28 募る思い
「エステル、これ食べてみて。」
エヴァリスは、まだほんのりと暖かさが残るレモンケーキを手に取ると一口齧る。ほろ苦いレモンピールが入ったケーキは口の中で甘酸っぱく広がりほどけた。レモンケーキを焼いたフィーナに美味しいと頷きながらもう一口。
「凄いわ、フィーナ焼き加減も完璧よ。」
「そりゃこれでご飯を食べているからね。」
「これなら売れるわ!今度のメニューに入れましょう。」
教会のみんなはニコニコと出来立てのケーキを試食する。教会の中で育てていた作物が安定して収穫できるようになり、エヴァリス達は手作りの菓子を自分たちで販売できないかと考えたのだ。街で菓子店を営むフィーネに声をかけたところ試しに店内の一部を間借りし商品を置いてもらえることになった。
「試食だけでお腹がいっぱいになりそうです。」
「ライラ、これも食べてみて!ベリーのタルトは子どもでも食べやすいと思う。」
教会はここ数日、甘い香りが立ち込め子どもたちはそわそわとケーキが焼き上がるのを今か今かと待っている。焼きたてのケーキを少しずつ分けながら嬉しそうに頬張る姿を微笑ましく見ていると、エヴァリスはシスターから声をかけられる。
「エヴァリス、祭司様がお見えになったわよ。」
「分かりました今行きます。」
今日は祭司の視察がある日だった。エヴァリスは事前にヴァレリーを通じて、教会で育てた作物を他の場所でも消費できないかと相談を持ち掛けていた所だった。エプロンについた粉をはたき、急いで教会に向かうと教会の入り口では祭司と共に話すセオリアとガイデンの姿も見えた。
「皆様、ようこそお越しくださいました。」
「久しぶりだなエステル、皆の貢献は祭司やガイデンから聞いている。作物がたくさん実ったそうだな。」
「はい、まだこれからですが大きくなれば飢える人々に、新しく働ける場所が提供できます。」
「エステル殿、貴方の日々の真心と努力に感謝していますよ。」
エヴァリスが祭司の言葉に「いえ、そんな…。」と恐縮すれば、セオリアはそれを見てほほ笑む。祭司はセオリアに作物が販売できそうなルートの説明をしていると、ガイデンがふとエヴァリスの頬に目を止めた。
「エステル、粉がついてる。」
「えっ?どこ?」
「違う、左。」
小声で指摘されるも、なかなか汚れが取れないエヴァリス。ガイデンは仕方ないな…というと自身の手でエヴァリスの頬についた粉をぬぐう。
「お前は子どもか。」
「ごめんね、急いで来たから。」
申し訳なさそうにありがとうと伝えるエヴァリス。その様子を、祭司の話を聞きながら目の端で見ていたセオリアは、恋人の様にほほ笑み合う姿にそっと目を伏せた。
「セオリア様、どうかいたしましたか?」
「いや、何でもない。」
セオリアはそういうと、エヴァリスを見て声をかける。
「エステル、王宮の近くの広場で市場が定期的に開催される。そこで一度、作物を販売してみよう。流通の幅が広がるかもしれない。」
「本当ですか?」
「セオリア様それは良いお考えです。では、先ずエステル殿に市場の主催者を紹介しましょう。」
是非お願いします、とエヴァリスは喜んでお礼を伝える。もし市場で販売することが出来ればより多くの人々に知ってもらえる良い機会になる。
「では決まり次第連絡いたします。」
「分かりました、お待ちしております。」
その数日後、祭司からエヴァリスに手紙が届き次回開催される市場で主催者のバーナーと会うことが出来るようになったと伝えられた。
市場の当日。王宮前の広場はたくさんのテントが軒を連ね、食器や木材を始め様々なものが売られていた。先を急ぐエヴァリスだったが、見たことのない果物や、古本など目移りしてつい足が止まってしまう。いけない、先ずは目的地につかなければ…。誘惑を振り払うように首を振るとポケットから祭司から送られてきた手紙を取り出す。
「確か、バーナーのお店は…。」
手紙の中に入っていたメモを見ながら歩いていると、前から来た人と肩が擦る。
「すみません。」
「お嬢ちゃん、下見ながら歩いたら危ないよ。」
慌てて謝るも、先を急ぐ商人はそう言いながら人ごみの中に消えていく。どうやらこの場所は人気の店が並ぶ一等地らしい。とりあえず、どこかで地図を確認しようと辺りを見回すも、前にも後ろにも進む列が途切れず人が行き交い身動きが取れない。どうしようかと困惑していると、ふいに横から伸びてきた手がエヴァリスの腕を引き寄せた。その姿を見てエヴァリスは目を見開く。
「こんな所で止まったら危ないだろう。」
「セオリア様!?」
驚いて大きな声を上げるエヴァリスに、セオリアは「静かにしろ」と人差し指を口に当てるとエヴァリスを連れて人ごみをかき分けテントの裏に場所を移す。どうやらお忍びの服装で市場に来ていたらしいセオリアは目立たないように帽子を目深に被りながら辺りを見る。
「あ、ありがとうございます。でもどうしてセオリア様がここに?」
「今日はその…市場の視察だ。たまたま歩いていたら君が道の真ん中で右往左往しているのが見えたから。」
「そうだったのですね。すみませんご迷惑をおかけしました。」
エヴァリスはそういうとセオリアに頭を下げる。まさかこんな場所で彼に会うと誰が予想したであろうか、視察の邪魔にならないように早々に立ち去ることを選択する。それではこれで…とその場を後にしようとすると、セオリアは慌ててエヴァリスを引き留める。
「バーナーには会えたのか?」
「いえ、今探しているところです。酒を取り扱っているとお聞きしているので。」
「それならこちらだ、ついてこい。」
お待ちください!セオリアがそういうと、エヴァリスは咄嗟にセオリアの腕を掴む。驚いたセオリアが振り向けばエヴァリスは、すみませんと手を離すと一歩距離を取る。
「も、申し訳ございません。大丈夫です、地図がありますから自分で探せます。それに視察のお邪魔になりますから。」
「問題ない、私もそちらに用がある。行く場所は同じだ。」
「でも…。」
申し訳なさから渋るエヴァリスを見て、セオリアはふっと息を吐くとそんなに怖いか…と困ったように笑った。何故かその顔を見たエヴァリスの頭にマリアンナの試験の際にダンスを踊ったときの景色が仄かに過る。
「分かった、無理して一緒に行く必要はない。少し気になっただけだ…気をつけて行け。」
セオリアはそう言って、エヴァリスに告げると踵を返す。
「あ、あの!行きます。」
大きな声を出せば、セオリアは静かにエヴァリスを見つめる。勢いで引き留めてしまったものの、その後のことは正直あまり考えていなかった。
「ご、ご迷惑でなければ。」
「そうか…ならついてこい。」
「はい。」
セオリアはそういうと再び歩き始めた。目的地まで迷うことなく歩き続けるセオリアの後を追いながら、エヴァリスは市場の中を歩き続ける。時折後ろからついてくるエヴァリスを確認しては、セオリアは速度を緩めていたが、度々人にぶつかりそうになるエヴァリスを見て立ち止まる。
「セオリア様どうされましたか?」
「危なっかしいから私の腕に掴まれ。」
「はい?」
ポカンとしたエヴァリスの手を引くと、セオリアは自身の腕にエヴァリスを絡める。驚きのあまり固まったままのエヴァリスを連れてセオリアは先を進み始めた。セオリアが人ごみを避けながら歩く横でエヴァリスが耳を赤く染めるのをちらりと横目で見ていたセオリアは静かに口元を緩める。
「あの、セオリア様?」
「もうすぐだ、あの角を曲がったら見える。」
エヴァリスの困惑に気づかないふりをしながら、セオリアは目指していたテントにバーナーの姿を見つけると声をかける。
「バーナー、教会からの参加希望者を連れて来た。」
「セオリア様!?…このお嬢さんと一緒にいらっしゃったのですか?」
王子直々に?珍しそうにエヴァリス達を交互に見てバーナーは何かに気づいたように目を細める。バーナーは恰幅の良い壮年で、平民ながらこの地区の復興に一役買い、あらゆる人脈を持つ男であった。エヴァリスは慌ててセオリアの腕から離れると、バーナーに頭を下げる。
「初めまして、エステル・マゼンタです。本日はお時間をいただきましてありがとうございます。」
「あぁ、祭司から話は聞いているよ。あの廃れて手が付けられなかった教会がここまで発展するとはね…正直驚いたよ。」
「皆の努力のおかげです。それで…次回の市場でテントを一つ間借りできないでしょうか?教会で作った菓子を販売させていただきたいのです。他にも菓子店での販売も計画しています。」
エヴァリスの話に耳を傾けていたバーナーは、そんなことならお安い御用だと快く承諾する。次回開催される市場の一部を教会用に提供してもらえることになり、街の掲示板にも案内を張り出してもらえるとのことだった。
「ありがとうございます。御心遣いに感謝申し上げます。」
「いやいや今回はセオリア様たってのお願いですから。人気の場所をおさえますから楽しみにしていてください。」
「セオリア様…そうだったのですか?」
エヴァリスがセオリアに尋ねると、何も言わずにただ頷くのみだった。バーナーはその後、市場に参加するための申請手続きのやり方や当日に用意しておいた方が良いものを丁寧に教えてくれる。それを聞きながらメモを取り質問を繰り返すエヴァリスの様子を見て、セオリアは秘かに優しくほほ笑むのだった。
「では、参加申請は後日お願いします。説明はこれで全部終わりましたので、是非市場を見て行ってください。」
「ありがとうございますバーナー、またよろしくお願いいたします。」
「いえいえ、私は楽しそうなセオリア様が見られて嬉しゅうございます。」
その言葉を聞いたセオリアは、何故か小さく舌打ちをすると「世話になった。」と一言だけ告げ、エヴァリスを引きずってその場を後にする。お待ちくださいと慌ててバーナーに礼を伝えると、バーナーはニコニコしながら手を振った。
相変わらず無言のまま、セオリアの腕に絡まったままエヴァリスは市場を歩く。ちらりと隣のセオリアの顔を見るが、その表情は特に怒っている様子はない。言葉は交わさないもののそこに居心地の悪さを感じるわけでもない。どこかゆっくりとした歩幅で歩くセオリアと共にエヴァリスはキョロキョロと市場を見て回っていると、ふと先ほどの古本屋の前で足を止める。くんっと引っ張られ「ごめんなさい。」と謝ればセオリアは古本に目を向ける。
「本が見たいのか?」
「はい…、いやでも良いです。またの機会にします。」
「別に好きなら見れば良い。」
そういうと、セオリアは古本の積み重なったテントに優しく促す。エヴァリスはありがとうございますと言うとテントの中に積まれたたくさんの本を見て顔をほころばせた。以前王宮の書庫にあったが読み損ねたものがある。幾つかを手に取りパラパラとページをめくると、セオリアがエヴァリスの読んでいる本を覗き込む。
「…君はルーブルシュ語が読めるのか?」
「えぇ、以前学習したことが…。」
エヴァリスは素直に答えようとして慌てて口を閉じる。ルーブルシュ語は、セオリアと共に王宮のメイド長のマリアンナから教わったものだ。王宮で外交関連の職務についているわけでもなく、ましてや一平民が知るにはいささか不可解な代物である。途中で話すのをやめたエヴァリスを、セオリアは黙って見つめる。
「ヴァレリーの部屋で書籍を見たことがあります。学習したと言ってもほんの一部です。私には難しすぎて理解できませんでした。」
「そうか…。」
セオリアはそう呟くと、エヴァリスから本を取ると表紙を見る。
「『永遠の思い人』という本だ。私も昔この本を王宮の書庫で呼んだことがある。エヴァに…、ある人に読んでもらいたかったのだが…。ついに叶わなかったな。」
セオリアは穏やかにほほ笑みながら、寂しそうに本を撫ぜる。その様子を見ていたエヴァリスはそっと目を伏せるとセオリアに静かに声をかける。
「それは…どのようなお話なのですか?」
セオリアは、ページをくり目当ての文を見つけると声に出して読み始める。
『君が泣いて湖が出来たら僕が船を作ろう。その涙が枯れて湖が干上がったら僕が花を植えよう。僕の優しさはいつも回り道が多いけれど、きっと君ならほほ笑んでくれるだろう。』
「傲慢だろう。彼女なら、エヴァならきっと不器用な私の気持ちを理解してくれるだろうとそう思っていたんだ。」
「セオリア様…。」
「子どもだった故に彼女が一番苦しい時に私はただ見ている事しか出来なかった。自分が動くことで彼女に危害を加えられることが怖かったんだ。」
そんなことはありません…。と心の中で呟きながら、エヴァリスはただ首を振りながら涙が零れないようにじっと耐える。子どもの頃のエヴァリスなら、「そんなことない。」と直ぐにセオリアを抱きしめていただろう。
どこまでも優しいこの人は、今でもこうしてエヴァリスを思い掬い上げてくれるのだと。




