9 ダンスと知恵熱
2つ目の語学のテストは、最初の試験とは別の部屋に通された。部屋の中は立食パーティー形式に整えられており10名ほどのルーブルシュ語を話す人達が集められていた。
「エルメルダ様にはこの中から私の友人を一人探していただきます。勿論、友人ですか?と直接お聞きすることは出来ません。私の名前を使用することも。それ以外ならご質問をしていただいても構いません。ここにいらっしゃるお客様の話を聞きながらそれをヒントにお探しください。」
「人探しですか?」
「お客様は嘘は言いません。質問には正直にお答えいたします。」
二つ目の課題はルーブルシュ語での人探しのようだ。
なるほど…ただ話すだけではないのね。エヴァリスは先ず『こんにちは。』と声をかけながら数人が話している輪の中に入ると相手の話に耳を傾ける。いくつか質問をしては『ありがとう』と挨拶をして一人ひとりとやり取りを続けていく。
その様子をマリアンナはじっと見つめていた。
エヴァリスは暫くすると一人の男性を連れてマリアンナの前に姿を表した。
「どうしてこの方だと思われたのですか?」
エヴァリスは男性に向かって微笑むとルーブルシュ語で再度質問をする。
『この中にあなたが誕生日を知っている人を示してください。』
すると男性はニッコリと笑うとマリアンナを抱き寄せてハグをした。それを見てマリアンナも親愛のハグを返す。
『彼女の誕生日は雪のきらめく寒い季節さ。』
「正解です。彼は私の妹の旦那です。妹は今ルーブルシュの国で魔法薬の研究を行っています。彼も同じく魔法薬の開発を行っているのですよ。」
『シンプルだけど的を得た質問だったね。素晴らしかったよ。』
「ありがとうございます。」
エヴァリスはニッコリと笑うと、男性と握手を交わした。そしてチラリと先程会話した女性の方を見ると「少しすみません…。」とマリアンナに断りを入れエヴァリスはサラダを選ぶその女性にそっと声を掛ける。
『すみません。もしかしてバナナのアレルギーをお持ちではないですか?』
『えぇ、そうよ。でもどうして分かったの?』
『先程お話を聞いていたので。真ん中のドレッシングはハレオンの伝統的なものでバナナを使用して作られています。お召し上がりの際にお気をつけください。』
『あらっ、そうだったのね。色がオレンジ色だから気付かなかったわ。教えてくれてどうもありがとう。』
女性にそう伝えるとエヴァリスは静かにお辞儀を返す。その様子を見ていたマリアンナはふっとため息をつくとエヴァリスに声をかけた。
「お疲れ様でございました。ダンスの試験の前に一度休憩をいたしましょう。」
「あ…、ありがとうございます。」
エヴァリスを落ち着いた場所に座らせたマリアンナは、まるで指先まで柔らかく羽根を伸ばしたかの様な美しい所作でエヴァリスのティーカップにアールグレイの紅茶を注いだ。
「ミルクやお砂糖はお入れいたしますか?」
「はい、ではミルクをお願いいたしますわ。あとお砂糖は…。」
「角砂糖2つ分ですね。」
「そう…です。」
どうやらこちらから伝えなくてもエルメルダの好みは把握されているらしい。
マリアンナがミルクを注ぐと、ティーカップの中はまるで踊るかのように美しい模様を作る。エヴァリスがそっと差し出されたミルクティーを口にすると雑味のない優しい味わいに目を開く。
「マリアンナ様、素晴らしいです。私こんなに美味しいミルクティーは初めて飲みました。どうやっていれるのでしょう?茶葉の銘柄は何処ですか?雑味がないのは蒸らし時間でしょうか…。いやそれともミルクの量か…。」
エヴァリスはその時、やってしまったと今更ながら気付く。ゆっくりと横を見ればマリアンナは表情を変えずにエヴァリスの顔をじっと見つめている。
「いや…あの。その…マリアンナ様の紅茶はいつも初めて飲むかのように美味しいという意味で…。」
「…。」
「こんなに美味しい紅茶を私自身もセオリア様にもお召し上がりいただきたいな…などと思いまして…。」
エヴァリスの声は喋れば喋るほど、マリアンナの視線に打ち砕かれてどんどんと声が小さくなっていく。やってしまった…と顔に書いてあるエヴァリスにマリアンナは静かにミルクの入った容器を見せる。
「ミルクティーを美味しくいれるポイントはミルクを常温にしておくことです。冷たいまま入れてしまうと中身が冷めますし生臭くなることがあります。」
「そうなんですね。とても参考になります…わ。」
長年メイドとして家族に仕えるエヴァリスにとって、マリアンナから教えてもらう事は心躍るものばかりであった。ちょっとした休憩のはずが、いつの間にか紅茶講座の様になり始めたところでマリアンナはさてと…と姿勢を正す。
「本日の目的をお忘れではありませんね。既に気が緩んでおられますが試験はまだ残っておりますよ。」
「申し訳ありません。」
一瞬だけ忘れ去っていましたとは、口が裂けても言えない。何も今日でなくとも紅茶の入れ方でしたらいつでもお教えできます。そう言って呆れた様に笑うマリアンナにエヴァリスは力なく笑い返す。
マリアンナ様に直接教えていただく機会はもう無いのが残念だわ…。
「そうでしたわね。次の試験をお願いします。」
「最後の場所はホールで行います。」
王宮のホールに向かいながら、その懐かしさに穏やかな気持ちと寂しさとが静かに交錯する。まだエルメルダとセオリアの三人で仲良く遊んでいたあの頃。王宮で開かれたパーティーをこっそり抜け出しては秘密のかくれんぼをした事を思い出す。確か…私が隠れたのはあの角の裏だったっけ…。
思わず足を止めれば、先を歩いていたマリアンナが振り返る。
「どうかされましたか?」
「あぁ、いえ何でもありませんわ。」
エヴァリスは小走りにマリアンナの後を追いかける。
そう言えば試験の始めの方に一緒にいたリタールの姿が見えない事に気づく。あたりを見回すもののその姿は見えない。王宮の執事ともなればその仕事量は想像を絶する。ただの試験に終始付き添わせるのも失礼よね。そうエヴァリスは静かに納得する。
「着きました、ここが最後です。」
大きい扉が開かれ、現れたホールはまだ5歳だったあの頃より少し違った景色を見せる。促されて中に入れば誰もいないホールにコツコツとエヴァリスの靴音だけが響き渡る。
あの頃はこうしてエルメルダの代わりに、この場所でダンスを踊ることを誰が想像しただろう。
エルメルダの話によれば、最後のダンスはマリアンナが男性役を行ってくれることになっているそうだ。正直今回の山場は既に越えている。マリアンナの足を踏まないように気をつけてそれなりに踊ればエヴァリスの仕事は無事に終わり晴れてお役御免になる。
「それでは最後の課題のダンスを始めましょう。」
「分かりました、マリアンナ様宜しくお願い致します。」
エヴァリスはマリアンナの方に歩いていくと、美しいカーテシーを見せるが何故か彼女はいいえと首をふる。
「えぇっと…踊らないのですか?」
「えぇ踊りません。今日ご一緒に踊っていただく方はこれからいらっしゃると思いますよ。」
いらっしゃると思いますよ?エヴァリスは台本に無い展開にそわそわと居心地が悪そうに視線を動かす。
「えー、それは一体どういう…。」
困惑を口にしたエヴァリスがマリアンナに再度訪ねたその時、反対側のホールのドアが開かれて誰かが入ってくるのが見えた。そしてその姿が視界に入った途端、エヴァリスは口を手で覆うと思わず声を出す。
「何で……。」
そんなはずない。あるはずがない。
そこには紛れもないセオリアの姿があった。その姿が段々とコチラに近づいてくる度にエヴァリスの心臓はバクバクと轟音を鳴らし、震えたままの足が本能で少しずつ後ろに下がる。
「間に合った?」
にこやかに微笑みながら足早に近寄るセオリアに、エヴァリスの頭の中は逃げる方法を探し続ける。
「散々練習の際に私ではなくセオリア様が相手が良いとエルメルダ様が駄々をこねておられましたので、私がお呼びいたしました。」
「いや…待ってください。それはエルメルダ…。」
慌ててマリアンナにそうじゃないと伝えようとしたが、不意に優しく手を引かれ気付けばエヴァリスは力ない言い訳ごとセオリアの腕に抱きしめられていた。
ふわりとセオリアから香った香水の匂いに気付いてエヴァリスは更に息をのむ。
そしてその姿を見たリタールもまた驚きの表情を浮かべている。
「セオリア様!?」
「ごめんね、来るのが遅かったかな。」
何処か少し息が上がったままのセオリアは、相変わらずエヴァリスを離さずに呼吸を繰り返す。はくはくと口を動かしながら熟したトマトのように、エヴァリスの顔が真っ赤に染まっていくのを見兼ねたリタールがセオリアに声を掛ける。
「セオリア様、色々と隠しきれないのは重々承知しておりますがお嬢様の息が止まっています。そろそろ一度離れて差し上げてください。」
「えっ?あぁごめん。つい…。」
自身のキャパシティーを遥かに超えた刺激の強さにエヴァリスは暫し放心状態になる。それを黙って見ていたマリアンナはこの日初めて大きなため息をつくとパンパンと手を鳴らすし大きな声でエヴァリスに檄を飛ばす。
「しっかりなさい!まだ試験は終わっていませんよ。」
集中!!!
その大きな声がホールに反響すると、流石のエヴァリスもハッとして我に返る。耳を抑えながら、マリアンナのこの感じ久し振りだな…と呟いたセオリアは、再度エヴァリスが距離を取ろうとする前に自身の側に抱き寄せる。ちょ、ちょっと待って…とオロオロすればするほど何故かセオリアを喜ばせてしまうらしい。
「どんな曲が好き?」
「いや、あの私は…。」
一人で百面相を繰り返すエヴァリスを見て、セオリアはくすりと笑うと、わざと寂しそうに目を伏せる。
「もしかして…僕と一緒に踊るのは嫌かな?」
「なっ…滅相もございません!!その…緊張しているだけですわ。」
「じゃあ問題ないね、一曲踊ろう。」
いや、問題大アリです。素が垣間見えたエヴァリスの言葉をスルーしてセオリアがマリアンナに目配せをすれば、マリアンナの魔法で楽器達に命が吹き込まれ静かにワルツが流れ始めた。
広いホールに、ただ二人だけのための音楽。
世の女性なら誰もが羨み、夢に見るであろうセオリアとのダンス。しかしエヴァリスの頭の中は屋敷に帰ったあとそれを知ったエルメルダに確実に八つ裂きにされるだろうという憂鬱しかない。
暫く静かに音楽に合わせて身体を揺らしていたが、エヴァリスが別の何かに気を取られていることに気づいたセオリアはなんの前触れもなくターンをいれる。
「ちょっ、危ない。足を踏んでしまいます。」
「だってこうしないと全然こっちを見ないだろ。それに忘れてるけどこれは試験だよ。一度も相手を見ないなんて減点されるよ。」
ヴェール越しではあるがセオリアには伝わってしまったらしい。
はい、仰るとおりですね。セオリアの正論にぐうの音も出ないエヴァリスは半ば開き直ると目の前のセオリアの目を見た。
繰り返されるステップと、優しくも力強いセオリアのリードに次第に呼吸があってくる。
「報告にあったよりずっと上手いじゃないか。」
「違います、セオリア様リードがお上手なのだと思いますよ。」
決してお世辞ではない。そもそもこうして誰かと踊るのはずいぶんと久しぶりのことである。軽やかに動いているように見えるのはきっと相手がセオリアだから、なのかもしれない。
音楽がゆっくりと終わりに近づいていくのを、頭の片隅で理解しながらエヴァリスはそんな事を考える。
エルメルダであれば既に何回かセオリアの足を踏んでいるところではある。しかしダンスの途中チラチラと足元を見ながら死んでも足を踏まないようにと、必死に踊るエヴァリスは目の前のセオリアが片時もエヴァリスの顔から目を離さないでいることに気付くことはない。
「離したくないな…。」
セオリアは音楽が止まる瞬間にポツリと本音を漏らす。
「えっ?何か仰いましたか?」
「いいや、なんでもないよ。お疲れ様。」
そう言ってゆっくりとエヴァリスからセオリアの身体が離れていく。温かな体温がふわりと香ったそれと共に名残惜しそうに残るが、同時にエヴァリスはやっと終わったと安堵のため息を吐く。鋭い緊張の中から解放されたからか頭痛とともに一気に疲れを自覚する。
「お嬢様、お疲れ様でした。これで全ての試験が終わりました。筆記試験の結果は後ほどお渡し致しますが特筆してご指摘するところはございません。他の課題も問題ございません。」
「そうですか…?分かりました、ありがとうございます。」
鈍痛が増してきたこめかみを擦りながら、マリアンナの評価を聞いてエヴァリスはそっと胸をなでおろす。
「最後に…何か仰りたいことはございませんか?」
じっとエヴァリスを射抜くように見つめられた視線に、もしかしたら、マリアンナ様は既に…とエヴァリスはふと思いつく。
マリアンナのその質問に、エヴァリスは少し考えた後顔を上げた。
「いいえ、ございません。私は今日マリアンナ様に美味しいミルクティーの淹れ方を教えていただけて幸せでした。」
「…そうでしたか。いつでもお教えいたしますよ。」
その言葉にマリアンナは静かに目を閉じる。
「それでは私はこれで失礼致します。マリアンナ様、本日はお時間をいただきましてありがとうございました。」
またいつか美味しい紅茶のいれ方を教えてください。そう礼を告げてエヴァリスがホールのドアに向かおうとすると、それを見たセオリアがエヴァリスの前に立つ。
「あの…まだ何か?」
不思議そうに首を傾げるエヴァリスの顔をじっと見つめるとセオリアはおもむろにエヴァリスの膝に手を回すといとも簡単にエヴァリスの身体を横抱きに持ち上げた。




