24 悲しみのラベンダー
浄化の光で流れ込んできた記憶の中にエヴァリスはとうとう探し当てた。
「サミュエル、貴方だったのね。」
サミュエルは血の気がない顔のまま何も答えない。
以前教会で聞いた話に出てきたサミュエルの純愛の話には続きがある。
「あなたは彼女の死後、毎日花を贈っていたわけでは無かった。そうではなくて亡くなったことを知らなかったのね。」
『…亡くなった?』
「えぇ、彼女は亡くなった。随分前から病を患っていた、そうでしょう?」
『違う、アメリアは来る。必ず来ると約束したんだ。』
表情と声音は変わらないものの、サミュエルのまとう闇は色を増しその周りには稲妻が走る。
(サミュエル、私ね…。)
アメリアの笑顔がエヴァリスの頭の中に入り込む。
◆
これはまだ、皆がサミュエルの純愛を知る前の話…。
サミュエルは十六歳の青年だった。彼の家は牛飼いを商いにしていて、両親はともに朝から晩まで子どもよりも牛の世話の方が忙しかった。三歳上の兄と共によく仕事の手伝いをさせられていたサミュエルだったが彼は昔から動物が好きではなく、手伝いを度々放り出しては大好きな絵をかくのに忙しかった。
いつものようにお気に入りの川べりに座りながら、景色を描いていたサミュエルのキャンバスに誰かが影を作る。
「ねぇ、何を描いているの?」
「…別に。」
小奇麗なワンピースに身を包んでいた少女を見て、気取った令嬢の冷やかしだと思ったサミュエルはぶっきらぼうに返事を返す。少女はそんな様子を気にも留めず、サミュエルの周りに散らばった沢山のスケッチをニコニコしながら眺めると、ドレスが汚れるのも構わずにすぐ隣に腰かけた。
「あなた、人の絵は描かないの?」
「おい、勝手に座るなよ。」
「ねぇ!私の絵を一枚描いてくれない?」
「はっ?あんたの絵を?」
目をキラキラと輝かせて何度も頷くアメリアは、さぁどうぞ!というとサミュエルの前に移動して座り直す。厄介な子どもに掴まったものだ…。せっかくの絵の時間を中断されてサミュエルはイライラしたように頭をかく。
「あのね、僕はタダで絵を描かないよ。金貨三枚をくれたら描いてやるよ。」
「金貨三枚?…私お金は持っていないの。」
「なら諦めるんだな。ほら邪魔だからそこをどいて。」
少女は悲しそうな顔を浮かべて黙り込む。はなからお金をもらいたいなんて嘘っぱちで、目の前の少女が諦めてくれさえすればそれで良い。それに金貨三枚なんて大金、家で何時間働いたってもらえない金額だ。
しばらく考えると、彼女は思いついたように自身の頭につけていた髪飾りを外し、サミュエルにずいっと差し出した。
「お金はないけどこれはあるわ。宝石がついているからそれなりの金額になると思うの!これでどう?」
「…お前、よほどの世間知らずだな。そんなんじゃ、直ぐ悪い奴に騙されるぞ。」
「でも貴方が言ったのよ!お金を払わないと描いてくれないって。」
ふわふわの巻き髪を揺らしながら、彼女は不満げに腕を組む。これ以上押し問答をすること自体が面倒くさい。サミュエルはとうとう観念すると、少女が差し出す髪飾りを押し返した。
「もういいから早くしまえって。」
「髪飾りが無くても描いてくれるの?」
「お前と話すのが面倒くさい…そこに座れ。」
「ありがとう!私アメリアっていうの。あなたの名前は?」
「口を閉じてろ。」
項垂れながら絵を描くサミュエルを見て、アメリアは嬉しそうに顔をほころばせる。
数十分後、手渡された自身の似顔絵を見てアメリアは「わぁー!」と声を上げるとサミュエルの絵を抱きしめる。誰かに絵を描いてほしいと頼まれたのは初めてで、あまりの喜びように小恥ずかしい
気持ちのまま咳払いをした。
「もうこれで良いだろう。さぁ早く帰ってくれ。」
「どうもありがとう、私この絵を宝物にするわ。」
アメリアはサミュエルに何度も手を振りながら川べりを後にする。急にきてまるで台風のように去って行った少女の背中に疲労のため息をつく。まぁ良い、やっとこれで静かに絵を描ける。サミュエルはそう言いながらまた続きを描き始める。
だが、しかし。
その数日後。
「おい、何でここにいるんだ。」
「遅かったわね、今日はいないのかと思ったわ。」
つまらなさそうに小石を川にポトンと沈めながらアメリアは、サミュエルの姿を見つけ破顔する。
「だから何でここにいるんだよ。」
「決まっているでしょ、貴方と話に来たのよ。」
僕は話すつもりはない。サミュエルは首を振るとアメリアを無視してスケッチを始める。
アメリアはまたぴたりとその隣に腰かけながら、ポケットから色とりどりのチョコレートの包みを取り出した。
「あげる、この前のお礼よ。」
「いや、いらない。」
「毒なんか入っていないわ、ほら。」
アメリアは目の前で食べてみせると、美味しいと言いながら身体を揺らす。「良いから手を出して。」どこまでも強引なお嬢様にサミュエルが渋々と右手を出せばたちまち右手はチョコレートの山ができ、雪崩の様にいくつかが下に落ちる。その中の一つを口に入れれば食べたことのない美味しいチョコレートの味が口いっぱいに広がった。
「ね!ここのチョコレートが一番美味しいの。きっと世界一の味よ。」
サミュエルの顔から美味しいという感情を読み取ったらしい。アメリアは何故か自慢げにふふんと笑って見せる。その顔がイラつきながらも、どこか可愛らしくてサミュエルはとうとう呆れたように笑ってしまう。
「ねぇ、やっぱりあなたの名前を教えて!今度探す時に名前がわからなかったら呼べないもの。」
「…サミュエル。」
「サミュエル?うん!サミュエル、今度からは名前で呼ぶわ。」
それがアメリアとの出会いだった。彼女はいつも神出鬼没、いつも気まぐれにふらりと現れてはたくさんのお菓子をサミュエルに渡し、会話をすると直ぐに何処かへ行ってしまう。どうやら彼女はいつも少しの間、家族に黙って屋敷を抜け出しやってくるらしい。そんなやり取りが二年程続き、いつしか無意識にサミュエルはいつもの川べりでアメリアと会うことが待ち遠しくなった。
アメリアは身体が少し小さく、自分よりも年下だと思っていたが話を聞けばサミュエルより一つ上の十七歳だという。もともと身体が弱く学校も休みがちだったアメリアは、同年代の友達がおらず家で静かに過ごすことが多かった。
「サミュエル!」
「久しぶり、ここ最近来なかったじゃないか。」
「あぁ…ちょっと風邪をひいていたの。でももう治ったわ。」
そう言ったアメリアは気丈に振舞いながらも、目元にはうっすらとしたクマが出来ていた。少しカサついた唇を見てサミュエルが自身の羽織っていたベストをアメリアの肩にかけると、彼女は頬を染めてサミュエルの肩に寄りかかる。
「この前の話の続きを聞かせて頂戴。」
「あー、僕の父さんと母さんのくだらない喧嘩の理由だろ?あれは結局、父さんが育てている牛に『愛している』と話しかけたら母さんが私にはそんなこと言わないのにって怒りだしてさ。全く見ていられなかったよ。」
「あら、でも愛の言葉を伝えるのって大事なことよ。女性はいつも愛されていることを実感したいんですもの。」
そう言ってくすくす笑うアメリアを見て、サミュエルは彼女にいつもの歌をリクエストする。
サミュエルがアメリアの膝に頭をのせて目をつむれば、上からアメリアの優しい歌声が降り注ぐ。その歌声を聞きながらサミュエルの心はいつも凪のように穏やかになるのだった。
初めて手をつないだ日を。
そして、初めて彼女の頬に口づけした日を。
そのどれもが愛おしく、サミュエルのキャンパスノートはいつしかアメリアの似顔絵で埋め尽くされていた。サミュエルは幸せだった。彼女がいて好きな絵を描く。この世にこれ以上の幸せなど存在しなかった。
しかし、無情にもアメリアの身体は少しずつ病魔に蝕まれていた。
とうとうその日アメリアは杖を突いて川べりまで来た。その姿を見たサミュエルは遠くから歩いてくるアメリアに駆け寄るとおぶったまま止まらずに歩き続ける。
「サミュエル、私これからあまりここに来れないかもしれないの。」
「どうして?僕が君の所まで会いに行くよ。」
サミュエルのその言葉に、アメリアは静かに首を振る。
「私ね、もう長くは生きられないんですって。この前お医者様にそうハッキリと言われたの。」
「そんなの嘘だよアメリア。君の病気は治る、僕がなんだってしてみせる。」
「あのね、自分の身体のことだからなんとなく分かるのよ。」
心配するな。そう口にするものの、震える手で会うたびに心もとなく小さくなるアメリアの身体を、壊さないように抱きしめてサミュエルは嗚咽する。励ましの言葉も、悲しみの言葉もどれもが恐ろしくなって伝えることが出来ない。
「サミュエル、今度私が来る時、声を出せなくなって名前が呼べないかもしれないから…。私の好きなラベンダーの花を持って待っていてね。そうしたらあなたの場所がわかるから。」
「やめてくれ、アメリア。僕を一人にしないで。」
「大丈夫よ、私はまた会いに来るわ。たまに声が掠れるけどサミュエルの好きな歌の練習をしておくわ。」
愛するサミュエル、私の親友。私の最愛の人。
今度会う時に伝えたいことがあるから楽しみに待っていてね。
サミュエルの背中から、アメリアの温もりが消えて久しく、その言葉を最後に彼女がサミュエルの前に姿を現すことはなかった。
サミュエルはその日から幾日も待った。食事も喉を通らず、眠ることさえも惜しく、家族はサミュエルの変わり果てた姿に困り果て祭司の元を尋ねた。
「悲しみを癒すには時間がかかる。」
祭司のその言葉にサミュエルは不思議に思った。待っているだけなのに皆どうして悲しいというのだろう。アメリアは言った「今度伝えたいことがある」と。
いつもの川べりでラベンダーの花を持ち、日が暮れるまでアメリアの姿を待つ。いつしかサミュエルの家の庭にはラベンダーが絨毯のように咲き誇っていた。
数か月がたったある日、一人の男が川べりでラベンダーを持つサミュエルのもとに尋ねてきた。聞けばアメリアの家で庭師として仕えていたという。男はサミュエルの様子を見ると多くは語らず、ただ「アメリア様からお預かりしました。」とだけ言い残してその場を立ち去った。
その手紙を受け取ったまま、サミュエルは中身を読むことが出来なかった。
ただ封筒の中に入っていた硬い何かを取り出せば、それはいつしかの髪飾りだったと直ぐに気が付く。
サミュエルは、その場で膝から崩れ落ちると髪飾りを抱きしめながら声をあげて泣いた。
「アメリア、すまない。」
あまりにも恐ろしくて、君が書いてくれた手紙を読むことが出来ない。
僕はあれから絵が描けなくなった。世界から全ての色がなくなってしまったかのように何も感じない。
皆、もう君が死んだと…受け入れろという。
早く忘れろと迫る。君が何一つ消えないのに、忘れろと簡単に急かす。
サミュエルはその手紙を受け取った後、流行病にかかり誰にも知られることなく自宅で息を引き取った。
最後までアメリアを思い、開けられなかった手紙と共に彼の魂は生を全うした後もさまよい続け、彼女の歌声を頼りに行く当てもなく探していた。
その強い思いが、魔物に取り込まれサミュエルの魂は形を変え、相手を思う強い心に反応しその力を吸い取ることでこの世にとどまっている。指輪を通し令嬢と接触しては、歌声を集めアメリアを探している。




