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29 蝕まれるエルメルダ

「きっとその方は、セオリア様を愛しておられたのだと思います。」



その言葉にセオリアは本から目を上げる。目を伏せたまま、エヴァリスの目からはとうとう一筋の涙が零れた。ひとつ、言葉にしてしまえば気持ちは涙と共に溢れ出て心を満たす。



「人生で一番寂しい時に、セオリア様からいただいた愛がきっとその方をお守りされたのだと思います。」


「エステル?」


「セオリア様がほほ笑んでくだされば、その方はそれで幸せなのだと思います…それだけで生きていけるのです。」



(今、この瞬間も)


だから泣く資格なんてない。自身が望んだことなのだから。

あの絶望の継承式も、そして今までもセオリアと敢えて距離を取りながら感謝の気持ちを忘れた事は無かった。エヴァリスにとってセオリアが幸せでいてくれることは生きる希望だった。


「申し訳ありません出過ぎたことを言いました。」



慌ててその涙を拭きながら笑ってごまかそうとするエヴァリス。

しかしその時、涙を流すエヴァリスの身体がふわりと傾き、目の前にセオリアの胸が広がった。懐かしい彼の香りに驚いて身じろぐエヴァリスを、セオリアは優しく自身の腕の中に包み込むと柔らかく拘束する。


「どうしてか、君といるとエヴァリスを思い出す。」


「セオリア様…。」


「可笑しいだろう。自分でもそう思っている。君はエステル・マゼンタで、教会で拾われた孤児だ…そうだろう?」



自身の跳ねる心臓の音が、エヴァリスが必死に守ろうとしている嘘を暴きやしないかと恐怖する。



「はい、さようでございます。私はセオリア様が探しているそのお方ではありません。」



暫くすると、セオリアの小さいため息と共にエヴァリスはゆっくりとその甘い拘束を解かれた。



「すまない忘れてくれ。」




セオリアはそう言ってほほ笑むと、エヴァリスの頬についた涙を優しく拭う。びくりと身体を揺らせば、エヴァリスを見つめるセオリアのマリーゴールド色の瞳が射抜くようにエヴァリスを捉える。



「エステル、君のことは私が守る。何かあったら必ず教えてほしい。」



必ずだ。

まだエヴァリスの頬に手を添えたままセオリアは懇願するように念を押す。

このマリーゴールドの瞳に捕らえられ、首を横に振る自信は持ち合わせていない。

エヴァリスは静かに頷きを返す。



「分かりました、何かあればセオリア様にお知らせいたします。」


「あぁ、そうしてくれ。」



少しの間お互いに見つめ合っていたが、不意に空に上がった色付きの空砲の音に驚き空を見上げる。わぁーと歓声が上がると二人はふふっと笑い合った。その後、エヴァリスはセオリアにも用事があったことを思い出し、慌てて尋ねればセオリアは「既に済んだから問題ない。」と答え隣にあった出店へと歩き出す。


二人はしばらくの間、ゆっくりと歩きながら市場を見て回った。隣国から取り寄せた茶器や、装飾品などを見ながら産地や調度品の歴史をセオリアが楽しそうに話すのをエヴァリスも喜んで聞き入る。



「つまりは、このまま掘り進めるとあと数十年ほどで採れなくなるという事だ。」


「なるほど…ハレオンで生産できる物とは色が若干違いますね。この様な模様は見たことがありません。」



エヴァリスがセオリアから手渡された茶器をじっくりと眺めていると、影で護衛をしていた騎士がそっとセオリアに耳打ちをする。それを聞いたセオリアは分かったと答えると、エヴァリスに声をかける。



「すまないエステル、城に戻らねばならない。帰りは護衛をつけるから気をつけて帰ってくれ。」


「お気遣いありがとうございます。でも大丈夫です道はもうわかりましたから。」


「良いから。ガイデンを呼んである、直にここに来るだろう。」




何故ガイデンを?



「ガイデンに使いを頼むから一緒に市場を回ると良い。」


「それはつまり…。」



まさかセオリアは自分たちに気を使ったのでは…。と愚かにもある考えが頭をよぎる。自身の護衛にあたっている騎士にガイデンが到着するまでここでエヴァリスと待つように告げたセオリアは城に戻ろうと踵を返す。



「お待ちください、セオリア様。実は…。」


「市場の出店が決まり良かった、近々教会に顔を出す。」



また会おう、とセオリアはエヴァリスに告げると人ごみの中に姿を消す。その姿を見送りながらエヴァリスは大きくため息をついた。彼が自身のために色々な事で手助けしてくれている中、エヴァリス不敬にも嘘ばかりついていると項垂れる。違う名前で、違う人のふりをして、セオリアに見つからないように隠れて生きることしかできない自分が無性に情けなく思えた。




暫くして急いでやって来たガイデンは、落ち込むエヴァリスの様子に何かピンと来たのか近くのテラスにエヴァリスを促すと椅子に腰かけた。



「なるほどね、それで罪悪感で凹んでいると。」


「うん…。勝手に嘘ついて、それで落ち込むなんて自分勝手だなと思うんだけど。」


「そもそもさ、お前って昔からセオリア様のことが好きだったんだろう?」



あわや飲みかけていた紅茶を吹きだしそうになり、エヴァリスは慌てて咳き込む。いきなり爆弾を投下した張本人はにやにやと笑いながら頬杖をつく。



「何年隣にいると思ってんだよ。あれだけずっと目で追っていたら嫌でも分かる。」


「ちょ、ちょっと待って。違うから!私はセオリア様のことを大切に思っているけど、それは友達…というか家族として…だけでもなくて。」



最もらしい言い訳を連ねながらエヴァリスの声は段々と小さくなっていく。

これ以上こじ開けないで欲しい。と顔に書いてあるエヴァリスを見てガイデンは穏やかにほほ笑む。



「別に良いだろ、誰でも持ち合わしている感情だし。」


「いやそれはそうだけど…。」


「言っておくが恋愛感情は意固地になっても消えないぞ。早く認めた方が良い。」



認めたところで、この感情の行き場がないことは幼い頃から自重している。そう思ったからこそエヴァリスは自らセオリアとの間に太く長い線を引いたのだ。線を越え感情が動けばセオリアに迷惑が掛かる。そもそも彼はこの国の王子であり、彼の婚約者は幼い頃からエルメルダ以外にあり得なかった。



「私はただ、セオリアに幸せになって欲しかったの。いつか…、小さい頃の夢だった誰もが等しく幸せになれる国の王になって笑ってくれさえいればそれで。」



エヴァリスもセオリアの心を自身に向けたいと、そんな身の程知らずなことを望んだことはない。賑やかな声がどこかしこから広がる中、カップに注がれていた紅茶はいつしか冷め、エヴァリスは膝の上で手の指を擦る。ガイデンはエヴァリスの言葉を聞くと何度か頷き、大きく伸びをした。


「俺はエヴァリスを応援するよ。別に友達だしごまかす必要なんてない。」


「そうね、もう全部バレてしまったし…。ガイデンありがとう貴方はいつも私の心が分かるのね。」


「まぁ長い付き合いだし、それに案外エヴァリスの考えていることは分かりやすい。直ぐ顔に出るからな。」



そんなに顔に出ているかしら。と少し心配そうなエヴァリスを見てガイデンはけらけらと笑って見せる。

内心一体誰に向かって話しているのか…。エヴァリスに伝えた言葉をそのまま自分にも返してやりたい。ガイデンは名前を付けるつもりのなかった感情にそっと蓋をする。



「エヴァリスが幸せなら、俺は幸せだから。」


「私も同じよ、ガイデンが幸せなら私も幸せだもの。」



そう言いながら花が咲いたように笑うエヴァリスを見てガイデンは再度心に決めた。きっとエヴァリスの事だから自身の口からセオリアに真実を伝えることはできないだろう。然るべき時が来たらその時は…。


「もう少し見てから帰るか?」


「うん、私子どもたちに使う鉛筆を買いたいの。」


「分かった。じゃあ行こうか。」



エヴァリスとガイデンが、買い物の続きをしにテラスを後にする。


その時、物陰から二人の様子を陰から見ていた男が姿を現した。話し込んでいるエヴァリス達はその人物に気づく様子はない。男は王宮に戻ると、主に報告をするため静かに部屋のドアを開けた。



「…というわけです。以前パーティーでセオリア様と言葉を交わしていた女でした。」


「ふーん、そう。何とも身の程知らずの女ね。」



エルメルダは、メイドに自身の爪を磨かせながら優雅に足を組む。ここの所、セオリアはエルメルダの元に姿を見せなくなった。表向きは公務としているが、そもそも外交時の食事会や視察など以前ならエルメルダが同行していたあれこれも全くと言っていいほど声がかからない。


やっと先日、廊下ですれ違ったものの「修行にいそしむように。」とほほ笑まれただけで、新しく用意させた最新のドレスにはめもくれず。呆けるエルメルダと最低限の言葉を交わし、セオリアは足早にその場を去ってしまった。


「にもかかわらず何処の馬の骨かも分からない女と市場の視察に行くわけね。」


エルメルダがハッと鼻で笑うと、部屋にいたメイドが何人かびくりと肩を揺らす。エルメルダの癇癪で自分たちの方に何かが飛んでこないかと怯える姿に気づくことなくエルメルダは苦々しく眉間のしわを深くする。


「聖女様…。」


「その女の素性を調べて報告して。平民の分際でセオリア様に色目を使うなんて…勘違いした罰を与えないとね。」


「承知いたしました。」


男は短くそう答えるとそっと部屋を後にする。エルメルダはピカピカに磨き上げられた自身の指先を眺めると、「もう良いわ。」と手を振り人払いを行った。


巻き込まれないうちにと皆すごすごとエルメルダの部屋を後にする。周りに誰もいなくなったことを確認するとエルメルダは自身の寝室に足を運んだ。壁に手をかざせば魔法に反応して壁の模様が変わりドアが一つ浮かび上がる。それはエルメルダにしか辿り着くことのできない秘密の隠し扉であった。ドアを抜け階段を降りると小さな小部屋の中に一人の少年が魔法陣の上で小さく蹲っているのが見える。



「流石ね、貴方の魔法のおかげで私の魔力が強まっているわ。」


「母さんに、母さんに会いたい。」


「言ったでしょう?ここから逃げたら家族への支援を打ち切ると。お前にはこれからも私のために働いてもらうわよ。」



永遠に。

悪魔のような微笑みに子どもの喉がヒュッと音を立てる。エルメルダは大きな声で笑い声をあげると、踵を返し魔法でドアに鍵をかける。叔父が秘かに連れて来た子どもは近年稀にみる魔力の高い子であった。貧困層で生活していた故、子どもの存在を知る者はそれほど多くなかった。

叔父キースの甘くも有無を言わさぬ言葉に家庭環境から思ったように学校に通わせることが出来なかった両親は息子のためならばと苦渋の決断で我が子を手放す決意をしたのだ。



「寂しがりやな子です。あの子は祭司の学校で上手くやれているのでしょうか?」


「あぁ、心配することはない。エルメルダ様の配慮で特別な教育を受けておる。将来はこの国を背負う優秀な神官になるであろう。」



黒い笑みを深める叔父のキースの言葉を聞き両親は喜びながら何度も頭を下げる。その愛息子が宮中に囚われていることはエルメルダとその家族以外に知る者はいない。



「でもそろそろ、こんな場所にいるのも限界ね。」



エルメルダはあるたくらみを企てていた。ここ最近エルメルダの聖女の力は安定して力を高まっていると専らの噂だった。数か月後には国の建国を祝う行事が行われることになっておりその際に、祭司見習いのあれを使いエルメルダの力を今一度国中に知らしめることで、次期女王としての地位を確固たるものにしようと画策しているのだ。


その為には未だかつて使用したことのない魔力を必要とする。そしてその力は祭司見習いだけではまだ不十分であった。魔力の力を増強させるにはそれ相応の対価を支払わなくてはならないが、しかしエルメルダは自身から捻出する気はさらさら無い。この世のすべてを手にするエルメルダへと天から都合の良い人間が用意されたのだから。


「あの身の程知らずの女を使えばいいわ。」


自分の命が聖女エルメルダの糧になるのなら本望であろう。罰というより寧ろ誉れである。

エルメルダがくるくると回りながら歌を歌う中、手の先から徐々に広がってきた黒い煙はとうとうその足元にもまとわりついていた。


『これで良い。』

「これで良いのよ。」


『お前は既に』

「セオリア様はこれからも永遠に」


『『私のもの。』』


黒い影はエルメルダの肉体を徐々に蝕み、その力を静かに巨大化させていたのだった。


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