを受けていた。


マリアンナは決まって勉強が終わると、美味しい紅茶を淹れてはエヴァリスとお茶を共にする。今回のお茶も温度、香り、味すべてが完ぺきなマリアンナの紅茶にエヴァリスは笑みをこぼした。



「あの、マリアンナ様お聞きしてもよろしいでしょうか?」


「何でしょうか?」


「度々私のためにお時間を割いていただいておりますが、マリアンナ様も相当お忙しいはずです。どうしてお時間を作っていただけるのですか?」


マリアンナは静かに紅茶に口をつけるとじっとエヴァリスの目を見つめた。



「これはルシエラ様のご意向です。」


「ルシエラ様ですか?一体どうして…。」


「王妃教育の一環です。」


は?

珍しくエヴァリスの持つカップがカチャリと音を立てた。パチパチと目を瞬かせるエヴァリスを置き去りにマリアンナは気に留める様子もなく言葉を続ける。



「あくまでも候補の一人です。エヴァリス様にはその素質があると一部から声が上がっています。」


「ま、待って下さい。私にはそんな恐れ多い事は…。」


「話しは最後まで聞くものですよ。発表はこれからですが、エルメルダ様が権利をはく奪されたので再度セオリア様の次期王妃を選びます。」


マリアンナの話では次期王妃の選抜は知識・魔力・人間性の他にも様々な素養が求められる。国内外からたくさんの候補者がセオリアの隣に立てるようにと名を連ねるのだという。


話の展開に追いつけないエヴァリスは、静かに項垂れた。王宮の人間たちは記憶を失ったエヴァリスを決して追い出そうとはしない。しかし、そもそもまだセオリアの記憶を失ったままで何もせずにこの王宮に住まわせてもらっていること自体可笑しい事だとエヴァリスも自覚していた。途端に閉口したエヴァリスを見てマリアンナは小さくため息をついた。



「その昔、エルメルダ様に変わって貴方が隠れて試験を受けに来たことは分かっていましたよ。」


エヴァリスはその言葉に勢いよく顔を上げた。


「貴方の能力の高さは一度会ったことのある人間なら全員分かるでしょう。姿形はエルメルダ様になりきれても心根は隠すことは出来ません。」


「その節は…大変申し訳ございませんでした。」


「責めているわけではありません、全てはもう過ぎた事です。ただあなたは優秀な能力を持っているにもかかわらず圧倒的に欠けているものがあります。それが自身で分かった時に、エヴァリス様は本当の意味で自由になれるのでしょうね。」


マリアンナの核心をついた言葉にエヴァリスは何も返すことが出来なかった。「さてそろそろ時間です。次回のレッスンはまた来週に。」マリアンナはそう告げるとスタスタと部屋を後にした。一人残されたエヴァリスは暫くその場に座ったままだったが、茶器を下げようか迷っているメイドに気づくと慌てて部屋を出た。


雨粒がしとしとと窓を打つ廊下を歩き、エヴァリスは先ほどのマリアンナの言葉を思い返す。


『本当の意味での自由になれるのでしょうね。」


王宮で生活をしながら今の自分に出来ることは何かをずっと考えてきた。

ただエヴァリスにとっては、セオリアの真心を前に何も返せずにいる自分に自信が持てないでいる。

現在空っぽなその器は果たしてこれから先、埋まるのかも。


「分からない…。」


誰もいない廊下でそう一人ぽつりとつぶやく。





「おい、そこの女。」


その時、急に聞こえてきた声にエヴァリスはびくりと肩を揺らした。

驚いて振り向くとソアル王子は無表情のままズンズンとエヴァリスの前まで来るとその顔を覗き込む。



「あ、あの…。」


「あんたメイドか?」


「いえ、メイドでは…。何というか説明するのが難しいのですが。」


自分の立場をうまく説明できずにしどろもどろになるエヴァリスにソアルは小さく舌打ちをすると、自身の頭をガリガリと掻く。


「あーもう何でもいい。書庫への道を教えろ。」


王宮の書庫ですか?

エヴァリスが尋ねれば「他にあるのか?」と呆れたようにソアルがため息をつく。

ジプナル国がハレオンに来てから数日が経ち、今日はあいにくの雨。暇を持て余したソアルはセオリアに聞いた王宮の書庫に行こうとして道に迷ったらしい。


「承知いたしました、書庫はこちらです。」


エヴァリスはソアルに微笑むと書庫までの道を歩き出す。階段を降りいくつか角を回れば書庫への案内板が見えてきた。「あの角を曲がって右です。」エヴァリスが書庫を指さすとソアルは「世話になった。」とぶっきらぼうに礼を告げるとエヴァリスを置いてスタスタと歩いていく。


離れた場所からその姿を見ることはあったが、まさか話す機会が来るとは驚きだった。

「なんだか嵐のような人だな。」


それにしてもソアル付きの人間が見当たらないのは少々気になるが…。案内を終え安堵したエヴァリスがもと来た道を戻ろうとすると、ソアルはスピードそのままエヴァリスが示した方と反対の左の角を曲がった。



「あの!お待ちください。」


慌てて追いかけ声をかけると、ソアルは呼び止められ怪訝な表情を浮かべた。


「申し訳ありません。書庫は反対側です。」


「…チッ。分かりにくいな。」


ソアルはそう言うと翻し反対の道を歩き始める。が、暫く歩くと立ち止まりそのまま動かない。

もしかしてこの方…。エヴァリスはその様子を見て確信する。やはりソアルは勢いよくエヴァリスの元に戻って来ると小さい声でごにょごにょと喋った。


「…れ。」


「はい?」


「扉の前まで案内してくれ。」



『ソアル様は方向音痴なのですね。』


とは口が裂けても言えない。


「分かりました。扉までご案内いたします。」


エヴァリスは嫌な顔一つせずにソアルを書庫の扉まで案内した。エヴァリスの後に続いてようやく書庫に辿り着いたソアルはその部屋に足を踏み入れると、ハレオン一の所蔵数を誇る書庫に「凄い…!」と感嘆した。


いくつもある棚を見ては「これもある。」「ジプナルでも廃盤になっていたのに。」と急に饒舌になっては、まるで宝の山に出会ったように目を輝かせた。先ほどのまでの野良猫状態は息をひそめ、そのギャップに驚きエヴァリスが目を丸くしていると、それに気付いたソアルは鋭くエヴァリスを睨んだ。



「いつまでいるもりだ。用が済んだのだから持ち場に帰れ。」


「でも、お一人では…。」


自室まで帰れないでしょう?エヴァリスは全てを口にしなかったがソアルはその後に続く言葉を理解したのだろう。グッと声を出すと「あんた、おせっかいだな。」そう大きな声で返すと、またスタスタと書庫の中を歩き始めた。


『もう!お姉さまったら口うるさくしないで!!』

似ている…。幼少期のエルメルダに。過去の思い出と重なりエヴァリスから笑みがこぼれた。


それからすっかり本に集中し始めたソアルは、エヴァリスの事はお構いなしに手に取った本を読みふける。

しかしその姿を見たエヴァリスは驚きを隠せなかった。何故ならソアルの本を読む速度が尋常ではないほどに早かったからだ。ソアルは本を一冊パラパラと捲ると直ぐに次の本を手に取るとまた同じように何度かページを全て捲っては横の机に本を置く。あっという間にソアルの横には本の山が生まれ始めた。


「すみません…。」


エヴァリスが声をかけると、ソアルはエヴァリスの方には目もくれず本を読み続ける。


「そんなに短時間で内容は分かるのでしょうか?」


エヴァリスの質問にソアルはようやく面倒くさそうに顔を上げると「問題ない。」と一言。


ソアルの言ったことが真実なのか戯れなのか…。エヴァリスには見分けることは出来なかった。自身に疑惑の目を向けられているのを察したソアルは、エヴァリスを指で呼びつけると自身の前に座らせた。そして今読み終わった本をエヴァリスに寄越すと次の本を手に取る。


「597ページを見ろ。」


「はい…。」


エヴァリスは言われた通りに、ソアルから差し出された本のページを開いた。ソアルは呼んでいた本から目を離すとエヴァリスに開かせたページを読み上げる。


『孤独にも似たその感情をエルプランティアは未だかつて経験したことは無かった。にれの木のように真っすぐと伸びるその感情は彼の心をどうしようもなく埋め尽くす。それはまさに初めての経験だったに違いない…。』



一言一句違わず暗唱して見せたソアルに、エヴァリスは「凄いです!」と興奮したように手を叩く。

気をよくしたソアルはふっと鼻で笑うと「だから言っただろう。」と答えた。


「次、843ページ。」


エヴァリスが指定されたページを開くと、またしてもソアルはそのページの全てを暗唱して見せた。エヴァリスは今まで見たことのない能力に大きな感動を覚えた。たくさんの人から同じ反応をされているソアルは気にする様子もなく大きな欠伸をひとつ。


「どうして文字を読んだだけで暗記できるのですか?」


「さぁな、物心ついた時からそうだった。人は皆「霊力だ」なんて祭り上げるがなんてことない。曾祖父も同じように一度見ただけで本を覚えていたらしい。」


ソアルは幼い時からひねくれもので人間関係と呼ばれる類があまり上手くなかった。否、興味がなかったと言った方が正しいのかもしれない。しかし彼の知識はとても深くその言葉の通り一度活字で読んだものは基本的にすぐに覚えてしまうのだという。

そうなのですね!エヴァリスはソアルの話を聞きながらふと疑問に思った。


「ではどうして道は覚えられないのですか?」


それを聞いたソアルは無言で本を閉じるとエヴァリスの目をじっと見つめた。しまったと思った時にはすでに遅し、エヴァリスは慌てて自身の口を抑えると「申し訳ございません不敬でした。」と平謝りした。


「…知らん、それも気づいた時にはそうだったからな。文字なら記憶できる。」


一国の王子にとんでもない失言をしたと冷や汗をかいたエヴァリスだったがソアルは特段機嫌を損ねたわけでもなさそうだ。その後も同じスピードで読み進めるソアルを見ながらエヴァリスはほっと胸をなでおろす。



「どのような本がお好きなのですか?」


「好みは特にない。読めば読むだけ知識になる、ただそれだけだ。」


「物語も読まれるのですか?」


「そんな他人の思い描いた絵空事など興味はない、私が読むのは歴史書や様々な知識が得られるものだけだ。」


そうなのですね…。

エヴァリスはその言葉を聞いて心の中で勿体ないと落胆する。

しかし、何かを思いついたように静かにその場を離れると暫くして手に一冊の本を抱えて戻ってきた。

それをソアルの前に差し出せば、エヴァリスが手にしている本を一瞥し「興味ない」と即答した。


「私のお勧めの本です。」


「頼んでないし、あんたの嗜好に興味はない。」


「物語は確かに空想の話ですが、その中にも学ぶべきものがたくさんあります。何に価値を見出すかはその人の思いや思考が決める事です。学ぼうと思えば目の前に咲く花からもたくさんの事を知ることが出来ます。」


エヴァリスが穏やかにそう言うと、ソアルはエヴァリスにグイッと顔を近づけた。淡いバイオレットの瞳はまるでエヴァリスの心を読むかのように真っすぐにその目を見据えた。その目の中にキラキラと星が瞬き煌く。


「俺に説法を説くような女はお前くらいだな。他の人間なら心の中でどんな悪態をつこうとも、剣で首をはねられると死んでも言わないだろう。」


「説法ではなく、あくまでご提案です。」


幾多の魔物を相手にしてきたエヴァリス故、その目が揺らぐことはない。先に目を逸らしたのはソアルだった。

面白くなさそうに顔を離すと、エヴァリスが持っている本をひったくり無言で読み始めた。そしてパラパラと捲ると「面白くない。」と言って本を突き返す。残念そうに肩を下げたエヴァリスをちらりと見ると、ソアルはふっと一瞬だけ、笑みをこぼした。


「違うものにしろ。」


ソアルはエヴァリスに向き直るとそう言って机に頬杖をついた。その言葉を聞いてエヴァリスは驚いて顔を上げる。


「えっ?」


「あんたが選べ。好きなもので良い。」


エヴァリスは顔をほころばせると「お待ちください。」と急いで本を探しに行った。結局その日、ソアルのお眼鏡にかなう本は見つけられなかったわけだが、その後も何冊か持ってきたエヴァリスの本に素直に目を通しては意見を返す姿を見てジプナル国の人間はさぞ驚くだろう。


冷酷非道。無駄なものは容赦なく切り捨て、誰にも心を開かないと有名なソアルが誰かと長時間会話をすること自体とても珍しい事だった。


その後、しっかりとソアルを自室まで送り届けたエヴァリス。

この日を境にソアルは書庫に通うようになった。話してみれば、ソアルは嘘のつけない真っすぐな性格であることが分かった。ただしその言い回しは実にストレートで語気が強い。しかしエルメルダの罵詈雑言に慣れているエヴァリスにとっては問題ない。最近では来る時は必ず護衛が付くものの、エヴァリスが書庫に顔を出す際は決まってエヴァリスがソアルを部屋まで送り届けている。


当の本人は全く思っていないが、いつしかソアルはエヴァリスにとって、セオリア以外に初めての書庫仲間になっていた。そしてソアルもまたエヴァリスと過ごす時間を悪くないとそう感じ始めていたのだった。


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