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10 束の間の逢瀬

へっ?そんな声が出たと思う。

マリアンナとリタールは、それを見ると各々がすっと違う壁に目をやった。

やめてください、お願いだからここでは空気を読まないで。



「セオリア様!!何をなさるのですか。」


「落ちるから大人しくしてて。リタール、馬車を回してくれ。彼女を屋敷まで送る。」


「えっ?セオリア様が送るのですか?いやいやご心配なら私が責任を持ってお送り致しますから…。」




慌てて壁から視線を戻したリタール。お姫様抱っこのまま、いつも冷静なリタールの姿しか見ていないエヴァリスは慌ててセオリアを引き止めるリタールの様子に彼も焦ることがあるのね…なんてことを考えたり。いやそんな場合ではない。




「だ、大丈夫です。家の迎えがありますし送っていただかなくても…。」


「静かに。」




足をバタつかせて降りようと藻掻くエヴァリスに、セオリアがぴしゃりと言葉を口にする。反射的に口を閉じればエヴァリスの顔にセオリアのきれいな顔が近づき、ヴェールの隙間からセオリアの手がエヴァリスの額に優しく当てられる。。



「ほら熱がある。」


「えっ?お嬢様具合が悪かったのですか?」


「違います、もし今熱があるとすればそれはセオリア様のせいです。」






それを聞いたセオリアはぽかんと口を開けると、何故かまた嬉しそうにエヴァリスに微笑む。頭があまり回らないエヴァリスは怪訝な表情を浮かべるが、彼のツボが何処にあるのか皆目見当がつかない。






「しかし、セオリア様直々に屋敷に行かれますと…。そのお嬢様がですね…。」


「では私が同行しましょう。それなら問題ありませんね。」




マリアンナはそう言うとスタスタとホールのドアを開く。

まさかセオリアもマリアンヌがそんな事を言うとは意外だった。




「では、そうしよう。さぁ帰るよ。」


「いや、本当に…。」



もはや強く抵抗する気力のないエヴァリスを抱きかかえながらセオリアはホールを出た。

リタールが頭を掻きながらそれに続く。



はじめは抵抗を続けていたエヴァリスであった。しかし流石に昼夜を惜しんでエルメルダにすり替わろうとしていた代償は大きい。性も根も尽き果てたエヴァリスは、抱きかかえられている間に気を失うように眠ってしまったようだ。






馬車は揺られながらエヴァリスの屋敷を目指す。


ブランケットをかけられたエヴァリスは、セオリアの膝の上に頭を乗せながらやや熱い息を吐く。

彼女を起こさないように、そっとヴェールをめくるとエヴァリスの長いまつげと陶器のように白い顔がはっきりと見えた。その顔を眺めながらセオリアは掌に力を集めると、熱を持つその額に手を乗せて熱を冷やしていく。


マリアンナはセオリアのその様子をチラリと見ながら窓の方に視線を外した。日は静かに傾き遠くの方に夜を知らせる群青が迫る。




「この前会った時から思ったけど顔色が悪かった。今回も随分無理をしたらしい。」


「誰かになりきるという事は、実力の良し悪しとはわけが違います。自身と全く違う要素を持つ人の影となるならなおさらです。」


「…やはり気づいていたんだね?」


「あの答案を見ればわかります。きっとエヴァリス様ならあの程度の問題、本来なら何もせずとも全ておわかりのはずです。しかしあれは完璧にエルメルダ様の解答用紙になっていました。エルメルダ様の思考をよく理解し答えを考えていたのでしょう。」




エヴァリスが少し身じろぎ、少し固いセオリアの膝で一瞬居心地が悪そうに眉をしかめる。セオリアは慌ててやや力を抜きながら愚かにも笑みが零れる。



ほんの少し前。

国中からくる嘆願書、祭司からの催促。

セオリアは首元のシャツのボタンを一つ外すと椅子にもたれかかり天井を見る。



コンコン。

『セオリア様、政務中に申し訳ございません。お耳に入れたいことが…。』

「あぁ、入れ。」



気だるげにそう答えると、リタールが静かにドアを開ける。




「エルメルダ様がマリアンナの試験を受けに宮中に到着されました。」


「あぁ…確かそうだったな。」


「これからダンスの試験を始めるそうですが、お会いになられますか?」




忘れていた。マリアンナの報告からエルメルダがセオリアと踊らないとやる気が出ないと駄々をこねられているということを。女王になるための勉強についてはマリアンナから毎回報告を受けているし、何より彼女の評判はいろいろな場所から情報が集まる。



「いや、いい。この後は騎士団長から稽古をうけることになっている為時間がない。エルメルダによく言っておいてくれ。」


「かしこまりました。」



リタールにそう伝えると、また机に重なった書類を手に取る。しかし、彼が一向に部屋の外に出ないのを不思議に思いセオリアはもう一度顔を上げる。



「リタール、どうかしたか?」


「いえ…。そのエルメルダ様のことなのですが…。」


「また何か怒っているか?」


「いえ、そうではなくてですね…。」




リタールの話を聞いたセオリアは気づけば部屋を飛び出していた。

廊下を走りぬけ、驚いたメイドが声を上げるのも構わずにホールを目指してひた走る。



「目が腫れておりヴェールをお被りだからかもしれませんが今日は何というか…落ち着いておりまして。」


(私の右手に傷があるのを心配してくださったので…。)



勢いよく扉をあけ放てば驚いたように彼女の肩が大きく揺れた。心が早るのを必死で抑え込み、彼女の元へ歩み寄ればそれは徐々に確信に変わる。

いつぶりか…。


彼女に、エヴァリスに触れたのは。




彼女が自分の目を見て、表情を変える。会話ができる。たったそれだけの事がセオリアにとってはただ幸せなのだ。最後に彼女がセオリアに笑いかけたのは気が遠くなるくらい昔のことだ。


ホールで彼女を見た瞬間。思わず駆け寄り抱きしめたエヴァリスの身体はほっそりと、まるで力を込めれば折れてしまいそうにすっぽりとセオリアの胸に収まっていた。




どれだけ必死にエルメルダになりきろうにも、セオリアがエヴァリスを見分けられないわけがない。エヴァリスが誰かに傷つけられることを恐れるあまり、彼女がエルメルダの隣で人形になる姿をずっと見ていることしか出来なかった。例えエヴァリスがセオリアを毛嫌いしていても、命令だと割り切っていたとしても、あの瞬間エヴァリスは自身の腕の中に確かにいた。セオリアは大きなため息を一つ漏らす。


その姿を見てマリアンナは優しく声を掛ける。




「なりませんよ、エヴァリス様をこちらでお引き止めすると、後ほどエヴァリス様がエルメルダ様からお叱りを受けるでしょう。」


「…マリアンナには何でもバレてしまうね。分かっているよ。今はまだ…その時じゃない。」






帰したくないと言葉に出来ないまま、セオリアは優しくエヴァリスの頬をひとつなぜる。彼女が次にエヴァリスとしてセオリアの前に現れたとき、きっともうその顔に笑顔はないのであろう。分かっていても頭の中は名残惜しくいつまでも心が決まらないそれをセオリアは何度も繰り返す。




「エヴァ…待っていて。必ず迎えに行くよ。」




エヴァリスが起きてしまえば卒倒するだろう。しかし夢も見ないほど深い眠りの中でエヴァリスはただ心地よく全てを手放す。結局彼女が馬車の中で目を覚ますことは最後までなかった。馬車がエヴァリスの屋敷に到着すれば、セオリアの膝に横になるエヴァリスの姿を見てドアを開けたガイデンと執事のエリオットは驚いた表情を浮かべた。




「少々頑張りすぎたのか熱があるようです。彼女を部屋に運んでくれるかな?」


「…わかりました。」




セオリアに見守られながらエヴァリスはガイデンに抱えられると屋敷の中へ消えていく。知らせを受けたエヴァリスの両親のオルランとマチルダはバタバタと慌ててセオリアの元に走り寄る。






「セオリア様!直々にエルメルダを送ってくださるとは、ありがとうございます。」


「オルラン殿、彼女は本日良く試験に望んでいました。褒めてあげてください。マリアンナ…。」


「はい、此度の試験はよい成績でおられました。お嬢様は大層お疲れのご様子ですので私も一緒にお送り致しました。試験の採点は次回体調がご回復されましたらお伝え致します。」




それを聞いたマチルダは、顔には全く出さずとも今回エルメルダが自身の代わりにエヴァリスを寄越したのだと直ぐに察知したようだ。




「勿体ないお言葉です。エルメルダにも後ほど伝えておきます。」


「先日の教会への貢献は国の民たちにとって大きな希望を与えた。私では手が回らない所を協力してくれていて助かっています。」




穏やかな笑顔でセオリアはオルランを見据える。




「えぇ、えぇお任せください。エルメルダの力は次期王女にふさわしく唯一無二です。必ずやセオリア様のお力になるでしょう。」


「ではこれで。」




セオリアはそういうとマリアンナを連れて屋敷を後にする。にまにまと笑いながら娘のエルメルダに鼻高々のオルランの横でマチルダは馬車を見送りながらセオリアの言葉を思い出す。




「教会へは度々行って顔を売っておいたほうが良さそうね…。エリオット、後でエルメルダを部屋に呼びなさい。」


「…承知致しました奥様。」




エリオットは静かに屋敷の中に消えていった。






エヴァリスはそれから暫くして、重たい瞼をゆっくりと開くと眠りから覚めた。見慣れた部屋と天井にぼんやりとしていた頭が徐々に鮮明になると同時にエヴァリスはベッドから飛び起きる。頭にあてられた布がポトリと床に落ちた。




「あれっ?私どうしてここに…。宮中で試験の筈だったけど。」


「お前倒れたんだよ。」


「ガイデン…。」




ガイデンは布を拾い上げると、自身の手でエヴァリスのおでこに触れる。まだクラクラと鈍痛のする頭だが、どうやら熱は引いたらしいガイデンはとりあえず大丈夫だな…と言いながらほっとした表情を浮かべる。




「倒れたってどういうこと?私どうやって屋敷まで帰ってきたの?」


「覚えてないのか?セオリア様とメイド長が馬車でお前を送り届けにきたんだよ。」


「どうしよう…全く記憶にないのだけど。」




驚いたぜ、馬車のドアを開けたらお前がセオリア様の膝で寝てたんだから。ガイデンの言葉にエヴァリスは顔を真っ青にする。私が?セオリア様の膝に???呆れすぎて言葉が出ない。現実から逃げるように自身のベッドにもう一度沈み込めばガイデンは頭をポンポンと叩く。




「心配するなよ、試験は無事に終わったし、お前の事もバレてない。まぁエヴァリスの事だからみんな心配してなかったけど…リオン以外は。」


「あぁ、私としたことがダンスが終わったからつい気が抜け…。」




ダンス…!!!!


真っ青だったエヴァリスの顔は今度は赤く染まっていく。そうだ…エヴァリスは、さっきまでセオリアとダンスを踊っていたのだ。久しぶりに彼と話し、笑いかけられて、そして彼に触れ…。


一人色々思い出して、少し目の端を赤くしたエヴァリスの様子にガイデンはオロオロとエヴァリスの身体を仰向けにすると新しいタオルをおでこにのせる。






「とりあえず落ち着け。また熱が上がるぞ。」


うぅ…と情けない声を出したエヴァリスは、大人しく横になったままはたと気づく。






「これ、ガイデンが冷やしてくれたの?」


「あぁ、熱があるって言ってたからな。」


「そうなのね…、ありがとう。」




エヴァリスはそう言ってガイデンに礼を言った。寝ている間、いつの間にかすっかり熱は引いていた。誰かの手が優しく触れていた感触があった気がするが…熱に浮かされた気のせいだったのかもしれない。




その時、エヴァリスの部屋の扉が開きライラがお盆にシチューをのせて現れた。






「お嬢様お目覚めになったのですね。みんな心配していましたよ。夕食をお持ちしましたがお食事は食べられそうですか?」


「ありがとう、ちょうどお腹が空いたところだったの。」




ライラからシチューを受け取ると、エヴァリスはふぅふぅと冷ましながら野菜がホロホロに煮崩れたそれを少しずつ口に運ぶ。ライラが言うにはエルメルダは熱が出たふりをして自室で休んでいるとのことだ。事の顛末を聞けば大暴れしそうだが、意外にも大人しく休んでいるらしい。




「やはりお嬢様ならなんの問題もないと思っておりました。エヴァリス様なら魔法師の歴史や薬学、作法を覚えることより、むしろエルメルダ様のおつむに合わせて試験を受けるほうが骨が折れたでしょう。」


「なんでライラが得意げに話すんだ?」


「ガイデン様、問題ありません。全て事実です。」




そんなこと無いからとエヴァリスはライラをたしなめる。温かいシチューでお腹をポカポカに満たされたエヴァリスはそれからまた朝まで眠り続けた。

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